『ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。』



2002年3月 記


 「HSP」=”Highly_Sensitive_Person”=「とても敏感な人」、そう呼ばれるべき人々が、この世には少数ながら居ると言います。アメリカのユング派の心理学者、エレイン・N・アーロン博士が創り出した言葉です。人口の約2割、単純に計算してどんな場所にも全体の人数のうち約2割の人が「HSP」なのだと言います。HSP、、敏感な人、、一体どういう人のことなのでしょう?

 ずばり、”敏感すぎる”んです。多くの人が何とも思わないようなささいなことに対して、極端に緊張・興奮してしまう人のことなのです。
 アーロン博士の推論によれば、これは遺伝子由来なのだそうです。遺伝子のレベルで、既に神経システムの敏感さが決定されている人なのです。ヒトに限らずある程度の高等動物であれば、どの種においても総個体数(=ヒトでいう所の全人口)のうち約2割が”過度に敏感”な神経システムを持っているのだと言います(あくまでも推論なのだそうですが。)。

 なぜそのようなことになっているのかと言うと、う〜ん、”警報機”と言えばわかりやすいかな。要するに、過度に敏感な神経システムを持っている個体が2割ぐらいいると、”危機”を察知するのに調度いいんですよ。彼らは敏感ゆえに他者よりも危険を察知するのが早い。そしてその危険をみんなに知らせる。みんな逃げろ〜♪ひゅ〜!助かったぁ。。HSPはそういう役目を果たす人々なのです。

 しかしなぜ「2割」なのでしょうか?危険を察知するならもっと沢山いた方がいいんじゃないでしょうか?いえいえ、あんまり敏感=臆病なのが沢山いすぎると、今度は種全体が閉鎖的になっちゃうんですよ。するとあるゆる意味の冒険をしなくなっちゃうわけで、するってーと適応&進化の速度が遅くなってしまうわけ。それで場合によっては絶滅に向かっちゃうわけ。うんうん。んで逆に2割より少なくなっちゃうと、ってことは8割の神経の太い連中(←相対的な表現ですので、あくまでも。。)が8割より多くなっちゃうと、今度は冒険が過ぎちゃうわけです。神経太い(←同上。以下同)ゆえにどんどん前に出てって何でもやっちゃう。するってーと今度はあっという間に絶滅しちゃったりするわけ。ブレーキが効かなくなっちゃうわけよ。そうそう、ブレーキブレーキ。ブレーキ踏みすぎちゃうと止まっちゃうし、踏まないとぶつかって死ぬし、ってな感じ。だから8:2という比率は、非常に絶妙に出来上がった自然のバランスなのであります。

 ちなみに、人間の神経システムには2系統あって、一つは「行動活性システム」、もう一個は「行動抑制システム」もしくはアーロン博士独自の呼称では「現状認識システム」というのがあります(行動”抑制”というと何かネガティブな感じがするので、別の言い方を考えたのだそうです。)。「活性」の方は文字通りどんどん前に出て行こうとする際に働くシステム。強い好奇心をもって常に新たな刺激を求めて冒険・探索をしまくる時に働くシステムなのです。一方の「抑制」or「現状認識」システムは、ちょっと立ち止まるんです。待てよ、と立ち止まって、「今ここはどうなってるわけ…?この先はどうなるの??」とちょっと一息おいて考えようとする際に働くシステムなのです。要するにこの二つはアクセルとブレーキのようなものですね。HSPはこのうちの「行動抑制システム」or「現状認識システム」の方が活発に働きやすい傾向を持っているのだと言います。

 しかしこの2系統は、いわゆる自律神経のような、どちらかが働いている時はもう片方は休んでいるというようなシーソー的に働くものではないのだそうです。両システムともに活発に働く人も居れば、どちらか片方が優勢であるとか、あるいは両方ともあまり働かない人もいるのだといいます。これね、つらいのは両方活発に働いてしまう人なんですよ。ちょっと新しいことしたくて表に出て見るんだけど、すぐにブレーキがかかって立ち止まってしまう。んで引き返すんだけどまた出たくなる、、というのを繰り返して、やがてはエネルギーを消耗してしまうのです。。その点、両系統とも活発でない人はラクチンかも。一日中ず〜っと座りっぱなしで瞑想に耽ってるだけで満足しちゃうお坊さんみたいな人なんですから。

