カマン・カレホユック遺跡の発掘調査 (2000年4月18日)
トルコ共和国の中央部にある、カマン・カレホユック遺跡では、日本の中近東文化センターが発掘調査を進めています。
この発掘調査は、1985年の予備調査のあと、1986年から毎年発掘が続けられていて、昨年の発掘調査で、第14次になるそうです。
2000年4月15日付けの朝日新聞の文化欄 に、この発掘調査について、発掘調査を主宰している、中近東文化センターの主任研究部員の大村幸弘さんの文章が掲載されていましたので、抜粋・要約して紹介します。
なお、大村幸弘さんは、72年からアナトリアでの調査にかかわり、カマンの発掘には85年の予備調査から参加。98年から(中近東文化センターの)付属アナトリア考古学研究所長も兼務していらっしゃるそうです。
この記事の中では、カマンでの調査によって、
等の事が述べられており、最後に、
いわゆる「暗黒時代」にたいする従来の通説を書きかえる必要に迫られてきた。
ヒッタイト帝国の崩壊が、「海の民」によるものだとする通説もぐらつき始めてきた。
ヒッタイトの古王国時代の地層から大円形遺構が発見され、その中から千点を越す象形文字つきの印影が出てきている。
アナトリアに印欧語族が侵攻して来たのは、前3000年紀末であることがほぼ判明してきた。
等について考え方も述べられています。
今後の発掘調査のひとつのあり方、及び、課題としての恒常的施設の必要性と、日本(日本人としての)の今後の発掘調査に対する責務。
てるみなすとしては、ヒッタイト帝国の崩壊が「海の民」によるものだという通説がぐらつき始めてきた、という点に非常に興味を感じます。
今回の記事ではこの点の詳しい事には触れてありませんが、はたして崩壊が「海の民」以外の要因によるという意味なのか、それとも、実は「海の民」以後もヒッタイト帝国は存続していたという意味なのか、詳細が知りたいところです。
記事の要約
トルコ共和国の中央に位置する、カマン・カレホユック遺跡で、中近東文化センターが、考古学的発掘調査をはじめて16年目を迎えた。
「なぜトルコで調査を」と尋ねられることもあるが、大村さんは、“日本人として「世界史」にかかわる可能性を考える作業であると思っている。”とのこと。
カレは城壁、ホユックは遺跡のこと。カマンは近くにある町の名前。
遺跡の規模は、直径280m、高さ16mであり、トルコでは中規模程度の遺跡。
ここでは、現在、紀元前第3000年紀からオスマン時代までの、ほぼ五千年にわたる生活の痕跡が確認されている。
■古代文化の交差点
アナトリアは、古代においてさまざまな文化の交差点であり、同時に西欧のバックグランドでもあった。そのため、西欧諸国は、この地での調査に力を入れてきた。
中近東文化センターの発掘調査は、この地にどんな民族が居住し、どのような文化を残したのか、その文化編年の構築、つまり文化の流れを明らかにする事を大きな目的として、欧米の研究の積み重ねをもとにスタートした。
しかし、しばらくすると大きな疑問に突き当たった。
従来から、紀元前12世紀初頭にヒッタイト帝国が終焉した後の約400年間は、歴史的、文化的にもとるにたらない「暗黒時代」とされてきた。
しかし、一連の調査によって、その「暗黒時代」の地層から、鮮やかな彩文土器や半地下式の建物跡が出土した。
建物はしっかりした石組みで、8回も建て替えられていたこともわかった。
アナトリアでは欧米の調査隊によって数多くの発掘が行われている。特に、ヒッタイトを、民族、文化の源と見るドイツにとっては一種神聖な場所であり、調査に力をいれてきたが、ヒッタイト崩壊後の4世紀の間は、「暗黒時代」と考えられていたために、ほとんど調べられていなかった。
■既成事実にゆがみ
私達の目の前にある「世界史」は18世紀後半から19世紀前半に欧米の築いた基準と史観によって描かれていた。しかし、カマンでの調査は、そうした世界史が描いてきた「既成事実」にゆがみがあることを教えてくれた。
なぜ、そのゆがみに気付いたのか、それは、日本人が「世界史」の中では第三者だからであろう。そして、そこに我々の可能性を感じる。
ヒッタイト帝国崩壊の原因が「海の民」によるものだとする通説も、カマンの調査でぐらつき始めている。
紀元前17〜15世紀のヒッタイト古王国の層からは、直径15m、深さ4.5mの大円形遺構を発見。中から象形文字付きの千点を越す印影が出土、現在解読中。
ヒッタイトを含む印欧語族がアナトリアに侵攻して来た時期が今ひとつ明確でなかったが、カマンの調査で、前3000年紀末であることがほぼ判明してきた。
文化編年の構築は考古学の基本作業で、従来トルコや欧米の研究機関が、トロイなどでこつこつと築いてきた。しかし、「暗黒時代」など、一部は書き替えの必要に迫られている。
次々に浮上する問題を解明しようと、日本の多くの大学から研究者、学生が参加している。しかし、基礎資料の少ない日本の研究者だけでは、現状到底追いつかず、おのずとトルコ、欧米の研究者の協力を求めざるをえない。1999年の調査には、9カ国からの研究者の参加があった。
■必要な恒常的施設
カマンでの過去15年の調査は、決して短い時間ではないが、オーストリア隊のエフェソス遺跡は発掘開始からすでに105年を経ている。カマンでの調査も、やっと端緒についたばかりで、あと少なくても30年はかかるだろう。
私達に求められるのは、資料、情報を持ち帰るのではなく、歴史の舞台に残された発掘現場のそばで、長期に調査、研究を行い、歴史を描くことだと考えている。それは、新世紀に向けた研究のあり方のひとつかもしれない。
出土品は膨大で、年々集まる研究者も多くなっている。現地に恒常的な施設の必要性を強く感じているが、歴史を描く作業は、調査を持続する経済力のある国の責任であり、欧米の築いてきた研究成果を一方的に享受してきた日本の責務であると考える。
背景:藍晶石工房
BGM:『アラベスク第一番』
@Nocturne
構成・文章:てるみなす:HQQ00732@nifty.ne.jp