2002年

4月27日

東京農業大学農友会管弦楽団定期演奏会本番(なかのZERO)。

 舞台から客席を見る。綺麗で吹きやすい、良いホールだった。

今回の指揮者は内藤佳有(かある:ちなみに本名)さんという人。小柄な身体で指揮棒を持たずに振る。以前にも書いたように東大工学部出身という変わった経歴を持つ方だが、やはり、いかにも指揮者、という雰囲気を漂わせた人だ。指揮者という職業は、そういう人がなるべくしてなるんだな、と思わされる。「アルルの女」にはかなり思い入れがあるようだ。毎回、相当時間をとって練習していた。メインプロ(「新世界より」)はちゃんと練習できているんだろうか(いつも出番が終わると私は帰ってしまうから分からないけれど)、とちょっと心配になってしまう程だった。

3時にゲネプロ開始。6時までびっしり練習。休憩&食事(お弁当)のあと、7時に開演。こっちは「アルル」1曲しか出番がないからいいものの、全乗りの弦の方とかには結構きついスケジュールだ。
1曲めはヴェルディ『ナブッコ』序曲。やはり「アルル」1曲のみ出番のハープのトラの方と2人で、薄暗い舞台袖で緊張しながら待機する。舞台から聞こえてくる曲も曲だし、出番を待つオペラ歌手の気分。
1曲め終了。ステージに出て行き、ひな壇の上段、クラリネットの隣の定位置に座る。いい眺めだ。吹奏楽では絶対に座れない場所だな。演奏開始。途中一度、G#キーが開かなくなって焦った。ソロの箇所でなくて良かった。これがもしソロの時だったら…(ぞーっ)。
演奏終了。拍手。1人で立たせてもらえた。なかなかいい気分だ。終わってみたら、あっけないな。休憩時間に楽器を片づけ、後半は客席で聴く。大学オケというのは未知の世界だったけれど、うん、なかなかいいオケじゃないですか。

しかしオーケストラで吹くというのは新鮮な経験だった。「アルル」にはソロ以外にも何ヶ所か音符があるけれど、自分が吹く箇所は他の箇所と明瞭にオーケストラ全体の音色が違ってくる。当り前と言っちゃ当り前なんだが。
自分が吹くべき音と役割というものが(150年前に生きていたビゼーという大作曲家によって)明確に定められていて、その要求された役割をシンプルかつ正確に実現することによって音楽の再創造に参加する。大きな編成の吹奏楽やソロ、サックスアンサンブルだけで吹いていたのではなかなか実感できないことだった。実感できないことなんだけど、改めて考えたらそれは、吹奏楽だろうがソロだろうがいかなる大編成だろうが、本来「当り前のこと」なのだ、ということに気付かされるという、二重の意味で新鮮な経験だった。

緊張はすれども充実した3回の練習に、大きな本番。プロの指揮者のリハーサルの下、滅多にできない経験と様々な勉強をさせてもらって、本番は立派なコンサートホールで気持ちよくソロを吹かせてもらい、その上に出演謝礼まで戴いてしまうんだから、アマチュアプレイヤーとしてこれ以上の贅沢はないというものだ。

それにしても、この練習と本番の間、20歳近く、あるいはもっと年下の人たちに取り囲まれていた訳だけれど、自分でも不思議なほど違和感がなかったのは実に面白かった(向こうがオレのことをどう思ってるかは知らんが)。自分自身が20年前にタイムスリップしたみたいな感じだった。茶髪にしていない、髪の黒いままの若い女の子がこれだけ大勢いる集団というのも久々に見たような気がする。初回の練習の時の日記にも書いたけど、やはり、農大という学校のゆえなんだろうか。パンフレット(いかにも学生さん、ってノリの作りがまた私なぞには懐かしい)に載っている団員の専攻学科(略称)を見ても、「農学」「森林」「園芸」「醸造」「畜産」「栄養」…大自然を相手にするような、ある意味浮き世離れした専攻が並んでいる(「バイオ」なんてのもあるけど)。いいですね。