 おさらいすると、ヒトという種における約2割(15%〜20%)の”とても敏感な”個体のことを「HSP」と言っているのですね。さて、このHSPですが、人間の社会においては、これが面白い、なかなかとっても役に立つ人々なんですよ〜。アーロン博士によれば、インド−ヨーロッパ語族(=要するにヨーロッパ人のことだと思えば可)の社会では、歴史的にHSPは「僧侶・相談役階級」を担ってきた、というのです。相談役というのはすなわち超わかりやすく言えば”参謀”です。HSPは敏感であるがゆえに若干臆病で、それゆえに慎重で、だからこそ思慮深いのです(ふぅ…)。だ〜か〜ら〜こそ、ちょっと後ろに引いて、少し大人し目に控え目に、王様や君主や将軍などにちょちょっと助言なんかしたりなんかすると悦ばれるんですぅ♪うん。で、まぁそっから転じて、思慮深くよく考えて、細かな所にも目が届いて、危機に対しても敏感ゆえに全体にとって何が大事なのかがわかる、ってことで、裁判官とか教育者だとか、そういう職も本来はHSPの得意とするところであったというのです。博士の曰く、HSPの”天職”は”芸術家”だそうです。HSPは思慮深く且つ概して引っ込み思案ゆえに内向的である場合が多いのですが、そもそも創造性を持つのに内向性は欠かせません。それと同時に孤独に徹せる能力も必要です。その点でHSPは最適なのです。もとよりHSPはじっとしていることが得意なので(っつーか性格的にじっとしていざるを得ないので。。)、ものを考えたり創作したりする方へと自然に精神のエネルギーが流れていくのかもしれませんね。

 では、もう一方の8割の神経の太い人々=”非SHP”はというと、これは「戦士・王族階級」であったといいます。ようするにアグレッシブな人々なんですね。どんどん前へ進んでって道を切り開いてくれる人々なわけです。戦ったりするからこそ、死人も多く出るわけで、だからこそ元から数が多いんですよ。そうそう、アーロン博士によれば、HSPは臆病で引っ込み思案な分、ストレス処理さえうまくやれば非HSPよりも意外に長生きするんだそうです。無難な道を進むからなんでしょうね。
 んでところであれ、HSPも非HSPも、元々感覚器で受け取ってる感覚データの量は一緒なわけよ。なんだけど、受け取った後の神経を伝わっていくデータの量or脳で処理する量が圧倒的にちがうわけ。仮に10受け取ったとして、非HSPは最終的に4認識したと。でもそン時HSPは倍の8ぐらいは認識してんのよ。この4の差は非常に大きい!だって非HSPにとってはこの差の4はこの世に存在しないものなんですよ!だって認識できないんだから、その存在すら知ることが出来ないんですよ。だから非HSPからすれば、残りの4を察知しちゃうHSPの能力って、不気味に見えなくもないわけ。それが自分達の役に立てばありがたがるけどね、そうでない限りは不信がったり脅威に感じたりするわけよ。もっと何でもないどうでもいいことだった場合には、「何言ってんの?」とか「んなことどーでもいーじゃねーか。。」とか、「そんなこと気にしてるのはキミだけだよ。」ということになるのです。。(…。。)

