2003年
| 1月30日 |
都民芸術フェスティバル(オーケストラシリーズ)が開幕した。
これは毎年1〜3月にかけて、東京の8つのプロオーケストラ全てが参加するコンサートシリーズで、チケットが安いので以前から時々単発で聴きに行っていたけど、今回は割と面白そうなプログラムが多いこともあり、思い切ってセット券を申込んでみたのだ。在京プロオケ全部を同じ会場(N響だけ違うけど)の同じ席(東京芸術劇場の2階)で聴き比べるというのは楽しそう。
ちなみにセット券は毎年人気で、1日で売り切れてしまうらしい。今回の場合は発売日の昼休みに日演連(主催元)に電話してみたらあっさり繋がって買えたけれど、その日の晩に日演連のサイトを見てみたら既に「セット券売切れ」の文字が(@_@)。…うーむ、一発で取れたのはもしかしてビギナーズ・ラックってやつ?
さて、本日第1夜は日本フィル(藤岡幸夫指揮)のチャイコフスキー・プロ。
「白鳥湖」は40分ほどの抜粋版だったが、楽しく聴けた。日本フィル、とにかく「元気」なオーケストラだ。金管の鳴らしっぷりとスタミナの持続がすごい。もうちっと丁寧に吹いてほしいところもあるが(^_^;。弦パートは、低弦は充実しているが(「パ・ダクシオン」のチェロソロも見事だった)、比較してヴァイオリン群が薄いというか、妙に埃っぽい音なのが気になる。席のせいかな? ま、それはおいおい明らかになるだろう。
アンコールにエルガー「夕べの歌」。
| 1月25日 |
休日。午前中、最近買って積んであったCDに一気に耳を通す。(あっ、偶然にもみんな管楽器系だ)
Romantic〜フォーシェ/交響曲ほか ウィスコンシン・ウィンドオーケストラ(Mark Custom) メンデルスゾーンの『吹奏楽のための序曲』、ワーグナーの『葬送音楽』と『感謝の行進曲』といったロマン派の吹奏楽曲を収めた1枚。版元情報やCD番号はジャケットの背中に小さく印刷してあるだけで、ちょっと出所不明っぽいCD。実はポール・フォーシェの『交響曲』は私の大好きな曲で(この曲を知る人の多くがそうだと思うが、初めて聴いたのは25年くらい前の関西学院大学のコンクール実況録音だった)、大阪市音以外の音源を見つけて驚いて買ってきたもの。
演奏は…、残念ながら大阪市音には到底及ばない、ってところか。市音のCDではあれほど魅力的な微妙なハーモニーと音色の移り変わりが、この演奏では全然面白くない。ただ音をなぞってるだけ、って感じ。ちょっと失望。他の収録曲が貴重なので中古屋送りにはならないとは思うが(^^;。
ワルキューレの騎行〜イタリア・シンフォニックバンドの栄光(BMG) 某掲示板にて、お世話になっている長野県飯田市在住のレコードコレクター・木下さんが推薦されていたCD。イタリアのカラビニエリ吹奏楽団によるクラシック名曲集。102人の大編成で、往年のギャルドもかくやという感じの光彩陸離たる音を出している。ヘタなオーケストラよりずっと色彩的だ。…思ったのだが、国立音大ブラオケをはじめとする日本の大編成バンドというのは(昔の○サーチ合奏団なんかもそうだったのだろうが)、昔のギャルドやカラビニエリみたいな、こういうサウンドを想定して編成されたのだろう。アメリカ由来の「ウィンド・アンサンブル」の発想とは対極の、贅沢。まさに「贅沢」だ。こういうのを根付かせるのは難しい、というより、ほとんど不可能に近いのかも…
最後のトラックの、カラビニエリ公式マーチというのが妙に耳について離れない(^^;。
トゥールーズ木管五重奏団(Fontec) 中古店で偶然入手。藤井一興(ピアノ)をゲストに、ルーセルのディヴェルティスマン、プーランクの六重奏曲、ミヨー『ルネ王の暖炉』、ダマーズ『17の変奏曲』、イベール『3つの小品』という魅力的なプログラム。どういう人が手放したんだろ。
1992年の録音だそうだが、ちょっと驚くほど昔ふうのフランスの音がする。さすがトゥールーズ。中古で手に入ったからいいけど、定価が3100円というのはちょっと買い控えちゃう値段だなあ。そのせいであんまり知られてないとしたら残念。
無伴奏チェロ組曲第1番〜第3番 ブリュッヘン(リコーダー)(山野楽器) ブリュッヘンというと今は指揮者なんだろうが、私にとっては厳然と「リコーダーの人」だ。70年代の日本のリコーダー・ブームの立役者のひとりだったし、テレフンケンから出ていた「涙のパヴァーヌ」というLPはベストセラーだった(勿論私も愛聴していた)。今CDで出ているやつとは微妙にカップリングが違うんだよね。ヴィヴァルディの『忠実な羊飼い』をCDで聴きたいんだけど。