終演後のロビーでの簡単な「交流会」に出席し、打ち上げには出ずに帰宅。…気持ちよい本番だった。また呼んでくださいね。って、なかなかそういう機会もないだろうけど。

4月26日

都響定期2日め(東京文化会館)。

ルーセルの3番の冒頭は、「怪獣たちのフレンチカンカン」という雰囲気で始まる。昨日より少しテンポが上がったようだ。ホールの残響が少ないせいかな。一瞬、様子見の雰囲気があったが、すぐに安定感を取り戻した。
今回のルーセルの出来ばえは、フルネ自身が「生涯で最良の演奏」だと最終日の練習で言っていたそうだ。さもありなん。ルーセルの3番は、1990年にN響に客演した時にも演奏していたのを聴いたけれど、ここまでの仕上がりには達していなかったという記憶がある。
今日は『ジークフリート牧歌』の繊細な美しさも印象に残っている。ホルンが立たされていたけれど、私としてはオーボエ(本間さん)も立たせて差し上げたかった。チェロのフィアセン嬢、昨日はあんまり印象がなかったのだが、今日はなかなかいいと思った。派手さはないけれど、音程とかフレージングとかがすごく確実で、どんな音も弾き飛ばすことがない。アンコールにバッハのチェロ組曲4番のサラバンド(ちなみに昨日は1番のサラバンドでした)。

という訳で、今年の都響フルネ月間、めでたく終了。次は6月の日フィルか。
会場で先行発売していた、フルネ=都響の新発売ライブCD2枚を買って帰る。『幻想』『ダフニス』(Fontec)、もう1枚はデュカスの交響曲R.シュトラウスの『ばらの騎士』(ALM)。今度は日フィルとのライブ盤も出るようだ。なんか、朝比奈さんみたいになってきたな。ライブ盤をいっぱい出すよりも、ちゃんと3日なり4日なり時間をかけて納得のいくスタジオ録音を作ってほしい気もするが、今の時代なかなか難しいんだろうなあ。

4月25日

東京都交響楽団定期演奏会を聴く(サントリーホール)。
一昨日の公開リハーサル後の本番1日め。都響の定期は今まで、Aシリーズ(東京文化会館)とBシリーズ(サントリーホール)の2種類のプログラムだったが、今年度より同一プログラム2回公演となっている。

しかし、渋いプログラムだ。ルーセルの、文句のつけようのない絶妙な演奏が印象に残っている。一昨日の時点(たぶん3日間の練習の2日め)でのあの仕上がりようを考えたら納得も行こうというものだ。なんという緻密な、なんという力強い音楽だろう!
この曲の真価を知ったのも、もともとはフルネの演奏だった。15年以上前のことだけど、当時勤めていた会社のすぐ近くだった芝公園の郵便貯金ホールで、フルネ指揮桐朋学園オーケストラの演奏会があり、メインプロがルーセルの3番だったのだ。ふと当日券で入って聴いて、ぶっ飛んだ。レコードは持っていたけれど(「クリュイタンスの芸術」という1枚1500円の廉価盤LPシリーズの1枚)、いわゆるフランス音楽という雰囲気とはちょっと違うので、なかなか馴染めずにいたのだ。この曲の、大出力小型モーターみたいな有無を言わせない力感を味わうには、やはりナマに限る。

フルネの指揮は、高齢だけあって「巨匠風」に遅いテンポにはなる時もあるが、例えば晩年の朝比奈さんが時折そうだったような、棒が何を言いたいのか分からなくなる瞬間というのは絶対にない。大したものだ。
この素晴らしい演奏を、明日も聴ける。頑張って仕事早く終わらせなきゃ。今般のプログラム一本化の最大の目的は経費削減だと思うが、単純に聴く側としては聴ける曲目数が半分になってしまう訳で、2回本番にかけることによる演奏レベルの向上とか、良い演奏・曲目なので2回聴きたいという贅沢ができるとか、メリットの方が生かされることを願うところであります。

4月23日

午前中無理やり休みを取って、東京文化会館での都響の公開リハーサル(抽選に当たったのだ)を見に行った。なんたってフルネさんの練習だから、これは聴くしかないでしょ。この公開リハーサル(東京文化会館の主催行事で、年に数回ある)を聴くのは一昨年の高関さん以来かな。
1階席の中央通路から後ろと、両サイド席がほぼ一杯に埋まった。さすが平日の午前中だけあって、おじいちゃんおばあちゃんが多い。私の同世代はほとんどいなさそうだ。

