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久保田成長研究所
代表 : 久保田十司夫

オピニオンリーダーからのメッセージ

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voluntarySight
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39.9歳か、違和感が無い平均年齢だ。日本人の研究者、国際的にその論文の引用が多かった858人の平均年齢。79万人中の868人だから研究者の領域でのトップランナー集団だ。その半数が490万円以下の研究費で成果を上げる。実感だ。トップランナーほどその研究、お金をいい訳にはしない。ただ政府の競争的研究資金を使った者が61%いる。お金は欲しい。これは間違いない。その制度を使った者の感想は”評価基準が不明瞭””政治力のある研究者が優遇される”だとか。必要なところにお金が回らない実態も見える。政治力がある研究者に予算が回ってゆくと感じているって言うのは制度の問題だよな。科学技術創造立国の方針はこの領域にお金をつけて来た。858人のトップランナーにはお金、回っていないと感じる。10億円の予算が付いた研究者も居たと言うが半数は490万円以下の研究費で成果を上げた。
2006.4.28

ニフティーのアットホームページ、その無料の容量100MBに6月からなる。嬉しいね。最近は10MBでその容量を抑えてきた。文字と図だとこの程度でホームページの容量も収まる。二つで20MBだった。その内、一つが100MBまで無料の容量が20MBから増える。良いことだ。文字と図のこのホームページ、他界するまで蓄積を続けられる。思う存分トークを展開できると思うと嬉しいね。クレジットカードで月の利用料を決済する。銀行口座で決済する。理屈上は他界後もこのクレジットカードと銀行口座のお金が維持できていればこのホームページは持続できることに成る。100MBにその容量が増え、思う存分トークを展開、他界後にもその公開が出来る、ここまでその思いを馳せた。ココログでは2GBまでその容量が無料だ。文字と図と写真でこのホームページは創ってゆける。動画は無理。200本で2GBの容量に成ってしまう。文字と図と写真の蓄積は出来る。嬉しいな。文字が中心であることには変わりは無い。二つのホームページを維持するコスト、月に3000円なり。これに加えてインターネットは接続のし放題。1Mbpsで。通信費はこれに2000円の固定電話代が上乗せされるだけ。月に5000円までその費用が落ちた。気持ち良い。ISDN時代は1万円だった。通信速度も上がって半分になった。NTT関係は6000円から2000円へ。ニフティーが4000円から3000円へ。半減には達成感がある。通信速度が上がって、ホームページの容量が増えての半減だ。嬉しいよね。
2006.4.29

自分が生きた証を公開しておく、メモリアルに魅力を感じる人って結構いるに違いない。ホームページでもブログでも、その足跡が記録され他界後も公開が続く。ニフティーの場合、infowebからアットホームページへの統一が過去に有った。そのアドレスが変わったことでそのホームページの持続は出来ない時があった。リンクしているアドレスの部分はその人が変える必要が有ったからだ。ドメインが変わらない。ドメインを変えずに設備を更新して行ってくれればメモリアルも成立する。生きた証が公開され続けるメモリアル需要ってあるに違いない。子孫に花をあげてもらうよりも、その生きた証が公開されている方がメモリアルに相応しい。インターネットにはこの方向の可能性もある。サービスの世界、いろいろとこれからもその可能性、大きいんだろうな。大きいよ。
2006.4.30

石油給湯器、注文はジョイフル本田に決めた。価格がリーズナブル、営業がしっかりしている、工事業者もリーズナブルな価格設定をする。営業と工事業者が2回目の下見では一緒に来たのも心象を良くした。今後のメンテナンスもこれなら出せる。ジョイフル本田、スマイル本田としてリホームの領域で会社をおこしている。他の片手間のホームセンターとはその対応と価格で断トツで優位だった。標準工事価格では地表で配管を変える。今回は水道工事屋の施工範囲のところで変える、に変更した。この差異に対する追加見積もりも納得できる価格の提示だった。税込みで16.6万円だった。今回の会話から一つ良い話を仕入れた。今までは厳冬期に灯油がどんどん消費されていた。この冬の厳冬は2ヶ月、去年は1ヶ月だった。10日に45リットルのペースで追加で燃焼されていた。馬鹿に成らない灯油の消費だった。今度はこの消費が無くなる。お湯を石油給湯器が溜めていた。これが今回のは無い。流れてくる水をダイレクトにお湯にして供給する。冬場の灯油の無駄な消費がこれで押さえられる。良いことだ。気持ちいいね。
2006.5.1

