さくらい家の年賀状、あいさつ状の一覧 

1990ねんがつ:: 入間へ引越しの挨拶    @ 1996ねんがつ: ミッキーマウスの行進(ねずみ年)A
1991ねんがつ: 雪の入間川 (ひつじ年) @ 1997ねんがつ: 牧場家族   (うし年)    A
1992ねんがつ: 温泉の入間川 (さる年) @ 1998ねんがつ: ちびくろサンボ (とら年)   B
1992ねん3がつ:: 長男ゲンキの誕生     @  1999ねんがつ: 雪ウサギ   (うさぎ年)    B
1993ねんがつ: 飛行船の入間川(とり年) @  2000ねんがつ: エルマー中華街を飛ぶ(たつ年)B
1993ねん11がつ: 名古屋へ引越しの挨拶    A  
1994ねんがつ: 夜空を駆ける犬ぞり(いぬ年)A  
1995ねんがつ: らくがき(喪中の挨拶)   A  

その@ 

1990/4月 入間へ引越しの挨拶

 1989年9月。結婚2年目。マンションを購入。僕はこの時27、妻は25であった。
 最寄り駅:西武池袋線の入間市駅から徒歩で30分(歩けない!)。自転車なら15分。 
 価格:中古で2700万。(頭金50万)  広さ  :3LDKで72m。  
 結婚当初は僕の母のアパート(西武新宿駅の野方近く)に住んでいた。新しくて奇麗ではあったものの1Kでユニットバスという学生向きの部屋作りが、結婚してしばらくすると手狭になり、広いところにのびのび住みたいという気持ちが強く高まっていった。
 賃貸か貸し家で何か物件がないかと何気なく所沢まで遊びに行き、たまたま入った不動産屋の人から買った方がいいと言われて、いろいろ物件を見て回った挙げ句、その日のうちにマンションの契約をしてしまった。今から思うと2700万円の借金を背負う実感もなくろくに書類の中を理解もせずに次々にハンコウを押していったような気がする。
 1990年4月、前の住人の引き渡し時期に合わせてこのマンションへ引越した。雨の中びしょびしょになりなが両親や弟が引越しを手伝ってくれた。1階から5階を何度も階段で往復しながら、皆ふうふう言っていた。
 池袋駅から延々1時間、入間市駅から自転車でさえ15分。エレベーターもないのに5階。しかし現実的にはそれが自分達の収入でまかなえるレベルであり、かえってそういったマイナス面が愛着につながった。広いのと日当たりが最高なのと近くの入間川や秩父の山々がきれいなのが何より気に入った。自分の持ち家というのが毎日うれしくてたまらず、会社から帰ってきては畳や壁紙にほお擦りなんかしていた。(妻の母親からもらったお祝いの食器だなは一生モノ。)
 さて引越したとなると引越しの挨拶状を書かねばならない。しかし普通に住所を書いて知らせるだけではつまらない。  まず間取りを書いてみた。広いことをアピールするため部屋ごとに広さを(4.5畳などと)書いた。次にマンション全体と階段を書いて、5階なのにエレベーターがないことがわかるようにした。最寄りの入間駅を書いてマンションまでの道と方向がわかるようにした。 道の途中に入間川を書き、橋を渡った所にあることがわかるようにした。入間市駅と池袋を線路で結び、西武池袋線の沿線であることがわかるようにした。風景を書き入れ、妻は引越した ばかりの部屋を掃除し、僕は入間川でのんきに釣りをしている図をマンガチックに書き加えた。我が家の初の間取り入り挨拶状である。
 この挨拶状には反響があった。親戚や友人から電話などで返事を頂いた。ほのぼのとしていていい、と皆一様にそう言 ってくれた。それがなんだかとてもうれしかった。そしてこの一枚の葉書でちょっと気をよくしたことが、さらにその次、その次、 とのめり込んでゆくきっかけになった。
 地平線で火を吐くゴジラ。ほんの‘遊び心’で書き加えたものだが、このゴジラこそ、その後のエスカレートを予兆させるも のであり、文字通り我が家の挨拶状の’口火’役となったのである。

 

1991/1月 雪の入間川(ひつじ年)〜年賀状

 ここでの生活がすっかり気に入り、通勤時間2時間も恐るるに足らず、初めて車も買い、絶好調。 何とこのころ、朝7時に始まる高田馬場の英会話教室に週3回通っていた。月、火、水は朝5時起きだったが全然苦にならなかった。若くて元気だったのだ。  
 マンションから車で15分のところに日高豚で有名な埼玉牧場(サイボクハム)がある。ここの豚肉は絶品。日本でも最高級の豚として有名だ。引っ越した当初、回りに肉屋が少なくて不満だったが、この牧場を見つけて納得。この周辺の住人は皆、肉といえばサイボクハムに来るので、大手スーパーを除いてこの辺で肉屋の営業などできないのだ。ここへは土日のたびに通った。特に手製のハンバーグ、ポークウインナーは毎週買っていた。またちょっと足を伸ばして鶴ヶ島まで行くと、新潟の寺泊港直送の魚市場がある。ここの魚も安くて新鮮。観光バスのルートになっているくらい有名だった。そんなわけで両親、弟夫婦、友人などが遊びに来た際、ごちそうの材料に欠くことは全くなかった。外に食べにゆくよりホームパーティで料理を出した方がずっとうまくて楽しいのだ。
  年賀状は前回の挨拶状の続編で同じ風景に冬景色を加えて書いた。この頃流行りの‘プリントごっこ’を使ったので細かな絵など印刷できず、線などもかなりシンプル。1時間くらいで書き上げたが機械の調子がおかしく、印刷には手間取った。BSアンテナを書き加えたがこれはウソ。今だに我が家では衛星放送用の機材は一切ない。
 初期の作品としては風情があって気に入っている作品。
 