曲は明後日からの定期のメインプロ、ルーセルの交響曲第3番。全部で25分弱の小振りな曲ながら、金管も打楽器もフル出場の大きな編成だ。弦セクションは両コンマスはじめ2人ずつの首席奏者陣が全員出演して第1プルトを固めた壮観。11時半、フルネ登場。冒頭から振り始め、そのまま全曲最後まで通してしまった。第4楽章のフルートの入りを少し突っ込んだものの、あとは各楽章を1回くらいずつ返して、あっさり終わった。フルネさんのリハーサルというと、何年か前に見たドビュッシーの『夜想曲』での、とにかくしつこい!練習ぶりが印象に残っていただけに、ちょっと拍子抜け。それだけ各自の準備がしっかり出来ていたということなんだけど。実際、明日が本番でも全然問題がないくらいちゃんと弾けていたし。さすがプロ、と言ってしまえばそれまでだが、やはり「リハーサル」はこうでなくちゃいけないよな、と改めて思うのだった。

アマチュア団体の「リハーサル」がリハーサルとして成立しないのは、中学高校の部活に原因があると思う。時間がいくらでもあるのをいいことに、各々が吹けてないまま合奏を始めてしまい、各自の「おさらい」と合奏リハーサルを同時に進めるのが当り前になっちゃうもんで、それを何の疑問も持たず学校卒業後も引きずってしまうんだな。
「次回の合奏までにさらって来るように」と言っても、そもそも一人でさらう「さらい方」を分かってない(教わっていない)のだから、出来やしない訳だ。(そのくせ、どこそこの団体の何の曲は上手いとか下手だとか、どこがいいとか悪いとか、そういうことだけはいっぱしの口をきくんだよな。まさしくコンクールの弊害、としか言い様がない。すいません、独り言でした)

12時半、リハーサル終了。そのあと出社して仕事。夜9時過ぎまでかかった。結局まる1日分仕事をしていた。

4月21日

雨の中、農大オーケストラの練習へ。
今日が最後の練習で、あとは当日のゲネプロと本番だけ。オケの練習は神経を使うけれど(まあ、普段いかに神経を使っていないかの裏返しなんだけど)、楽しいし、やり甲斐があるし、とにかく勉強になる。3回めの練習だが、やっと楽しく吹けるようになってきたかな、って感じで、これで練習が終わりというのはなんだかつまらない。もっともっと吹いていたいくらいだ。
本番は27日、なかのZERO。まあ、悪くはない演奏になりそうだ。誰か聴きに来ないかな。

4月20日

都響フルネ月間の2回めは、東京芸術劇場でのサン=サーンスの特集。『サムソンとデリラ』のバッカナール、ヴァイオリン協奏曲第3番(矢部達哉Vn)、交響曲第3番「オルガン付」。

いや、すごい演奏だった。最初から最後まで、すべての音があるべき場所に焦点を結んだ、稀なる仕上がりだった。「バッカナール」のような単純な音楽であっても、中間部で聴けるは四角四面なテンポやリズムから解き放たれた、漂うような「音楽そのもの」。いくらフルネさんの演奏に「はずれ」は無いといっても、今日はちょっと特別かもしれない。ブラボー!