18年経った水まわり、気に成るところも出てきた。その外観で。台所の水道の蛇口や外の水道の蛇口は全く問題ない。水洗トイレの配管、これ青銅を使っていたようで緑青がかなり浮き出してきた。5年位前からメッキが剥げるかの様に浮き出し始めていた。ここに来てその許容の限界に来た。外観において。配管と変えるか、それとも塗装をするか。先ずは配管からホームセンターでそれらの部品が手に入るか探す。一番欲しい水のジェットガンが無い。ホーマックで唯一見つけたがセットで5000円は高い。その他の配管部材も揃えられない。フロート部分は何処でも売ってるがそこへ水を導く配管は意外に品揃えが無い。塗装にその検討を切り替える。木や鉄を塗装する訳では無い。青銅を塗装する。その密着性の確保が先ずは要求機能になる。見つけた。非金属用の密着用塗料。ステンレス、黄銅、真鍮、青銅がそのターゲットだ。この上に防錆剤入りの木、鉄用の塗料を塗る。銀色を選択した。塗った感触、合格。密着したようだ。美観も良い。後は耐久性。水道の水まわり、その緑青の浮き対策に塗装という手段もありそうだ。トイレのフロートは動かなくなったらこれは交換する。見えない部分だから緑青の浮き出しも気に成らない。台所や外の蛇口の外観は全く問題ない。材料が違うのだろう。浴槽にお湯と水を入れる蛇口も緑青が浮き出した。洗面所も。ついでに塗装した。トイレ、洗面所、風呂のこれらのメーカーは100年住宅に向かってはその改善、しっかりありそう。台所の蛇口は未だに問題ない。ステンレスも強い。
2006.5.2

18年を経た灯油タンクに防錆塗料を塗布した。底面に48時間で灯油が1滴レベルでにじみ出る部分を1ヶ所見つけた。面だったので補修テープを探しにホームセンターに出かけた。耐熱や耐水のテープはあるが、耐油表示のテープは売っていなかった。基材は問題ない。粘着材料が灯油がしみ出さない事。この要件が満たされるかが確認出来なかったのでテープによる補修はあきらめた。自動車の補修コーナーでパテを見つけた。金属、非金属用の耐水、耐油パテだ。ネジ部がバカに成った時にはそこを埋めて新しくネジを切れるタイプだ。このパテを購入した。灯油がにじみ出た底面にこのパテを塗った。表面硬化1時間、内部硬化24時間タイプ。硬化後には防錆塗料を又、塗布して底面の防錆能力を付与しようと思う。底面は雨水が最後までじくじくしている部分でもある。外からの酸化の可能性が否定できない。防錆塗料をたっぷりと重ね塗りしたら木や鉄用の塗料を塗って仕上げようと考えている。塗装で又、20年はもつ。20年でのダメージがこの程度だからこのメンテナンス手法で今後も20年、大丈夫だろう。灯油タンクは100年持つのでは無いだろうか。勿論、非鉄金属用の密着塗料を塗布後、防錆塗料の塗布を始めている。素地が出ていた底面部分だけだが。
2006.5.3

羽毛布団って人気、無いんだよね。布団を掛けている気がしないという。軽すぎるんだね、きっと。押入れにしまわれっぱなしか、空いている部屋に無造作に置きっぱなしになって居る。一度、使用しても気に入らなくて元の布団に戻っている。それが羽毛布団に対する印象なんだ。一昔前は一組、20万円とか30万円といって電話勧誘があった。羽毛布団に対する印象でもある。今はホームセンターで5000円からある。組でも1万円台だろう。ここまで値段が落ちてくるのも納得してしまう。布団は一生ものでもあるしね。
2006.5.3

