2001年
| 3月29日 |
都響の今シーズン最後の定期を聴く(サントリーホール)。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン:矢部達哉)、マーラーの交響曲第4番。いかにも都響らしい、実直な演奏だった。特にベートーヴェン、オケとソリストの繊細さがともども生きて瑞々しい演奏になっていたと思う。マーラーのソリストは緑川まりだったが、緑川さんにしては声量が出ていなかったような?
それにしても特筆すべきは客席の静かさ。パンフやチラシや荷物でガサゴソ音をたてる人がほとんどおらず、最初から最後まで集中して聴くことができた。演奏中は静かに聴く、なんて当り前以前のことのようだが、その「当り前」が実現している状態のなんと稀なことよ。
年度末でもあるので、この演奏会を最後に退職される楽員の方が何人かいて、終演後の拍手のなか花束を渡されていた。今回最も感慨深いのは打楽器の白石元一郎さんが定年退職というところかな。最近はシンバルを叩いていることが多かったが、私が都響を聴き始めた十何年前は大抵のコンサートでティンパニを担当しており、コンサート・ゴーアー初心者の頃の自分にとっては、オーケストラに於けるティンパニの何たるかを教えてもらった存在という感じだった。ちょうど10年くらい前、ジャン・フルネが東京文化会館で指揮したブラームス1番のコーダはそれはそれは凄かった。ブラ1はあれから内外の色々なオケで聴いたけど、あのティンパニは忘れることができない。
首席クラリネットの山本洋志さんも、定年ではないが退職だそうだ。音大の教授にでもなるのだろうか。一昨年、私たちフロートがアンコンの全国大会(福岡)に出場したときの審査員のひとりだった。後日バンドジャーナル誌上で、これ以上ないくらい的確かつ厳しい講評を書いていて参ってしまった記憶も新しい(人づてに聞いた話では、一般の団体はまだ先があるのでわざと厳しく書いた、とのことだったが)。本当の意味での「プロフェッショナル」だった。
| 3月24日 |
「なめら〜か」練習。午前中はアルフレッド・リード新作四重奏曲初演予定チームの合わせ練習。朝9時にみなとみらいホールの練習室に向かう。取り敢えずグラズノフのカンツォーナ・ヴァリエを合わせてみる。うーむ、難しい曲だ。あまり演奏されない理由とか、第3変奏が省略されがちな理由とかが分かったような気がした(デファイエが省略していたから、ということだけでもないのね)。
午後1時から、とめちゃんにコーチ役をお願いして「ダブルタンギング講座」というものを試しに開講してみた。(現在練習中の『ホルベルク組曲』の第1楽章には、「にんにきにんにきにんにき」というパッセージがどの楽器にも延々と続くので、ダブルタンギングをマスターしないことにはテンポが上げられないのである。)まあ、ダブルタンギングが出来ない、という状態は、往々にして普通のシングルタンギングにも問題がある場合が多いと思える。タンギングというより、問題の真の根源は「息」なのだが。
それにしてもとめちゃんの教え方のシステムの確立ぶり、問題把握能力の確かさはとてもアマチュアプレイヤーとは思えない。続編もやってもらおうっと。「舌(ぜつ)と上顎粘膜の接触面積が云々」とか、医学の専門用語がポンポン出てくるところはさすが仕事柄というか何というか。「舌、息、舌、息」と言うと「死体遺棄」に聞こえるというのもまた(^_^;;。
| 3月23日 |
アレクサンドル・ドワシー・サクソフォンリサイタルを聴いた。…いやはや、久々にとんでもないものを聴いてしまった、という感じで、こういう演奏会の後はあまり人と話をせず余韻を自分の中で転がしたい、という気分であり、さっさと帰ってしまった。紀尾井ホールの前の皇居お濠端の桜並木がいまにも咲きそうだ。来週の今ごろはこの近辺、大変な騒ぎになってるだろうな。
今日の演奏会だが、2月頃に聞いた話では、サックスの音大生等が春休みで出足が悪くチケットの売れ行きが芳しくない、とのことだったが、フタを開けてみたら会場は普通のオジサンオバサン達で結構埋まっていた、のはいいのだが、なんだか皆さん落ち着きのない方々ばっかりで、演奏中もヒソヒソ話やらガサゴソガサゴソいう音があっちこっちから絶え間なく聞こえてくる。いったいどういうチケットの売り方をしたんだろうか?
