2003年
| 5月25日 |
リサーチ練習。今日はソリスト雲井さんの初合わせ。曲は仲田守編・グラズノフのコンチェルト。伴奏のA.Saxは降り番なので、やはり降り番の楽団のアルト吹き達と、合奏の最後列に並んで座って聴いた。
ホルン以外の金管が全員降りた小さな編成のバンドの前に、伴奏の仕上がりにお世辞を言うでもなく、といって文句を言うでもなく、ちょっと不機嫌そうな顔で(いつもそういう顔なんだけど)立ってソロを吹いている。私だって代吹きしていたくらいだから曲はそれなりに知っているつもりだけど、それでも自分の理解をはるかに上回るような大きな音楽が、たちまちのうちに立ちのぼってくるのだった。息をのんで聴いていた。時々止まっては、やっぱりちょっと不機嫌そうな声でぼそぼそっと、必要最低限の、しかし的確きわまりない言葉で指示を出す。なんだかレッスンを受けている気分だった。
しかし、リサーチってやっぱりこういう曲は上手いなあ。もしかしたら今回のプログラムの中で一番ましに仕上がっているかも。伴奏の出来についてはお誉めの言葉を戴いた。
さて、大変なのは、残りの曲だ。M.グールド『サンタフェ・サガ』、チャイコフスキー『ロメオとジュリエット』、ウェストサイド・ストーリーのシンフォニックダンス。「ロメジュリ」がとにかく難しい。
その昔、とある大先輩が、吹奏楽で経験した難曲として『ディオニュソスの祭り』と、このロメジュリの2曲を挙げていたのを聞いたことがあって、ディオニュソスはまぁ分かるけど「ロメジュリ」のどこが難しいんだろう? と長いこと不思議に思っていたのだが、楽譜を見て自分でさらってみて初めて納得したのだった。そうか、こういうことだったのね…(普通にCD聴いてるだけでは別に難しそうには聞こえないところが始末が悪い)。
| 5月24日 |
平野公崇氏(Sax)の新譜「クラシカ」(Tri-M)を入手。
ヒンデミットのヴィオラソナタに、ブラームスのクラリネット(ヴィオラ)ソナタ第2番、ゴルドベルク変奏曲の抜粋という、マニアックな路線を狙うかと見せかけた、しかし堂々たる「クラシック」への正面突破。少なくとも日本の(クラシックの)Sax吹きは誰もやらなかった路線だ。さすが、即興演奏という、己の感性と可能性を100%信じ、それを時空間に瞬時に解放できる技量と勇気を求められる分野の第一人者としての仕事だ。
以上のことはよく分かるのだが、いざ出てきた音は100%満足、とはいかなかったのが残念なところ。どうしてこういう、各音域で音質がバラバラ、みたいな、レガートの繋がらない音になってしまうんだろうか? クラリネットで聴き慣れたブラームスに特にそういう印象が強い。バッハにはすごく感心したのだが。まさしく時空を超えた響き、というか。
もしかしたら私、ここのところ1日1回は小串さんの演奏するリードの『シチリアーナ・ノットゥルノ』のCDを聴くことを日課にしているので、余計そう感じるのかもしれない。それにしても小串さんのレガートのなんと見事なこと(タメイキ)。サックスは円錐管だから音質の統一が難しい、なんて理屈は、このCDを聴く限りは何の意味もない。
このソノリテの美しさこそが「パリ音楽院」で学んだ証、だと長いこと思っていたけれど、最近はそうでもないのかしらん。…
| 5月23日 |
都響定期Aシリーズを聴く(東京文化会館)。
先日のサントリーホールのBシリーズに続き、再びヤン=パスカル・トルトゥリエの指揮。実は今日は同じ会場の小ホールは松雪明氏のサクソフォンリサイタルだったのだ。都響は定期会員だからチケットはあるけれど、しかし小ホールも聴きたいなあ。うーむ、こうなったら前半と後半とでハシゴでもするか、と、とりあえず大ホールに入って聴いていたのだが、ヒンデミットの弦の音色があまりにも素敵だったので(都響の弦は定評あるところだが、それにしてもいつも以上だった)、やっぱり最後まで聴きたくなり、結局小ホールには行かなかった。松雪さんごめんなさい。
今日も管楽器のソリスト。百面相のような多彩な音色を駆使する人だ。アンコールになんと、メシアン『峡谷から星たちへ』の無伴奏ホルンソロの楽章。…いやはや、恐れ入りました。大拍手。バックのオーケストラのホルン奏者の皆さんも、やれやれ、やられたぁ、って顔をして拍手していた。
(たしか『峡谷から星たちへ』って、都響が日本初演していたはずだ。ということはこのソロ、笠松さんが吹いたのかな?)
