ノンフィクションとフィクションの解きほぐし
このコーナーでは、「天は赤い河のほとり」の中に出てくる登場人物やエピソードについて、史実と篠原さんの創作の部分がうまくミックスしてある事柄を捜して、どの辺りまでが史実(ノンフィクシヨン)で、どの辺りから創作(フィクション)なのか、解きほぐして行きたいと思います。
らくだに乗ったユーリ (2002年1月2日Up)
エジプト編が佳境に入ってる21巻のなかで、ユーリはイル・バーニやハッティの三姉妹達と一緒に、 エレファンティンで民衆の暴動を煽って叛乱軍を組織します。
その時に、ユーリや三姉妹がらくだに乗って颯爽と登場し、 (21巻P160〜)その後は、らくだに乗ったまま戦闘の指揮を取るシーンが続きます。
てるみなすも、この辺りに描かれているユーリの姿は格好良くて、気に入っています。
ところが、読んでいてふっと、「この時代(紀元前14世紀前半)、エジプトに家畜としてらくだは居たのだろうか。 まして、戦場でらくだに乗って戦闘指揮をするという事例があったのだろうか。」という事が気になりました。
実際の『天は〜』の時代には、馬に騎乗して戦闘指揮を取ることさえ稀だったようですし、 エジプトにらくだが入ったのも、もっとずっと後の時代だったと言うのをどこかで読んだ記憶がかすかに有りました。
というわけで、この事について調べてみたのですが、 案に相違して、これがスンナリと解答の出る問題ではありませんでした。
結論から言うと、エジプトでらくだが家畜化された時期については、諸説あって特定されていないようです。
現時点で発見されている、エジプトでらくだが家畜化されていた事を示す最古の証拠は、紀元前9世紀のものだそうです。
この紀元前9世紀という数字は、1980年代に行われた発掘調査で発見されたらくだの下顎骨と糞の塊を、 放射性炭素分析にかけて確認されたものだとのこと。
(『大英博物館 古代エジプト百科事典』内田杉彦訳、原書房1997年刊 より)
それ以前のエジプト学のあいだでは、プトレマイオス朝以前には、家畜としてのらくだはエジプト河谷にはいなかった、 あるいは、エジプト人がらくだを家畜化したのはペルシャ時代からだった、ということが通説とされていたとのこと。
また、エジプト人がはじめてらくだを見たのは、前6世紀にペルシャ人のカンビュセスがエジプトに侵攻した際に ベドウィン達が輸送手段として使っているのを見た時だ、という説も信じられていたようです。 (この古代のベトウィン達は紀元前2000年期末にはすでにらくだを家畜化していた、と考えられているとのこと)
いずれにせよ、これらの説を取ると、ユーリの時代のエジプトには家畜としてのらくだはまだ存在せず、 したがってそれに跨って戦闘指揮を取るという事はありえなかった事になりますね。
ところが、ところが...、エジプトのらくだの家畜化の時期について、もっと古い時代からなされていた、 という説もあるようです。
『古代エジプト動物記』(酒井傳六著、1984年文藝春秋刊)のなかには、その代表的なものとして、 アメリカのエジプト学者、マイケル・リピンスキー氏が1975年以降に展開している説を紹介してあります。
それによると、この説の考古学上の証拠として挙げられているものは、たとえば、
- 1)先王朝時代のヌビアの遺跡バッラナから、らくだの骨が人骨と同じ状態で発見された。
- 2)上エジプトの先王朝時代の遺跡アブシール・エル・メレクから素焼きの駱駝模像が発見された。
- 3)上エジプトのアスワンで、第6王朝期のものとみられる岩壁画(文字を伴なっている)が発見された。 (この岩壁画は一人の男が駱駝の首にロープをかけて曳いている図が描かれている)
また、旧約聖書の「出エジプト記」の中でエジプト王所有の家畜の中にらくだを含めてあることにも注目しています。
「出エジプト記」の時代は、第19王朝のラメセス2世かメルエンプタハの時代だとするのが通説なので、 これによると、紀元前14世紀から13世紀頃には、らくだは家畜化されていたことになります。
この説を取ると、ユーリがらくだに跨っていても問題ありませんね。
ところが酒井傳六氏は、その後に続けて、
『 しかし文字記録という点からみると、驢馬が第六王朝期に、馬が、第十八王朝期にあらわれているのに対して、 駱駝についての言及は、エジプトがわの古代資料にはない。』 (前掲書、P271より引用)
とコメントされています。
1970年代〜80年代に唱え始められたこの説が、2002年の現在どのような位置づけに有るのか、 非常に興味があるのですが、現在の僕の力では確認する事が出来ておりません。 もし、知ってる方がいらっしゃれば、ぜひ教えて頂きたいところです。
今回の件ではハッキリした答えを出す事は出来ませんでしたが、現代の視点ではごく当たり前の事柄が、 古代では当たり前ではないかもしれない、あるいは全く事情が違っているかもしれない、 ということをつくづく再認識させられました。
もちろん、篠原さんがらくだに乗ったユーリを描いた事に対してとやかく言うつもりはありません。 初めの方にも書きましたが、僕は、あの辺りの絵柄は好きですし、らくだを使ったシチュエーション設定も気に入っています。
でも、こうやって突っついてみて、「なるほど史実はこうだったのか」とあらためて認識する醍醐味も素敵ですね。
この項目のタイトルをみて、「ハテ、誰だろう?」と思われた方はいませんか?
実は、このお二人は今のところ「赤い河」には登場してらっしゃいません。そして、たぶんこれからも登場されないだろうと思います。
「なぜ、登場しない人物を取り上げるの?」と怪訝に思われた方もいらっしゃると思います。
実は、このお二人は、史実でのムルシリ2世の皇妃様たちなんです。
ムルシリ2世には、3人の皇子さまと1人の皇女さまがいらっしゃったそうですが、この4人の皇子皇女さまの母親がこのお2人です。(残念ながら、 σ(^^)には、どなたがどなたの母親なのか、についてはわかりません。(^^;)
「赤い河」の物語の中では、我らがユーリが、お二人の役どころを取っちゃってますよね。(^^ゞ
本編では、今のところ、ユーリはまだ正妃にはなっていません。
でも、外伝では、ユーリは、しっかりと、ムワタリ皇子はじめ、4人の皇子皇女さまたちの母上として登場していました。
たぶん、よほどの事がない限り、本編でもそうなるんでしょう。
そうすると、このお2人の出番はなくなってしまいますね。
我等がユーリのせいで、旦那さまと皇妃の地位を取り上げられてしまい、出番も(たぶん)無くなってしまったお2人のために、お詫びと、ちょぴり感傷の気持ちを込めて、ここにお名前を記しておきます。
補足です。(^^)/
**外伝とは**
ここで外伝と言っているのは、正確には『カッパドキア奇譚』というタイトルの作品で、最初は少コミの別冊付録として98年の13号につきました。
その後99年5月27日発売のポシェット7月号にも再掲載されたそうです。
そして、「天は赤い河のほとり」単行本の最終巻への掲載が決定されているそうです。
**外伝のあらすじについて**
あらすじについては、 σ(^^)がゴチャゴチャ書くより、下記のHPを見てもらうのが一番です。(^^;
『ひーちゃんのひまつぶし』http://www.miyazaki-catv.ne.jp/~koura/
こちらのサイトの中の“天は赤い河のほとり”のコーナーに、“小説・天は赤い河のほとり、カッパドキア奇譚”があります。
背景:藍晶石工房
BGM:『パヴァーヌ』 @Nocturne
構成・文章:てるみなす: HQQ00732@nifty.ne.jp