2003年

7月29日

Naxos日本作曲家選輯の最新リリース、松平頼則作品集のCDを聴いた。
「まつだいら・よりつね」なんていう古風な名前からの連想とは裏腹に、今まで出たこのシリーズの6枚の中では最も難解というか、ぶっ飛んでいる作品かもしれないと思った。しかしこれらの難解な外見は、実はどれも日本古来の「雅楽」そのまんまなのだということが、(例によって詳しすぎてかえって判りづらい)片山杜秀の解説を読むと分かる。微分音やトーンクラスター、複調、不等リズム、偶然性などという西欧前衛音楽の技法を、実は千年も前に雅楽はあっさりと先取りしていたということになるらしい。はあ。
どうやら編成にサックスを含む曲もあるようだ。これまた「はあ、そうですか」って感じなんだけど。雅楽とサクソフォンて相性がいいのかしらん。むかし近衛秀麿編曲の『越天楽』を某オーケストラで聴いた時も、舞台にソプラノサックスが1本乗っていて(@o@)これもんだった記憶がある。

都立雪谷高校が甲子園初出場を決めた。おぉ。
私が通っていた都立高校とは環八をはさんでちょうど対称に位置し、楽譜や大型楽器の貸し借りで懇意にしていた学校だ。毎年冬の合同演奏会(東京の高校で吹奏楽や合唱をやっていた人なら皆ご存じの「中音(高文連中央音楽会)」の練習会場だったので、シーズンが来ると毎週土曜日に自分の高校から歩いて通ったっけ。懐かしい。ガンバレ!

7月27日

日曜日。半日借りていた近所の区の施設が結局自分一人で使えることになったので、これ幸いと個人練習してきた。金を出して借りたスタジオで1人でさらう、というのは「モトを取るぞ」とばかりに気合が入るので練習が捗る捗る。楽器2本持って行って、ウォームアップ(トレヴァー・ワイの1巻に基く)、音階、リード選び、曲練習(8/7の発表会&なめら〜か)という盛り沢山のメニューで、4時間半があっと言う間に過ぎた。
発表会で吹くリードの『カメオ』はテナーパート初体験だし、ソロ曲の『シチリアーナ・ノットゥルノ』(これもリード)は、「さらう」必要はないもののなにしろソノリティが全部裸にさせられる曲なので細心の鳴らし込みが必要だし、なめら〜かで吹く「くるみ割り人形」はただでさえ難しい上に絶対征服しなければならないフラジオ(ソプラノで記譜High-A〜G#〜F#の連結)があるし、"July"はアルペジオの嵐だし(7分間の演奏中、ほぼ休みなしに何十種類もの16分音符のアルペジオを吹き続けるのだ。クローゼのエチュードの世界)、オープニングで吹くことになったプーランクのトリオ(原曲オーボエ、バスーン、ピアノのための)の第1楽章も先日譜面をもらったところだし、課題山盛りで本当はあと4時間だって吹けるくらいやることはあるんだけど、集中力が持ちましぇん。

7月24日

都響の芸術劇場シリーズを聴く。オール・モーツァルト・プロ。アイネクライネ、オーボエ協奏曲(Ob渡辺克也)、交響曲第40番という、名曲中の名曲。指揮はエマニュエル・ヴィヨーム。この指揮者と都響のコンビは只今、二期会で『ばらの騎士』をやっている真っ最中だ。背格好と棒の振り方、頭の光り具合(^^;が井上道義にちょっと似ている。コンマスが珍しくもN響の山口さん(ゲスト)だった。
演奏もとても良かった。家に帰ってから余韻を楽しむためにケルテス/ウィーンフィルの「40番」のCDをかけたのだが、なんだ、今日の都響だって全然遜色なかったじゃないか。こういうプログラムも、いいものだ。モーツァルト、ハイドン、時代としてはせいぜいシューベルトまで。ベートーヴェンは曲目による。本当の「クラシック」の精粋を、練習をきちんと重ねた良い演奏で、1シーズンに1回位は聴きたい。