4月19日

井上二葉ピアノ独奏会を聴く(浜離宮朝日ホール)。

先日同じホールで聴いて感銘を受けた藤井一興氏(実は誕生日が私と同じなのだ。あっちが7歳年上だけど)の師匠。浜離宮朝日ホールで聴くピアノの響きも非常に気に入ったところだったので、思い立って来てみた。
さすがに相当なお年だけに(女性の年齢をばらすのは失礼かとも思ったが、公開されている情報なので良かろう。1930年生まれとのこと)、指は結構怪しいところも多かったし前半のフォーレはかなり苦労していたけれど、後半はなかなか良かった。それにしても美しいタッチと音色だ。もっとお若い時に聴きたかったと悔やまれる。
最後のラドミロー、初めて聞く名前だがフランス・ブルターニュ地方のナント出身の作曲家だそうだ(1877〜1944)。ナントと言えば某指揮者N原氏が今住んでいるところだな。フォーレの弟子だそうだが、マニャールやロパルツといったブルターニュ系の作曲家との響きの共通性もある。また、3曲めなどドビュッシーの前奏曲集の中にあっても不思議ではない雰囲気だ。なかなか気に入った。CD出てないかな。
客席にジャン・フルネの姿があった。ミリアム・ジェイクス女史と並んでど真ん中の席に座っていた。よく見ると客席には他にも、日本フォーレ協会の例会や各種フランス音楽系コンサートで見かけるお顔がたくさん。
アンコールにラザール・レヴィ『子守歌〜安川加壽子のために』、F.クープラン『花咲ける百合』。

N原氏ホームページの掲示板に、ラドミローの件で書き込み。素早く反応があった。

4月15日

Saxophone Journal 最新号(May/June 2002)が届く。
マルセル・ミュールシガード・ラッシャーの追悼特集、およびそれをweb公開したサイトのURLが載っていた。(掲示板にも書いたけれど、雑誌記事をwebで同時公開というのはなかなか出来ない発想だと思う。さすがアメリカ人はやることが違うというか。)
未だ斜め読み状態だが、これらは一字一句吟味して読むだけの価値がある。20世紀のクラシカル・サクソフォンの歴史を考える者にとっては天恵のようなサイトだ。…なんだと、ラヴェルが死の2年前にミュールに「サクソフォン四重奏曲を書く」と約束していたが実現しなかった、だって? なんと、残念な!

このSaxophone Journalという雑誌、エーゴに堪能でないワタシにとっては読みやすいものではないし、あまり面白くない時もあるのだが、Tubaxを初めて紹介したコラムもそうだったけれど、時々とんでもなく興味深い記事が載ることがあるので定期購読はやめられない。
毎号、付録CDが付いているのだが、今号はDale Underwood(米海軍バンドのソリスト)率いるEast Coast Saxophone Quartet による「ソプラノ・カラオケ版CD」。…うーむ、この発想もアメリカならではだなあ(^_^;

4月13日

東京都交響楽団プロムナードコンサートを聴く(サントリーホール)。

今年のシーズン開幕月は、お待ちかね、名誉指揮者ジャン・フルネの登場。この日記を書き始めてからの2年間で既に5回めの登場(都響に3回、日本フィル、新日本フィルに1回ずつ)。明日14日が89歳の誕生日だそうだ。

相変わらずステージの出入りの足元はちょっと危ういが、あの、決して見やすいとは言い難いものの音楽にあふれた指揮ぶりは全く健在だ。曲目も地味ながら実に素晴らしい。こんなプログラムを組めるのはいまやフルネさんくらいだろうな。幸福そのもののようなフォーレ『シャイロック』。この中の「祝婚歌」「夜想曲」ほど感動的な音楽はあまりないと思う。音楽史上極めて重要な作品にもかかわらず滅多にとり上げられない(私もナマでは初めて聴いた)ドビュッシー『遊戯』。ラヴェルは1楽章の終わりで事故が起こってヒヤッとしたが(コンマス山本氏の必死のリードでなんとか大過なく済んだ)、2楽章が絶妙に美しかった(コーラングレの大ソロはゲストのオランダ放送管ミリアム・ジェイクス女史。絶品!)。終わってみたら今日一番の聞きものはデュカスだったかもしれない。こんなに格調高い、「深い」曲だったかと思ってしまった。
聞いた話ではフルネという人は、この曲の練習で「デュカスはこのように言っていたのでそう弾いてくれ」などという指示を出すらしい(ちなみにフルネは1913年生、デュカスは1935年没)。ううむ、何も言えないというか、かないません。

4月11日

ジャン・ルデュー・カルテットを聴いた。

ほとんど満席に近い大盛況の洗足学園前田ホールから、言いようのない高揚した気分を味わいながら帰ってきた。大好きな人に思いがけず会えたときの幸福感とか、よい演奏を聴いたときの感動とか、敬虔な感情とか、長い間探していた(自分がそれを探していたことすらほとんど忘れかけていた)ものをふいに発見したときのすっきりした気分とか、そういうものを全て合わせたような感じに近い。

