『〈自己愛〉と〈依存〉の精神分析』



(1) 2003年1月 記


 ってゆーか新しい人はっけ〜ん♪ハインツ・コフートさまで〜す。ウィーン生まれのユダヤ系のアメリカの心理学者で〜す。要するにナチスに追われてホイサッサ系の人で〜す♪(っておい!当人にとってはメッチャ不幸な話やぞ!)。1981年に没しているということですから、なんだ、ワタシも数年間だけ同時代を生きていたんじゃないですか〜、んも〜プンプン!
 ということで意味不明の怒り言動クン(誰?)は端っこに置〜い〜と〜い〜て〜(そして再びそ〜っと中央に持ってこないように、そこのキミ!)、さて、この方はですねぇ、いわゆる”精神分析”、というとこれはかのジークムント・フロイト大先生が創始した心理学の一派でありますけれども、それの流れのまぁ最先端にいる人なんですねぇ。や、最先端じゃないな、もう死んでから20年近く経ってるし、後継者も出てきてるみたいだし。まぁ、とにかくフロイトの流れを汲む人だと思っていただければ、あとはもう、他には何も言うことはありません。というわけで、どうも、長い間ありがとう。。もうお別れなんて、、さみすぃーな。。グスン。。…さよならッ!


 こんにちは、続きです(爆)。


◎”全米ヒットチャートNo.1”の心理学!?

 っつーかまぁなんつーか、アメリカで売れてるらしいです。今現在、向こうではコフート心理学(正式名称:自己心理学)が一番人気のある心理学らしいです。っつーか、著者の和田さんによれば、アメリカっつーのは”市場至上”主義の国ですさかい、みんなで競合し合って(競”合”し”合って”て。。)、結果としてイイ商品=売れる商品=売れた商品が残る国です。医療においても同じなんですね。なんでもアメリカの医療制度ってのは日本とは随分違うらしくって、保険でやってるっていうんじゃなくて、なんか、よく知んないけど、とにかく市場原理が働くんだそうな。医療費も高いらしいけどね。でまぁそんな状況のなかでコフートを採用する精神科医が多いってことは、それはイークォール=イコール(←これ、仮に英訳する場合、どうやって訳すんだろう…?)、コフートが売れる、すなわち客=患者に受けがいいってことなんですね。

 はいぃ、ではコフートの心理学とは一体どんな心理学なのかと、そういうお話をいたしましょうか。まぁ簡単に言えば、「人は誰しも自分がカワイイもんだ」ってゆー心理学です。あるいは、「人ってのは、まぁ大体ちょっくら人に甘えながら生きていくもんだでゲヘヘ!」という心理学です。や、ほんとにそうなんですって。なに?そんなのメチャ常識やろって?あぁそうさ、そうだよ、常識だよ。なにかい?オレが常識的なこと言っちゃあいけねーってゆぷ(以下省略)
 そうですね、とても常識的ですね(←ク○リ打って人格変わった??)。特に日本人の気風から言えば、まことに常識的です。ま、アメリカ人にしてみれば、若干違うんでしょうけどね。しかし、考え方を変えてみれば、そんな常識的なところが崩れてしまったからこそ、その人は心の病気になってしまったのではないか、とそんな風にも考えられます。
 コフート心理学のキーワードは3つ、「自己愛」、「依存」、そして「共感」です。これにプラスして「内省」というものも挙げられるかもしれません。これから、これらの一つ一つについて解説をしていきましょう。まずは「自己愛」について。


◎「自己愛」と「対象愛」

 親分のフロイト先生に言わせれば、「愛ってものは、少なくとも大人になったら、本来、他人(自分にとっての「対象」)に対して向くべきものであって、自分自身に愛が向くってのは、これは異常で病的な状態だ。」ということなんですね。人間は成熟して大人になれば、自分やモノではなく、人を愛するのが正常だと、フロイトは言うわけです。これをフロイト用語で「対象愛」といいます。
 しかし一方、子分であるところのコフートは、「いんや、ちゃう。人間ってのは、いくら大人になったって、いつまでたっても自分がカワイイもんなんだ。そりゃあ人も愛するけども、でもやっぱいざとなれば自分のことを大事にしちゃうって気持ちも、いつまで経ったってあり続けるものなんさ。」と言うのです。「人間が、大人であろうが子供であろうが、自分のことを愛するのは自然なことだ」と、コフートは言うのですね。