会場ロビーに、ベルティーニ指揮都響マーラー/4番、亡き子をしのぶ歌の新譜CD(Fontec)が出ていたので購入。去年11月のライブ。埼玉会館での公演には私も行って感銘を受けたものだが、これは翌日(だったかな)のみなとみらいホールでの収録。この調子で全集になるのかな。

7月23日

恒例?今月のCD。
原博巳(Sax)/森の静けさ(CAFUA)。やっと聴いた。さすがと言うか何というか、とにかく巧い。ボノーのカプリスなんか、須川さん(最近やっと再発成ったApollon原盤のデビュー盤)より巧いんじゃないか。
今まで何度か聴いた原さんの実演の印象からすると、この人の真価は、作品に対する感情移入のスケールの大きさというか、「なりきり方」の凄さにあるように思う(だからこそヨーロッパのコンクールで1位が取れたというか)。何年か前のサクソフォンフェスティバルで原さんのダールのコンチェルトを聴いた時、一緒に聴いていた大阪市音のN瀬さんと「…原くん、怖いよ」という感想が一致してしまったことを思い出す。そういう観点からするとこのCDはちょっと曲目が軽いかな。ドビュッシーの小組曲など、田中靖人さんのCDの演奏の方が感覚的には似合っているように思うし。この次の機会には是非「とんでもない大曲」を聴いてみたいところだ。

サクソフォンのCDは実は最近見つけてもあんまり買わないようになっているのだが(私が買わなくともmckenさんが買うだろうと思うので(^^;)、しかし今月はもう1枚。Royal City Saxophone Quartet "Smiles and Ckuckles"(カナダCBC)。20世紀前半の北米で大人気を博したグループ"The Six Brown Brothers"(イメージ的には現在TDLで演奏しているSaxチームに近いかも。Stephen CottrellのCD"The History of the Saxophone"にも紹介されていた)の曲目とスタイルを再現したというもので、「サクソフォン史」的に極めて興味深い一品。

フランスBMGのArtistes Repertoiresという2枚組のアンソロジーのシリーズの中から、ミュンシュ/ボストン響。サン=サーンス/交響曲第3番、イベール/寄港地、ダンディ/フランスの山人の歌による交響曲、フランク/交響曲、ルーセル/『バッカスとアリアーヌ』第2組曲ほか。
ミュンシュというとそのあまりにもクッキリキッパリした演奏は本当は自分の好みとは違うんだけど、でも出てくる音楽の説得力はすごいので、ついつい聴いてしまう。フランクが懐かしい。高校生のときに初めてこの曲を知った演奏だ。ダンディも大好きな曲だけどミュンシュのは初めて聴くし、「オルガン付」と「寄港地」は既にCDを持っていたが、まあ良かろう。

私が中学校に上がって最初の音楽の授業で(29年前の話だ)、自己紹介というのを全員させられた。名前、誕生日、好きな音楽のジャンル、ピアノやヴァイオリンなど習い事をしていたかどうか、などという質問事項のほかに、「知っている指揮者の名前を挙げる」というのがあった。勿論普通の公立中学校の1年坊だもの「指揮者の名前」なんか知らないのが当り前で、たまに「カラヤン」とか「山本直純」(←これはテレビの影響)なんてのが出るくらいでほとんどの生徒は答えをパスしていたけど、私はたまたま当時家に1枚だけあったクラシックのレコード(運命/未完成)の指揮者として名前を見知っていたので、「シャルル・ミュンシュ、」とフルネームで答えたのだった。先生(吹奏楽部の顧問とは違う、教頭兼務のオバサン先生だったが)は「ミュンシュを知っているの!?」とびっくりしていたっけ。その先生にはその後3年間よくヒイキしてもらいました(女の先生はヒイキするのだ)。あれからベートーヴェンの「運命」はいろいろな演奏を聴いたり好きになったりしたが、「未完成」の方は未だにミュンシュ/ボストン響のが一番しっくりくる。