| 5月21日 |
エリック・コーツのCDが届いた。
コーツ(Elic Coates, 1886〜1957)を知っていますか?
いわゆるセミ・クラシックの作曲家で、英国の伝統的なライトミュージックの分野ではよく知られた人だ。私が初めてその名を知ったのは1983年頃だった。当時あった「ステレオ芸術」というクラシックの専門誌が突然廃刊となった時、当時連載を持っていた故・三浦淳史氏(イギリス音楽の大家として知られたベテラン音楽評論家)が、最後ということで予定を変更して「最愛の作曲家」コーツを紹介していたのだ。
実は私の文章やら音楽観やらというのは、20代の頃に読んだ三浦氏の文章の影響を結構受けていて、あの三浦さんの最愛の作曲家、ということで強く印象に残ったのだった。
さて、このコーツという作曲家、最近でこそ知名度は少しずつ上がってきているけれど、90年代の中頃までは(少なくとも私の周りでは)それこそ、誰も知っている人がいない、という状態だった。その作品はどれも、理屈抜きで楽しめる、心の浮き立つような曲ばかりなのに、どうしてこんなに誰も知らないんだろうか、と嘆いてしまう。今からちょうど10年前、当時所属していた吹奏楽団の定演の選曲で、コーツの『ロンドン組曲』(フィナーレの「ナイツブリッジ行進曲」だけは多少有名だが)を提案した時はヲタク呼ばわりされたもんだったけど(^^;、いざ実際にやってみたら、演奏者(指揮者、メンバー共々)にもお客さんにも大変好評だった。
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さて、今日届いたのは、新世界レコード社に注文していたASVのコーツ管弦楽曲集Vol.2。 |
『7人の小人』『結婚式の道化師』『4つの世紀』の3曲所収。一番聴きたかったのは、サクソフォンを使う曲ということで私のページでも紹介している『4つの世紀』だ。各楽章に次のようなタイトルが付いている。「17世紀〜プレリュードとホーンパイプ」「18世紀〜パヴァーヌとタンブラン」「19世紀〜ワルツ」「20世紀〜リズム」。どうです、素敵なラインナップでしょ。なんだか聴いてみたくなりませんか。サックス陣は予想通り、「20世紀」で大活躍する。
| 5月15日 |
都響定期を聴く(サントリーホール)。
指揮はヤン=パスカル・トルトゥリエ。「惑星」効果か高橋さん目当てか、若いお客さんが大挙来場していて、満席に近いホール内が華やいでいる。
トルトゥリエは、この日記を書き始めて間もない頃の2000年2月にやはり都響に客演して素晴らしい演奏を披露しており、大絶賛の文章を書いた記憶がある。今回も期待を裏切らない演奏だった。若々しくて活気があって、楽しくてわかりやすくて、しかし曖昧さは無くて厳格で、そして隅々まで「音楽」に満ちている。ある意味究極というか、理想的な指揮者だ。こういう人は何度でも聴きたい。
高橋さんも凄かった。音量もそうだが、安定感とか貫祿とかが普通の日本人管楽器奏者とは隔絶していて、なんだか外国から呼んだソリストを聴いている気分だった。アンコールで吹いたスタン・フリードマンの『ソロ』という無伴奏現代曲が非常に面白かった。名優の一人芝居みたいな世界。日本の金管吹きもとうとうここまで来たか…!という感じ。
| 5月12日 |
本日5月12日はガブリエル・フォーレの誕生日(1845年)。タイムリーにピアノ五重奏曲第1番、第2番の新録音(ロザムンデSQ、ストロッセールPf)のCDが到着した。大手CD店の店頭では最近あまり見かけなくなった仏Pierre
Veranyの新譜。フォーレの2曲のピアノ五重奏曲は(ピアノ四重奏曲の第2番も)、古今の室内楽曲の中で最も好きな曲かもしれない。ざっと1回聴いただけだけど、柔軟でゆったりしたテンポ設定とPierre