 まぁその認識できる差の部分がHSPにとっての特殊能力であるところの”直感力”となるわけなのです。これは磨けば磨くほど使えるものです。”先見性”と言い換えることも出来ますね。社会にとって役立ちます。ようするに警報機になるのです。大多数の人たちが何も感じていない時に「あ、なんかヤバイ…」と”差”の部分を感じ取るわけです。それをみんなに知らせれば、そしてみんながその恩恵にあずかれば、HSPは重宝されます。察知するのは悪いものばかりでなく、良いものも察知します。となるとHSPという人々は、”時代のパイオニア”になれる可能性を持っているということになるのです。他の人に先駆けて何かを察知できるのです。良いことであれ悪いことであれ、他の多くの人が気付き得ない事柄を先に気付くことができるのです。「HSP」という概念を考え出し、他者に先駆けて発表したアーロン博士自身が正に良いモデルです。
 かの有名なスイスの心理学者、カール・グスタフ・ユング先生も、このHSPだったのではないかしらと、アーロン博士は言っております。ユングとHSPについて知っていれば知っているほど、正にそんな感じがしてきます。彼も第一次世界大戦と第二次世界大戦が起こっていた時期に、ことが顕在化する以前から「ドイツが危ない、ドイツが危ない」と盛んに論文で発表していました。つまり”暴君”ウィルヘルム2世やナチスが出てきた当初あるいはもっと以前から「これはヤバそうだぞ…!」と直感して、世に警告を発していたのです。1910年代から1940年代の間に書かれたユングの「文明論」的各論文を読めば、この事実は明らかです。これぞHSPの仕事であり、社会に対して果たす役割なのです。

 もう一つ具体的な例を挙げましょう。

 古代のユダヤ社会には”預言者”と呼ばれる人々がいました。「預言者」というのは「神からの”言”葉を”預”かる”者”」という意味で、彼らは、ユダヤ社会に重大な危機があるごとに出現し、神からの啓示を受け取っては人々に警告を発していました。出エジプト(=あの海を真っ二つに割って脱出したやつ)を指揮し、ヘブライ王国の成立に寄与したあの”モーゼ”も預言者の一人です。
 そんな預言者の中に、エレミアという人がいます。エレミアは紀元前5世紀頃の人で、当時のユダヤ社会は、前9世紀にソロモン王が死んでヘブライ王国が滅び、その後、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂し、互いに争っていました。イスラエル王国は前7世紀にアッシリアによって滅ぼされ、ユダ王国は前5世紀まで存続しました。エレミアはユダ王国の人でした。
 エレミアが生きていた当時、ユダヤ社会はとても退廃していたといいます。律法を守らず、ヤーヴェ神への信仰もないがしろになっていて、その様子を憂いたエレミアは、しょっちゅう人々に説教をしていたといいます。しかし誰も耳を貸しませんでした。それどころかエレミアを疎んじ、時には迫害まで加えるという始末でした。
 そんな状況において、いよいよユダ王国にも存亡の危機が迫ってきました。メソポタミア文明直系の子孫である東の強国、新バビロニアにおいてネブカドネザル(2世)が王に即位し、最盛期を迎えたのです。ユダ王国は既に一度この新バビロニアと戦って敗北しており、その際、王族を含めた民族の大半が強制的にバビロンへ移住させられ、労働を強いられたという第一回目の”バビロン捕囚”を経験していました。エレミアは神からの啓示を受けました。「イェルサレムの神殿は廃墟と化すであろう!」エレミアは時の王ゼデキアに対し、バビロン王に降伏するよう進言しました。しかし王はそれを聞かず、エレミアを捕えて殺害しようとしました。結局エレミアは神によって救われたのですが、王国は前586年、とうとう新バビロニアによって滅ぼされてしまったのです。
 その後のユダヤ民族は、致命的な二度目の”バビロン捕囚”を経て、苦労の中で統一的な民族意識を高め、確立したユダヤ教をもって元の土地へ戻り、神殿と王国をなんとか再建しました。しかしやがて北から勢力を広げてきた大国ローマに破れ、属州となって支配され(その間の紀元0年前後に現れた、今日の世界でも最もよく知られている預言者である”イエス”の警告に対しても人々は耳を貸さず、最終的には殺害してしまいました)、紀元70年と135年の2度にわたる民族的な大反乱に対する鎮圧戦争に敗北し、廃墟となったイェルサレムからユダヤ人は追放されてディアスポラ(離散)を余儀なくされ、1948年のイスラエル共和国成立までの約2千年間、流浪の民として世界中で苦難を強いられることとなったのです。そして未だにユダヤの民は真に平穏な生活を手に入れたとは言い難いのです。「平和」を意味する”シャローム”というヘブライ語の挨拶は、実に切実な響きを持っています。