7月21日

横浜楽友協会吹奏楽団を聴く(神奈川県民ホール)。プログラム冊子への「なめら〜か」チラシ挟み作業のため、時折の激しい雨の中、午前11時に会場に到着。会場内の「かもめ」という食堂でカレーを食って腹ごしらえし(結構旨かったが量が不足)、開演は1時半。

うーむ、なんと楽友らしい曲目(^_^;。指揮は小田野宏之。久しぶりの神奈川県民ホール。でかい。しかしこのくらい編成が大きいとむしろちょうど良いくらいにも思える。客入りも上々。後で聞いた話では1300人以上入ったそうだ。いったいどうやって集めたのか教えてほしいところだ。
演奏も良かった。去年1年間聴いていないから2年前との比較になるが、明らかに金管の発音が(以前のいかにも吹奏楽、という音から)プロフェッショナルなそれに近づいているし、オーケストラ・スタイルという編成のコンセプトにしても、やはり以前はtuttiに埋もれがちだったソロ木管セクションが今回はよく浮き立っていたせいか、コダワリ優先ではなく必然性がちゃんと感じ取れた(それって、すごいことだ)。以前から、楽友協会って方向性がリサーチに似ているな、と思っていたのだが、いまや演奏レベルにしろ集客力を含む楽団運営にしろ、完全に追い越されてしまったと言わざるを得ない。
がしかし、全体のレベルが上がった分、いまだところどころ出てくるいかにもアマチュア的な焦点の甘い音がより一層目立つようになってしまったのは皮肉だ。これに関してはもう、発音とイントネーション、音程、その他もろもろに対してプレイヤー各人がより一層厳格に立ち向かう以外に解決はない訳で。特にタイミングだな。イントネーションや音色に関しては比較的どうにでも対処のしようがあるが、発音のタイミングというのは正解は(その瞬間瞬間に)ひとつしかないのだから。我が身を振り返っていろいろと考えさせられたのだった。

終演後は雨も止んできたので、ホールすぐ裏の中華街へと繰り出す。水が逆流でもしているのか、街のすみずみまでほのかに潮の香りが漂っていた。

7月13日

東京リサーチ合奏団に加わって、毎年この時期恒例のチャリティコンサートに乗る。
会場が屋外(三井ビル55ひろば)ということで、今にも降りそうな梅雨空をにらみながらの開催だったが、無事決行(雨天だと中止なのだ)。しかしプログラムの終わり近くにとうとう降り出して、予定の曲目を1曲残して退散。

道行く通りすがりの人たちを前に、サザンとかSMAPとか「ウルトラマン大行進」とか「フックト・オン・ビートルズ」とか「青春の輝き」とか、軽い曲目を力いっぱい吹きまくる(なにしろ屋根もない屋外なので音量最優先)。屋外といっても、新宿副都心の超高層ビルの谷間なので、ビル群が巨大な反響板となって意外なほど良い響きがする。こういうのもたまには良いものです。この本番が終わると今年も折り返したな、って気分になる。

7月9日

Sax吹きの古い友人、そしてその旦那(作曲家)が主宰する「プロジェクト"M"」の公演「オトナ電話相談室〜ミッドナイト・ドリーム」を観る(北とぴあ・つつじホール)。今回はその友人が脚本と演出を手がけたとのことで、興味津々。

「ハイスクール・リアリズム」(私の造語)だと思った。
キョーコやリョウ(出演者)の演技力はさすが!だし、舞台装置の少なさも全く気にならないほど演出も配慮が行き届いていたし、そういう意味では文句なく大人の舞台なんだけど、根底を流れるメンタリティが何か「高校の文化祭」的なところがある。勿論そういう直截的なメッセージ性が心を打つ、ということもあるんだけど。あとはこれにいかに我々不惑の中年世代にふさわしい洗練を加えていくか、ってところが課題のような気がする。

