2004年
| 4月29日 |

「音の輪」リハーサル進行中。
『トランペット協奏曲』リハーサルにて。たまたまTACETの第4楽章の隙に、自席より携帯で撮影。ピンボケはご容赦。とりいそぎのupでした。
| 4月25日 |
春たけなわの日曜の昼、都響フルネ月間3回めの演奏会を聴く(サントリーホール)。
前半は、ちょっといろいろ小さなトラブル?はあったものの、休憩後のサン=サーンスが全て挽回する名演だった。各クラシック系BBSを見ても、「神がかり的」という形容まで飛び出す絶賛の嵐(^^)。
ただ言わせてもらえば、フルネ=都響で今までに3回くらい聴いた「オルガン付き」の中ではたしかに今日は最も感動的な演奏だと思ったのは確かだが、基本的な解釈と仕上がりについては、最初に聴いた20年近く前からほとんど変わっていないんだよね。テンポが遅くなっていわゆる分かりやすい「巨匠風」な表現になった、というのはあるかもしれないが。今頃になって騒ぐくらいなら、どうしてもっと早く気がつかないの?という感じもちょっとある。
終演後は、サントリーホール前のカラヤン広場テラスにて、都響倶楽部の集まりに顔を出す。夕方になって風が出てきて、寒かったあ!例の都響の雇用形態変更問題に関して、インサイダー的話もちょこっと聞けた。荷物が届くので早く帰らなければならなかったのがちょっと残念。
| 4月24日 |
東京農業大学管弦楽団の定期演奏会を聴く(なかのZERO)。久しぶりのアマオケ。
ちょうど2年前の演奏会で『アルルの女』のエキストラで呼んでいただいたことがあって、それ以来演奏会の度に招待券を戴いている。なんといっても私を「音楽家」として扱ってくれた楽団ですからね。応援してます。
休日というのはなにかとドタバタするもので、今日も今日とてアンプ(実家から持ってきた、10数年前購入の○マハのアンプ)が突然煙を吹いたり(@_@)、いろいろ。ということで出遅れて1曲めは聴けなかったが、2曲めのフォーレは聴けた。実は一番聴きたかった曲なので、間に合って良かった。休憩後のドボ8は2階席に移って聴いた。
決して、びっくりするほど上手い訳ではないけれど、あまりアラが気にならずに素直に楽しんで聴けるオーケストラだ。なぜだろう。音楽の筋道というか方向性というか、それなりにちゃんと正統的に流れているせいかな。(ひとりひとりは物凄く上手いのに、そこらへんがバラバラで面白くなかったプロの演奏を聴いたばかりだったので、なおさらそう感じるのかもしれない。)ドヴォルザークでは時々、ハッとするようなプロフェッショナルな響きが聞こえてくる時もある。そういう瞬間がもっと増えてくると良いと思う。
アンコールにフォーレの『シャイロック』より「祝婚歌」(渋い!)。これまた実は大好きな曲で、狂喜。コンマスの男の子が素敵なソロを聴かせてくれた。
終演後のロビーの雑踏の中で、2年前に私が出演した時の学生指揮の子とコンミス嬢にばったり会う。その節はお世話になりました。居残って指揮者の内藤佳有先生にも挨拶する。いやあ、いいオーケストラになりましたね、などと。
| 4月23日 |
東京佼成ウィンドオーケストラ定期を聴く。指揮は渡邊一正。会場のみなとみらいホールは制服姿の中高生たちがよくまあ入っており、プログラム冊子も無くなる程の大入り。
吹奏楽界でスミスと言えば今はロバート・W.スミスみたいだけど、私の世代ではこれはもう、クロード・T.スミスだ。15年ぶりくらいに聴いた曲だが、指揮が生真面目すぎるせいかあまり面白くなかった(?)。
2、3曲めは今年のコンクール課題曲だそうだが、北爪作品は良い曲だと思った。音楽の流れの自然さとアイディアの豊かさ、独創性において傑出したものがある。言っちゃ悪いが、課題曲をパッと聴いて「良い曲だ、」と思うことなんて本当に珍しい。そうなると、もう1曲の方が「いかにも」という曲なだけに…(^^;。これまた言っちゃ悪いが、ここまではっきりと曲の出来に差がついて、演奏によってそれがあからさまになってしまうというのは、可哀相というか、非情な世界だなあと実感する。
『エアロダイナミクス(空気力学)』は、面白い曲だ。ちょっとヒネリ物の好きなアマチュアバンドが競ってとりあげそうなタイプの作品。