 エレミアはよく絵画の題材として用いられるのですが(上左図参照)、多くの場合、民族の不信心を憂い、その行く末に思いを馳せながら、自分が発する神からの警告に誰一人として耳を貸そうとしないことに対する”嘆き”の姿で描かれているのだそうです。(ちなみにミケランジェロのエレミア像は、ロダンの彫刻『考える人』のモデルになったのだそうです。)

 エレミアやその他の預言者たちがHSPであったのかどうかはわかりませんが、果たしている役割は正に一緒です。
 ちなみに「預言者」のことをイタリア語では「profeta」(”プロフェータ”と読むのかな)というのですが、これって、英語の「professer」の語源じゃないんでしょうか?違うかな?イタリア語で”教授”のことを何て言うんだろ?誰か知りません?あ、、でも、今調べたら、英語でも「prophet」っていう「預言者」を表す別の言葉がある…。。でもどうなんだろ。。。。げ!、、ドイツ語でも英語とまるで同じぢゃん、、発音違うけど。。。。。なんだよ、、学者さんはもっと自分の研究を、どんな分野のものであれ、世の為になるような形でもっと広く発表せよ!警告をせよ!って言おうと思ってたのに。。。。。。(ブユュ)

 コホン。。

 言えることは、HSPも非HSPも、ヒトの種の保存や社会の存続にとっては両者とも必要不可欠!ということ。両者は共に生きていく”パートナー”なのであります。だから蔑まないでッ!あたしたちのことを臆病者とか弱虫とか言わないで!(HSPの叫び。)
 そうなのよ、そうなんですよ。やはり少数派は少数派。必要不可欠なパートナーゆうてもやっぱし少数派。。しかも相手は圧倒的多数のアグレッシブな人々!きゃーー!殺される〜!迫害されるぅ〜♪(コラコラ!)
 社会は基本的に多数派に沿って出来上がるものです。ゆえに大人しく控え目で慎ましくシオらしい少数派のHSPは、とても肩身が狭いのです。。もはや時代は焼肉定食のお吸い物つき…やのーて弱肉強食の競争絶賛時代…。。嗚呼…、敏感ゆえにちょっとの刺激で失神しそうになる我々HSPは、こんな世の中でどうやって生きていけばいいのでしょう。。。。。。(涙)

 人は社会の要求に多少なりとも押しつぶされて、多少なりとも自分というものを折り曲げながら生きていかねばならないものです。群生動物由来の社会的動物ですさかい、それはしゃーないことです。。しかしHSPはあまりに少数派、あまりに弱すぎる少数派なのであります。。(ブユユユュュュ…)多数派はアグレッシブな人々で、こちとらは極めて弱弱しい繊細な人々。。どうやったら勝てましょう!!(悲惨ッ)
 だからこそ、現代のHSPの多くは自信を持っていません。極端に自尊心の低い人々ばかりです。現代の社会的価値観は、ほぼ非HSP寄りにできています。強くあれ!前へ出ろ!勝て!一番になれ!蹴落とせ!タコ!カピバラ!等々。。死ねってか。。ムリだよ。。お外こわい。。うちにこもろっと。。。。

 それじゃあダメよのさッ!とアーロン博士は叫びます。だからキミ達は”高貴なる相談役階級”なんだから、自分達の繊細さと思慮深さと創造性と直感力を武器に、社会にどんどん出て行かなきゃ!社会はキミ達の”センス”を必要としているの!社会はキミ達無しでは成立しないの!アグレッシブな人々に競争だけさせてたらやがてみんな自滅しちゃうの!だから時には立ち止まってよく考えて、未来まで含めて全体を見据えるような貴方達の目が必要なのよ!ユダ王国を復活させちゃイヤァ〜ッ!!というのです(そんなに激しくは言いませんが。。ぷ)。
 そうなんです、これこそがこの本のメインテーマなのです。HSPよ、外へ出よ!というのがアーロン博士の主張なのです。決して、貴方達は繊細に生まれついちゃったんだからムリしてお外出なくてもいいのよ〜♪ママと一緒にず〜っとおうちのなかにいましょうね〜♪♪などと言っているのではないのです。”然るべき準備”をした上で、積極的に且つHSPらしく控え目に社会参加して、自分の果たすべき役割を果たしなさい!と言っているのです。ここがこの本のいいとこなんだな。うん。