| 3月20日 |
春分の日。急激に暖かくなってきた。
今日は「音の輪」練習。音の輪の練習というと朝から晩まで吹きまくる突貫工事というイメージがあるのだが、今日のように夕方4時で終わりというのは何か拍子抜けというか、吹き足りない感じが残る。横浜楽友協会の室内楽演奏会本番とかち合ってSaxパートは強力メンバー2名が休みだし、とっても欲求不満が残ったので家に帰ってからイベールをさらい直してしまった。
帰りがけ、エマニュエル・クリヴィヌ指揮リヨン国立管のドビュッシー管弦楽曲集第3巻のCD(DENON/COCQ83499)を買う。1月に出る予定が延期になって最近発売になったものだ。小組曲、神聖な舞曲と世俗の舞曲、大好きな『ピアノと管弦楽のための幻想曲』などと共に、サクソフォンのためのラプソディが収録されている。ソリストは誰かと思ったら、ジャン・イヴ・フルノー(Jean
Yves Fourneau)だってさ(^_^;。原資料のnとmが間違っていたのをそのまんま日本語にしちゃったのだろう。(聴いてみたところ、音色とか、細かい音符が吹きとばし気味になるところとか、フルモーに間違いない)。フルモーのドビュッシーということだったら、もっと大々的に宣伝すればサックス吹きには売れるかもしれないと思うんだがなあ。『幻想曲』のピアニストもジャン=フィリップ・コラールという大物だが、ソリストの紹介は全く載っていない。デンオンさん、女性フルーティストやヴァイオリニストに演歌とか演らせてるヒマがあったら、自社の商品くらいもう少し宣伝とかマーケティングをちゃんと考えたほうが良いと思うぞ。
言うまでもなくオーケストラの演奏はどれも素晴らしい。きめ細やかで繊細な響きは、現代のフランスのオケで聴ける最上のものだ。
| 3月19日 |
花粉症ではなく、どうも風邪のようだ(希望的観測少々含)。
都響の東京芸術劇場シリーズ演奏会を聴く。
「ブラームスの肖像」と題し、ピアノ協奏曲第1番、交響曲第1番というシンフォニーオーケストラの本流のようなプログラム。今月の指揮はガブリエル・フムーラ。大きなアクションで精力的な棒を振る、典型的な中部ヨーロッパの中堅指揮者という感じで、ちょっと若い頃のマゼールに似ている。「オーケストラを聴いたあっ!」という感じの、充実した聴後感。ピアノの野島稔も素晴らしかった。この人、音楽はこれ以上望めないほど立派なのだが、ソリストとしては華がないのが難点かな。
休憩時間のロビーでいきなり須川展也夫妻に声をかけられ、びっくり仰天してしまった。だっておよそSax吹きが聴きに来そうなプログラムじゃないんだもの(自分のことを棚に上げるなって)。都響首席フルートの寺本さんとトルヴェール・クヮルテットでジョイントコンサートの企画があるそうで(お、面白そう)、その関係で招待を受けたようだ。「ブラームスいいねえ、たまにはこういうの聴かなくちゃね、サックスにはどうしてこういう曲無いんだろうねえ」とご機嫌だった様子。
| 3月17日 |
久々の1日休みだったがいまひとつ調子が悪い。風邪か、それとも花粉症?
家でイベールをさらって過ごす。プロフィールのページにもupしたとおり、6月にイベールを吹かなければならないハメに陥ってしまったのであります。先月末くらいに依頼を受けて覚悟を決めて練習を始めたのだが、いやはや厳しいこと。39歳になってこういう譜面と格闘することになるとは思わなかったなあ。
最近買ったCDだが、フロラン・シュミットの管楽器のための室内楽曲集(Praga/PRD250156)が素晴らしい。シュミットという作曲家、見かけの強面(こわもて)や譜割りのあまりの難しさ(サクソフォン四重奏曲がぁぁ!)のせいで判りづらいけど、本質的に抒情詩人なのね。なるほど。
新星日響の自主制作ライヴCD、パスカル・ヴェロ指揮のドヴォルザーク8番他というのも店頭にあったので買ってきた。これがまた、良いのである。正直言ってびっくりした。冒頭に収録された『ローマの謝肉祭』序曲(98年の都民芸術フェスティバル公演)ともども、ライヴ録音とは思えないような完成度の高さだ。破綻のない、言ってみれば常識的な演奏なのだが、日本のオーケストラというものの良さのある種の典型が表れているような気がする。こないだの定期演奏会の会場では売っていなかったが、どの程度流通しているディスクなのだろうか。
すっかり忘れていたが、本日は’Thunder's Web’開設1周年記念日でした。カウンタも既に6500を突破している。1年でここまでくるとは思わなかったなあ。今後ますますの精進を誓う次第。
| 3月10日 |
東京フィルとの合併を3週間後に控えた、新星日響の最後の定期演奏会を聴く(サントリーホール)。
指揮はオンドレイ・レナルト。今までの経験上、この人が振るときには大抵よい演奏が聴けるのだが、それにしても今宵の演奏は、鋭く音をたたみ込んでくる金管といい、分厚い響きと濡れたような音を出す弦といい、何か憑かれたような熱気と集中があって圧倒された。いつもこんな演奏が出来ていたらお客さんも増えて今回のような事態にはならなかっただろうに…と言ってしまうのは簡単なのだがなあ。終演後はオーケストラメンバー全員が舞台上から引っ込むまで拍手が鳴りやまなかった。