初聴きの他2曲については、演奏が曲の面白さを引き出すところまで到達していなかったような感じ。表面的には整っているんだけどね。何を言いたいのかよくわからないまま終わってしまったというか。こういう演奏だと聞き流して良いような細部の音程の悪さとかが気になって仕方がない。
メインプロのアルメニアンダンス。歌い回しが何か不自然だし振り出しのテンポも「エーッ?」という感じだったが(これは指揮者のせいか)、結局はこの曲をやり慣れているであろうオーケストラ側のペースで引っ張られていき、終わってみればなかなか感動的な演奏だった。なんだかんだ言ってもこの曲は名曲だし、リードの天才性は凡百の流行りの作曲家とは比べ物にならない。カーテンコールの指揮者の手招きで、1階席後方に臨席の作曲者が立ち上がり拍手に応える。私の周りの席の女子高生達、大騒ぎだったもんな。「あれ誰?」「リードだよ、リード!」「えーっ、ウソー!」「すごいー!」てなもんで。
という訳でまあ、華やかだし面白い演奏会ではあったが、結果的にはやはり、佼成ってフェネルさんあってこそのオーケストラだったんだな、とつくづく思ったのだった。なんかなぁ、よくも悪くもフツーに「プロ」の楽団になっちゃった、というか。…80年代から90年代にかけて、魂を震わせて聴いた名演の数々を思うとき、時代は変わったなあ、と詠嘆。
| 4月17日 |
都響定期。フルネ月間の幕開け。
16日の東京文化会館、17日のサントリーホール、両方聴いた。フルネさん、健康問題でいろいろあって心配したけれど、明らかに去年の春の来日時より元気で、なにはともあれ喜ばしい。
フルネに対する賛辞は今更繰り返さないが、ただひとつ言えるのは、フルネの指揮で聴くと、何よりも、この曲はなんていい曲なんだろう、なんて美しい曲だろう、と思うことだ。フルネの十八番中の十八番のショーソン。1日めはテンポの遅さにちょっとびっくりしたが、2日めは慣れた(というか、初日より実際少し速めだったかも)。終楽章コーダの抑制された感動的な雰囲気、そして、これこそプロ!というコラールのアンサンブルの神髄にも、また。
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閑話休題。フルネがオランダ放送フィルを振った、ショーソンの交響曲の名盤(DENONから現在千円限定シリーズで発売中)。 この曲のCDはたくさん聴いたけど(数えてみたらウチのCD棚には6種類のCDが残っていた。他にも、聴いたけど気に入らず中古屋行き、というCDもいくつかあったはず)、結局この演奏に戻ってくるのだった。 |
『スペイン狂詩曲』は、テンポ的にもさほど違和感なく楽しめた。そして、ボレロ! ルバートや余計な演出を一切しない(これは実際フルネの指示だそうだ)禁欲的なソロが積み重なることによって、あたかも透明なガラスを何層にも重ねると独特の青い色彩を持つかのように、一種の形而上的な響きと輝きというものを放つ。見事だ。
saxチームは大森さん(S)と宗貞先生(T)。昨秋のチェコフィルの時と同じ顔ぶれ。
サントリーに行く前は「なめら〜か」の練習だったのだが… 「なめら〜か」の今後を考える上でかなり重要な事態が出来している昨今なのだが、相変わらず人が少なくて練習も話し合いも進まない状況なのだった。なんだかなあ。
| 4月15日 |
N響定期を聴く。スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮のベートーヴェン・プロ。コリオラン序曲、4番、7番。
この曲はこのように鳴るべきである、という鋼鉄のような意志が隅々までに徹底した、ハードなベートーヴェンだった。こうして聴くと、「7番」は勿論だが普段聴く機会の少ない「4番」がとにかく面白くて、どうしてこんなに稀にしか演奏されないんだろう、と不思議に思ってしまう。
4番も7番もフィナーレのテンポが恐ろしく速かったが、最近流行りの「古楽風」解釈による軽やかな速さとは全然違う。この解釈にきちんと付けていくN響のメカニックにも、改めてさすが、と思った。
| 4月14日 |
本日は現役世界最長老指揮者、ジャン・フルネの91歳の誕生日である。
あの感動的だった去年の90歳のバースデイ・コンサートから1年が経った訳だ。今年も、今月の都響公演のため元気に来日して、いつもどおりのしつこい練習を繰り広げているという話を聞いたところ。明後日からの定期演奏会のチケットはAB両日とも買った。楽しみなり。