屋根を塗装するタイプの家を建てた人ってそのメンテナンス、大変だと思う。太陽の光線を屋根はまともに受ける。塗料の持ち、5年だよ。この5年周期で塗装が出来ないと屋根を葺き替える始末になる。あるいは、その耐久性の限界に挑み、その後は家を壊す。子供の頃、コンクリート瓦の屋根の家に住んでいた。屋根の塗装って大変だとその様子を見ながら感じてた。5年周期で屋根の全塗装って大変だよ。美観の維持に加えてその基材の劣化防止がその役目。屋根の塗装は大変だ。
2006.5.4

運動靴で屋根に上がると俗に言う、へっぴり腰になる。すべるんだよ、これが。足のその靴の位置が不安定だ。すべるのを計算に入れて身体を決める。その体勢はへっぴり腰だよね。屋根に接着シーラーを塗布した時は身体を寝せて塗布した。運動靴でもなんとかこなせた。屋根の上を自由に歩くことは出来ない。たびはこの自由度を与えてくれるよ。そこのパターンが屋根に吸い付くように切ってある。この底を似せた靴も売っている。ウォークマンで買った。運動靴で屋根の瓦の上は歩けないけど、この靴なら歩けた。今日、平屋の屋根に上って、隣の2階の家の側壁に防錆塗料を塗布した。たび底の効果を実感したよ。
2006.5.4

自分の代だけ家は持てば良いと考えている人も多いと思う。30歳で家を建てる。80歳まで生きる。その家は50年は持たせないと活けない。90歳まで生きたなら60年だ。ノーメンテでは家はこれだけは持たない。一生に2軒、家を建てる破目になる。30歳で家を建て、60歳で又、家を建てる。ノーメンテでは30年、持たないよ。みすぼらしい家に成ってしまう。60歳で家を建て替える破目に成るよ。退職金が家の建て替えで吹き飛ぶ。退職金で住宅ローンの一括返済を考えていたなら目も当てられない。自分の代、家は持てば良いと考えている人もメンテナンスはしっかりとやらないと活けないよ。
2006.5.5

96リットルの灯油タンク、底からある部分、灯油がしみ出していた。補修、出来るものだね。満タン状態での補修、ほぼ完了に近い。灯油をいったん空にして補修ってするものだけど、ランニング補修に成功したよ。48時間で1滴レベルの灯油のしみ出し程度だったからその可能性はあると初めから思っていた。やり切ったってとこかな。今は指でなぞると薄っすらと灯油が付く。この薄っすらレベルのしみ出しを押さえると補修、完了だよ。その部分の強度は金属パテで確保した。
2006.5.6

前の家が敷地に塀をたてた。昔、この間の道は4m道路だった。平磯から部田野を結ぶ農道兼生活道路だった。今も4mの名残りがずいぶんある。基本的にこの道、4mなんだと実感させられる。十三奉行のお墓の敷地が我が家側の道路境界だったと思われる。この境界がしっかりとしているから前の家が塀を作る際に、市役所に道路境界を明確にしてくれと要求したときにその杭が打てたのだと思う。今はその道路境界の杭があり、前の家はその杭を基準に塀の位置を割り出した。我が家の宅地は区画整理除外に位置づけられていた。これらの路面に打たれた杭から昔の公道の境界が分かる。宅地側に1m食い込んで、そこに道路工事用の杭が埋められている。この道路は4mなんだ。6mまでその道路幅が取られた部分はそのほんの一部でしかない。区画整理除外敷地との境は複雑だ。道路を中心にその境を考えると敷地の境界を間違う。改めて道路にうたれた家の前の杭を見て実感した。
2006.5.7

今はオフサイトセンターから神敷台へ19m道路が走る。ひたちなか市の那珂湊地区の幹線道路も様変わりした。40年前の農地の区画整理の時、集められた人の間に話された事、今は謎だ。当時、その区画整理に参加しなかった農地があったことも知った。その農地をはさむ道は道幅4mのままであることに納得もした。区画整理には参加しないけど、道幅5mには協力する。この程度の話はあったかも知れない。両側に50cmづつ、平磯と部田野を結ぶ道はその区画整理に参加しなかった農地も道路用地になって居るかも知れない。当時は農地の区画整理と銘打ってこの第三小学校や幼稚園、第一保育所の敷地も確保した。農地の区画整理と公共用地の確保が同時に行われたのは間違いない。今は買い上げでその確保は進む。
2006.5.7

