『〈自己愛〉と〈依存〉の精神分析』
(4) 2004年3月 記
こんにちは。ごめんね、また一個書いちゃった。現代社会に警鐘を鳴らすシリーズ第2弾です(第1弾は「3」。)。
現代人には自己対象が少なくて、それだけ自己愛不満に陥りやすくなっていると書きました。その分ストレスにも弱くなっています。自己愛が満たされていれば多少のストレスにはビクともしません。現代がストレス社会だと言われる背景には、現代人がストレスに弱くなっているという面があります。
そこで、コフートからは少し離れますが、現代社会のありようとストレスについてちょっと考えてみました。繰り返しになりますが、現代がストレス社会だと言われるのは、1つには現代人がストレスに弱くなっているという面があります。もう一つとして、どうもストレスの原因=ストレッサーが”放置されてきた”という面もあるのでは、と思うのです。どういうことかと言いますと、つまり、かつての社会は人一人に対して自己対象も豊富にあり、人々は多少のストレスには害されることなく生きてこれたのではないでしょうか。そういった中で、耐えることができた分、ストレッサーは解消されることなく放置されてきたと考えられます。また、ストレスを和らげる術というものについても、あまり熱心には取り組まれてこなかったと考えられます。で、そのまま時代が進み、社会のあり方が変わり(都市化・核家族化・地域社会の消滅等)、ストレスに弱くなった人間と、放置されてきたストレッサーが残ったと、そしてストレス社会のできあがりと、そういうことなのではないかと思うのです。
別の言い方をすれば、かつての社会ではストレスがあまり意識されず、取り組むべき問題として捉えられてこなかったという面があり、逆に現代ではストレスが多くの人々に意識化されてきたのではないかと思うのです。意識化されてきた原因としては、これまた繰り返しになりますが、人々がストレスに弱くなったというのが一番だと思います。
かつて存在していたストレッサーの量と、現在存在するストレッサーの量は、ひょっとしたら全然変わってないのかもしれません。ストレッサーを受ける人間の方が弱くなって、んでもって「ストレス社会」っちゅうものができあがったのではないでしょうか。だから「ストレス社会」というのは、「ストレスの多い社会」ではなくて「ストレスを感じることが多い社会」という言い方のほうがより正確なのではないでしょうか。
ということでこれからの課題は、1:個人個人をストレスに強くする=一人当たりの自己対象を増やす(…って、どうやるんだ?←これは大きな課題だ)、2:ストレッサーそのものを減らす(それにはまずストレスに対して敏感にならなければなりません)、3:すべての人がストレスを和らげるすべ(共感や”グルーミング”=いたわり・気配り・心遣いなど)を意識的に学び実行する、なんてなところじゃないでしょうか。ストレスの第一原因は人間関係だと思いますからね。しかし同時にストレスを和らげるのも人間関係だと思います。人は「人に傷つき人に癒されるもの」だと思います。
なんてなことをちょっと考えてみました。コフートとは直接関係ありませんが、ついでにってな感じで。言い回しが難しくって伝わりにくい点もあるかと思いますが。
ちゃんちゃん。