鳥新ホームページへのご来場、誠にありがとうございます。当たり前の話ではありますが、この広い世界、京都・縄手の鳥新を御存知の方は、ほんの少ししかおられないと思います。ものすごくマイナーな秘密の空間でありますから…。

 そこで、少しご説明させていただきたいと思います。創業は今から約100年ぐらい前の明治中頃、私で四代目、と一応言われていますが、確たる証拠は何もありません。世の中の移り変わりが激しい昨今、100年というと古いと思われがちですが、京都での100年はまだまだ古いといわれるものではありません。町の普通の店なのであります。

 しかし、創業は明治中頃としているのですが、その前にも鳥新は存在していました。場所は現在地ではなく、木屋町四条の角あたり、高瀬川にかかる四条小橋のたもと(土地カンのない方には何の事かさっぱり分からないかもしれませんが…)とも、河原町四条下ル東側(今の阪急百貨店のあるあたり)ともいわれ、江戸期から存在しておりました。司馬遼太郎著・『竜馬がゆく』の最後の場面にも出てくるのは、この頃の店で、当時は鶏肉販売業(鶏肉の小売店)と、鶏料理屋を兼業していたようであります。その鳥新が明治中頃、現在地に移転もし、並存の後、私の曽祖父が跡を継いだということであります。

 また、現在地、縄手通り(大和大路通り)の大和橋北詰東側は、高杉晋作が馴染みにしていたお茶屋・魚品楼(うおしなろう)があったあたりといわれております。魚品(大まさ)さんが現在の鳥新の建物ではありませんが、幕末の英雄がすぐそこにいるように思えるのは、やはり京都の歴史の奥深さなのでありましょうか…。



約50年前の玄関 現在の玄関




 建物は、おそらく、その創業期と同じ明治中頃から、明治初期に建てられたものであると思われます。表の太格子や店の間の太い梁(はり)などは勇壮で、頑丈な造りがあるかと思うと、三方を廊下と部屋で囲まれた池や、細木で作られた太鼓橋、座敷の床の間の造りなどは、優美な建築様式で、代表的な明治期の町家建築物であるといえるでしょう。



廊下から見る池




太鼓橋




座敷にはそれぞれの趣きがあります




廊下から見る庭先






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