しかしこうして、古い付き合いの(いま気がついたが、知り合って今年でちょうど20年だ。あの頃はお互い大学生だったなー)同い年の友人の内的世界に正面きってお付き合いするというのは、なかなか興味深い経験だ。
私自身、中堅私大の文学部などという袋小路みたいな場所で、言葉にならない展望の無さ、出口のなさに鬱屈していた当時(たぶん、外からはそんなふうに見えないように振る舞っていたんだとは思うけど)、夢に向かってまっしぐらに進む音大生のアイツの姿は本当に魅力的だったし、すごいなー、オレも負けずに頑張らなきゃ、と思ったものだった。その後のオレの20年というのはそういう決意の延長線上にあるのだ。ホントだよ。だけど巡り巡って今となってみると、結局お互い同じようなところでツッカエたり憤ったりしていたのかもしれない、が。…

7月8日

コルンゴルト(Erich Wolfgang Korngold, 1897-1957)のCDが届いた。

コルンゴルトというと、一番知られているのは最近演奏される機会の増えてきた甘美な『ヴァイオリン協奏曲』だろうか。あと、ハリウッド映画音楽みたいな重厚華麗な『交響曲』か(というか、コルンゴルトはユダヤ人だったので、大戦中にナチスの迫害を逃れてアメリカに渡り、映画音楽をたくさん書いて人気を博したのだ。つまり、影響の順序が逆で、いわゆるハリウッド流映画音楽の元祖がこの人だった、ということ)。オペラ『死の都』を知っている人は相当のマニアですな。

  この人の『赤ちゃんのセレナード』Baby Serenadeという管弦楽曲でSaxが大活躍するという話を聞きつけて、お手軽なところでASV盤を注文してみたのだ。演奏はカスパール・リヒター指揮リンツ・ブルックナー管弦楽団(ASV/CDA1074)

早速聴いてみる。…うむ、聞こえる聞こえる。しかし、ちょっと演奏が地味だな。サックス3本をあれだけ縦横無尽に使っているのなら、もっと面白い音がしても良さそうなものだが。オケがオケだけに仕方ないのかな。

ホームページの更新作業にかかる。コルンゴルトの曲を「オーケストラの中のサクソフォン」に追加したついでに、新たにルロイ・アンダーソンの一連の曲を加えたので、結構時間がかかってしまった。このページを公開してから3年以上、アンダーソン物をひとつも挙げていなかったのは私としたことが迂闊だった。
アンダーソンの曲の多くのスコアにはサクソフォンのパートを見つけることができるが、実際の演奏では省略されることも多い。しかし参考盤として挙げたフェネル指揮ロチェスター・ポップス管のマーキュリー盤(つい先日、2枚が国内再発売されたところ。ちなみにうち1枚には、5月の日記で触れたエリック・コーツの代表作『ロンドン組曲』の素晴らしい演奏が併録されている)では、結構はっきりとサックスの音を聞きとることができる。今回upしたのは手許のカタログに編成が明記されていた13曲だが、それ以外の曲でも聴いていてサクソフォンらしき音が聞こえてくるものがたくさんある(ソロで使われることはほとんどないので正確な判別は難しいが)。アンダーソン物は今後探求の余地がありそうだ。

7月6日

この土日は静岡に泊まり掛けで往復、コンサートを2つ聴いた。

土曜日はモーツァルト・オーケストラ静岡演奏会(島田市民会館)。旧知の友人で、一昨年の「★ベー●」騒動の仕掛人でもある指揮者・中原朋哉氏のプロジェクトである。
時間があれば各駅停車でのんびり行きたいところだが、昼までは東京にいなければいけなかったので、14:46東京発の新幹線に乗る。

  基本的に天気は良くなかったが、たまたま絵に描いたように見事な笠をかぶった富士山が顔を覗かせていた。新富士川鉄橋通過中に撮影。

静岡で東海道線の各駅停車に乗り換え、焼津で途中下車、駅のすぐ近くのビジネスホテル(中原氏は焼津の出身で、このホテルも彼が取ってくれた)にチェックインしてから再び駅に戻り、島田へ向かう。
電車を降りて、いかにも地方都市という感じの静かな駅前通りを抜けて市民会館へ。典型的な昔ふうの公会堂というか、昭和30年代様式の、ちょっと懐かしいような古いコンクリートの建物だ。中は2階席がないのにキャパ1400以上という大きな空間。東京や東京近辺にはこういうホールって無いな。イメージ的に一番近いのは高崎の群馬音楽センターだろうか。古さでいえば豊島公会堂(今でもまだあるのだろうか?)、ロビーの雰囲気は横浜の県立音楽堂、椅子の座り辛さでは都市センターホール、ってところか。
チケットのモギリをやはり東京在住のSax吹きの顔見知り(♀、中原氏とは共通の友人)がやっていて、びっくりしてしまった。そういや聴きに行くとは言ってたけど。スタッフとして現地採用(^^;されたのかしらん。