 この両者の違いは、人が”病気”になった時の考え方において、特にはっきりとしてきます。フロイトは、「病気になったらキアイでがんばれ。自分自身を強く持ってりゃあ病気なんてヘでもねー。オレなんて顎のガンの手術するとき、マジで麻酔なしでやったんだぜ?(←注:実話です。。)すげーだろ、なぁ!自分をしっかり持ってりゃあ、どんな苦難だって突破できるんじゃ!!」と言います。
 それに反してコフートは、「病気になったらツライぢゃーん。やっぱショゲるよね。。ヤだよね。。落ち込むよね。。やさしくしてもらいたいよね。頼んでないのにレモネードとか作って寝床まで持ってきてもらいたいよね。。。だいじょうぶ?ゆっくりやすんでネ♪とか言いながら手をぎゅ♪って握ってもらいたいよねキョキョ!。。。。。病気になって弱ったらさぁ、やっぱ人間、甘えっ子になってわがままになって、人のことより自分のこと優先させて考えるのなんて、当たり前じゃんさ。ねぇ?」と言うのです。「病気になったり、心が落ち込んだりして自分ってものが弱くなってしまったら、人は人に対して甘えて、依存をしてもいい。それはまったく自然なことだよ。」とコフートは言うのです。さて、みなさんはフロイトとコフートと、どちらの考え方に共感されますか?


◎「自己愛」に必要な”3つの「自己対象」”

 みなさんも直感的に思うと思いますが、コフート自身も、最初は「自己愛」というものを、「自分で自分を愛する傾向」、要するに”自惚れ(うぬぼれ)”的なものと捉えていました。いわゆる”ナルシシズム”ですね。
 ところがね、いろいろ研究してうちに、「ちゃうな、自分で自分を愛してても限界があるな。やっぱ”人に(自分を)愛してもらわないと”心は満たされないな。。」と考えるようになってきたのです。つまり「自己愛」とは、「自分で自分を愛する心理傾向」ではなくて、「(人に)自分を愛してもらいたいと思う心理傾向」ということになるのです。それが「自己愛」なのです。

 さて、では、どんな風に人から愛してもらえれば、人=自分の心は満たされるのでしょうか?

 コフートは当初2つを考えました。1つは「鏡(かがみ)自己対象」で、もう1つは「理想化自己対象」です。「…、なんやねん。。」という声が聞こえてきました。「自己対象」というのは、「自分にとっての対象」っていうことです。「自己愛」を満たすには「他人から愛されること」が必要だと言いましたね。つまり、その「自分の自己愛を満たしてくれる他人」のことだと思ってもらえれば、他にはもう、、や、まだ言いたいことは色々あるんで、先まで読んでください。お願いします。。(プチ笑)

 まずは「鏡自己対象」について。

 「鏡よ鏡よ鏡さん、世界で一番美しいのはだぁ〜れ?」
 「お向かいの加賀美さんの奥さんです。あの純和風の顔立ちが…」
 「って誰なんだよそれ!つれてこいよマジで。。」

 という話がありますが(あるか!)、それ由来のネーミングなんですね。つまり「自分を誉めてくれる対象(=他者)」のことなのです。「あら、よくできたわね〜」「あらエラいわね〜」「は〜い、がんばりましたね〜、すごいですね〜♪」、「あら、あなたって、こうやってよく見ると、けっこう品のいい顔立ちしてるわね?」「今日のお召し物、ステキじゃない?あなたが選んだの?へぇ〜、センスいいわねぇ。」、「すご〜い!そんなことできるんだぁ。。あたし、尊敬しちゃうな♪」等々、ちょっとしたことでも誉められると、人ってまんざらでもないですよね。例えそれがウソでもねっ(ギク!)。
 大体、誉められて気分が落ち込む人はいません。いたらその人は確実に心の病です。大方の人は誉められれば嬉しくなって、元気になります。思わずニヤ…っつーかニコ〜♪っとしてしまうでしょう。少なからず自信が付きます。そして”野心”が生まれてきます。「よ〜し、じゃあ次は、もっとすごいことしちゃうぞッ!」ってな気分になります。これがコフートの言うところの「野心の極」の発生なのですが、それについての詳しい話はまた次の機会においておきます。人から誉められて、自分の心のなかにこの「野心の極」が出来上がると、人はより上を目指してがんばるようになります。

 生まれて初めてハイハイをした時に、ママから「わぁ〜!○○ちゃんエラいわね〜!!パチパチパチパチ!!ほらこっち、ほらこっち!きゃ〜すご〜い☆☆」と誉められれば、”赤ちゃん心”にもまんざらではなくなり、もっとハイハイしてもっとあちこち這い回ろうと思います。反対に、ハイハイして母親のそばを離れていき、ふっとママを振り返ってみたら、ママが「…。。」と、冷たい顔をして、好意的な態度を何ら示してくれなかったら、そりゃあ赤ん坊もやる気をなくします(それどころかもっと長い目で見れば、”親離れ”or”母離れ”するのが大変に困難になってしまいます。)。
 大人になっても同じ。「よし、ここで一発、この仕事を成し遂げて、課長に認めてもらうぞ!」と思って一生懸命がんばって、一つのプロジェクトを成し遂げたとします。そして意気揚々と課長のもとへ行き、「課長!やりました!」と言ってその反応が「あ、終わったの。はい、じゃあ次これね。クルっ(←椅子回して後ろ向いちゃった…)」だったらアナタどうしますか!やってられないでしょう!?多分この人はこの後、ストレスに負けて会社を休みがちになり、ついには心の病となってしまうでしょう。