さて、ブリュッヘン自編の「チェロ組曲」。日本で録音されたものだそうだ。こんなものがあったとは知らなかった。山野楽器オリジナル・レーベルで発売されている。なかなかすごい演奏だ。管楽器でバッハを吹こうという人は是非聴いてみるべし。清水靖晃とか聴くよりよほど参考になる(と思う)。
床屋に行った後(前に行ったのは「なめら〜か」演奏会の前日だったから3ヶ月以上ぶり)、銀座ヤマハへ。雲井雅人四重奏団のCD「マウンテン・ロード」発売記念の店頭イベント。床屋が混んでいて出遅れ、着いた時にはもうかなりプログラムが進んでいた。
さすが雲井カルテット、あんまり今風の音ではないけれど、実に快い響きがする。1階、中2階まで鈴なりの人・人(オリタノボッタさんの姿があった)。このお客さん達の中に、昔の自分がいるような気がした。金を払って人の演奏を聴くという発想があんまりなかった学生時代は、こういう無料イベントやご招待応募を探してはそういうのばかり聴いていたっけ。生まれて初めてサクソフォン四重奏を聴いたのは、掲示板にも書いたような気がするけど、そんなふうにして知った(この銀座ヤマハからほど近い)日比谷公園の小音楽堂だった。
最後はCDのタイトル曲『マウンテン・ロード』のさわりでコンサートを締め、アンコールにバッハのパルティータよりメヌエット。サイン会の列に並び、4人全員のサインを貰って帰る。
| 1月24日 |
N響定期を聴く。開演時間ギリギリにNHKホールに入り、いつものように3階自由席へ。
今日の曲目は、外国人歌手3人を招いての『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』ハイライト。
なかなか充実した、「渋い」演奏。客受けはいまひとつだったようだ。あまり馴染みのある曲目がなく、とり上げられた曲もなんだか、あともう少し聴きたいのに、というところで終わってしまう感じがしたせいか。イルジー・コウトの指揮もまた、音楽の外面的な派手さより、心理的な掘り下げに力を注いでいるように思えた。歌手3人はすごい。ワーグナー歌いというのは普通の人間とは違うそうだが、確かにそうだ。
…と思っていたら、後日ネット上で今回のコンサートの感想をいろいろ見ていたところ、「歌手の声量が足りない」と書いている人が複数いるもんで、ちょっとびっくり。私が座っていたのは3階の一番上に近い天井桟敷だけど(しかも舞台の上のオケは16型フル編成)、そこまで声がビンビンと通ってきていたぞ。あれで物足りないなら、いったいどんな声を出せというんだろ。…「オペラ雀」の方々って怖いなあ。
| 1月23日 |
今日たまたまAPIのサイトを見ていたら、アルフレッド・リードの作品のオーケストラ編曲譜が出たことを知った。不意を突かれたという感じで、びっくり。あんまりない事態だ(そういや最近『指輪物語』をロンドン交響楽団が演奏しているCDつうのを見かけたが)。作曲者が自分で編曲=改作するというのは時々あるけど。今回は言い出しっぺは誰で、どういう経緯で実現したことなのか、ちょっと気になる。
編曲者のロバート・ライカーとは何者だろうと思って検索してみた(スタートレック関係のサイトが大量に引っかかった(^_^;)。元モントリオール響のテューバ奏者で(やっぱり管楽器吹きか)、日本でもかなり長いこと活動している指揮者らしい。国際交流基金のサイトに、1998年当時の日本のオーケストラ界の現況を極めて詳しく要領よくまとめたレポート(こちら)を書いているのを発見した。…ふうむ。こういう物の考え方ができる音楽家は只者ではない、という感じがする。
「パイパーズ」最新号に、シュトゥットガルト放送響トロンボーン奏者山本雅章さんの訃報を見て、しばし呆然。まだ56歳!…パイパーズ誌には創刊1年めくらいの頃に初めて登場されたはずだが、その記事は20年経った今でも表紙の写真をありありと思い浮かべることができるほど印象的で、繰り返し読んだものだった。ドイツでこんなふうに頑張っている日本人がいるという事実、何より氏の考え方、あまりにも真摯な生き方そのものに深く感銘を受け、大学生だった自分はものすごく勇気づけられた記憶がある。
一面識もなかった方なのに、まるで親しい友人か恩師が亡くなったかのような欠落感を感じている。一昨年のシュトゥットガルト放送響の来日公演を聴き逃したのが無念。…
| 1月19日 |