協力はしたけど寄付はしていない。私有地が公道に協力、して居るところって案外多いんだろうな。十三奉行の墓地、その前にも道路境界杭がアスファルトに打ち込まれていた。ひたちなか市と刻印があった。この墓地の塀、この境界から1mくらい引っ込んでいる。路肩が墓地側に20cm強、入り込んでいた。墓地の所でも役所は昔の道の境界をしっかりと認識していたと実感した。協力はしたけど寄付はしていない私有地が公道に、多いんだろうな。
2006.5.7

フィリッピンは物価や人件費が安いね、重度障害者がその年金、月額11万円等で自立生活が出来るという。ホームヘルパーを3人雇い、24時間介護。週3回は購入した中古のワゴン車で買い物にもでる。その時の運転手も頼む。日本なら月に70−80万円の費用が掛かるという。フィリッピンでは5−6万円だ。安いよね。これに借りた一軒屋の家賃と自分の生活費を加えて、月に11万円であがる。掛からないよね。月11万円の価値、フィリッピンではこれだけのサービスが受けられる。年金生活者がその老後をフィリッピンで暮らす。重度障害者にも心地よい所の様だ。
2006.5.8

月収1.5万円で喜んで介護の仕事に応じる。年収、18万円だ。フィリッピンの物価も安いよね。インドは年収50万円で高給取りだ。中国は年収10万円で商人や職人が家族を養う。生活物価は安いよね。これで暮らせるんだから。
2006.5.10

おかしな誘導看板があるんだよな。田んぼの農作業用のメイン道路に一般車を誘導している。トラクターで自分の田んぼに向かう時、危なくてしょうがないと皆が言う。ひっきりなしに一般車が走る。獅子前の田んぼのところ。那珂湊駅前の道路の渋滞対策として誘導看板を誰かが立ててる。どんどん一般車を誘導するような道じゃないのに。R245から那珂湊市街に入る。良い脇道にされた。逆方向にも使われる。一般車を誘導するならそれなりの道に拡幅をしないと活けないな。6mないと2台の車が通常の速度で走ってのすれちがうって無理だ。今の道幅はそこを歩いていると後ろから抜いてゆく車に恐怖を感じる。ひたちなか市の仕事なんじゃ無いの。
2006.5.11

石油給湯機の工事が終わったよ。お湯の配管、水道工事屋はステンレス、その外側を断熱チューブを入れて埋設してあった。水は塩ビ配管で。この部分から今回の工事、ステンレスを接続した。同じように断熱チューブをその外側に使用して埋設、地上に立ち上げた。埋設したあったステンレス配管、水と触れる事が無いから新品そのものだったよ。18年経ていて、これは凄いと思った。チューブの腐食も無い。今回、設備更新を選択する決断をした部分、ステンレス配管に成った。リリーフ弁や減圧弁などの余計な部品も無い。更にもつよ。
お風呂にお湯を張った。8分で普段入る量のお湯が浴槽にたまった。更新前は10分だった。2分の短縮だった。1割はその熱量が31,000から33,000kcalへアップした事によるだろう。残りの1割の短縮は燃焼効率のこの18年間での向上と旧品の燃焼効率領域の劣化による物だろう。この劣化、たいした数字では無いと判断した。よって今回更新した石油給湯機、今度は18年以上はもつよ。今からそう思う。その時の配管の接続は地上部でのステンレス配管部からになる。配管工事も簡易で済む。次の世代へのバトンタッチ項目に成るよね。デジカメで地中部分の写真も撮っておいた。今度は地中部の配管、安心してくれとの思いを込めて。この部分だけが新築時に手抜きをされた。その対処が終わった。
2006.5.12

