2002年
| 9月21日 |
朝、会社へ。とっとと終わらせて「なめら〜か」ゲネプロに行きたいのだが、気ばかり焦って単純なミスや勘違いに気付かなかったりしてなかなかはかどらない。待っているお得意さん(今日は休みではない)から30分おきに催促の電話がかかってくるし。
正午を大幅に回って、やっと解放された。
ゲネプロ会場のJくんに電話を入れてみると、向こうでも午前中のカルテット練習のメンバーが大遅刻したり体調崩してたり行方不明になってたり(ヲイヲイ)、なかなか悲惨な状態のようだ。私も午後1時のアンサンブルの出番には到底間に合わない。
ゲネプロ会場の本郷台へ急ぐ。新橋から東海道線に乗って、大船で乗り換えて戻る。2時半近く、会場の栄区民文化センターに到着。とにもかくにもゲネプロ開始。なにしろ初めて全員揃ったつうことで、やりたいことはいっぱいあるのだが、時間がないのでとにかく通す。
4時45分ぎりぎりまで吹き続け、5時で撤退。
今度は夜(トッパンホール・7時開演)のトルヴェール・クヮルテット演奏会へと急ぐ。帰宅組の女性陣と一緒に東京方面へ。大船に出たら東京行き快速アクティにうまいこと乗れた。
東京→お茶の水と乗り換え、飯田橋着。開演時間が迫っているので早足で歩く。トッパンホールは駅から結構遠く、楽器2本持っている身にはなかなか辛い。7時ぎりぎりに到着、楽器をクロークに預けて着席。ほぼ満席の盛況。客席数のわりには広々とした感じのホールだ(カザルスホールよりキャパが少ないというのが不思議なほど)。客席には友人知人、久々に会う人や、北は北海道から南は高知の坂本龍馬軍団(うち1人は2月にお会いした)まで、地方在住のためなかなか会う機会のない方々など、いろいろ。来るかな〜と楽しみにしていた須川パパにはお会いできなかったが。
しかしトルヴェールも15周年か。私、平成元年の正月に聴いた第1回のリサイタルというのを実はよく覚えているのです。当時は大室勇一先生が亡くなって半年くらいしか経っていなかった頃で、演奏会の雰囲気も何かハメを外したいんだけど敢えて踏みとどまっているような、不思議とストイックな気分があった。アンコールも大室先生編曲のシューベルト「ロザムンデ」1曲だけだったし。
あの時のストイックな姿がトルヴェールの原点だと長いこと思っていたし、実際そうなのだろうと思う。十何年も経てば変わるものは劇的なまでに変わるけれど、変わらないものは変わらない。当り前だが。
終演後、昔のカルテット仲間(やはり平成元年のTQデビューリサイタルを一緒に聴いている古い友達)のY子さんと久しぶりに長いこと話をしたけど、同じことを言っていた。当時も今も、信頼できる仲間と充実したカルテット活動が出来ているし、演奏会に行けば友人に会えるし、そういう意味では何も変わっていない、と。
私自身、この間の彼女自身の身の上にどういうことが起こったかを少しばかり知っているだけに、「そうだね、」と頷かざるを得なかった。まさしく、そうだね、と。
帰宅は11時近く。いや〜長い1日だった。
結局出勤のため手放すことにした23日のチケットは、あっさり買い手がついた。
| 9月20日 |
会社を退けた後、三鷹へ出てブランデンブルグ協奏曲全曲演奏会の第2夜を聴く。今ちょうど仕事がヤマ場で、実のところそんなことをしている場合ではなく、明日の午前中と、22日か23日どちらかが出勤となってしまった。あーあ。明日からの3連休はトルヴェールQの3daysのチケットを買ってあるし、しかも明日の昼は「なめら〜か」のゲネプロなんだぞ。しかしトルヴェールはともかく、今日のブランデンブルグ(マルセル・ミュールの故事に倣い、雲井さんが「2番」でソプラニーノSaxを吹く)を聴き逃したら絶対悔やむだろうと思ったので、無理やり行った。
結果。やはり、行って良かった。よく響く木のホールで聴くブランデンブルグは、なんだか本当に18世紀の王宮にいるかのようだった。演奏も、いい意味でアマチュアみたいなノリの良さが素晴らしい。実際、マネジメントの会社が解散するんだそうで、最後だからと演奏者みんな手弁当で駆けつけているんだそうだ。
