衣川
岩手県胆沢郡衣川町
安倍一族本拠地。
史跡、伝承入り乱れて実に豊富な土地。
衣川では天喜5年と康平5年の2回戦闘があったらしい。
どちらの伝承かちょっと区別がつかない点もある。
衣川の看板にはときどき{貞任君}も居る。
余談:管理人が以前衣川荘に宿泊したとき、ロビーに史跡を書きこんだ地図が貼ってあった。
これを頼りに、数日衣川を車で走り回ったが、
その中に「安倍舘→大森山→国見山→高桧能山」と、安倍舘から三山の山頂がラインで結んであった。
・・・・・意味ありげなのだが、いまだにこのラインについて書いてある文献にめぐり合えない。謎。
| 衣川柵 | 下衣川 並木前2−2 33−1 4−2 40〜43 |
G3 |
安倍氏政庁跡。 並木屋敷の辺りらしい。 |
衣川村史 |
| 衣川の関 | 下衣川舘近く 高速道路下 衣川関 松下54―3 |
B1 | 最初は胆沢城の関所として宝塔谷地に設けられたが、頼良が衣川松下に移した。後に必要性を失い、前沢町鵜ノ木に移されたという。 | |
| 安倍舘 | 上衣川石神付近 | 衣川の城は舞い上がる城であった。 城の下には鶴が生き埋めになっているといわれた。 義家はこの城を攻めあぐねたが、貞任の娘が秘密を洩らしたために陥落したといわれる。別名舞鶴城 |
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| 胆沢郡衣川村大字上衣川字石神11〜15 22 102 | G3 | 舞鶴館 西の山塊から南東に張り出した尾根 | ||
| 同上 高さ90メートルの丘 |
E1 | 東に向かって凹型になっている。 東南北の三面は衣川、西は山脈が続く天然の要害 安倍氏累代の居城跡、地勢から舞鶴館、落合館と呼ばれ、忠頼の代から百有余年住んだといわれる。 |
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| B1 | 忠頼、忠良、頼良の三代にわたって居館とした。 井殿と貞任はここで生まれた。 この後下衣川の舘に移動。 |
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| 磐神社 | 上衣川石神 | 安倍氏がアラハバキの神として尊崇したという。 古来社殿はなく神体の男石を社とした。 ![]() |
御神体は10.2m×8.8m×4.2mの自然石。 男石大明神とも称する。 |
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| E1 | 延喜式内胆沢七社のひとつ。 南前方に安倍舘があり、安倍氏は当社を守護神として崇敬したと伝えられる。 |
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| 琵琶舘 | 上衣川 字檜山沢140−1,2 141−1 142 |
G3 | 頼時長男の館 | |
| 大森館 | 上衣川字下大森41−5 | B1 | 安倍氏の隠れ館 | |
| 小谷舘 | 増沢273−28,29 | G3 | ||
| 古舘 | 上衣川古戸古舘 字古戸92 |
B1 | 貞任の築いた城 支城 |
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| 衣川MAP | 上衣川から下衣川に本拠を移した後に貞任が築いた城という。 | |||
| 石生坂 | 上衣川古戸 | 一首坂の古名 義家のうたいかけに貞任が答えたところ。この話はなかったとされる方もいるらしい。 |
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| C5 E1 |
一首坂ともいわれる。 義家と貞任が衣の館で出会った。義家が「衣の館はほころびにけり。」と詠んだのに貞任が返して、「年を経し糸の乱れの苦しさに」とよんで、お互いに弓を放った。義家がわざとはずして、後日会するを約す。康平5年 |
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| 中の営跡 古戸古戦場跡 |
上衣川古戸 | E1 B1 |
天喜5年と康平5年の二度 ここが戦場になった。 天喜5年(1057) 安倍軍が故意に源氏軍を衣川本陣に誘い込み、撃破。 康平5年(1062) 安倍軍が下衣川を放棄し、一首坂を経て北に逃れる際の戦場となった。 |
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| らんとう場 | 上衣川旧殿辺り | E1 B1 |
天喜5年の戦死者の埋葬地であるとも。 | |
| 八幡山 八幡神社 |
上衣川 旧殿古戦場跡 上衣川字西風山25 |
E1 B1 |