見てのとおりかなり盛り沢山というか、小さめの演奏会2つ分のボリュームだ。客入りは結構良い。だだっ広いワンフロアの客席が相当埋まっていたから、1000人くらい入ったかも。演奏レベルもなかなか。あとで中原氏に聞いたら「プロも結構入ってたから」とは言ってたけど、それにしたって例えば『クープランの墓』のいかにもそれらしい雰囲気なんて、なかなか出るものではない。中原氏の指揮ぶりは、(特にモーツァルトで)師匠のパスカル・ヴェロを彷彿とさせるものがある。
いやあ、これは立派な「文化」だ、と思った。東京で同じような演奏会を企画したって、こういうふうにはいかないだろうな。お客さんだってこんなには集まらないだろうし、「文化」を名乗る前に、あまりにも多いコンサートの数や情報量の中に埋没してしまうことだろう。そういえば開演前に夕食を食べた寿司屋をはじめ、島田の駅前商店街じゅうの店に今日のコンサートのチラシが貼ってあったな。こういうことだって東京では考えられない。

楽屋に寄ってお土産のお菓子を渡して(あの体型を見るに、お菓子じゃない方が良かったかも(^^;)、ホテルに戻る(島田駅まで歩いている途上、さっきのチケットのモギリをしていた友人に後ろから声をかけられた。どうやら同じホテルに宿を取っているらしい)。

  明けて6日。出発までの短い時間、焼津の街を散歩する。港はすぐだった。焼津港といえば遠洋漁業の一大拠点だが、日曜の朝は船の出入りもなく、市場も休みでひっそりとしている。釣りをしている人が2〜3人いるだけだ。

新幹線で東京に戻る(静岡から東京まで「ひかり」だと1時間かからないのね。知らなかった。ちょっとびっくり)。
今日の演奏会というのは都響プロムナードコンサート(サントリーホール)。こちらはずっと前からチケットを買ってあったもので、指揮者・大野和士の今年東京での唯一の演奏会、曲目がレーガーのヴァイオリン協奏曲の日本初演(Vn庄司紗弥香)と『春の祭典』、ということで注目度の高かった公演だが、3週間足らず前に「頸捻挫」とのことで大野がキャンセル、広上淳一に交代したのだ。大変残念だったが(大野和士といえばちょうど私が都響の定期会員になった頃、音楽監督の若杉弘とともに都響の専属指揮者だった。都響の曲目はあの頃が一番面白かったな)。しかし広上さんが代演とのことで、これはこれで面白そうかも。
少し早く着いたので、アークヒルズ内のスタバで休憩。楽員さんたちの姿をたくさん見た。

で、聴いた感想だが、うーむ、いかにも都響らしい演奏ではあったが、やはり大野さんで聴きたかったな、というところか。広上さん、たった2週間くらいの周知期間でこの曲目の代役をこなしてしまうなんてすごい、という、それがまず第一の感想だったということ。部分的には広上さんならではの面白い部分もあったんだが。
だいたい、レーガーの協奏曲なんて、演奏時間が1時間もかかるわりに最初から最後までフツーであんまりかわり映えのしない(この曲を好きな方にはゴメンナサイなんだが)曲な訳で、そういう曲はやはりその紹介に情熱を燃やしている方の演奏で聴いてこそ、だと思う。焼津観光を数時間で切り上げて舞い戻ってきて無理やり聴いた演奏会だけに、ちょっと複雑な気分だった。…まあ、『春の祭典』を生で聴く(観る)のは、それだけでも面白いことは確かだが。