工事が終わり、立ち話をする。2階の家が塗装途中の状態、これを見て見積もりを取ったら70万円と言う数字に成るでしょう、材料費は20万円と言うところかなと質問された。業者に出せば見積もりはそのくらいの数字に成ると思うと答える。材料費は2万円だよとも答える。びっくりしていた。1面が4リットルの塗料で塗れる。4面だと16リットルの使用だ。1リットル、1000円の塗料を使って居るからその塗料費は1.6万円だ。これに窓枠の充填シーラー代、錆が進行した所に塗る防錆塗料代を入れて2万円だと言うと納得した。俺も自分で今度は塗ると言った。4リッター缶で1面くらいづつ塗ると心地よい疲れと充実感で次の塗装の気力も充実するよとアドバイスした。石油缶で塗料を買って来て4面を一気に塗る。もういい。今度は70万円を払っても業者に出す。そういう気持ちに成ってしまうよ。時間が空いた時になりきに塗る。これが自分で遣る事を続ける秘訣だともアドバイスした。二度塗りをしても材料費は4万円以下。20万円と言う数字をイメージして居ることにはこちらが驚いた。家の塗装ってその価格、手間代なんだよー、に納得して帰った。
2006.5.12

8分で浴槽にお湯を張る。時間当たり33,000kcalの発熱、この灯油消費が4リットルだから、その灯油消費量は0.533リットルになる。浴槽へのお湯張り、200回で灯油消費って106リットルなんだね。毎日沸かして6ヶ月、2日毎に沸かして1年分の灯油消費になるんだよね。灯油の消費量ってこんなもの。お湯を出す時しか灯油が燃焼しない。今度はこのタイプの石油給湯機だからその消費量はこの数字に限りなく近づいてゆく。貯湯タイプでの灯油燃焼の無駄、厳冬では認識してきたけど普段の季節も大きい数字だったとその無駄に思いを馳せる。無駄が無くなってゆくって気持ち良い。厳冬期は100リットルを20日で燃焼させて居たんだよ。石油給湯機部分の貯湯の温度維持に。追い炊きを入れる人、浴槽でのその温度維持に灯油がどれだけ無駄に消費されているか認識するとその追い炊き機能は使わなくなる。フィルターの雑菌処理など余計なメンテナンスも必要とする。
2006.5.13

家の外壁を油性タイプの塗料で塗る。刷毛塗りなら問題ないな。エアー霧化でのスプレー塗装ではその希釈、50−100%にもなる。これだけの溶剤を加えた上にその塗着効率は20%程度だろう。溶剤と塗料が環境中にどんどん飛散する。家の軒裏の空気循環穴から入り込んで来る溶剤の匂いには閉口させられる。20%しか塗料が外壁に付着しないに加えてこの溶剤の飛散は問題だ。刷毛塗りはその塗着効率、100%だ。原液をそのまま刷毛に付けて塗る。溶剤の使用はミニマムでその飛びも気に成らない。刷毛塗りで外壁に塗装を施す。水性塗料にこだわる理由は見当たらない。しかも水性塗料は塗り重ねてゆくタイプ、剥がれ易そうだ。油性の塗り重ねてゆくタイプはその塗布において濡れ性に問題を感じない。外壁、木、鉄に加えて雨どい(塩ビ)、もしかしたら排気口のカバーに使われるステンレスへの密着性も良いかもしれない。塗装してある銅板にも塗れる。その塗装が風化した後でも。なかなか万能と感じている。色によっては灯油のしみ出しを押さえる。塗膜がこの環境下でも硬化できる。色によるが。
2006.5.13