ピアノのヤブロンスキも素晴らしいソロで華を添えた。おそろしく小さなストロークで強大な音を出すピアニストで、結果的に細かいリズムの正確さと切れ味に於いて瞠目すべきものがある(日本人ピアニストで言うと白石光隆氏あたりと似た印象)。ルトスワフスキが白眉。
それにしても、それほど熱心な聴き手ではなかったとはいえ、20年以上も聴き続けたオーケストラが消えてしまうのは寂しいものだ。当日のプログラム冊子には、1979年9月の故・山田一雄指揮の定期演奏会の写真(伊福部昭の『ラウダ・コンチェルタータ』を演奏している)が載っているが、このときの客席には高校3年生だった私自身もいたのである。当時はプロオケの演奏会なんてほとんど行かなかったから、強烈な印象を今でも覚えている。メインプロは確か『火の鳥』の全曲版だったな。…
東フィルとの合併は、当初の報道では「対等の立場での合併」だったはずだが、最新の新聞記事では結局のところ「3月31日付で新星日響を財団解散、清算した残余資産を継承財団である東京フィルに寄付」ということになるらしい。完全な吸収合併じゃないか。新理事長となる大賀典雄とかいうシロート指揮者(^_^;もなんだか雑誌等でアホなことを言ってるらしいし。どうなることやら。
| 3月7日 |
日本フィル演奏会(都民芸術フェスティバル・オーケストラ部門)を聴く(東京芸術劇場)。
このフェスティバルは、東京都の肝入りで、毎年この時期に在京の全てのプロオーケストラが参加して行われるもので、名曲コンサート的プログラムかつ入場料が安い(1500〜3500円)ため人気がある。定期演奏会などとは異なる、各オケの日常の活動を窺うには絶好のものだ。今回日本フィルの演奏会はオール・チャイコフスキーのプログラム、指揮者はコバケンこと小林研一郎の登場とあって全席完売の盛況。
演奏はいかにも日本フィルという感じの元気一杯なもので、とにかく「楽しい!」演奏会だった。1812年の大砲は、ステージ上方のオルガン席に置かれたBoseの大型PAスピーカー6台によるすさまじい音で、私のいた3階席ですら地響きを感じるほどリアルなものだった。ステージ脇のバルコニー席のお客さんの鼓膜が心配だ。徳永さんのソロがいま一つだったり、オケもあっちこっちアンサンブルが崩れたりピッチが合わなかったり、文句は言えば多々あるのだが、そんなの別にいいじゃん、という気分。上手なアマチュアの演奏会を聴いた後のような気分だった。日本フィルというオーケストラの人気というのはそういうところなんだろうな、きっと。
| 3月6日 |
夜は久々の(アンコン終了後初)フロート練習。テナーのソフトケースを抱えて、帰宅ラッシュの田園都市線に揺られて練習会場の宮前平中学校へ急ぐ。
われらが「サクソフォンアンサンブル・なめら〜か」の第1回演奏会にフロートのゲスト出演を依頼しているので(と言いつつ実はメンバーが2人もダブっているのだが)、さっさと練習を始めようということで集まったのだった。いつも始動の遅いフロートとしては、本番7ヶ月前に練習開始というのは画期的だ(一昨年9月にリサイタルをやった時だって、まともに練習が軌道に乗ったのは夏になってからだったもんなあ)。
という訳で、とめちゃんと相談して決めた曲目、ヘンデルの『シバの女王の入場』とラクールの四重奏曲(全楽章)を初見で合わせる(ラクールの3だけは以前アンコンで吹いたが)。なかなかいい感じだ。ラクールの1楽章は各楽器がソロ的に絡み合う(一緒にハーモニーを吹く箇所がほとんどない)、無調によるモダンな曲想のエレジーだが、ほぼ一回で最後まで通ってしまい、我ながら驚嘆。それにしても、こういう曲が初見でもどうにかなるというのはやはり、全員が自分の音楽というものを持って集まっているフロートならではのことと思える。とめちゃんも掲示板に書いていたが、フロートの練習の面白さとかストレスのなさというのはそこらへんのせいだろう。先が楽しみだ。
| 3月3日 |
「音の輪」練習(川崎市麻生文化センター・ホール)。第1部の曲を中心に合奏。
アルフレッド・リード博士の新曲(高山市民吹奏楽団の委嘱で昨年11月に初演されたばかり)、アルトサクソフォンと吹奏楽のための『子供の組曲』の楽譜が到着したので、1回軽く通してみる。
Kyoko's Lullaby〜Kyoko's Playtime(Den-Den Taiko)という2曲。ルロイ・アンダーソンみたいな軽い、なつかしい感じのする小品だった。ソロパートは私が代吹きしたのだが、初見でも問題なく吹けるほど易しい。これは、いい曲だぞ。
終了後は、世田谷通り沿いのガストに入って夕食。7人中6人がSaxパートでかつ「なめら〜か」団員(しかも私の他にも、事務局の「つばめ」H君、若衆頭のあいざわ君、重鎮のとめちゃんなど中心メンバー多し)だったもので、お喋りは自然と「なめら〜か」ミーティングと化した。
唯一の非・なめら〜かのみなみ嬢は、シリアスな話し合いを尻目に、チーズケーキにパセリで飾りをまぶして「サザエさんだ〜!」とケタケタ笑い続けていて手がつけられない。箸が転んでも可笑しい年頃、つうのはこのことか。