岡本薫著『著作権の考え方』(岩波新書)を読み始める。
私の周りでは非常に評判の良い本だが、確かになるほどと思う。広汎で複雑な著作権という考え方の諸相を論理的に、しかもわかりやすく分析していく手際の見事さは、ある種の科学者や法律家のような、一分の隙もない知性というものを感じさせる。
新鮮で意外な指摘、論述にも満ちている。しかしこの本を読み終えた後には、それらはすべて「常識」として読者の頭の中にセットされるだろう。例えば、著作権という権利は「申告」や「登録」によって取得するものではなく、誰でもが、ある著作物を作ってしまった瞬間に、自動的に発生する(無方式主義)。それが著作権の国際ルールの基本中の基本、なのだが、一度理解してしまえば当り前と思えるこの原則に、アメリカが公式に適合したのはなんと、日欧諸国に遅れること約百年、やっと1989年のことなんだそうだ。先進諸国(日米欧)の中で、著作権保護が最も遅れているのは実はアメリカである。78へえ。
著作権というものは決して特別な存在ではない。パソコンの1台も持って、インターネットにアクセスしている程度に「現代人」であれば、誰しもが関わりを持たざるを得ないものである。ましてやウェブサイトを運営して、他人の作ったコンテンツを利用しつつ自作のコンテンツも公開している身としては、なおさら。これは現代人必読の書と言って良いだろう。
この本、最初は近所の図書館で探したのだが、蔵書目録にはあったものの、貸出しされていないにもかかわらず現物はなかった。つまり…盗まれていたのである(*_*)。おいおい。こういう本を読もうって人は、著作権について勉強しようと思って読む訳だろ。いいのかよ、そんなことで。
という訳で区内の別の図書館の蔵書を回してもらったが、以上のように大変役に立つ本だと思えたので、結局自分で買った。
| 4月11日 |
ジャン=クロード・カサドシュ指揮フランス国立リル管によるマーラーBox6枚組(Forlane)というのを買った。交響曲の1、2、4、5番、亡き子をしのぶ歌とリュッケルト歌曲集。フランスの指揮者とオーケストラによるマーラーというのは珍しい。音色的にはあんまり露骨にはフランスしてないけれど、それでもマーラーらしくない妙に軽い音でソノリテがmoltoなめら〜かで、不思議な感触。
シェーンベルク/木管五重奏曲、バッハ(ホリガー編)/音楽の捧げ物より6声のリチェルカーレ、ヤナーチェク/青春 バーゼル・アンサンブル(DENON) コロムビアからこの春に出た千円盤シリーズ第何弾めかの中から、今回のワタシ的注目盤。ニコレ(Fl)ホリガー(Ob)ブルンナー(Cl)トゥーネマン(Bn)ブラトコヴィチ(Hn)によるシェーンベルクなんて、ちょっと聴いてみたいと思いませんか。こんな凄いメンバーのCDを日本のレコード会社が制作していたとは、なんて良い時代だったんだろう。実はヤナーチェクの『青春』(木管五重奏+バスクラという編成)というのがとてもいい曲で、好きです。
Macrophonというスイス?の知らないレーベルから出ている、フィリップ・ジョーンズ・ブラスアンサンブルのFanfareというCDを見つけた。フィリップ・ジョーンズの正面ポートレートをポンと載っけただけの地味なジャケットに、素っ気ないタイトルながら、曲目をよくよく見たら、昔「グリーンスリーヴズ」というタイトルで日本盤LPが出ていた、1976年録音のアルバムのオリジナルカップリングではないか! 狂喜して購入。B面(CDにはA面もB面もないけど)のバード、ジェルヴェーズ、パーセルといったルネサンス、バロックのナンバーの数々が懐かしい。本当によく聴いたものだった。高校生のとき、部活の金管の先輩たちが吹いていたスザートやファーナビーの舞曲集(時はあたかも70年代、PJBEが初めて来日してブラスアンサンブルの最初のブームが日本に起こった、まさにその頃)と、このレコードが、私自身が「バッハ以前の音楽」というものに触れた最初だった。
音の輪練習。午前から木管分奏とのことで気合い入れて行ったのだが、午前はほとんど降り番の曲ばかりだった(^^;。
客席で聴く。自分で吹いていると(自分のことで必死だから)多少のことは気にならない(気にしている余裕がない)ものだが、客観的に全体を聴いちゃうと、やっぱり、ちょっとなあ。