Veranyならではの非常に雰囲気豊かな録音で、ワタシ的にはこの曲の決定盤になりそうな予感。
ドヴォルザーク/スターバト・マーテル、伝説 クーベリック/バイエルン放送響ほか(DG) 今季の都響定期のプログラムに入っている(指揮は広上淳一だぁ!)ドヴォルザークのスターバト・マーテルだが、知らない曲なので予習用に購入。2枚組の余白に、クーベリックが珍しくもイギリス室内管を振った『伝説』が入っていて、どっちかというとこれが目当てだったかもしれない。
1996年のセルマーキャンプに参加した時、たまたま¥田先生のラージアンサンブルクラスに配属されて吹いた曲が、この『伝説』の第1〜3曲だった。スラヴ舞曲集の続編という感じで、吹いていてすごく楽しかった。当時全く知らなかった曲で、よくこういう曲見つけてくるなあ、と感心したものだった。それにしてもドヴォルザークって、知られている曲とそうでない曲の差が激しいような気がする。
新ウィーン楽派ピアノ曲集 高橋悠治(DENON) DENONから3月に出た1枚1000円CDシリーズ第2弾の目玉のひとつ。シェーンベルクの小品がたくさんと、ウェーベルンの変奏曲ほか、ベルクの作品1のソナタ。シェーンベルクの『4手のための6つのピアノ曲』で連弾の相手を務めるのは、録音当時25歳の坂本龍一である。「80年代、『現代音楽が好き』を自称する人の98%が持っていたレコード」という店頭のキャッチコピーには笑った。私は持ってはいなかったけれど、その当時の時代の空気というか雰囲気ははなんとなく思い出すことができる。
クープラン/鍵盤作品集1 ヒューイット(Hyperion) F.クープランのクラヴサン曲をピアノで弾いたCD。バッハやヘンデル、スカルラッティはピアノで弾いたCDはいっぱいあるけど、ラモーやクープランはほとんどない。ラモーは最近誰かのCDを聴いて感心したところだが、クープランはどうでしょう。
ピエルネ/『シダリーズと牧羊神』第1組曲、第2組曲、『ラムンチョ』序曲 マリ/パリ・オペラ座管(東芝EMI) 私の大好きな指揮者、ジャン=バティスト・マリの代表盤。1912年生まれとのことだが、まだ生きてるんだろうか? 1992年にフランスEMIの輸入盤を入手しているのだが、こういう珍しい曲目の場合は日本語解説が貴重なので、国内盤に買い換えようと入手…したのだが、いざ聴いてみて愕然。音質が…。聴き慣れた仏盤よりまあ多少は鮮明かもしれないが、響きにな〜んか奥行きがなく妙に刺激的で耳障りな音で、これじゃ聴く気がしないよぉ。
このCD、東芝ご自慢のHS2088とかいう新方式のマスタリングだそうで、珍しくマスタリング担当エンジニアの名前も明記しているくらいだから、東芝としては自信作に違いないのだろうが。…日本とヨーロッパの音響技術者の、耳というか、感性の根本的な差というものについて、考えてしまう。
| 5月10日 |
「なめら〜か」練習。
午前中はカルテット合わせ。3月15日の本番と同一メンバー。例年の8月の「発表会」(去年は残念ながら没ってしまったが、今年は何事もなければ8月7日・川口リリアで開催予定)に今回、このメンバーで出ようと目論んでいて、そうなると曲はアレしかないでしょ、って訳で、早速集まって「カメオ」を音出ししてみたのだ。といってもバリトン担当とめちゃん氏は今度は、地元勤務先での三浦市長選選挙違反事件捜査にハマっていて消息不明のため、とりあえず3人で。
あともう1曲、10月の「なめら〜か」本チャン演奏会のための曲目候補として、マイケル・トーキーMichael