家の通りの道路、この20年間の道路工事でその路肩のRが市役所によって変更されている。一方的に図面が引かれ道路の杭が打たれたって言う感じの進め方が現況の状況から読み取れる。道路面が上がり、しかも路肩が区画整理除外の宅地に食い込んで行った。その家の軒、瓦で1枚分、カットしてある。道路故事中、路肩が不明になったとき、トラックがその軒にぶつかった。結局はこの改修工事も自腹を切ることに成った。一方的に宅地に杭が1m食い込んで打たれ、建っていた建物がその煽りを受けて改修する。とんでもない道路工事設計思想である。公共用地を確保するために農地が区画整理された、40年前にその除外地に対する市役所のその後の道路工事の進め方にはごう慢な姿勢があった。
部田野から平磯に走るこの道、都市計画に基づき6m道路が決定されていて、その後その食い込む住民に説明がなされその必要な土地や既に建っている家の改修の必要性の説明とその費用分担が決まり、滞りなく仕事が進む。このパターンならなんの問題も無い。部田野側でその拡幅はしないと住民の反対で市役所が決定したと3年くらい前に風の便りに聞いた。計画性の無い道路工事には呆れる。市役所のその部門の暴走には間違いが無い工事だったのだろう。都市計画決定が第一歩に無ければ活けない。部田野−平磯を走る家の前の道にそのずさんな体質を透かし見る。
2006.5.14

40年前の公共用地の確保を兼ねた、農地の区画整理、参加しなかった人の農地で道路に協力した人の中で、代替地を貰ったところがあると聞いた。平磯−部田野の道路の拡幅には協力、代替地で等価交換をしたという。その人の農地がある道のところでその幅、5mが良いところかな。4m強の道幅と判断した。本来、この道、4m強、から5m弱の範囲で作られた様だ。20年前に道路工事が行われた。圧送用の下水配管の埋設工事だ。この工事の時にどさくさ紛れで拡幅もした。この道路用地の杭うちは市役所のごう慢な遣り方で私有地に食い込んで行った。これがその実態のようだ。旧国道との交差する辺りは40年前に代替地を渡した。家の前の辺りは20年前の道路工事でごう慢なくい打ちが行われた。これが真相のようだ。もともと6m道路にする計画はこの道には無かった。新しい19m道路と交差するところだけ6mの道路幅で工事されたがこれは異例の幅と言うことに成る。この時も市役所の杭うちはごう慢だったと読み取れる。区画整理除外の宅地に更に1m食い込んで杭が打たれた。これが真相のようだ。
2006.5.23

昔の農道は6尺道だったと聞いた。調べてみると1.8mだ。部田野−平磯道路はこれよりは太かったかなと言う。農地の区画整理でこの道、当初は旧国道と交差する道から直進して計画された。この交差する付近の区画整理に参加しなかった人の土地は道路の拡幅には協力、その代替地の手当てと進んだ。こう考えるのが自然だろう。急きょ、その直進してくる道路に変更が出た。直進の計画が挫折したようだ。今までの部田野−平磯道路に沿って道を広げる。十三奉行のお墓の辺りからカーブすることに成る。この後のその道幅へ拡大への協力地、代替地の手当ては出来なかった。これが真実だろう。家の前の辺りの道の反対側の区画整理除外農地の所有者は道の幅拡大には協力、代替地の提供は無しだった。私有地が公共用の道路に提供されている形になっだ。当初の計画が頓挫した為に同じ道路拡大への協力もその代替地、無かったわけである。区画整理除外宅地もこの煽りを受けていたわけだ。もともとこの道、6尺よりはちょっと太かったと言うから3m程度の道幅だったに違いない。私有地にごう慢に杭を打ち込んでの道幅の拡大には無理がある。市役所の道路部門の暴走だろうけど。でも20年前の下水工事で行われたくい打ちには違和感を覚える。既に建っていた家の軒をカットする破目にも成った。その推移、40年前に遡って考察すると流れが見えてきた。直進が頓挫したことに起因する不具合が発生したわけだ。
2006.5.23