1992/1月 温泉の入間川(さる年)〜年賀状

 気に入っている前作の次は、気に入っていない作品。  サルという題材から頭に何も浮かばず、結局去年と同じ間取りを書き、入間川を書き、富士山を書き、空間を埋めていった。そこにサルを書いたが全体に散漫。もう一匹書いてみる。さらにもう一匹。そのうちに西武線もサル電車となり入間川もサルの温泉となった。みゃく絡のない出来栄えで気に入らなかったが、時間もないのでそのまま出した。  ところがこれが結構評判だった。友人や親戚からも毎年楽しい年賀状ありがとうと、あらためて手紙まで送ってくれた方もいた。
この正月、妻は妊娠7ヶ月を迎えた。上の絵のようにお腹を見ては不安気だった。(家族が一人増えることを想定し、右下の名前は「桜井敏明, 憲子, &、、、」とした。) 僕は休みといえばピアノを弾くかこの絵のようにごろごろ寝ていた。  この頃、近くの大塚家具で黒い牛革のソファを28万で買った。(今にして思えば、この頃はダブルインカム&ノーチャイルドで、ローンを払っていても尚、金があった。)ソファがリビングにある家というのはあこがれだった。このソファが家に来てからすっかりお気に入りの場所となり、飯を食い終わった時、新聞を読む時、テレビを見る時、すぐにこのソファにでーんと寝っ転がる癖がついた。妊娠の妻もそうだった。  また、部屋が散らかっていても適当にまとめて床からソファの上に移動するだけで部屋全体が片付いたような気になれるという点もソファの便利な点なのだった。
 
 

1992/3 長男ゲンキの誕生

     
 夜、マンションの部屋で一人、ピアノを弾いていたら電話が鳴った。ヘッドホンをかけていたので最初それとわからず、しばらく鳴らしてしまったかもしれない。所沢の防衛大学付属病院から知らせがあった。男の子だった。  ここの住人が一人増えることになったのだ。実感が沸かなかった。  アメリカにいる友人が国際電話でおめでとうと言ってくれた。中国人の彼は片言の日本語でこんなことを言っていた。 「私もずっと昔、子供が初めてできました。生まれたと聞いた後、街を歩きながらうれしくて顔が笑ってしまってぐしゃぐしゃでした。人が見たらきっとバカに見えたでしょう。」  僕もそうだった。何気なく社内を歩いていたら女性の社員が僕を指さしてこう言った。 「どうしたの? すごくうれしそう。」   書類を片手に満面笑みをたたえて社内を闊歩していた。仕事中であることを忘れていた。
“元気(げんき)”という名は結婚前から決まっていた。結婚して4年目でできた子だから4年以上も思い続けてきた名前だ。  親は子供の人生を決められない。でも名前だけは親が決められる。親の権限で子を縛ることができるものといったら名前くらいだ。こんな名前をつけた奴が元気じゃなかったら将来きっと恥ずかしかろう。そんな気持ちの矯正役にでもなればいい、と思った。  2000年1月現在、7歳の彼は本当に元気な奴に育っている。家であんまりうるさいから注意すると、彼はこういう口答えをするようになった。       「だって、元気って名前つけたの、パパじゃないか!」

1993/1 飛行船の入間川(とり年)〜年賀状

 よく近くの入間川におにぎりを持って遊びに出かけた。川の近辺は野鳥保護観察区域に指定されており、ワタリ鳥など、野生の鳥があちこちで羽をやすめていた。そんなワタリ鳥達と一緒に空を飛ぶ絵を書いてみた。
 この年賀状を見て、おばあちゃんが慌てて電話をしてきた。 「ゲンちゃんはどこにいるの? ゲンちゃんがいないじゃない。」
 この絵の通り、息子ゲンキは‘高い高い’が好きであった。僕は調子に乗ってもっと高く、もっと高くと、上に放り投げた。彼はそのスリルをきゃっきゃっと喜んだ。
 また、彼がもっと小さい頃、片手で持ち運ぶ赤ちゃん用ののカゴに寝かせて移動していた頃、ゲンキを入れたカゴをタテにぐるぐる降り回して遠心力ごっこをした。(我ながら恐ろしい!)
 おかげで彼は鍛えられ、3歳からジェットコースターに乗り始め、今では垂直落下型絶叫マシンも余裕の笑顔だ。
 ところでこの年賀状、それまでと違って、絵を自分なりにまじめに取り組んで書いたもの。A4紙に大きく絵を書き、縮小印刷を試みたのもこれが最初だった。そのおかげで無理せずに細かい線を丁寧に加えてゆくことができた。 
 これを境に、その後、より細かくより正確に絵を書こうと思うようになった。 

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