天喜5年安倍舘に陣を敷く安倍勢と八幡山に出た源氏軍が激戦を繰り広げた。→らんとう場 | |
| 天喜二年頼義が頼時征討するにあたり当社に祈願し短刀一振りを奉納したと。 | ||||
| 衣川MAP | 天喜5年源氏軍がこの山に布陣 | |||
| 駒場 的場 馬場 |
上衣川駒場? 下衣川本田原 下衣川表付近 |
B1 | 軍事訓練の場 | |
| 駒場 | 上衣川古戸 | 衣川MAP | 安倍氏が乗馬を5〜600頭繋いだところ | |
| 馬駆 | 上衣川古戸の西 | 衣川MAP | 安倍氏時代の乗馬訓練場で、字名として残る。 | |
| 張山 | 下衣川 | C5 B1 |
安倍布陣跡 | |
| 天喜5年の安倍布陣跡 | ||||
| C5 | 陣場張山 義家が衣川攻めの陣を構えたところ |
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| 枡形森 | 下衣川 | C5 | 義家が枡形に兵士を入れて人数を数えたという | |
| 逢坂 | 下衣川 | B1 | 義家と戦いその死者を葬ったところ | |
| 新矢 | 下衣川 | B1 | 最初に遭遇戦になったところ | |
| 八千坂 | |
貞任が八千の兵を配置したといわれる。 | |
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小松館 |
字横道下53−2衣の関道あたり | G3 | |
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| 舘 山口舘 |
大字下衣川字山口77−1,2,4 90−2 | G3 | 舘 貞任宗任生誕の地とも 頼時貞任居館 ![]() |
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| E1 B1 衣川MAP |
頼良、貞任の居館跡と伝えられる。 忠頼の頃は上衣川を本拠としたが、頼良の代にこの地に本拠を移したといわれる。 |
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| 楯代舘 | 下衣川字舘城123,124−1,2 125−1,12,9 | B1 G3 |
貞任弟重任の居館 | |
| 向舘 | 下衣川字向舘17−1 18−1 19−2 | B1 G3 |
一族の居館 | |
| 並木屋敷 | 下衣川 | B1 | 安倍の重臣らが居住した区域? これが衣川柵であるとも。 |
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| I5 | 頼時居館跡。衣川柵の一部とも言われる。 頼時は北上川対岸の束稲山との間往復10里に桜並木を植え、束稲山にも桜を植樹した。これにちなんで、この屋敷跡を並木屋敷と呼ぶ。 |
20030726 |
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| 泉ヶ城 | |
B1 | 藤原業近が柵主 | |
| 衣川MAP | 康平五年時点では業近柵だったが、藤原氏の時代に泉ヶ城の名がついた。 | |||
| B1 | これを琵琶館とするのもある。 安倍成道の居城 |
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| 業近柵琵琶柵 | B3 | 両岸の曲り木を伝い義家軍が柵内に侵入、放火。安倍軍は後退。 | ||
| 和我叡登挙神社 | 下衣川 舘跡南の山頂。 |
E1 | 磐神社同様、延喜式内胆沢七社の一つ。 安倍氏の守護神として祭られた。 |
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| 月山神社 | E1 | 安倍氏が崇敬した。 | ||
| 石倉 | 下衣川の舘付近 | B1 | 安倍氏の貯蔵庫か? | |
| くつわ森 | 七日市場と並木屋敷の間 | 貞任が轡を埋めた。 |
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| 納豆の話 |
C5 | |
納豆発祥 | |
| D2 | ||||
| 九輪塔 | 九輪塔25,26,30,31 | 衣川MAP G3 |
藤原清衡が、祖父安倍頼良の菩提を弔うために九輪塔を建立。 |
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| 民話の平泉(C5) 前九年の役と安倍一族(B1) 歴史の里衣川村(衣川村イラストマップ) 衣川村史(G3) 岩手の伝説(I5) |
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