「Thunderさん、本当は吹きたいんでしょ」「当り前じゃん、聴いてるとイライラしてくるもん、」「そうでしょ、コッチから見てると眉間がピクピクしてるのが分かりますよ」などと会話。
プロの楽団だって、この規模の演奏会をやろうと思ったら3日間くらいのリハーサルをする訳でしょ(当然ながら、個人さらいの時間は除く)。それをアマチュアである我々が5回や6回の練習でどうにかしようというんだから、尋常な取り組みじゃ駄目だというのは最初から明らかではないか。
要は、気合が足りないんだよな。
気合とか根性とかいう言葉を「精神論」と言って嫌う人もいるけど、私は最近は堂々とそういう言葉を使ってしまう。
というか、正しくインストールされた「根性」というものはその人の技術の一部、というか、財産である、ということがみんな分っていない(理解されない)のだ。音楽に必要なのは目先のテクニックではなく、そういう意味の技術なんだぞ。
| 4月4日 |
「ヴィブラートってどうやってかけるんですか?」と聞かれた。
質問者は中学2年生の女の子。
実は私、ヴィブラートってちゃんと教わったことがないのです。
デファイエやキャトルロゾーのレコードを聴いて、そこからの影響というか見よう見まねでヴィブラートらしきものを操っていた十代の頃から、基本的には進歩してない。練習法にしても、四分音符=72に4つ云々とか、そういう類の文章は雑誌等で読んだ記憶はあるしいろいろな機会にも聞いたけれど、あんまり切実感がなかったので真面目に実践したこともない。
二十代も半ば近くなって、初めてプロの先生のレッスンを受けた時も、「ヴィブラートかけてごらん、」と言われてやってみたら「ああ、出来るね」でおしまいだったし。
今は亡き前沢文敬先生(80年代前半の日本サクソフォン界最高の論客のひとりだった。合掌)が、バンドジャーナル誌連載のワンポイントレッスンで、ヴィブラートについて
「『この音にヴィブラートをかけて吹いてみたい、』と思うことが最も大切」
だと書いていたのを覚えているけれど、それが一番よく納得できる。
技術や方法論の前に、まずは意欲と必然性、という。
ということで結局、その中学生には、ヴィブラートをかけないまっすぐな音とかけた音で、同じメロディを吹くというのを実演してみせた訳だけど。
果たしてそこから必然性というものをくみ取ってもらえるだろうか。
そもそも、まだまっすぐに良い音で吹けないうちにヴィブラートというのは、早いような気もする。実際のところはどうなんでしょ。
| 4月2日 |
またちょっと間が空いたけれど、書きかけの日記にこだわっていると先に進めないので、あらためて4月分からスタートということにします。
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新日本フィルの定期(サントリーホール)へ。 アークヒルズの中はライトアップされた桜が満開で、なかなかいい雰囲気だった。見物客もたくさん来ていた。 |
音楽監督クリスティアン・アルミンクの指揮。メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」全曲。ソプラノ澤畑恵美、メゾソプラノ林美智子、栗友会合唱団。この曲の大好きな私としては、聴き逃せません。
10型(10-8-6-4-3)という最小編成による、実に軽やかで繊細な演奏を楽しんだ。女優中島朋子(NHKの新しい朝ドラにレギュラー出演しているらしい)の日本語語り付き。この語りがまた熱演だったし、職人がロバに変身させられてしまう場面では指揮者アルミンク自ら傍らのロバのかぶりものを被って指揮を始め、会場の笑いを誘っていた。という調子で趣向を凝らしてはいたのだが、そもそも「真夏の夜の夢」って、筋書きを説明されたところでさっぱり訳分かんないんだよね(^^;。だったら語りを付けるのは最初から諦めて、音楽だけをじっくり聴かせてもらった方が私としては嬉しい。
前プロに今年度入野賞受賞作の現代曲が演奏された。いかにもな現代曲だったが、非常に力強い感じがする音楽で、最近多い、妙に客に媚びた、わかりやすいがひ弱な現代作品の中にあってはむしろ新鮮だ。作曲者は25歳のタイ人とのことで、演奏終了後舞台に呼ばれ出てきたが、とてもイノセンスな感じの若者だった。