この演奏会を聴きに高速バスで上京してきていた(淡路島でも逢った)神戸在住の友人、昔日のセルマーキャンプ仲間で最近N中貿易に就職した友人2人、秋田からやはり聴きに出てきていたその仲間という同窓会のような顔ぶれの5人で、帰りの高速バスの発車までの短い時間、食事をしながらひとしきり騒ぐ。ちょっと公にできないような業界内のお話もいろいろあって、いとをかし。

サックスの演奏会なので詳細は「コンサート記録」のほうに書いたけれど、今日のことは自分ばかりか居合わせた多くの人にとって、一種の伝説的な、忘れがたい記憶となって残るだろう。
もっとも、私たち(+以上)の世代の客と、多く来場していた現役音大生、中高校生たちとの間では、感動の仕方に温度差があるのはまあ仕方ないか。終演後のロビーでちょっと挨拶をした冨岡和男先生の幸せそうなお顔が忘れられない。自分も、こっちに近くなったな、われながらトシとったなぁ、というか。

 本日の曲目(パスカル&リュエフ)を含む、デファイエQ.のLP(1976年発売・Thunder所蔵)

今日の決意:楽器は70まで吹き続けなきゃ!
あと30年。でも、そのくらいきっとすぐに経ってしまいそうな気がする。 

4月10日

藤井一興野平一郎ピアノデュオコンサートを聴いた(浜離宮朝日ホール)。

ピアノデュオといっても、なんたってこのお2人だから、見ての通り並みの曲目ではない。
正確な響き、とか、正確な音色、という言葉が連想される。美しい響きとか音色と言っても間違いではないのだが、より以上に論理的な側面がある。焦点を完璧に合わせた高解像度写真のような響き。ある種の論理そのものの美しさ、を思わせる。それでいてアンサンブルというか、お互い同士の合わせ方そのものは結構アバウトだったりする訳で、不思議というか、興味深い仕上がりだった。文字通り「日本人離れ」している。
ブーレーズが凄かった。ドッシャメシャに錯綜した音群が、たしかにある種の秩序と意思と、変幻自在な音色を伴って、飛び交う。フリージャズの演奏にも似た、各々のピアノを武器として相対した格闘技の世界。しかしこういう曲で「譜めくり」を担当する人(実際にいた)というのも凄いものがあるなあ。一体どんな「楽譜」になっていて、どんなふうに読んでいるのだろうか?
アンコールにドビュッシー『小組曲』より「小舟で」「メヌエット」(連弾)。

4月9日

東京フィル第656回定期演奏会を聴く(サントリーホール)。
今の東フィルの定期の回数表示って、新星日響と旧・東フィルの合算になってるのね。今頃気がついた。

指揮は尾高忠明。(紀尾井以外では)久しぶりに聴くような気がする。
武満は弦のみ、10分弱の小品。もともとは映画の音楽だそうで、シベリウスを連想させる息の長いメロディを持つエレジーだった。弦楽のためのレクイエム第2番、という趣の曲だが、比較的近作(1989年)だけあって調性にかなり傾いていて親しみやすい。これから流行りそうだ。
モーツァルトのソリストの神尾真由子ちゃんには驚いた。見てくれはいかにも子供子供しているのだが、演奏には弾き始めの瞬間から聴く人を魅きつける「音楽」がある。たったの15歳にして既に大家の風格だ。アンコールに『シューベルトの「魔王」による大カプリース』。これも見事。魔王の棲む深い森で、怯える子供を連れての決死の騎行、という原曲の緊迫した雰囲気を、ヴァイオリン一丁で見事に弾ききっていた。すごい! 客席もステージ上のオーケストラメンバーも、大喝采だった。
メインプロはウォルトン。これがまた大変な曲で、いや、たしかに「カッコいい」曲なんだけど、とにかく吹きっぱなし鳴りっぱなしの50分。しかし演奏は見事だった。尾高さんさすが。いやはや、オーケストラの皆さん、お疲れさまでございました。アーノルドとかスパークとかグレッグスンとか、最近よくあるド派手系イギリス音楽(吉松隆なんてのもこれに近い部分がある)の元祖はこれだったんですね。しかしさすがに元祖は説得力があるわなあ。普段はグレッグスンなんか聴いても面白いとは全然思わない私だが、今日ばかりはスゲエ、と思わされてしまったのだった。

