2003年

4月28日

キャトル・ロゾーを聴きにみなとみらいへ。
このくらいの響きのよい小さいホールで聴くプロの演奏はやはり、いいな。公式見解はこちら

学生&関係者ばっかりの客席に、なめら〜かメンバーの銀ばり吹きN子嬢、テナー吹き君、Saxネット界の有名人ニジマス嬢、私、という4人がどういうわけか集まってしまって、皆で楽屋に押しかけたりして盛り上がったのだった。
「カルテットが出来る顔ぶれだね」ということになって、名前は?曲何やろうか、などと、ひとしきり。

名前ねぇ…キャトル・ロゾーの演奏会の日に揃ったメンバーなので、「キャトル・揃ー」かな?(←却下)

4月27日

今日は「音の輪」練習。リード御大の登場に備えて午前から木管分奏など。ワタシ的には久々にプレイヤーモード全開状態。

2時過ぎ、リード博士登場。『春の猟犬』、『法華経からの3つの啓示』、新作『Music in the Air!』の順で合奏。
昨年の交響曲第3番ほど技術的には難しくないとはいえ、近年屈指の充実度のあるプログラムだと思う。どうして『法華経』って、こんなにすごい曲なのに人気ないのかなあ?「法華経」って名前が敬遠されるんだよ、きっと。などと、これは休憩時間になされた話。
はちびゅおんぷ、みじかく」「付点はちびゅおんぷ、Noみじかく」などと、もはやお馴染みとなった指示の数々。5時近くまで休憩1回程度でびっしり振り通し、こっちはもうヘトヘトになっているのに、リードさんの方は夜に次の団体のリハーサルがあるんだそうだ。いやはや。

リードさん(82歳)の指揮ぶりを見ていると、先日まで何度も見たフルネの姿の二重写しになってくる。『法華経』は8年前(オウム事件の直後だった。もうそんなになるのか)にも一度演奏しているけど、その時より明らかにテンポが落ちて「巨大化」している。誰かが言った、「日没前の太陽の巨大さ」のように。あるいは、星がその生涯の終わり近く、赤色巨星となって輝くように。さて、あと1回の練習で、どこまで行けるか。

あと1回の練習…といえば、今回開演前のロビーでカルテット(曲目は当然ながらこれ。勿論抜粋だが)を披露することになっているんだけど、珍しくもテナーを吹くとめちゃん師の顔を、もう1ヶ月以上見ていないのだった。今日はとりあえず合奏終了後代吹きを立てて練習はしたが、こちらもどうなることやら(最近はもう慣れてきたが(^^;)。

4月19日

午前、久しぶりにヤナギサワクロッシュへ。(疲れの溜まった身体に早起きは辛い)
調整してもらったばかりの楽器は吹いていて気持ちがいい。作業が上がったあと、試奏用の小部屋で試し吹きをするのだが、時間を忘れていつまでも吹いていたくなる。しかし、どっちかというと調整が必要なのは吹き手の身体のほうかもしれない(^^;。

サントリーホールへ移動して、都響プロムナードコンサートを聴く。

素敵なプログラムだ。ベートーヴェンを弾いたエマールがまたとんでもないピアニストで、聴く前は凄腕の現代音楽スペシャリスト、というイメージだったが、到底そんなもんで済む存在ではない。めちゃくちゃに腕が立つ上に、とにかく音が綺麗だ。感性と論理と技術が完全に一致している音楽家、という印象。なんでもアーノンクールと組んでベートーヴェン の協奏曲全集のCDを出したそうだが、こういう人はたとえどんな指揮者と組んでも、自分自身の音楽性と指揮者の方向性の折り合いをつけて、ベストフォームで聴かせちゃうんだろうな。そして、「上手い」演奏家が皆そうであるように、この人もまた、ステージマナーが全く自然で普通だ。「やあやあ、どうもどうも」って感じで舞台に出てきてそのまま座り、そしていきなり人間業と思えないような音色と技巧を繰り出してくる。この曲のみ、目の回復が思わしくないフルネに代わって梅田俊明が指揮をした。この人もまた、なかなかの桐朋系テクニシャンだ。あまりにも「振れる」ため、破綻がなくてつまらない、という贅沢な不満もあった。稀なる秀才同士のセッション、というか。とにかく、逸材には違いない。
休憩後はお待ちかね、フルネ・サウンドが全開。サントリーホールに響いた、輝かしく色気のある音色!
『アルル』のサクソフォンは宗貞啓二氏。さすがの音色。「メヌエット」のフルートは都響首席奏者のひとり寺本義明氏。これがまた絶妙というか、絶品というか。非常に微妙なテンポの中で、緊張と集中と解放とが全て存在しているソロ。『アルル』は何度も聴いているけど、こういうフルートは初めて聴いたぞ。
後で聞いた話では、練習の時フルネさんは「17歳の時、フルートを勉強していた頃を思い出した」と言ったそうだ(フルネは元々、フィリップ・ゴーベール門下のフルーティストである)。フルネ17歳ということは、今から73年前…(!)