TorkeのJulyという曲を鳴らしてみた。海外ではともかく、日本ではたぶんまだほとんど演奏されていない曲だし、なじみのないスタイルの曲なのでどうかなと思ったが、存外好評だった。
午後はラージ。「くるみ割」、アルトの人数が増えてきたのでだんだんメロディが繋がり始めた。
テナーのマダム・Mきまきから、「大事な忘れ物を取りに戻ったため遅刻します」とのメールが来ていた。何を忘れたのかと思ったら、なんと楽器を持たずに家を出てきたんだと。「なんか、身軽だな〜と思ってたのよね」だってさ。う〜む、さすが(^_^;。
夜はサントリーホールへ直行。
日本フィルの「作曲家プロデュース・コンサート」。ひとりの作曲家が、自作と、(自分が影響を受けた、あるいは好きな)クラシックの曲を選んでプログラムを作るという趣向のコンサートで、今回のプロデューサーは池辺晋一郎。曲目は以下の通り。
開演前と休憩後にプレトークあり。池辺センセといえば「N響アワー」でのおやぢギャグ担当者(^^;だが、今日のプレトークでも本領発揮というか、炸裂していた(^_^;。
「…プロデュースといっても、世の中にはそれを専門の仕事にしているプロデューサーという方もいらっしゃいますから、私が今回やったのはプロデュースというより謂わばアマデュース、とでも申しましょうか。でも、その昔ウォルフガング・アマデュース・モーツァルトなんて方もいらっしゃったくらいで、作曲家というのはそれでよろしいのではないかと」といった調子。
池辺さんの曲をこうしてまとめて聴いてみると、その「饒舌さ」に圧倒される。喋っている印象そのままだな。
実は今日一番聴きたかったのは『黄金の日日』だったんだけど。1978年のNHK大河ドラマのテーマ音楽。実は私が、高校の吹奏楽部の文化祭公演で「指揮者デビュー」した思い出の曲なのだった(楽譜は某バンドジャーナルの付録)。しかし、サントリーホールで、プロのオーケストラで聴くというのはあまりにも立派すぎて、ちょっと当時のイメージとは違ったなあ。
休憩後は『ライン』。書き忘れたが指揮は下野竜也。初めて聴いたが、若々しく、それでいて非常にオーソドックスで過不足なく、バランスを取るのが難しいシューマンのオーケストレーションもなかなか上手く聴かせていて、ちょっと感心した。
| 5月8日 |
東京フィルの東京オペラシティ定期第1回を聴いた。
指揮は井上道義。いかにも井上ミッチーらしい曲目で、こんなに面白いコンサートは近年稀だというくらい面白かったが、同時にこんなに客席が空いているコンサートというのも稀だった、というのがちょっと残念(客入りは3割、下手すりゃ2割くらいか?)。1曲めは、演奏者はSax3人(プログラムによると中村均一、松井宏幸、松原孝政という顔ぶれ)にバンジョー、スチールギター(ハワイアン音楽で使うアレ)なんかも入った15人ほどで、場末のカフェみたいというか、とてもクラシックのコンサートに来たって感じじゃなかったし(20世紀の前半頃は「ジャズ」というのは軽音楽一般を指していた由)、続く『コメディア』の可笑しさを言葉でどう説明したらよいのだろう。指揮者が突然指揮台に突っ伏して泣き出したり、スコアを縦にしたり横にしたりのパフォーマンスも入り、こういうのはミッチーでなきゃ似合わんわな。
後半は舞台上の人数も増え、文句なしに充実した演奏。ショスタコの「2番」なんて、次に生で聴けるのはいつのことだろう、と思ってしまう。しっかしハチャメチャな曲だなあ。途中どんなに滅茶苦茶をやっても、最後に「レーニン万歳!」とシュプレヒコールの一発も入れれば社会主義リアリズムになりまっせ、みたいな。1月に都響で聴いた「3番」の時もそうだったが、舞台上はCD録音とおぼしきマイクセッティングだった。マーラーに続いてショスタコの交響曲全集でも録るつもりなのかな。