我が家を中心とする公図を見た。過去の経緯が見えてきた所でこの公図を見ると、その意味がこれまた見えてきた。区画整理除外の宅地、ここで道幅は4.25mまで除辺されていた。その周辺の農地(区画整理対象)と隣の農地の境界部で道幅は6mだった。この4.25mに向かって道幅が除辺されてゆく。周辺の区画整理対象の農地部は道幅、6.6mでとられていた。区画整理対象外の宅地、4.25mの道幅を確保するのに分筆登記が行われ、対象外の農地に統合されていた。6尺道路からちょっと太いくらいの道を4.25mまで拡大したその処理は適正に行われている状況も確認できた。40年前の農地の区画整理、この処理は昭和50年に行われている。我が家の前の道路用地のその幅が4.25mと公図から割り出し、その数字を頭に入れ、市役所が前の家が塀を作る為に要求されて、道路のアスファルトに打ち込んだ杭を見た。この幅が4.2m強でどんぴしゃだった。今の道路は明らかに20年前の圧送用の下水管工事の時にその公図を無視した道路、舗装処理がされたことが改めて確認できた。敷設した下水道を道路の中心にし、単純に舗装しただけだった。公図をこの時、市役所のその設計者は見ていないか、無視をして居る。ごう慢な遣り方だ。圧送用の下水道はひばりが丘団地の汚水を下のため池に一度、落とし、その溜められた汚水を下水道に導くために圧そうするだけの為のものだ。周辺住民の汚水はこの圧そう配管には入れられない。意味の無い下水道工事でその道路の再舗装、この時に公図を無視した舗装がされた。しかも家が建っている宅地で1mも食い込んで道路工事用の杭を打った。屋根の軒に道路工事中にトラックがぶつかったのも本当に偶然だったのかと、かんぐりたくも成る。そういう状況を確認できた。
2006.5.25

地図に準ずる図面の写し(地方法務局から入手したもの)を見た。土地の区画を明確にした不動産登記法所定の地図が備え付けられるまでの間、これに代わるものとして備え付けられている図面だと言う。部田野−平磯間のこの道、道を挟んだどちら側の土地も区画整理の対象だった場合、その道の土地、7.5mも確保されている。4メートルの舗装路を敷設した。7.5mに対して4mはかなりのあそびがある。この道路の両側でその区画整理対象外の土地をこの4m舗装路は通ることに成った。4mの舗装路は出来た。6尺に対してちょっとくらいは太かったと言う所に4mの舗装路が通った。ここまでは区画整理外の土地も協力をした。地方法務局に備え付けられている地図に準ずる図面、区画整理除外の土地でもその道路幅を拡張してある。さすがに7.5mまでは拡張はしていないが最小でも5mまで拡張していた。4mの舗装道路には協力したがこの公図に描かれた線にまでは協力はしていない。区画整理除外地の所有者の気持ちだろう。40年前の区画整理、未だにそれに準ずる図面しか登記所が備えていない。20年前の下水道工事で舗装路のRが変わった。この不備な準公図のなせる業かも知れない。公図に出来ない準公図の不備のなせる業かも知れない。40年前にやっぱり遡る必要がありそうだ。我が家の宅地は6尺道路の道に面した、およそ20mで平均40cmほど、協力をして4m幅の舗装路を通したようになっている。8.48平方mほど道に協力していた。20年前の下水道後の舗装工事でこのラインから更に侵略された。旧杭から新杭は更に1mも食い込んで打たれたわけだ。区画整理で7.5m道の用地が計画されていたその線の延長線上で市役所が仕事をすると矛盾は拡大するわけだ。公図に出来ない準公図に市役所は問題意識を持たないのだろうか。区画整理に参加しなかった土地にごう慢な姿勢になったのもこの準公図のせいかも知れない。準公図が所有者と交渉されていない線を引いているわけだ。計画図でそのまま走っていたわけだ。地方法務局と市役所の仕事ってこの事例を見るとずさんだな。
2006.5.29