雲井さんのソプラニーノ。
凄いことをやっている、
ということを全く感じさせない、
ということが究極の凄さである、みたいな、そういう凄さだ。う〜む、絶句。
| 9月14日 |
急に涼しくなった。というか、寒い。うっかり半袖で外出してしまって、耐えられない寒さ。10月の気候だそうだ。
ディオティマ弦楽四重奏団を聴いた(武蔵野スイングホール)。
いや、噂に違わぬ、凄いカルテットだ。あんな「強靱な」カルテットてのは初めて聴いた。
弦カルというのは我々サックスカルテット吹きにとっては永遠の憧れだけど、でもどこかに「弦には出来ないことをやってやる」的な自負というものがある訳で、たとえば弦のあの独特の「ひ弱さ」に比べたらサックスカルテットの方が豊饒でなめら〜かだぞ、みたいな。しかし今日は完全に「負け」だった。クリティカルな耳を一切忘れて、惜しみない拍手を送ったのだった。
ちなみに曲目はモーツァルト(1番)、エリオット・カーター、ストラヴィンスキー、ウェーベルン、クセナキス。ひゃあ。たまたま隣に座った女性が、クセナキスのスコアを見ながら聴いていた。ドッシャメシャな楽譜だった…。
公演の詳細がこちらにupされています。
| 9月13日 |
N響定期を聴く(NHKホール)。
デュトワ指揮のルーセルの『バッカスとアリアーヌ』が聴きたくて買った今日の定期だったが、終わってみたら一番の聞き物は『牧神』の神田さんのソロかもしれない。大きなフレーズの中で音色と表情を無段階に変化させるという、模範演技。
ホールを出ると雨が降っていた。タワーレコードに寄る。
なめら〜かのA君にばったり遭った。彼はN響A定期の会員で、今日聴いていたらしい。『バッカスとアリアーヌ』のお薦めCDはありませんかとのことだったので、取り敢えずヤン=パスカル・トルトゥリエ指揮BBCフィル(Chandos)を勧めておいた。録音が新しく、演奏も吹奏楽人好みのメリハリが効いたもので、カップリングの『くもの饗宴』共々全曲版、というのが理由。
『バッカスとアリアーヌ』の音盤は、第2組曲だけだったらクリュイタンス(定番)、ミュンシュ(異形の凄演)、ボド(あんまり知られてないが超美演)、マルティノン(シカゴ響との60年代録音の旧盤が入手し易い)などなど多士済々なのだが、全曲となるとあとはマルティノンの新盤とプレートルくらいしか知らない(あ、デュトワがパリ管を振った全曲盤も昔聴いたけど、あんまり良くなくて中古屋さんに売ってしまったのを思い出した(^_^;)。
CD屋に寄ること自体が久しぶりなので、思わず長居をしてしまった。
で、買ったCD。
ビゼー/アルルの女、カルメン、子供の遊び ケーゲル/ドレスデン・フィル(Berlin Classics)
長いこと入手困難だったそうで、マニアの間で「待望の復活!」と騒がれた話題盤。安かった(1000円)し、『アルル』にはコダワリがあるので、どんなもんだろうと試しに買って聴いてみた。…
オケをギリギリに締め上げた演奏、という感じ。たしかにユニークな解釈だ。「アダージェット」はテンポが遅くて、まるでマーラーの5番のアダージェットみたいだ。春の農大オケの本番で、舞台の上で聴いていた内藤佳有さんのアダージェット(管は出番がないのだ)もこんな感じだったな。また、『子供の遊び』の1曲め「ラッパと太鼓」。題名どおりおもちゃのラッパと太鼓による兵隊さんごっこの描写だが、この演奏だとあまりに強面過ぎて、これではまるで本物のナチスの軍隊の行進だ。そこがいいんだ、ということになるのかもしれないが。
個人的に注目のサックスソロは、音色はなんともいえず「東欧風」だけど、健闘しているほうか。よく聴くとスコアをあちこちいじっている。「間奏曲」をサックスでなくコルネットで朗々と吹くというのは(確かにスコアに豆符は書いてあるけど)ちょっとなあ。
