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1980年没
色と光にこだわった彼の名は 彩雲院日実居士 と名付けられた。
(晩年は名前の「實」を「実」に代えて使っていました)
豪放磊落な自由人で、お金があれば使いきるまで大名生活。
写生旅行に出たら、お金がなくなるまで帰宅せず。
しかし家族を愛し、肺がんで亡くなる前年まで会展や市民展等意欲的に制作活動をこなし、晩年の[雪の民家]は、佐久美術館に収められている。
その後、手を広げた事業が、朝鮮戦争の影響で失敗
工場、家作、家、土地、全てを失い、友人の〔水野富美夫〕の紹介で、横浜に移住。
絵に専念する。

絵描きを志し、大久保作次郎先生に師事し、白日会に所属する。
第2次大戦で、北中南支に、兵役される。
戦後、副業(いろいろ手を出していた様子)の仕事があり、金回りのよかった實は、1946年頃田端に家を新築する。
この時代、人も、物も、集まり、居候が2、3人、書生が3人、女中さんが1、2人の生活が続いた。
明治44年生まれの川島實は、横浜中区に生まれる。
実の父が破天荒な人間で、関西方面から流れながれて横浜に辿りついた頃には母親の違う兄弟姉妹が、京都、奈良、神奈川、等に5人いたそうです。
関東大震災の時(小学5年生)、親からはぐれ、地震のゆれで倒壊した飴屋から転がり出て来た水飴のビンをかかえ、生き延びたと、、、、家族が聞いた、子供時代唯一の話です。
中学時代は川崎に住み、20歳頃東京へ、30代にかけて、日本画の大家、横山大観邸や明治の文豪夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介邸が近くにある、田端に住む。
同じ町内に、陶芸家の板谷波山も居たという文化、芸術的な刺激のある町だったらしい。
川島 實