 同じく、こんなのもありえるでしょう。日本史が大嫌いだった中学一年生の美咲ちゃん。社会科のテストはいつもクラスの平均点を下回っていました。その影響か、他の科目のデキもイマイチで、成績が全体的に少しづつ下がっていってしまいました。家に帰ってもママもパパも共働きで、一緒に食事をすることすら稀でした。他に家族のいない美咲ちゃんはほとんどいつも一人ぼっちでした。親とたまに顔をあわせても、「勉強ちゃんとやんなさいよ。」「塾へはちゃんと行ってるんでしょうね?」と、そればかり。帰宅部で、特に熱中するものもなく、なんとなく毎日を過ごしていました。

 そして転機が訪れました。中二の春に、大学の史学科を出たばっかりの新しい社会科の先生がやってきました。金髪碧眼の”貴公子然”としたこの若い男の先生に、美咲ちゃんは一目で心を奪われてしまったのです。そして案の定、一念発起。美咲ちゃんの社会科の成績はメキメキと上がっていきました。それにつられて他の科目の成績も、少しづつ上がっていきました。そしてある日の放課後、美咲ちゃんは、その日の社会科の授業で習ったことで、本当はわかっていることなのに、わざとわからないふりをして、それを先生に質問しに行ったのです。ドキドキの10分間ぐらいでした。大好きな羅允(らいん)先生(←先生の苗字。変わった名前ですね。)が、一対一で、わたしにだけ教えてくれてる…♪
 先生の声もほとんど耳に入らぬまま時間が過ぎ、真っ赤っかな顔をして職員室を去ろうとしたその時、「あ、渡辺さん(←美咲ちゃんの苗字)、あれだね、一学期からテストの点数、上がってるね。うんうん、がんっばってるんだね。ニコ♪」

 この後、美咲ちゃんはどうなるでしょうね。言わずと知れたことですね。勉強をがんばって大学まで進んで、きっと文学部の史学科へ入ることでしょう。そしてその後、結婚をして男の子供ができたら、その子に大好きだったあの先生の名前(春斗)を付けるかもしれません。

 この話は創作ですが、しかし私自身の実経験に基づいています。誉められれば人は嬉しくなってがんばります。がんばれば、能力が上がっていきます。そしてどんどん自信がついてきます。自信があれば、人はまたどんどん前へ進んでいきます。そして、ちょっとやそっとのことではへこたれなくなります。みなさん、人を誉めましょう。特に子供を誉めましょう。

 あ、んで鏡自己対象ってのは、誉めるばかりでなくて、相手のことをちょっと気にかけてあげる、というのも鏡自己対象のあり方の一つです。具合悪そうな人に対して、その人が具合悪くて大丈夫じゃないってことは見た目からして十分わかっているけども、そこで敢えて「大丈夫?具合悪いの?」と一言言ってあげるだけでも、その人の心はふっと軽くなります。だからなんだろう、鏡自己対象ってのは、つまり、、自分が愛されてる、大事にされている、尊重されている、自分には価値があるというような感覚を与えてくれる対象、のことなんですね、多分。。まぁそんなもんだ、きっと。。。そんなところでわかってくれ。次いくから。


 さて、鏡自己対象の話が膨らみすぎて長くなってしまったので、残りの2つ、「理想化自己対象」と「双子自己対象」の話は、思い切って省略しましょう。ってのはウソで、かいつまんで話します。