会場を出ると雨だった。しばらくすると止んで、夕暮れの空には大きな弧を描く見事な虹。

家に帰ったら、コレジオ・サックス四重奏団の自主制作CD「オズの魔法使い」が届いていた。CD-Rかなと思っていたら、ちゃんとプレスCDじゃないか。
冒頭に入っていたパーセル『妖精の女王』がすごく印象的で、さっきからそればかり繰り返し聴いている。…うんと古い時代の曲と現代の曲が混在したアルバムを聴くと、ときどきこういう事態が起こる。昔聴いた、フィリップ・ジョーンズ・ブラスアンサンブルの「グリーンスリーヴズ」というLPを思い出した。A面がファーナビーやジェルヴェーズの舞曲集、ウィリアム・バードの『ソールズベリー伯爵のパヴァーヌ』といったルネサンス時代の曲で、B面が20世紀の作品だったのだが、A面ばっかり聴いていたものだった。というか、A面を聴き終わると引っくり返してB面を聴こうという気がしなくなるのだ。なんでだろ〜。
仮説。あまりに古い時代の音楽は、それ自体「時間」や「時代」というものを超越してしまう。だからその直後に新しい音楽を聴くと、そこにまだ付随している「時代性」というものを非音楽的なものとして排除しようとする。

現代の音楽でありながら「時代性」を削ぎ緒とした音楽、というのがあるとしたら、どんな音楽だろう。

4月15日

都響定期第2夜(サントリーホール)。今日は意地で最初から聴いた。

私の斜め前に、フルネとよく共演しているピアニストの伊藤恵さんが座っていた。フランクの終演後、涙を流しながら両手を頭上に挙げて拍手していた。…なんだか、こっちまで涙腺が緩んでしまいそうだニャ。

フルネ=都響の実演を初めて聴いたのは、1984年暮れの「第九」公演だった。前プロがトマジの『典礼風ファンファーレ』だったというのがいかにもフルネらしいが、このときはあまり印象が残っていない。その真の実力を初めて認識したのは、翌85年秋の演奏会だった。今でも覚えている、ビゼーの交響曲第1番、ドビュッシーのイベリア、ルーセルの『バッカスとアリアーヌ』第2組曲というプログラムだったが、このルーセルが凄かった(はっきり言って去年聴いたデュトワ/N響なんか比較にならない)。さらに翌86年春のラヴェル『スペイン狂詩曲』、桐朋学園オケを振ったルーセルの交響曲第3番(このときの話は以前にも日記に書いた)と、立て続けにノックアウトを食らって、以来現在まで続く「追っかけ」が始まったのだった。あれからはや20年近く。こんなに長いこと聴き続けている指揮者が、今も変わらず毎年聴くことが出来ているということ自体、なんだか不思議だ。風貌も、ちょっと足を引きずる歩き方も、ほとんど20年前と変わらない。近年は「現役世界最高齢指揮者」と持てはやされて、とにかく地味だった昔に比べたら一般的人気も出てきたが、それでもカール・ベームや朝比奈の晩年のカリスマ的人気とは全く異なり、なんとも慎まやかなものだ。まあ、良かろう。フルネにはああいう「音楽とは関係のない熱狂」は似合わない。だいたい鄭明勲や佐渡某みたいな指揮者に人気が集まる日本のクラシック界で、彼らとは正反対の資質の持ち主であるフルネが同じように人気を博す、ということは、あり得ない事態なのだから。(ちょっと暴論か?)

昭和の最後の秋、フルネ/都響のサン=サーンス『交響曲第3番』のCD(DENON)が発売された時、「音楽の友」に載った批評をよく覚えている。「フルネやコシュラー指揮の都響の演奏会を毎回楽しみに通う人は、数の上では決して多くないが、それは東京の音楽愛好家の中でも最も鋭敏な耳を持つ人々である。彼らは、オーケストラの明晰な響きというものがどういうものか、知っているのである。…」
普段は批評家の言うことなんか全く信用しない私だけど、この記事を読んだ時は単純に嬉しかったな。まるで自分が誉められてるみたいでさ。

この当時のフルネの音楽と、高齢により「巨匠化」の進んだ今のフルネの音楽とは微妙に違ってきているような気がしなくもない。まあ、ここまで来たら細かいことはもう、どうでもいい。機会のあるかぎり聴きたいと思う。それだけだ。

4月14日

相変わらず忙しい。今日は都響のシーズン開幕の日なのだが、仕事が夜7時半を過ぎても全然終わらない。なにしろ今日は都響名誉指揮者ジャン・フルネの客演で、しかもフルネ氏90歳の誕生日でもある。終演後は会場(東京文化会館)ロビーで軽いバースデイ・パーティも予定されており、出席の返事もしてある。う〜〜っと唸り続けたあと、同じく残業していた同僚に「10時過ぎに戻りますから」と言い残してエイヤッと上野へ。ちょうど前半が終わって休憩に入ったところだった。
後半はフランク『交響曲』。いや、ちょっと言葉がないような「深い」演奏だった。極限のような遅いテンポで「粛々と」進む。しかし決して停滞しない。リタルダンドを一切せずに消えてゆくフォーレのレクイエムの終結部分を思い出した。世に数多いフランクの演奏とはまるで違う響きがする。…それにしても、なんという巨大な音楽、そしてなんと美しく、献身的な演奏だろうか!

