坂井田俊監督特集!!

「悪魔がきた」「壊したいおもちゃ」

「太陽は知らない」
「怪物はここにいる」


純粋な暴力映画を観たことがあるか。
動機がない、初めから内在する暴力。ドラマも感情もそこにはない。
食べて、寝て、殴る。殺す。
これは、坂井田俊による犯罪映画四部作。
殺人を犯した少年と、殺人願望を持った少年のあてのない二人旅を描いた「壊したいおもちゃ」
人を殺した男のその後「太陽は知らない」
通り魔と泥棒と被害者の戦い、人間以上の力を持った人間を描いた「怪物はここにいる」
そして、悪魔を代用物とし、暴力が充満した世界を作り上げて見せた「悪魔がきた」
目撃者はあなたです。



「悪魔がきた」


あ い つ 、 ま だ 生 き て る か な



 ま た 殺 さ れ に 行 け


坂井田 俊 監督作品

30分/DV/2010

出演 : 遠山貴弘/青木伸也/大塚貴彦

 悪魔は存在しない
 悪魔は人間が作った存在
 悪魔は欲求を強く肯定できる代用物
 絶対的な何かを欲しがる欲求に入り込む
 付け込む余地がある限り悪魔は何度も人間の所に来る

 ―坂井田俊が制作時に書いた作品概要より
「壊したいおもちゃ」








 
坂井田俊監督作品

 29分/DV/2007



 事件を起こしたいと思いました。
 僕が事件を起こす前に彼が先に事件を起こしました。
 僕は彼を見て自分の事だと思いました。




 「坂井田俊の夜には怪物が潜み、時折その存在を垣間見せる。けれどもMoby Dickよろしく、
 その全貌を捕えることは容易ではない。いっそのこと映画になんかしなければよかったのかもしれない。 
 悪魔の筆先として、奴等が吹き出す映像の奔流をそのままに垂れ流してやるだけで。
 オレンジ色した煉獄でもがく男たち、彼等の願いは罪の浄化ではなく、ただ全身の血をたぎらせたかった だけなんじゃないか。そんなことに悪魔を持ちだす必要があるのか…
 どうか、手を貸して欲しい。坂井田俊は目覚めたがってる。たくさんの目に曝されることで彼が覚醒をし、魔物を撮らえた映画が生まれることを願って止まない。」

女池 充  exピンク映画監督 『ビタースイート』『まるで再出発』
        2006年調布映画祭審査員時、坂井田俊の才能を見出す。

   「 悪 魔 が き た 」 目覚めを呼ぶ 声

常に新しいものだったり、斬新なものだったり、更にいえば不完全なものだったり、破壊されていたりする作品に惹かれ続けてきた。
完成度の高い作品から受け取る感覚よりも、こちら側の意識が破壊されてしまうようなものを好んで見続けている。
しかしこれはあくまでも映画という枠の中の話で、芝居や音楽(ライブ)、現代美術に対しても同じ感覚で見続けてきたように思う。
ただ単に刺激を求めてという訳ではなく、自らを突き動かす原動力になっているのは間違いない。

ここ数年、映画自体が変革し始めたのはヒシヒシと感じている。
それはメジャーもインディーズも関係なく明らかに起こっている現象だと思う。
これまでのスタイルが飽和状態を迎え、破壊の末の構築が始まっているのは確かだ。
「悪魔がきた」はまさしく、これまでの映画の枠には存在していない。
つまり映画が積み上げてきた手法を徹底的に破壊しているのだ。

最初、出遭った瞬間は戸惑いすら感じた。
もしかしたら自分の感覚が映画の枠から出れず、麻痺してしまったんじゃないかと危機感すら感じてしまったほどだ。
これまで見てきたインディーズ作品は何らかの影響だったり、つながりを見つけることが出来たのだけれど、
「悪魔がきた」はまったくそれが無く、記憶中枢をフル回転させても何にもたどり着かない。
こんな事ってありえるのだろうか?
脳内に何かが浸食し始めてくる。
理解しようとする事を放棄する。
考えることも放棄する。もちろん分析することも放棄する。
不思議にも脳内の薄汚れた廃棄物がリセットされていく。
すると強烈に構図や色、生音がギリギリのバランスで浸透してくる。
これはまさしくクッキリと焼きついている感じだ。
 ― 福居ショウジン(映画監督『ピノキオ√964』『ラバーズ・ラバー』)

