前九年の役タイムテーブル

本記述は、「安倍一族」記載の上野昭夫氏による「陸奥話記」全釈を基とします。
元がこれなので、一応官軍、源頼義サイドからの記述になります。

1056までは別資料を使用しました。

(1051)永承の頃   鬼切部の合戦
陸奥守藤原登任・平重成軍が安倍頼良追討に衣川へ出陣
安倍氏が迎撃し、圧勝。
  源頼義が陸奥守に就任。
(1052)永承7年   頼義、多賀城に到着。
5/6 後冷泉天皇の天下大赦により安倍氏追討令が解かれる。
天喜元年   頼義、鎮守府将軍を兼任
(1056)天喜4年   阿久利河事件
藤原説貞の子の幕舎襲撃、犯人として貞任の追討が決められる。
  衣川合戦、安倍軍勝利
8月 安倍頼時(頼良改名)追討の宣旨下る。
  藤原経清安倍氏側に寝返る。
12月 源頼義陸奥守重任
1057天喜5年 9月 安倍富忠の裏切りにより安倍頼時落命
貞任は河崎城に入って冬となる
11月 黄海の戦いにて官軍大敗。
      安倍軍による白符使用
頼義は清原軍を動かそうと説く。
1062康平5年 頼義任期終了、だったが。
7月 清原武則参戦
7/26 出陣
8/9 栗原郡營岡到着
8/16 諸陣押領司を定める。
第1陣清原武貞
第5陣源頼義
8/17

同日夜
官軍、萩野馬場に至る。
小松柵火打
宗任敗走
栗原郡に兵を残し、磐井郡仲村へ移動
9/5

午後6時頃
官軍駐屯地に貞任襲来、戦となる。
貞任敗走
磐井川へ
高梨宿、石坂柵が攻められ、安倍軍はこれを放棄して
衣河関へ。
9/6

午後1時〜8時
頼義らが高梨宿にはいる。
衣川(関道、上津衣川道、関下道)を攻める。
業近柵に火を放ち、安倍軍を破る。
安倍軍は関から逃げ、鳥海柵を保たんとする。
9/7 関を破り、白鳥村に到る。
大麻生野、瀬原の柵を抜く。
9/10 鳥海柵襲撃するも宗任経清軍は官軍到着以前に
柵を捨て、厨川柵を保たんと走る。
官軍、無血で鳥海柵を落とす。
黒沢尻柵、鶴脛柵、比与鳥柵を破る。
9/14 厨川へ出発
9/15 厨川に到着。
厨川柵、嫗戸柵を包囲する。
9/16午前6時 攻撃開始。
9/17午前10時 火攻め開始
藤原経清斬首
安倍貞任戦死
安倍重任斬首
貞任嫡子千世童子斬首
宗任、家任、則任帰降
為元出家帰降
良昭 出羽に逃亡、虜となる
正任 出羽に逃亡、宗任帰順を聞き後日帰降。
(10/29)
1063 2/16 首三級献ず。
2/25 除目。頼義 正4位下
    義家 従5位下
前九年の役 終了