何度めかのカーテンコールで、コンマス矢部達哉氏が合図を出してオーケストラが「ハッピーバースデイ変奏曲」を演奏。場内大喝采。感動的な光景だった。

パーティはロビーに400人近い人々がごった返す盛況。シャンパンが振る舞われ、フルネ氏が家族(ご子息と2人の娘さん)と共に入場。拍手をしたいけどグラスを持っているので出来ず、足を踏み鳴らす。矢部氏の乾杯の音頭が印象的だった。
「…オーケストラというのは不思議な集団で、意見がまとまるということがまず無いんです。本番の舞台の上は別ですけど、普段は100人の意見がひとつになることなんてあり得ない。しかしフルネさんに関してだけは別です。例えば都響の皆さん、フルネさんを尊敬している人、手を挙げて!(会場の一角から一斉に「ハーイッ!」と元気な返事)フルネさんがだ〜い好き、って人手を挙げて!(同じく)…という調子で、フルネさんに対する我々の気持ちというのは極めて例外的に完全にまとまっています。これは奇跡と言っていいと思います。ぜひ95歳、100歳の時もこういう演奏会ができたらいいと思います。」
ちなみに、ClassicNewsにパーティの様子がupされていた。→ こんな感じ

会場が混みすぎていてほとんど動けず、あんまり顔見知りの方々には会えなかった。なめら〜かのA君に会ったくらいか。30分ほどで打ち上がった後はすぐ会社に戻り仕事の続き。結局終電帰りだった。新橋発蒲田行きの終電って0:52なのね〜。いっはい残業が出来るわなあ(爆)。

4月5日

フランス国家警察音楽隊のLP、Le classiques de l'orchestre d'harmonie(2枚組)を用賀のMBレコードで入手。
予約していたのは2ヶ月近く前なのだが、MBレコードは土曜日しか店頭営業しないので、なかなか取りに行く隙がなかったのだ。

右は昨年やはりMBレコードで購入した、ギャルド木管アンサンブルのLP2枚。ミシェル・ヌオー(Sax)のソロが聴ける。

フランソワ=ジュリアン・ブラン編曲のバッハ『パッサカリアとフーガ』が聴けるという話を聞きつけて注文したレコードだったが、果たして期待どおり。ブートリー就任以前のギャルドみたいな、昔ふうのフランスの軍楽隊の音がする。P1978という版権表示だったが、こんなものが今の時代新品で手に入るのだから、ちょっと感動してしまう。
レコードって、回っているところが目で見えるのがいいな。改めて思ったのだった。

あと買ったのはCDを2枚。まずはブートリー指揮ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団によるAlternances。ブートリー作曲の、サクソフォン五重奏と吹奏楽のための表題曲(1987年のギャルド来日公演で日本初演された)も勿論目当てだけど、なんたってギャルドがヒンデミットの交響曲やシェーンベルクの『主題と変奏』を演奏しているとなったらちょっと聴きたいでしょ。昔のギャルドだったらありえないことだ。こういうレパートリーを、アメリカのバンドに負けないテクニックと、ヨーロッパのバンドならではのサウンドで再現出来るという路線がおそらく、「ブートリー改革」の集大成ということになるんだろう。その路線自体は成功を収めているとは思う(シェーンベルクがこんなに美しい曲だったとは!)。しかし正直なところ、さきの国家警察バンドみたいなローカルな音色のほうが私は好きだ。

もう1枚。先日入手したハンガリー盤CDに入っていたミヨーの吹奏楽曲について調べていたところ、7人のフランスの作曲家による合作の吹奏楽曲『七月十四日 Le 14 Juillet』の存在に行き着いたのだが、パリ警視庁音楽隊による全曲盤があったので購入(2枚共Colleria)。イベール、オーリック、ミヨー、ルーセル、ケクラン、オネゲル、ラザリュスLazarus。ロマン・ロランの革命劇のための音楽だそうだ。フランス人の合作好きは既知のことだったが、吹奏楽曲にもあったとは。
ロマン・ロランについてネット上でいろいろ調べていたら、こんなページを見つけた(リンク先の下の方「アメリカへの警告」)。ちょっと読んでみてほしい。このしょうもない戦争の続く情勢下、これが1926年に書かれた文章だとは全く気がつかないんじゃないか。…いやはや、アメリカって国はこの頃から、何一つ変わっていないらしい。

さて、午後は「なめら〜か」練習。出席者が4人しかいなかった(=_=;)。
帰りはその4人でバリトンN子さんのマーチに同乗、身動きの取れない車中でスヴェトラーノフ/USSR国立響ローマ三部作を鳴らし、ゲラゲラ笑いながら帰路につく。…しかし、ワタシもこのCD買ったけど、最初に聞いた時は笑い転げたけど、2度聴いちゃうと3度は聴かないだろうなあ、ってところ。