 で、”然るべき準備”とは何か?それは〜、ってか、HSPって、ほんっと外出んのツライのよね。。ちょっとしたことですぐ神経ビキビキになっちゃうから。。人ごみダメね。。うるさい音ダメね。。おまけに自尊心低いから、ちょっとした人の視線とか、、あ〜ダメね。。。死ぬ。。。。神経系のエネルギーすぐ消耗しちゃうから、あっという間に疲れちゃうのよね。。んで鬱。。ハァ〜。。。。。。。。。。。。。。。

 (結局誰の話をしてるの?って感じ。。クスクス)

 あのね〜、、あ!そうそう!賢くなくて鈍感で愛が無いバカ親に育てられたHSO、、Oじゃねーよ、P!あー!!!!段々マジでムカついてきた!!だからそういうバカ親に育てられたHSPって、余計自信なくしちゃうのよね!っつーかタダでさえ生まれつき敏感でビクビクしてるのにさぁ、親の庇護まで得られね〜どころか、自分の繊細であるという特性=存在の仕方まで否定されちゃうときたらお前、死ぬぜ普通!非HSPだって親と健全な愛着(アタッチメント)関係結べなかったら情緒不安定になるってゆーのにゆーのにゆーのにさーー(sir!)。。ブユユユュュュ。。
 発達心理学的に言って、赤ちゃんの時に母親との間に健全なアタッチメントが得られないと、人って将来他人を信頼できなくなっちゃうんだって。だって人生初の他人であるところの母親とすら良い関係保てなかったんだぜ?どうしてよその人信用できるよ。。だから大人になってから人間関係でつまずくんだよ。。。ったく。。。。

 (注:特定の誰かさんの話をしているのではありません。これはあくまで”ふぃくしゅん”です。)

 (注2!:「ふぃくしゅん」というのはクシャミではありませんッッ!!!きーー!!!!)

 だから、逆によく気付く賢くて良質な親(その親自身がHSPであれ非HSPであれ)の元で平和裏に育てられたHSPは、結構スイスイ、社会の中を生きているのだそうです。このような恵まれたHSPは、刺激やストレスに対する耐性も他のHSPと比べて強いのだそうです。誰か(=潜在意識化した内心の親)に守られているという安心感が神経系に対する一つの防御壁になっていると考えられます。こういう人は他者に対する根源的な信頼感が高く(=初対面の人に対してもとても人懐っこい)、細かいことによく気付いて繊細なフォローやケアも自然と得意で、おそらく誰からも好かれるようなタイプの人になるんでしょうねぇ。。(ブユ)

 つまり、”母港”としての親を心理的にキチンと持てなかった人、なかんずくHSPは、極度に人や社会を恐れるようになっちゃうんです。内に篭りがちになってしまいます。だってこわいんだもん。。失敗したら即アウトなんだもん。戻るとこねーんだもんよぅ。。その一方で前述したような”母港”を得ている人、なかんずくHSO、、だー!PとOが隣だから…くッ!HSPは、いつでもどこにいても帰る場所があり、常に心の中に自分を見守ってくれるている存在が”内在化”している為、安心してどこへどもどこまででもスイスイ行けちゃうんです。これはもう、遺伝子は関係ないし個人の努力も関係ないし、生まれつく親の当たりハズレだけなのです。そんな摂政関白な…って感じ。。(藤原〜ッ!!)←?
 で、ハズレに当たってしまって安心を得られなかった可哀想なHSPは、尚更敏感でビックビクな人になってしまうのです。ほんとに神経の休まるヒマがない。。だからす〜ぐ疲れるんです。なんでも脳内のセロトニンがすぐになくなっちまうんだそうで、その為にすぐ「鬱」になっちゃうんですよ。。

 あ、そうか、HSPが外へ出る為の”然るべき準備”とは何かって話してたんだっけ。。。(ちょっと反省)

