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インド人エリートビジネスマン、シャルマ氏の「日本体験記」より、気になった文章をメモっておく。
多くの日本人は「菜食」を新しい健康法と理解しており、インド人のそれが歴史的な出自に関わる差別に
根ざしていることを知っている者はそれほど多くない。
多くのインド人が会食の場で、「私は肉食をしないが、あなた方食べる分には何の問題もない」と言う時、
そこにはカースト意識がある。つまり「私はバラモン(僧侶階級)だが、あなたは賤民出身だから、私が
あなたの肉食を認める」という差別意識の深層があるのだ。
最近インドのある村で、自分たちのカースト順位を向上させるべく、下層カーストの全員が完全菜食主義を
取り入れたと報じられた。これは肉食が今もインド人にとって、どういう事を意味するかを物語っている。
日本人は個人的ロマンティシズムに美学を感じ、インド人は集団的リアリズムに美学を感じる国民。
日本人は、合理性、客観性、論理性を重視せず、ただひたすら情念に思いを込める伝統的な性向がある。
かくして日本人は目的よりも体面や手段の在り方に拘泥し、ややもすると目的を見失う。
いっぽうインド人は目的ためにあらゆる手段を講じ、いかなる場合にも目的と手段とを混同することがない。
カフェやバーで繰り広げられる男女の光景はじつに興味深いものである。親しげに話し合う男女の傍らで
「別れ話」をする男女もいる。東京のように極度に発達した都市においては、真面目な話をする場が
失われて久しいのである。人々は愛の告白をするにも、別れ話をするにも、財産分けの取り決めをする
にも、バーやカフェに行かざるをえないのである。
日本人はおしなべて大食漢といってよく、痩せぎすの小柄な女性でも私よりずっとたくさん食べる者が
多い。彼女たちは中年になっても太らない。歳もあまりとらない。日本人の50歳の女性は3〜40歳に
しか見えない。逆に言えば、日本人からは、30歳のインド人女性が4〜50歳に見えるということだろう。
インドではカレーは捏ねて食べるが、日本ではそれは不作法とされる。インドではテーブルに並んだ料理を
全部混ぜて食べるが、日本では一皿ずつ食べる。日本人は「純粋性」「単一性」を信仰し、「生」である
ことはプラスのイメージだが、インドではそれは未完成のイメージだ。インドでは混ぜることは「豊穣」を
意味する。
インドでは「肩書き」がすべてなので、それを売り買いする。インドで働く日本人は、出来るだけ沢山の
「肩書き」を持って身を守ることが推奨される。
その他、ヒンズーとイスラムとの紛争。東京裁判で東条英機以下被告全員に無罪の意見書を提出した
インド人パル氏の話など、なかなか興味深い内容が多いが、書ききれないのが残念。
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