この悪魔とは、友達になれそうな気がした。
色んな事がうまくいかなくて、夜中の住宅街をウロウロ歩き回るしかない奴らの憂うつが、何だか寂しくて親しいもののように感じた。
 ― いまおかしんじ

「カッコイイ映画だ!殺意に満ちた若者たちのビヘイビアを、まるで篝火だけの能の舞台を遠方から眺めているかのように風景に淡々と埋没させてゆく三脚固定カメラ、完璧に乾き切ったタブロー、徹底した表層主義、それに対する劇的に生々しい同時録音。
人間臭さゼロ、ニヒルで厭世観漂う都市郊外の犯罪が今、切り取られてゆく。
・・・冷めた眼差しで社会に毒づく強迫観念に苦悶する武骨な若手監督が、久々に登場したぞ。」
 
― 帯谷有理 (映像作家)

「坂井田作品の映像からは、犯罪者から離脱したもうひとつの人格が、己を犯した行為を冷静にビデオカメラで記録していたかのような、本物の臨場感と狂気と、そして、悲しさが感じられる。」
 ― 村上賢司 (映像作家)

「坂井田俊と向かい合ってみてください。僕もじっくりと何度も向かい合いました。 短編なので繰り返すことができます。坂井田俊はカメラを使ってその前で人を動かして、壊したいおもちゃという自分のなかの衝動をはっきりとわかりやすく伝えてきますよ。ただ出てくる人物のことで注意があります。背格好や髪型や顔が似てる2人が5組も出てきます。
そんな混乱を心と脳を開放して楽しむと、坂井田俊が抱えているであろう物、物忌み、化物語が現れてきました。

そして悪魔がきた!」
 ―  柴田剛 映画監督『おそいひと』『堀川中立売』

「このポイズン野郎!貴様はカリフォルニアで浄化しろ。いや、
  するな。いやっ!しろ。ん…やっぱするな!永遠に毒であれ。
  鉄であれ。」
 ―  石井モタコ (オシリペンペンズ)

「本作の不条理に満ちた世界、時間と物語を拒絶するような編集が、誰の、どんな欲望を満たすのか、皆目見当が付きません。
「壊したいおもちゃ」「悪魔がきた」と向き合う頭の中から作り手の真意を探り当てるのは困難で、断片的な記憶が再構築する自分なりの映画とパズルが合致することもありません。誰の所有物にもならない映画がここにあります。
坂井田監督の作品全てには同じ嗜好が溢れていると聞きます。1人の作家の多様性を、新作ごとに、もしくは短編集といった形式を借りて振り分ける表現手段に、抵抗を覚えることがありますが、映画にしようとするモチーフがそれ一つしかない坂井田監督は、手段としての自己表現には収まりきらない、人間としての業の深さすら思わせ、僕なんかはゾクッとなります。」
 
― 小原治 (ポレポレ東中野スタッフ)

 <坂井田 俊 (さかいだしゅん)>

1984年生まれ。2004年、殺人を犯した少年と、殺人願望を持った少年のあてのない二人旅を描いた「壊したいおもちゃ」を監督。本作で、調布映画祭ショートフィルムコンペティション奨励賞受賞、シネアストオーガニゼーション入選を果たす。
2008年、「悪魔がきた」の原型とも言える、人間以上の力を持った人間を描いた「怪物はここにいる」監督。
「悪魔がきた」は、死んでも死なない男を描こうとするが考えがまとまらず、頭の中に見える画を、人気のない道で実体化するまで即興で回し、調布映画祭で知り合った映画監督女池充の助言を受けながら、1年の編集を経て完成した作品。


★「悪魔がきた」公開前夜のUSTREAMアーカイブ !
 →  http://www.ustream.tv/channel/%E3%82%A8%E3%82%B31
1/14(金)19:00〜20:00配信
◇出演 坂井田俊  MC  監督ヒロケイ氏  怪女優あいはらみほさん
◇UST放映作品「怪物はここにいる」(25分/2008)
 「悪魔がきた」の原型とも言える、人間以上の力を持った人間を描いた作品。
 ヤング・パースペクティヴ2009、neofest2008秋、にて上映。

★公式ブログ
 → http://akumagakita.blog24.fc2.com/