新橋の職場を休日出勤の途中抜け出して、開演中のアマチュア室内楽フェスティバル(ACF)2003第2日を聴きに銀座に出る。大トリに顔見知りの「アンサンブル・カテナリス」の面々が出場しているからだ。過去ずっとカザルスホールで開催されており、カザルスホールの存在と不可分のような催しだったのだが、昨年秋のホール閉館に伴い、王子ホールに会場が移った。催しが続いているのは何はともあれめでたい。
カテナリスの曲目はラヴェル『クープランの墓』よりプレリュード、リゴドン。とても美しい響きだ。バランスも万全。演奏の良さも勿論だが、ホールの響きがサックス向きなのと、ラヴェルという作曲家のハーモニー自体がサックスの音色に親和していることの相乗効果かな。
いつもながら、司会者(朝岡聡氏)のちょっとうるさいトーク(まあ、これはこれで良いが)に、お客さんの軽妙な反応。なんというか、出演者、主催者、お客さん共々、とてもエスタブリッシュされた世界。
我らが「なめら〜か」は今回も応募して落選したんだけど、ウチが審査を通るのは果たしていつのことになるのやら。上手い下手の問題じゃなく、ウチがこういうエスタブリッシュされた世界に到達するのはまだまだ果てしなく先の話だよなあと思えて、気が遠くなるような思いがするのだった。なにしろまだ、「室内楽」の団体、という前提にすら達していないのだから。
会場でなめら〜か団員のN子さんに会った。他のみんなも聴きに来ればいいのに。聴いて、それでもって自分たちに何が決定的に足りないのか、少し考えたほうがいいと思う。
仕事に戻る途中、山野楽器に寄って、今年のCD初買い。急いでいたこともあり大したものは買ってないが。
ウェーバー作品集(舞踏への勧誘、オベロン、魔弾の射手、クラリネット小協奏曲ほか) J.B.マリ/パリ音楽院管ほか(Mandala)
パリ音楽院管(1961年録音・ステレオ)のウェーバー!こんなものがあったとは知らなかった。ドビュッシーが愛した「オベロン」の世界が古き良きフランスの音色で聴ける。
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲全集 コラール(Pf)、プラッソン/トゥールーズ管(EMI) 昨日ラフマニノフを聴いて感動したのだが、ウチにはラフマニノフのピアノ協奏曲のCDが1枚もないことに気がついた(^^;。とりあえず3番を探してみたのだが、一番安かったのがなぜか77年録音のこの全集盤だった(2枚組1180円)。ホルンソロにヴェスコーヴォの名前がクレジットされていたこともあり、これを購入。
| 1月18日 |
12日の日曜日は毎年恒例「音の輪」の結成式だったのだが、終わってゴハンを食べている頃から急激に体調がおかしくなってきて、結局13日は1日寝ていた(休みで良かった)。食中毒かと思うくらい吐き気と下痢がすごかったんだけど、まる1日ちょっとで回復。消化器系の風邪だそうで、小児科方面では「幼児性嘔吐下痢症」(^^;と呼ばれているらしいということが判った。幼児に限らずすごく流行っているようで、我が家は一家全員やられたし、職場にも一人犠牲者が。皆さん気をつけましょう。うがいと手洗いを忘れずに。
今日は「なめら〜か」練習。久しぶりに少しはまともな練習が出来たような気がする。
4時半で練習を終え、まっすぐサントリーホールに向かう。クロークに楽器を預けて、今年最初の都響定期を聴く。
指揮は井上道義。ミッチー得意のショスタコだが、「3番」とはまた珍しい。「交響曲」とは呼びがたいようなちょっと支離滅裂な曲だけど、演奏はさすがに見事だった。手際がよくてスマートで、ある意味健康的なショスタコーヴィチ。かといって軽すぎる訳でもなく、何よりも音色! この音色が聴けるから自分は都響の会員を続けているんだな、ということを再確認した一夜だった。
前半もなかなか良かった。初めて聴いたニコライ・ペトロフというピアニストにはびっくり。リンゴ型肥満(^^;の巨体から、華麗なフォルテから信じられないような繊細で暖かくなめら〜かな響きまでもが流れ出てくる。ラフマニノフになんと似つかわしいことか! スヴェトラーノフが指揮をした時の音楽づくりを思い出させるというか、まさにロシアン・ピアニズムを体現するかのような演奏家だ。是非もう1回聴いてみたい。スクリャービンの協奏曲なんか似合いそうだが。
| 1月8日 |
年が明けて最初に聴いたコンサートは、東京フィルの定期(サントリーホール)。指揮はチョン・ミョンフン。全席完売の盛況。曲はブラームスのヴァイオリン協奏曲(Vn樫本大進)に、ベルリオーズ『幻想交響曲』。最初からなかなかゴージャスでよろしい。