 つらいとき、弱っちゃったとき、困ったとき、人生の道に迷っちゃったとき、「おれがいるから大丈夫さ!」と言ってグイグイ引っ張ってくれるような人がいたら、どんなに頼もしく、どんなに安心することでしょう。「そうだ、ぼくには○○がいる。○○さんがついている!」
という気持ちになれれば、どんな状況にいようとも、人はまた強くなれるものです。えらい病気になってしまったとき、高名な先生に診てもらったとします。するとその患者さんの心理としては、「わたしはあの○○先生に診てもらったんだ。○○先生なら安心だ。必ずなんとかしてくれる。だから安心だ。」と言って、気持ちも強くなり、おそらく治りも早いでしょう。これが理想化自己対象です。いざという時頼れる存在がいれば、やはり人は、一歩前へ出ることができます。理想化できるようなすごい人と何らかの形で関係を持っていれば、人は自分まですごくなったような、えらくなったような気になるものです。そして安心して自信をもって、前へ進めるのです。これが理想化自己対象です。
 ただまぁ、予想されうることですが、これが行き過ぎちゃうと、”増長”してしまうことになるわけです。「わたしはかの○○さまの妻なのだから、わたしもエラいのよ!ほら、そこのあなた、ひざまずいてわたしの靴をお舐め!」ということになってしまうのです。
 赤ちゃんにとってお父さんってのは、本来、自然と理想化自己対象になるんじゃないでしょうか。「ぼくはこれこれができないけれど、でもこのおとこのひとはそれをかるがるとやってのけている。すごい。。でもぼくはこのひとのこどもだ。ぼくもできるかもしれない。しかもこのひとは、いつもぼくのことをみまもってくれている。だからぼくもやってみようかな。。」とここへさらに鏡自己対象としての母親が加われば、この赤ちゃんはもう、完璧ですね。この子の「自己」(=”自分というものについての心”ぐらいに捉えておいて。)は強くなり、心理的には特にこれといって問題のない人生を送っていくことができるでしょう。ちなみに理想化自己対象は、さっき出てきた「野心の極」の対になるもので、「理想の極」というものを人の心の中に発生させるといいます。しかし、はっきりいってわたし、この「〜の極」ってのの意味がよくわからないんですよね。まぁ、もう少し勉強します。

 そして最後の「双子自己対象」。これはコフートの医者としての実経験の中から、上述の「鏡」と「理想化」の2つの自己対象の後に考え出された自己対象です。治療者が患者に対して「鏡」になってあげようと思い、誉めてみたところ、「そんなこと言って、先生、ほんとはそんなこと思ってもないんでしょう?仕事だからやってるんでしょう?へっ。。」ということになってしまいました。また、では「理想」の方はどうかなと思ったら、「先生は偉くていいよなぁ、みんなからチヤホヤされて。。なんでもできるし。。儲かるだろうし。。オレなんてよ。。けっ。。」という風にひがまれちゃったりしちゃって。。そこで、「いや〜、そういう風によく思われるんだけどね、でもねぇ、わたしも大変なんだよね〜、なんか治療がうまくいかなかったりだとか、ちょっとつまづくと結構すぐにガクンと落ち込んじゃったりしてさ。。参るよなぁ。。。」なんてな風にちょっと弱みを出してみました。すると、患者としては「へぇ〜、意外だね。。先生も落ち込むんだ。。ふぅ〜ん。。。なんだ、一緒ぢゃ〜ん!!」ってな風な気持ちになって、それからなんだか急に打ち解けちゃって、なんか、誉められれば喜んで、なんだか「オレはあの○○先生に診てもらってんだぞ、すげ〜だろ!ゲシシ!」とか周りに言いふらし始めたりして。。とまぁ、これが「双子自己対象」です。
 自分がなんだか、人と違って、自分だけ取り残されてるとか、自分だけうまくいかなくて、なんかおれだけ一人?みたいに思ってるような人には、双子自己対象が必要みたいです。自分と似たような気持ちを持った人を求める心理を満たしてあげると、こういう人はちょっと安心して、人に対して心を開くようになる、というわけなのです。すごいな〜すごいな〜と思ってた人から、ある時ふと「オレも実はさ〜…」みたいな感じで弱みを打ち明けられて、意外で一瞬驚くんだけど、でもなんか、ちょっとほっとしたような気分になったというような経験はございませんでしょうか。「なんだ、みんな一緒じゃん。オレ一人じゃないんだ。ほ。」というような気持ちを持ちたがる傾向も、人間の心にはあるということなのですね。

 はぁい、わかりましたか?自己対象。こんな感じの自己対象になってくれるような人が周りにいて、そういう人たちと付き合っていく中で、自分の「自己愛」というものは満たされていき、「自己」が、あるいは心が強くなっていくということなのです。そうしてとりあえずは正常な心理生活を送っていけるのだ、ということなのですね。
 で、間違ってほしくないのが、人間の心の中にいくら「自己愛=愛されたい」という傾向が働いてるからと言って、闇雲に誉めたり理想像を請け負ったり、似たもの同士になってやればいいというわけではないのです。それはあくまで、まず求める側の”ニーズ”があってのものなのです。つまり、求めてない人に対してこれらのことをしても、まぁ無意味ではないでしょうけど、別にどうってことはないのです。きょとん?とされてしまう可能性もなきにしもあらずです。相手のニーズを窺って、それから自己対象を請け負ってやるというのが、本来の順番なのです。


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