…という感じで、面白いと言えば面白いかもしれない。ただ、世紀の名演復活!みたいなノリで大騒ぎするほどのものかしら?というのが正直なところ。分かりやすい外面的なドラマ性を評価するというのは、やはりニッポンの感性なんでしょうね。
マニャール管弦楽曲集(ヴィーナス讃歌、自由への讃歌、挽歌、序曲op.10、古風な様式による組曲) ストリンガー/リュクサンブール・フィル(Timpani)
春頃に発売されていたはずなのだが、やっと買えた。マニャール(1865〜1914)はドビュッシーと同時代のフランス人。フランク門下でワーグナーに大きく影響を受けているという、19世紀のフランスの作曲家のある意味典型的な存在で、ドビュッシーの影に隠れて忘れ去られたひとりと言えるだろう。しかしこれらは忘れられるにはあまりに惜しい、高潔で格調高い作品ばかりだ。Timpaniはなかなか手に入りづらいレーベルだけど、手軽なところではEMIからプラッソン指揮の交響曲全曲も出ているので、ご一聴をおすすめする次第。
フォーレ/舟歌(全曲)、夜想曲より3曲 ダマーズ(Accord)
ジャン=ミシェル・ダマーズ。そう、『ヴァカンス』『サクソフォン四重奏曲』の作曲者のピアノによるフォーレ。1956〜58年の録音。へええっ、と思って思わず買ってしまったが、なかなかいい演奏だ。ドワイヤンとかフェヴリエとか、一昔前のフランスのピアニストに共通する、抑制が効いた中にファンタジーが目一杯詰まっている、という印象。
Accordのフランス音楽シリーズの復刻は色々なものがどんどん出てくるので目が離せない。この夏には念願のロザンタール/パリ・オペラ座管のドビュッシー管弦楽曲集2枚組を入手したのだった。『海』『夜想曲』ほかの1枚は運良く初出時(15年以上前)に買えたのだが、残りは長年(ホントに長年だ)探していたのだ。
NAXOSの日本音楽シリーズ第4弾、橋本國彦作品集もやっと聴いた。全46分の『交響曲第1番』、すごい曲だ。こんな曲が日本人の手で60年も前に書かれ、録音もされずに放っておかれていたとは…。「マーラーの『巨人』やドヴォルザークの『新世界』のような交響曲」という宣伝文句はちと大げさかとも思うが。演奏は沼尻竜典指揮の都響。演奏自体は第1弾の「日本管弦楽名曲集」のような精緻さには今一歩及んでおらず、ちょっと残念。
| 9月7日 |
「なめら〜か」演奏会プログラムに載せる曲目解説をだいぶ前から書く約束をしていたのだが、合宿前後はやたらと忙しくて手がつかず、さすがに今日の練習に間に合わないとやばいだろうと無理やり書いた。
昨夜は仕事が長引いて帰宅が0時過ぎで、さすがに疲れていたので少し仮眠を取り、午前3時に起きて書き始め、仕上がったのが朝の7時半。それからもう1回寝て、10時半に起きて練習に向かったのだった。ふう。
ラヴェルの直弟子のピアニスト、ヴラド・ペルルミュテルが死去した。98歳。
ジャン・フルネがラヴェルの『ボレロ』のリハーサルの時に、「小さな機械、オルゴールのように」演奏するようにという指示をしていたのを聞いたことがあるが、その時に反射的に思い出したのがペルルミュテルによるピアノ曲全集での演奏だった。表情過多にならない端正なスタイルと、精妙なイントネーションのコントロールは、ラヴェルのそういう一面の、まさにそのものだった。
いま、VOXBOXから復刻されている1回めの全集録音(モノラル)の、『クープランの墓』を聴きながらパソコンに向かっている。そう、あたかも水晶で出来たオルゴールが鳴っているような、この雰囲気。
実は、昭和の最後の年の秋、日本での最後のリサイタルを五反田のゆうぽうとで聴いた記憶がある。脚がかなり弱っていて、ヨタヨタとステージに出てきて、やっとのこと座って、それでも難曲『夜のガスパール』を含むオール・ラヴェル・プロを矍鑠と弾いた。しかし当時の自分には、その真価のほとんどがまだ聞き取れなかったような気がしていて、今となっては無念だ…
