鉄道唱歌 満韓鉄道編 (31番〜60番・平壌〜奉天〜大連)


31.高麗門(こうらいもん)の旧蹟も 見はてて過ぐる鳳凰城(ほうおうじょう)
町には孔子の霊屋(たまや)あり 山には四季のながめあり
32.(いぬい)の方に天を()し 聳ゆる峰は摩天嶺(まてんれい)
その(いただき)に立ちたるは 日清戦争記念碑よ
33.連山関(れんざんせき)を打ち過ぎて 下馬塔(げばとう)楡樹林(ゆじゅりん)本渓湖(ほんけいこ)
ここもかしこも我軍の 血を流さざる方もなし
34.百万斤(ひゃくまんきん)の石炭を 日毎に堀りて出すと聞く
撫順炭礦(ぶじゅんたんこう)右に見て 今ぞ着きぬる奉天府(ほうてんふ)
35.三百年来おかれたる 帝都の昔忍ばれて
城壁たかく町栄え 人口およそ三十万
36.北に進まば黒竜江(こくりゅうこう) かなたの岸も近けれど
まず此のたびは見合わせて 南に帰りの道取らん
37.東清鉄道(とうしんてつどう)名を変えて 今は南満鉄道(なんまんてつどう)
駅また駅を尋ぬれば 渾河堡(こんかほ)沙河堡(しゃかほ)煙台駅(えんだいえき)
38.沙河(しゃか)は露軍を我軍の 大敗せしめし古戦場
歪頭山(わいとうさん)の峰高く あげしは武勲(ぶくん)の誉れなり
39.煙台炭山(えんだいたんざん)名も高く 敵に砲撃加えたる
三塊石山(さんかいせきざん)万宝山(ばんぽうざん) みな此付近の著名の地
40.岡崎旅団が苦戦せし 其名を残す岡崎山
見ながら渡る太子河(たいしが)の 水を凱歌や歌ふらん
41.奥・野津・黒木の三軍が 力あわせて乗り取りし
遼陽(りょうよう)市街の遠近(おちこち)に 残るは敵のの角面堡(かくめんほ)
42.関谷・橘二勇士が 天晴れ名誉の戦死せし
首山堡(しゅざんぽ)すぎて海城(かいじょう)の 右には牛荘紅瓦塞(にゅーちゃんこうがいさい)
43.海城(かいじょう)すぎて大石橋(たいせききょう) 石より堅き敵塁も
攻め砕きたる奥軍の 苦戦何かに(たと)ふべき
44.右に分かれて営口(えいこう)を 過ぐれば遼河(りょうが)の渡りあり
北京(ぺきん)(おもむ)く旅人は 是に乗るこそ便利なれ
45.それより錦州山海関(きんしゅうさんかいせき) 山海関(さんかいせき)を中にして
こなたを関外かなたをば 関内線と名づけたり
46.又立ち戻る大石橋(たいせききょう) 東に行けば柝木城(たくぼくじょう)
続きて岫厳大弧山(しゅうがんたいこさん) 下車して地理や探らまし
47.生糸の市場と聞こえたる 蓋平(がいぺい)すぎて熊岳城(ゆうがくじょう)
城外四面に波立てて 起き伏す丘ぞ望まるる
48.十六門の速射砲 得たりし戦利の得利寺(とくりじ)
左右に高く聳えたる 山の間を行く処
49.貔子窩(ひしわ)を上りし我軍の 魂こめたる弾丸を
始めて敵に贈りたる 記念の土地は普蘭店(ふらんてん)
50.鉄条網の激戦に 其名も高き南山の
(ふもと)にそいて行く道の 右に見ゆるは錦州湾(きんしゅうわん)
51.進みも早く行く汽車の 窓より左にながめやる
風景佳絶(ふうけいかぜつ)和尚島(おしょうとう) 貿易繁華の大連湾(たいれんわん)
52.大連湾(たいれんわん)の湾頭に 露軍の手により作られし
規模壮大の青泥窪(だるにー)は 今の大連市街(だいれんしがい)なり
53.双溝台(そうこうだい)土城子(どじょうし)も 過ぎて左にながめゆく
松樹・二龍の二砲台 あれかや二百三高地
54.朝日にきらめく日の御旗 山又山にさし立てて
凱歌うたいし我軍の 当時の心ぞ思はるる
55.乃木将軍(のぎしょうぐん)が苦戦せし 名誉の陸はここなるぞ
広瀬中佐(ひろせちゅうさ)が戦死せし 名誉の海はここなるぞ
56.港の口を封鎖して (いさお)をたてし決死の士
朽ちぬ(ほまれ)千代八千代(ちよやちよ) 老鉄山(ろうてつさん)と諸共に
57.苦戦の旅順(りょじゅん)も我は見つ 平和の旅順(りょじゅん)も我は見つ
(これ)を旅路の土産にて 行きて語らん見ぬ人に
58.大連湾(たいれんわん)を出港の 定期の船は何丸ぞ
名残は残る満州(まんしゅう)の 地を踏む事も今日ばかり
59.分かれて久しき故郷(ふるさと)の 空をく何とながむれば
煙水万里(えんすいばんり)の海の上 日は暮れそめて月高し
60.ああ清国(しんこく)韓国(かんこく)も 共に親しき隣国ぞ
互いに近く行きかひて (みが)かん問題数多し

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