今日の席はほぼステージの真上にあたる3階サイドのバルコニーだったが、この席、とにかくステージが見えないこと。普通に座ってると舞台の3分の2は視界の外だ。音はそれこそ文句なしに良いんだけどなあ…
| 5月5日 |
「音の輪」本番を終わらせたあと、打ち上げ会場に向かう皆と別れて西湖でのリサーチ合宿に向かい、今日は朝から夕方5時まで1日パート練習指導に暮れたあと、家の近所に住んでいる団員さんの車に同乗させてもらって帰ってきた。東富士五湖有料道路→東名というルートだったが、覚悟していた渋滞もほとんどなくて、ちょっと拍子抜け。7時に飯を食い終わってバーミヤン河口湖店を出て、9時前には家に着いていた。
さて、短い連休も、練習→本番→合宿という怒濤のメニューをこなして終わろうとしているが、その割にはあんまり充足感というか達成感がなくて中途半端な気分だ。やはりアマチュアたるもの、本番が終わったら打ち上げにも出ずに即別の仕事、なんていうプロの真似事みたいなことをしてはいけませんな。なにしろ打ち上げがちょうど最高潮の頃の昨夜7時半というと、ガラガラに空いている富士急電車の車内で(窓の外は真っ暗闇)、退屈で仕方なくて今日聴きに来てくれた人たちにお礼の携帯メールを打ったりしていたのだ。「寝過ごさないでね」と返信メールをくれたUちゃん、ありがと。(約1行私信)
本番そのものは、毎度ながら一種の躁状態の中みたいものなので、日常の冷静さが戻ってきた後では定かに思い出すことができない。ロビーで演奏した「カメオ」はなかなか爽快だったような気がする。疲労でボロボロだった初演の時より自分のやりたいことが出来た、というか。
『法華経』はどうだったのかな。
| 5月3日 |
初夏のような好天の1日、「音の輪」最終練習。今年もまぁ、色々、あることだ。
午後1時に始めた合奏が5時半には終わるんだから、昔の「音の輪」の本番直前の突貫工事を覚えている身としては、楽になったもんだ、とは思うが。
明日の本番に向けての全体打ち合わせが終わった後、居残ってロビーコンサートの練習。やっととめちゃん師が現れてメンツが揃ったと思ったら、今度はバリトンN子嬢が熱を出して死んでいる。いやはや。
私も昔、バンドと(開演前の)カルテット、という演奏会本番の日に39度近い熱を出したことがある。ゲネプロはとにかく楽屋で寝て過ごし、カルテット本番だけは気合いでこなしたものだった。あっ思い出した。その時も、とめちゃん氏がメンバーだったのだ。聴きに来てくれたお客さんとの会話。「Thunderさん今日はおとなしかったですね」「熱出してたんだよ」「でも、それでちょうど良かった」「とめちゃんも熱出せば良いのに」などと。
合奏を終えたリード博士が、カルテットの練習を聴いてくれた。全体的には非常に誉めて戴けたが、tenor
が a little bit louder
だと言われた。ちなみにテナーはとめちゃん氏(笑)。

それにしても、作曲者がすぐ近くにいて指揮のような身振りをしている前で演奏するというのは、非常にイマジネイティヴだ。この曲(これ)の5楽章なんか、本当に軽くて easy な雰囲気なのだ、ということを実感する。今まではちょっと吹きすぎだったな。
本番のプログラム冊子が今日配られた。来年(第16回)の音の輪では、実は私、ソロをやらせて貰えることになっていて、早速裏表紙に予告が載っていた。都響の高橋敦さんと一緒に名前がクレジットされているというのは、ちょっと、すごいな。というか、まだ実感がない。→こちら(5/6up)
さて、明日は早いぞ。そろそろ寝よっと。
ちなみに終演後は、そのまま西湖へ向かいリサーチの合宿に合流予定。やれやれ。我ながらプロの楽隊みたいな生活してるよなあ。