| 9月4日 |
秋シーズン最初の都響の演奏会を聴く。特別演奏会「シリーズ・日本音楽の探訪」。指揮は沼尻竜典。
曲目は、現代日本音楽の演奏会としては無難なところもあるが、どれもまちがいなく「古典」として残るだろう傑作ばかりだと実感した。定期公演でとり上げても良いのでは。
別宮作品の2楽章の開始のファンファーレがすごく良い音で、今日の演奏会はこれで成功、と思ったくらいだ。基本的に軽い音なのだが、よくブレンドされて響く快いサウンド。世界のどのオケとも違う、都響ならではの音が出来上がりつつあるかも。
チェリビダッケ時代のミュンヘンフィルの名手ペーター・サドロによる、『サドロ・コンチェルト』日本初演は圧巻だった。プロレスラーみたいな巨体が、目にもとまらない速さでマレットを振るう。打楽器関係者も多く来場していたようで、私の隣の席のお兄ちゃんはスコア(大判スコア)をめくりながら聴いていた。
休憩後の2曲のラプソディはこれぞ日本音楽!という感じ。1936年作曲の伊福部作品の見事さ、独創性が今なお新鮮であることに改めて驚く。沼尻さんも、普段の端正さをかなぐり捨てた、盆踊りみたいなノリノリの指揮ぶり。88歳の作曲者も臨席で、場内はこの日一番盛り上がった。
最後は三善の『響紋』。久々に聴いたが、改めて、怖い曲だ。児童合唱が歌う「かごめかごめ」に、オーケストラの耳をつんざくような不協和音が襲いかかる。わらべ歌とか子ども向けのおとぎ話とかが本質的に持っている怖さや残酷さを、白日の下に引きずり出すかのようだ。子供時代へのノスタルジーだけでは絶対に書けない音楽。
そう、最後の「うしろの正面だあれ…」で曲が終わった余韻の中、客席で誰かの携帯の着メロが鳴った。ちょっと絶妙すぎるタイミングというか、神経の集中の頂点でこれをやられた沼尻さんにとってもかなりのダメージだったようで、拍手が起こってもしばらく動くことができなかった様子。いやはや、演奏をぶちこわすって簡単なことなのねえ、というか(^_^;。みなさま、演奏会での携帯の切り忘れにはくれぐれもご注意を。
| 9月1日 |
河口湖畔に遊びに行ってきました。
富士急河口湖駅ホームより
ほとんど雲のない快晴の空に、夏の蒼い富士が威容を見せていた。
何時、何処であれ、富士山が見えるというのは理屈抜きで気分がよいものだ。こんなに大きな姿ならなおのこと。
富士五湖地方には高校生の頃から25年間、合宿だ何だでほぼ毎年出かけているけれど、実のところ真夏(もう9月だけど)にここまで見事な富士を見たことは少ない。
大学3年か4年の時の夏のこと、当時いろいろなことがあってヘコミまくっていた気分のところを、逃げるように母校の高校の吹奏楽部の合宿へと出かけて行った。本当はやらなきゃいけないことは山のようにあった筈だけど、全部放っぽり出して来たのだった。河口湖北岸の大石荘という民宿だった。
リゾート地として開発され尽くした南岸とは対照的に、北岸の大石地区は鄙びた田舎風情がまだ残っていて、今はペンション村が出来たりしてそれでもだいぶ開発は進んだが、20年前の当時は観光客なんかほとんど来ない場所だった。河口湖駅前のバス案内所で大石までの切符を買おうとしたら、窓口のオッサンに「大石?何しに行くの?あんなとこ何もないよ」と言われたっけ。
一応OBヅラして来ていた訳だけど、別に後輩をガンガン指導するとかそういうわけでもなく、暇な時間には練習スタジオの隅っこにあったアップライトピアノに取りついて、K音大の声楽科に進んだ後輩OBの伴奏で、彼が持ってきたイタリア古典歌曲集やリートの譜面を片っ端からサックスで吹きまくっていた。
宿の前からは乾いた石ころ道が、葦の生い茂る湖畔まで続いていて、やはり今日と同じような見事に蒼い富士が、湖面の向こうににそびえていた。自分のちっぽけな鬱屈や、逃げてきたという後ろめたさが、いつの間にかどうでもいいことのように思えてきた。…