地図に準ずる図面の写し(準公図)の存在を知ったから、家の道の反対側の区画整理除外農地の先の、区画整理農地に打たれている杭を見てみた。十三奉行のお墓の方向へ300mは先になる。現在のアスファルトの路肩に対して我が家側が1.6m、反対側が1.4m、畑側に杭が打たれていた。ここが7.5mの杭に成る。準公図の一つの基準点だ。あの当時、舗装された4m道路、この準公図の道路ラインに対してある角度を持って敷設された。準公図のラインはこの7.5mの杭から我が家の前の杭に向かって直線で伸びる。多くの人が舗装された道路が準公図に平行だったと錯覚しているのに気が付いた。市役所の下水道工事、20年前に我が家の宅地に1m食い込んで杭を打ったのも平行を前提にしたものだったろう。準公図と現状のアスファルト道路、平行では無い。これが真実のようだ。反対側が7.5mあって、こちら側が4.2mに設定された、この間に道路を敷設した。反対側がオフセットしていたのは不思議なことでは無い。9尺道路だったとして我が家の宅地が40cm、協力した。向かいの農地は1.1m、協力したことになる。既に死んでいるその当時の所有者から1mくらいは道路に協力しても良いと聞いていたからこの点からの考察でも矛盾は無い。9尺道路(2.7m)が当時、我が家の宅地側で40cm、向かいの農地側で1.1m協力して4.2mの道路用用地が確保されていた。ここまでは40年前の同意事項になって居る。準公図が5mをこの部分で設定して居る。この数字には矛盾がある。更に80cmの話は当事者が協力した覚えを持たない。そのような依頼があった記録も無い。向こう側の農地に2mの協力要請があったのだろうか。当時は。それが1mなら仕方ないという言葉を我々が聞いていたのかも知れない。いずれにしても準公図と現在の舗装路が平行では無かったのが見えた。道を平行に広げる時、家の宅地側に食い込んで来る方向で角度を持っていた。準公図を見ると多くの人がこの舗装路がその線になって居る、あるいは平行になって居ると思い込む。この錯覚の原点に迫ってきた。
2006.5.29

準公図の道路ラインには問題あるな。道の反対側の西側の農地も区画整理には参加しなかった。我が家の宅地もこの土地と道を介している。宅地境界部からちょっと西にあるポイントで準公図は6.5mの道幅を設定して居る。現況は舗装路、3.5mである。我が家方向で50cmの余裕がある。区画整理に参加しなかった農地に対して1.5mも食い込んだラインを準公図は引く。非現実的なラインが計画図段階で引かれその所有者から同意を貰えなかったその状況がこの現況から目に浮かぶ。我が区画整理対象農地とその西側の農地の杭、このポイントでもアスファルトで3.8m、我が家側で1.2mの余裕がある。やはり1m食い込んで準公図のラインは区画整理に参加しなかった農地に引かれている。今は相続され住宅地になって居る。前の所有者の合意を取り付けられなかったラインが準公図として地方法務局がコピー発行するのは如何なものかと感じる。準公図は公図に昇格する事が前提だがその所有者との交渉は既に行われては居ない。公図に昇格す事が出来ない準公図をそれを前提に閲覧コピーさせる。不思議な体質だ。

我が家の反対側の区画整理に参加しなかった二つの農地、その現況を確認すると当時、2mの協力を道にするように市役所に要求されたと言うのが現実の姿の様だ。東側の農地所有者は1mの協力には同意した。西側の当時の農地所有者も同じように1mにしか同意はしなかったのでは無いだろうか。昭和50年にその処理がなされている。我が家の区画整理除外宅地での処理(平均40cm協力したその処理)が行われたこの時期に同意内容の処理は行われたはずだ。地方法務局で。従ってこの段階で地方法務局は区画整理計画図がこの部分では準公図には成らなかった事は知りえた。未修正の計画図が準公図として閲覧コピーされている。これが実態のようだ。
2006.5.30

準公図っていい加減だなー。7.5mの道幅が設定されているのに結局、その幅に杭が打たれたところは全然ない。見ている準公図の範囲外だけど、たすき掛けになる杭だけど、この範囲が7mだ。7.5mと推測した所は7mだった。準公図っていい加減。アスファルトの舗装、4m幅なのに7.5mの道幅を確保したところがあると思ったらそのように杭が打てたところは無かった。何で地方法務局はこの準公図を閲覧コピー発行するんだ。理解できない。公図に昇格する調整に市役所が住民説明に動いていないものを。20年前の下水道工事、その舗装において我が家の宅地に1mも杭を食い込んで打ったのはこの準公図が根拠のようなのだが。何遣ってるんだ市役所は。いい加減な準公図に腹が立ってきた。
2006.5.30

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