Doll Maniacs

お人形について・人形への接し方

06/8 随時更新

 

少しだけ、私のお人形に対する態度、姿勢みたいなものについて、書いておきます。

私は現在300体くらいの人形を持っていると思います。

内訳は、バービー、ジェニーをはじめ、リカちゃん、プーリップ、ドラゴン、桃子、タイラー、DOD、ユノア、そして自分のカスタムなど、ものすごくさまざまです。

何体あるか数えたことがないので、また、売ったりもしているので正確な数字は把握出来ていませんが、売ったり買ったりを繰り返しているので、およそそのくらいではないかという、大体の数字です。

コレクターとしては多い数字ではありません。
しかし以前書いたように、私はもともとコレクターになりたいと思って人形を集め始めたわけではなく、好きで買っているうちにそれだけ増えてしまったので、自分ではコレクターではないと思っていますが、他人から見ればコレクターと言えるだろう、コレクターだと見なされてもしょうがない。

そんなわけで私は人形コレクターであり、人形をコレクションして楽しんでいる好事家であります。

このサイトは、私の人形コレクションを展示すると同時に、沢山ある人形の覚え書きのつもりで始めたものです。資料として残しておきたい、という気持から始めました。
あくまで自分のための資料ではありますが、もしそれが他の人の役に立つのであれば、それは大変うれしいことです。

 

コレクションは、別の項にも書いた通り、91年頃から始めました。だから、私の持っているお人形は、バービーのモッズ期を除いてはそれ以降のものがほとんどです。

 

 

アメリカでは、人形のコレクションという趣味は、大人の楽しみとして確立されているそうですが、私は依然として、大人がお人形を集めたり楽しんだりすることはとても恥ずかしいことだと思っています。

だから自分の考えがどこかで曲がりくねり、ストレートに人形を楽しむことに抵抗があるのだと思います。

それは人形を集め始めてから10年以上経った今でも変わらない心境です。

むしろアメリカ人が何の恥じらいもためらいもなくお人形を愛でているという神経が理解出来ない。彼らは恥を知らない文化の国の人たちである。

 

人形という趣味に走るのには、社会的にどこか不適合なところがあって、その劣等感が、内向的に人形へ傾斜させているという風に自分では思っている。
他の人はいざ知らず、だから私にとっての人形趣味とは、自分が社会不適合者であるというレッテルを自ら名乗っているようなもの、とも言えるのです。

このサイトをご覧になる方は、このことを是非とも心に留めた上でご覧になってください。

 

お人形に関しては、どんなものにも一応興味があります。

日本人形の御所人形とか、市松人形などにはあまり知識がなく、興味を持っているとは言えないと思いますが(どことなく気持が悪いと思っていることから)、それでも、展覧会で見るチャンスがあれば見に行く。

雛人形から四谷シモンや辻村ジュサブローの創作人形、川本喜八郎の人形、ぬいぐるみの人形(動物のではなく、人のかたちをしたもの)、クレイドール、和紙人形、フィギュア、ドールハウス、…一応、そのあたりまではセンサーが動き、どれどれと首を突っ込みたくなる。

仏像が好きなのは、人形好きの延長なのかどうなのか、それが分からなくて今悩んでいるところです。

あれもヒトガタだから興味を持つのか。または、まったく違う回路から私のセンサーが働いたのか。
今後の掘り下げが待たれる処であります。

 

このサイトのどこかにも以前に書いたのですが、こうした人形に対して、私は美術や本と同じ感覚で接していると言えると思います。

美術や本が好きで、絵を見に行ったり、本を読んだりするのと、人形を集めることは、私にとって、まったく同じ感覚です。

そのどれもが同じくらい好きだし、同じくらい私にとって重要です。そして、それらの間の区別が、私にはない。
私にはそれらはまったく等価のものとして存在しているのです。

 

人形への接し方はひとそれぞれで、まるで自分の子供か、ペット動物のように、名前をつけて相対している人もいるだろうし、自分で自分の理想の人形を作り上げてしまう人もいるだろう。
投資の対象だという人もいるだろうし、作品として値段をつける人もいるだろう。

 

さまざまな人形への接し方があるだろうし、それは人形に接する人それぞれの世界であろうと思います。
また、人形がそのような独特の世界を形成する要因を持っていることも理解しているつもりです。

 

 

お人形が気持悪い、という人もいます。

その気持ちは分からないでもない。

人は、ヒトガタというものに、必要以上に意味というものを付け加えようとするものだからです。

人の形をしている、というだけで、人はなぜかそれに気持ちがひきつけられる。

たとえば、月の表面に顔のかたちが浮き出ていたというだけで話題になる。それが陰影で出来たものに過ぎなくても、それは認めたくなくて、人工的に出来たものではないかなどと思いたがる。

人のかたちは自分たちに似ているからこそ、人間は本能的にそれに興味を持ち、惹かれてしまうのだと思います。

だから、人形のようにあまりにも人間に近く、そっくりに作られたものには、もしかしたら人間と同じように魂まで宿っているのではないか、いつの間にか魂を宿しているのではないか、あんなにリアルなのだから…、そんな風に考えたがるのが人間なのです。

だから、気持が悪いという考えが出て来る。

だけれども、私にはそういうオカルト的な考えはいっさいなく、人形はあくまでソフトビニール製のコレクション対象です。

魂やペットといったオカルトとしての人形ではなく、見るもの、楽しむものとしての人形です。

だから気持悪くないし、魂という見方もしていません。

それは、仏像を見る時もまったく同じで、仏像を作品として見てしまうから、今ひとつ仏様を拝む、仏様になにかを願う、という真剣な態度になれないのだと思います。そこが良し悪しです。

 

しかしともあれとりあえず、私は私なりの接し方で、これからも人形に対して行きたい、行くだろうと思います。

このサイトのみかた

人形との関わりについて
スーパードルフィー考

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