『〈自己愛〉と〈依存〉の精神分析』




(3) 2004年3月 記


 こんにちは。実は2回で終わらせるはずだったこの自己愛シリーズ、もはや看過できない事件が実社会で色々と発生し、「これは書かなくてはいけない!」と一種の使命感のようなものに駆られて筆をとった(注:実際にはとっていない)次第であります。
 もともとは第2回のところで「自己愛憤怒」という項目を設けて書くつもりだったことなのですが、ここでページを改めて記させていただこうと思いますです。


 1回目&2回目でも何度も書きましたが、人間には誰にでも「自己愛」という自分を大切に思う心理が働いています。この自己愛傾向が妨げられると、つまり自己愛とは逆の方向の心理的刺激を与えられると、人は「自己愛憤怒」の状態に陥るとコフートは言っています。簡単に言えば馬鹿にされたり、いじめられたり虐げられたりすると人は怒ると、ただそれだけのことなのです。当たり前と言えば当たり前のことですが、当たり前のことをよく意識化することというのは大事なことだと思います。いざ何か問題が起きた時に、当たり前だと言って軽んじて見ていた人よりも、当たり前なことのメカニズムを良く知っている人のほうが問題を解決する能力が高いと思うからです。メカニズムがわかっていれば、何をどうすればどうなるのかがわかるからです。

 まぁそれはともかく、自己愛憤怒というのは、ただ馬鹿にされて怒るというのとは微妙に異なるものだと思います。というのは、馬鹿にされたことに対する純粋な反射としての憤怒というよりは、馬鹿にされたこととは別の何かが憤怒の起爆装置として働いていると思われるからです。それは、自己愛の不満です。つまり、自己愛が満たされていない状態で馬鹿にされたから怒ったということです。だから場合によっては、自己愛が満たされていれば馬鹿にされても怒らずに流してしまえたかもしれないということなのです。
 自己愛はどのように満たされるか、これはおさらいになりますが、まずは他者から共感されねばなりません。自分の主観的な心理についてよく考えてもらい、共感される、これがまず第一です。そして自己対象を得ること。これは自分を誉めたりしてくれる鏡自己対象や、自分の理想を請け負ってくれる理想化自己対象、自分も他人と同じ人間なんだと思わせてくれる双子自己対象などの各自己対象を得ることです。これらが満たされて初めて自己愛が満たされるのです。逆に言えばこれらが満たされないと、人は自己愛において不満状態となり、自己愛憤怒も起きやすくなってしまうのです。

 結論から言えば、現代人は慢性的に自己愛不満の状態にあり、自己愛憤怒を起こしやすいということです。一番わかりやすい例は、「キレる」という現象です。むしろ「キレやすい」と言った方が正確かもしれません。
 かつての日本社会は自己愛が満たされやすい社会であったといいます。地域社会が成り立っていた頃の話ですね。自分の父母、祖父母、兄弟のみならず、近所のおじさんおばさん、おにいさんおねえさんがいた時代です。自分の周りに人が多くいれば、それだけ自己対象の数も多くなります。つまりそれだけ自己愛も満たされやすかったわけです。ところが都市化、核家族化が進み、地域社会というものも無くなってしまい、自分の周りに他者がいなくなってしまったのです。そうして現代人は自己対象の数が減り、自己愛飢餓の状態に陥り、結果として自己愛不満→自己愛憤怒→キレやすいとなってしまったのです。これはどう解決すればいいのか、私にはわかりませんね。地域社会を復活させると言っても、そんなことができるのでしょうか。。人一人に対しての密接に関わる他者の数を増やさなくてはならないのです。どうすればよいのでしょう。答えを探さなくてはなりません。

 人間というのはそもそも群生動物(群れを作って生きていく動物)です。だから自分の周りに他者がいることが自然である動物なのです。逆に言えば自分の周りに他者のいない状態というのは、人間にとっては不自然で異常な状態なのです。一人の人間に対して他者=自己対象が少ないあるいはいない現代社会というのは、異常な社会であると言えます。ここにきて人間は、あまりにも本来の自然の姿から遠ざかってしまったのではないでしょうか。


 自己愛が満たされず、自己愛憤怒がつのりにつのって民族レベルで大爆発をおこしてしまったナチスの例もあります。第1次大戦に負け、戦勝国側からベルサイユ条約という”いじめ条約”を押し付けられ、べらぼーな額の賠償金を請求され、やっとこできあがった統一国家が破綻寸前にまで落ちてしまった当時のドイツ人は自己愛飢餓のどん底にいました。そこへ颯爽と(?)登場したのが例のアドルフ(通称:ちょび)でした。アドルフは民衆の”ねじまがった”理想化自己対象を一手に引き受け、またたくまに国家元首へと登りつめたのです。そしてドイツ人の自己愛憤怒を追い風に数々の蛮行を行いました。結果としてドイツ帝国は崩壊しました。自己愛憤怒は自分自身をも亡き者にしてしまうほどの極めて破壊的な衝動なのです。あるいは自己愛がきちんと満たされないと、人間が本来持っている獣的な本能(ニーチェの言葉を借りれば”金髪の野獣”、またユングの言葉で言えば”ヴォーダン”=ゲルマン神話の主神で嵐と戦争の神=北欧神話で言うところのオーディン)がむき出しのままに表へ出てきてしまうということなのかもしれません。いづれにしても人間は、自己愛がきちんと満たされることなしには正常に生きていくことができないのです。


 ま、そんなわけで。