4月7日

なめら〜か、音の輪練習の続いた週末。2日連続お会いした人もたくさんいた。

「なめら〜か」ではドビュッシー『こどもの領分』の六重奏版(アメリカ版のかなり手強い編曲)を譜読みしたし、「音の輪」では難曲・交響曲第3番の最後の下振り練習(次回27日にはもうアルフレッド・リード御大が登場する)、という具合に、難しい練習メニューをこなしたけれど。…

皆、「さらう」ってことがどういうことなのか、本当に分かってないのね、と嘆息した2日間だった。
さらい方(というか、要は楽譜の読み方なんだけど)を全部教えてあげなきゃ駄目なのか? …そんな余裕、コッチにはないんですけど。

4月5日

明日明後日の練習に備えてリードを買いに寄った銀座山野楽器の店頭に、仏国立リヨン音楽院サクソフォン科教授Jan-Denis MichatのCDが置いてあったので、おおっと思い購入。「The Sax」第4号にインタビューが載っていて、このCDも紹介されていたのだが、いかにも自主制作って雰囲気でCD店には置いてなさそうなものだった。メンデルスゾーンの無言歌集とグリーグの抒情小曲集よりの抜粋という、サックスのCDとしてはかなり冒険的なものだ。

帰宅したら「レコード軽術」春の号が届いていた。
今号はさすがにムネオネタ、辻元ネタが多い。田中外相更迭劇を「オテロ」の筋書きになぞらえたところなど(リンク参照)、あまりのハマリ具合に唸ってしまった。なるほどねえ。

4月2日

須川さんがテーマ音楽を吹く、4月からのNHK朝ドラ「さくら」。しかし朝の8時15分なんて出勤直前の一番バタバタしている時間帯で、まだマトモに観れていない。

夜は上野へ出、ちょっと気になっていたコンサートに当日券で入る。岡本愛子(ピアノ)のプーランク・ピアノ曲全曲演奏会(全3夜)の2回め。

生真面目で美しいプーランクを楽しんだ。以前からシャブリエ没後百年記念とか他にあまりやらないテーマで演奏会を開いてくれる人なので、私は何度も聴きに行っている。いかにもピアノの先生って感じのオバサンなので、実力の割に一般的な人気は出なさそうなのが残念だけど。アンコールもやはりプーランクの小品を3曲(フランセーズ、「6人組のアルバム」よりワルツ、「ジャンヌの扇」よりパストゥレル)。
ところで、こういう曲目の演奏会ってのはやっぱりマニア向けってことになるのかな? プーランクなんかほとんど鼻唄を歌うように楽しんでいる私としてはとても不本意なのだが。プーランクだけに限らないが、こういう曲がショパンやドビュッシーと同じように親しまれるために(それは充分可能だと思う)我々は何をなすべきなんだろう、と思ってしまう。

行く前に急いで立ち寄った山野楽器に、掲示板で先日話題になったフェデリコ・モンデルチ(Sax)のケックランSax作品全集(Chandos)が並んでいたので購入。
あと、先月末に発売になったDecca原盤の千円シリーズの中から、シャルパンティエ『イタリアの印象』、マスネ『絵のような風景』、同『アルザスの風景』(アベール・ヴォルフ/パリ音楽院管)を購入。今回発売の50枚の中でほとんど唯一楽しみにしていたものだ。
あと同じシリーズから、モントゥー『ペトルーシュカ』『春の祭典』も一緒に購入。両曲の初演者モントゥーによる1956〜57年のステレオ録音。LP時代から何度も再発売されているもので、勿論聴いたことはあるし、今までCDを持っていなかったのが自分でも不思議な程なのだが。
古い録音だが聴きやすい上質な音だ。ハルサイの冒頭のバソンの音! 全体に、今では考えられないようなガチャガチャした演奏だけど、これはこれでひとつの時代、ということで。