 だから、まずとにかく自分はHSPであり、神経系が人よりとても敏感にできている為、常にちょっとした刺激で緊張・興奮しやすいのだということをよく認識しておく必要があります。それを自覚していれば”ムリ”をしなくなるからです。”ムリ”とは、要するに非HSPのマネをすることです。その”ムリ”はHSPにとって”無理”なことなのです。だって神経の太さが全ッ然違うんだから。あっというまに疲れちゃうよ。んでボロボロになってまた落ち込んで鬱になって、どんどん自信を失っていく。。やめましょう、自分の範囲を越えるのは。自分の上限と下限をわきまえて、その範囲内で精一杯、自分の役割を果たしましょう。
 またHSPは多くの場合内向的なので(外向的な人もいます)、その内向的な自分の世界を宝と見て、それがどう人々の役に立つか、あるいは自分にとっていかに大切なものなのか、などということについてよく考えましょう。考えることはHSPが非常に得意とすることのひとつですから。そして何よりも自分を、自分の在り方を大切にすることです。自分で自分を尊重することです。自信さえあれば人間は何でもできるのです。これは言いすぎではありません。自信が無かったら何もできない。

 また、自分とは質的に異なる多数派(=非HSP)の意見は、参考程度にも聞かなくていいのです。非HSPをモデルにしても、絶対うまく行きません。足の小さな人が、足の大きな人の靴を履いて歩いていこうとするようなものなのです。失敗します。無理なのです。あくまでも自分のペースを守りましょう。自分の生き方については自分で考えればいいのです(考えるのが得意なんだから!)。
 それとアーロン博士もことあるごとに言っていますが、外へ出よとは言うものの、時には自分の体とよく相談して、内へ帰って休むことも必要です。なにせ疲れやすいですから。私の経験上(やっぱりお前か!いえ、、仮です仮。。)、5分や10分まどろむだけでも、かなり神経の疲れはとれます。

 あと、牛乳など、ストレスを軽減して神経の緊張を和らげる効果のある飲み物や食べ物をこまめに摂取しましょう。カルシウムは神経の高ぶりを抑える効果があるといいます。カフェインは禁物ですね。あれはHSPにとっては毒であり劇薬です。&ビタミン・ミネラルあたりの基本的な栄養素は、精神の安定にも大きく関わるので、栄養剤という形でもかまわないので毎日一定量を摂取すべきです。健康は基本です。疲れやすいなら尚更です。それと適度な運動ですね。軽い散歩なんか一番いい。一日10分でもいいので、のんびりのろのろ、トコトコ歩く。非常に気持ちがいいです。それと深呼吸。これは一種の”ヨガ”です。ふ〜って吐く時にゆ〜っくり、疲れとかイヤなものを全部吐き出すつもりで吐きましょう。緊張したときでも、できるだけ意識を集中させて数回深呼吸するとかなり落ち着きます。深呼吸はマジで効きます。おまけに何の用意もいらず、こんなに簡単にできるものは他にはありません。
 それと忘れちゃいけないのが体のケア。神経が敏感なんだから、ようするに寒さ暑さとか、その他の身体的な感覚についても敏感なわけで、そういうところもかなり念入りにケアしないといけません。すぐ自律神経失調症とかになっちゃうからね。体を大切にいたわってあげて下さい。精一杯愛してあげて!…HSPって大変。。

 HSPにとっては、どんな状況であれ、一にも二にもまず”落ち着くこと”が絶対重要なのです。落ちつかなったら何も始まりません。頭も回りません。緊張しすぎると防衛反応として頭がフリーズしてしまうからです。それも大方の人にとっては何でもないシチュエーションにおいて突然頭がフリーズしてしまったりするのですから、おバカさんなのではないかと思われてしまって尚更困ります。まずは落ち着く。全てに優先させて落ち着く。これ鉄則です。
 あと社会に出るときは”ペルソナ”を被りましょう。仮面です。つまり、臆病な本当の自分は隠して、もっと自信のありそうな、社会に適応してるっぽい仮面を被るんです。やっぱり、これは非HSPとて同じことですが、適度に愛想が良い感じの仮面の方がいいでしょうね。元々HSPは人から謎めいた印象を持たれやすく(しゃべらないからか。。)、敬遠されがちな傾向がありますから。。本来社会とは、ペルソナとペルソナが接する場、なのです。あとは基本的なマナーさえ守っていれば、とりあえずは大丈夫。非HSP社会においても”普通に”生きていけます。
 さらに、親を母港として持てなかった人も安心してください。母港は親だけじゃありません。自分を真に愛してくれる人はすべて母港になり得るのです。その人のことを思い出すと心が安らぐ、そういう人を母港にすればいいのです。あるいは人でなくてもいい。自分の部屋だとか、趣味だとか、あるいは地球とか宇宙とか、そこまでいけば大したもんだとアーロン博士も言っています。過去の良い思い出とかもいいですね。要は安らげるものなら何でも可なんです。落ち着きましょう。


