お城クイズ答え

Q18.稲葉山城攻略のために秀吉公が一夜で築いたと言われるお城はどっち?

答え

1.墨俣一夜城
豊臣秀吉公が歴史にその名を現れるきっかけになるお城です。
織田信長公による美濃攻めは、舅である斉藤道三公が息子に敗れ、亡くなってか
らと言われています。
何度も攻め寄せる織田軍を寄せつけない名城稲葉山城。

直接稲葉山城を攻める方法ではらちがあかないので、長良川・犀川・木津川・五
六川・天王寺川などが合流し、まるで「州の股」のようになったいた、墨俣に城
(砦)を築くことにします。

まずは、永禄9年(1566年)信長配下の佐久間信盛、柴田勝家、織田勘解由
が築城を信長公より命じられます。
しかし、斉藤軍の抵抗が激しく砦は思うようにできません。

業を煮やした信長公は柴田達を叱り飛ばします。
そんな中、某にお任せを! と名乗りをあげたのが後の関白豊臣秀吉公。
当時の名前は木下藤吉郎といいました。
藤吉郎は地元の野武士、蜂須賀小六などを家臣にし、長良川の上流で木組みを整
えた木材を流し墨侯で組み立て、砦を築きました。

これが史上有名な秀吉の一夜城です。

現在は、当時はあるはずもない天守閣がどどーんとそびえたっています。
でも、なかなかいい雰囲気です。
●「「秀吉」出世街道ドライブコース<墨俣城(一夜城)>」

●「jogのマラソン&お城廻り<00墨俣城>」

2.石垣山一夜城
先週の大河ドラマで出てきた小田原城を攻めるために築いたお城。
小田原城からわずか3キロ。
石垣山の頂上にあります。
お城からは小田原城を見下ろすことができます。

築城に当たり、山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り白紙を張って白壁のように
見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採し、それを見た小田原城中の将兵が驚
き士気を失ったためと言われています。
実際には延べ約4万人が動員され、天正18年 4月から6月まで80日間が費やさ
れました。

今も総石垣のこの城は当時の姿を物語る見事な石垣がゴロゴロしています。
でも、かなり崩落が激しく、残念ながら原型を留めているのはごくわずかです。
豊臣政権の栄枯盛衰を物語るお城だと思います。

● 「日本最古の丸岡城、日本の天守閣めぐりへようこそ<石垣山城>」

●「石垣山一夜城」

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