転校生として小学校の三年間を屋久島の安房で過ごしました。
のびやかなこども時代に自然とたわむれ、鮮やかな緑を感じ、寄せる波音を聞いていた記憶が私の心の奥深いところに大切な宝物として存在しています。

1985年夏に一度訪れました。
当時、両親が仕事で宮之浦に住んでいたので、静岡から家族4人で行きました。
次の春には大学生だった弟の帰郷を利用して、6歳の長女を一ヶ月滞在させました。
親元を離れる体験と、屋久島から何かを感じとって欲しかったのです。

そして2000年夏、安房小学校の同窓会に出席しました。
15年前は、上屋久町だったこともあって一人としか会えませんでした。
今回はいっしょに遊び学んだ多くの友たちと再会できて感動しました。
よく思い出せない同級生にも、何かがつながっている懐かしさを感じました。
10年後の同窓会での再会を約束して別れました。


【1968〜1970頃の情景】

小学生のころ住んでいたのは、安房の「みどりがい」と呼ばれる地区です。
少し離れて「むらさきがい」があります。
(こんなにかわいらしい名前なのに、すっかり忘れていて意外でした)
子供たちは学校から帰るとすぐに飛び出して外で遊びます。
遊び場はそこらじゅうにあります。男の子も女の子も上級生も下級生も一緒。

家の前には独身寮があり、その隣にテニスコートがありました。
大きいお兄さんたちは流行歌を歌ったり、ギターを弾いていました。
テニスコートはボール遊びや追っかけっこ、ゴム飛びの場所。
反対に歩いていくと林にぶつかります。
左の登り坂のむこうはれんげ畑。右の涼しい林を抜けると海。

れんげ畑では腕輪や冠、首飾りを作ります。
小川にはメダカやオタマジャクシが気持ちよさそうに泳いでいます。
つつじの花の部分をひっぱって取り、下から吸うと口の中に甘さが広がります。
さとうきびの歯ごたえ、モンキーバナナ、トケイソウの香りが残っています。

海には大きな岩場があります。よじのぼり、ベッドや机に見立ててままごと遊び。
岩の間の大きな水溜りにはイソギンチャクや色鮮やかな魚がいます。
潮が満ちると海の底になるので、きのう置いた小石や貝殻は消えています。
大きい貝殻を耳にあてると、海の音が聞こえます。
ミナ貝をたくさん持って帰り母にゆでてもらって、楊枝で取り出して食べます。
苦い部分をはずし、口に入れるとコリコリして美味しい。

安房川の河口で釣りをしました。
えさはみみず。釣具屋さんでテグス、針、重りを買って自分で用意した釣り竿です。
釣れるのは小さなふぐ。コンクリートの上に置くとプーッと膨れます。
川ののぞきこむと、透き通った小さな海老が見えました。

昆虫採集は本格的。アゲハチョウに注射をして標本箱にピンでとめました。
残酷なようですが、当時は科学者になったような気分で夢中でした。
庭の橘の葉に生みつけられた卵からアゲハチョウになるまで、飼育箱で観察しました。 オタマジャクシ、カブトムシ、コオロギも飼いました。

熊本市内の小学校から転入した私はまったく泳げませんでした。
ところが担任の先生は体育に力を入れている先生。クラス替えもあったのに3年間同じ 先生でした。きびしくて人情に厚い先生に鍛えられ、選手になるほど上達しました。
一度、山の学校の水泳大会に行ったことがあります。プールの水は涌き水です。
結果は忘れましたが、水がとても軽くて泳ぎやすかったことを覚えています。
もしかしたら、今は廃校になった小杉谷小学校だったのかもしれません。

安房小学校の正門を入ると大きな蘇鉄がありました。
その実を石などにこすりつけて種だけにして、ナイフで切れ目を入れて中身を出した後 小さな鈴を入れて、上部にあけた穴に紐を通してカバンにつけたりしました。
ジュズダマを集めて母にお手玉をつくってもらったり、ほおずきを口のなかで動かして 音を出して遊んだりしました。

あの頃、ありのままの自然がありました。
真っ黒に日焼けして、からだをぶつけあって遊ぶこどもたちの歓声がありました。
まぶしい太陽と気まぐれな雨と豊かな時間につつまれて幸せでした。