大進君は弾いている姿がものすごくひたむきでカッコいい。決していわゆる「美音」の持ち主ではないような気がするんだけど、目の前数メートルでああいうふうに弾かれたら(席がLBブロック〜ステージ真横の1列めだったので)やっぱり、ファンになっちゃいます。1979年生まれ、ってことは今年まだ24なのね。デビューが早かったせいか、もっとベテランのような気がしていたが。
2楽章、オーボエソロは佐竹さんが吹いていた。なかなか良い音。
『幻想』。1楽章はメリハリの効いた鋭い勢いの演奏に「おおっ、やるじゃん」と思いながら聴いていたが、2楽章に入るころから何となく底の浅さが気になり始めた。この曲は、ダイナミックな音響や時代離れした破天荒なドラマ性と同じくらい、繊細な部分でのエレガンスや音色の美しさ、輝かしさが重要だと思うんだが、そういう部分がことごとく目配りが無いままやり過ごされているのね(2楽章の伴奏の木管のハーモニーが全然美しくないし、3楽章のメロディを綴る高弦とフルートのユニゾンは妙に音が暗くてつまらないし、4、5楽章の金管も何か抑えられているようであんまり輝かしくないし、そのくせ所々のティンパニは絶叫に近い唐突な最強音だし…)。結局、なんだかエレガントでもなく、かといってド派手に徹する訳でもなく、そのうえ自分の興味や関心もみんな却下されてしまったような、非常に中途半端な気分で聴き終えたが、客席は大沸きに沸いてブラヴォーの嵐だった。うーむ、よく分からん。
大拍手に応えて珍しくも演奏されたアンコールは「カルメン」の前奏曲。これは良かった。こんなに短い曲なのに、ドラマティックなフレーズの運びが、音楽の流れにこのうえなく見事に乗っている。そうか、チョン・ミョンフンって、「オペラ指揮者」なんだな。だからシンフォニーだと時々空回りするのかな。…
| 1月1日 |
新しい年が明けた。
寝坊と掃除と買い物で歳末を過ごし、年賀状は30日の朝に投函し、元旦は外に一切出ないでのんびり過ごす。昨年中のクソ忙しい日々は何だったんだろう、という感じ。人間てのはいかに本来怠惰な生き物かってことを実感する、と誰か言ってたけど、その通りだ。
この元旦にいきなり飛び込んできたニュースは、ダニエル・デファイエの訃報だった。
たまたま見た北の四重奏の掲示板で知り、N中貿易の知人に確認を取る(新年早々すみません)。

Daniel Deffayet, 1922-2002
断片的に思い出すことはたくさんあるのだが、全然考えがまとまらない。…どこでどの位rit.してるとか、どこの音のピッチが高いとか低いとか、全て隅々まで覚え込むほど聴いた何枚かのレコード。何をどうすれば上手くなれるのか、皆目分からないままサックスをがむしゃらに吹きまくっていた十代の頃は、これらのデファイエのレコードから聞こえてくる音が自分の道しるべだった。
その当時、ちょっときれいな音を出すアマチュアのサックス吹きに対しては、「デファイエみたい」というのがお定まりの賛辞だった。…この言い回し、オレも言われたことがあるけど、今にして思えば賛辞でも何でもないどころか、「デファイエ」の本質からはいかに隔絶していたことか、と思うのだが。
1982年の秋、超満員のこまばエミナースで聴いた初めてのソロリサイタル。「夢想」「憧れ」が現実の音響として降り立った、記念すべき日だった。音そのものに「質量」が感じられたかのようなあの体験はたぶん一生忘れないだろう。
1989年の来日には、それまでのビュッフェのプレスティージュからセルマーに楽器を替えて現れ、我々日本のサックス吹きの間に少なからぬ波紋を呼んだ。だがしかし、出てくる音はやっぱりデファイエだったが。
最後の来日となった1992年、昭和音大でのマスタークラスで、フロラン・シュミットの『伝説』を吹いた学生に対し、「楽譜どおり!」と叫んで自ら吹いてみせた70歳のデファイエ。その時たまたま私も楽譜を見ながら聴いていたんだけど、本当に譜割りそのまんまの演奏で、しかもそれがなんと説得力のあったことか!…驚くほかなかった。
そう、デファイエこそが私の「神様」だった、と今はっきりと思う。そして勿論、私ばかりでなく。
ミュールの100歳に比べたら80歳なんてまだまだ若いのに、と思ってしまうのだった。
ここに至って、サクソフォンの20世紀フランス流派の演奏スタイルは遂に完全に終焉したことになる。残念、としか言い様がない…