 とまぁそんなわけなんですが、あとはですね、一番緊張することでありながらHSPにとっては絶対に避けて通れない”恋愛”の話とか、そんなよなことがこの本には書かれています(恋愛についてはそれだけのテーマで別冊も出てるよ♪そっちは表紙が赤いんだ)。
 この本は、自分は敏感すぎるなぁ緊張し過ぎるなぁと思っている”HSP”の方、あるいは知り合いにHSPと思しき人がいて、どうにかしてその人のことをもっとよく知りたいなぁと思っているような心有る”非HSP”の方など、ありとあらゆる人に読んでもらいたいと思います。社会全体において、HSPというものに対する認識度が上がればいいと思っています。そうすればHSPはもっと生きやすくなるし、社会全体もHSPからの恩恵を受けやすくなると思うからです。そうなれば、人間の社会は安泰です。

 最後に、個人的な意見であると同時にアーロン博士も本書の中で似たようなことを述べていますが、特に医療関係者の方々には是非とも読んでもらいたいと思います。医者であれ看護婦であれ、人と、それも多くの場合”弱者”と文字通り”密接”に関わり合いを持つ場である医療の現場は、本来、繊細なケアを得意とするHSPの職場であったといいます。しかし、もはや現在この職場はほぼ完全に非HSPに占拠されております。それも相当に非HSP的な非HSPによって!マニュアル的なテクニックとしてHSP的な配慮を示す努力をしている医療機関は増えてきていますが、しかし、真のHSPの心にはまだまだほど遠いものがあります。そのことを実感している人は少なく無いはずです。ましてHSPであれば尚更感じていることでしょう。

 だからこそ!HSPが自信を持って社会に出て行く必要性があるのです。HSPは、何度もいうように、社会にとって欠かせない存在なのです。非HSPが簡単にこなしてしまうことをHSPがなかなかできないのと同様に、非HSPには気付くことすらできなくてもHSPには自然にできてしまうことがあるのです。それらは人間にとってとても大切で、本来欠かせないもののはずです。だからHSPは内に篭らず外へ、社会へ出て行かなくてはいけないのです。そして自分たちにしかできない役割を果たさなければいけないのです。ヒトとして生まれた以上の義務なのです。
 しかし、その為には社会全体に「愛」が欠かせません。非HSPからの理解と思いやりに満ちたHSPへの愛、またHSPを子に持った親からのHSP=子への愛です。非HSPとHSPにおいて、遺伝子レベルから随分と異なる神経システムを持っているとは言え、両者は最も重要な点で結びつくのです。それは、他者を愛し、理解し合う能力を持っているという点です。愛のない社会は滅びる。これは現実の話なのです。

 最近思うんです、「愛」って何なのか。。それはきっと、対象が何であれどうであれ、「その存在を全面的に肯定すること」なのではないかと。。。これは、今現在の私の心の母港となっている3人の女性、恵まれたHSPであるFrau_M.Tと、人を信じて愛することしか知らない非HSPのFrau_sieとFrau_K.Sが、 かつて身をもって、美しい笑顔と共に全くの自然の態度で私の心に示し教えてくれたことです。 私は、この3人に限らず、今までに私を真に愛してくれたすべての人々に対して心から感謝したいと思います。私はこれらの人々によって心を救われ、守られ、今まで生き長らえてきました。お返しをするのはいつのことになるかわかりませんが、それはきっと大きなものとなるでしょう。

 何だか最近”愛の伝道師”気味な私から愛を込めてぃえ。。

 こんなに長いの一生懸命最後まで読んでくれてありがとう。。(ブユユュュュ…感涙ッ)


 ほんっじゃ♪