登場人物のモデル かな?
「天は赤い河のほとり」は、昔々ほんとにあった「ヒッタイト帝国」をモデルにしてありますから、 登場人物達も、ほんとにいた人達がモデルになっています。
シュピルリウマ1世やアヌルワンダ2世、ムルシリ2世などの皇帝陛下は勿論実在した方々だとはっきりわかりますが、 それ以外にも実在した人の名前だけを借りたようなケースもある様です。
作者の篠原さんに直接確認したわけではないので、あくまでも てるみなす の推測ですが、 たぶんこの人がモデルじゃないかな、と思う人々を書き込んでいきます。
「ジイサンだぜ」〜ラムセス (2000年12月17日Up)
これは、「天は赤い河のほとり」第20巻のP95で、ルサファがラムセスに向かって言った言葉です。
この時ラムセスは、ルサファがエジプトから脱出しようとしている所をわざと見逃してやります。
また、ルサファに見逃す理由を尋ねられて、“きれい事と言われてもかまわないから、 心身ともに絶好調なムルシリ2世と勝負して勝ちたいんだ”と答えます。
それを聞いたルサファは、「…(前略)、こんなことしてたら王位を手に入れるころはジイサンだぜ」 と言い残して立ち去ります。
立ち去るルサファを見送りながら、ため息をつき一言、「まったくだな」とつぶやくラムセス...。
σ(^^)は、この部分のセリフをみて、思わず嬉しくなりました。
なぜって、「篠原さん、さりげなく史実をネタにしたなァ、うまいなァ。」と思ったからです。
「天は〜」のラムセスは1世なのか2世なのか。
年代的には2世のはずはなく、1世でないとおかしいのですが、史実のラムセス1世は、 ホレムヘブ王の宰相を務めた親友で、王からの信頼も厚く、王に皇太子がいなかったので王位を譲られたそうです。 ただ、王位を譲られた時には1世自身すでに高齢になっており、在位2年ほどで亡くなってしまった、とあります。
「天は〜」のラムセスも、確かにまったく違った設定になってる訳ではないけれど...、
- 王からの信任も厚く ……… え〜、そうかなぁ。確かに有能さは認められてるみたいだけど、 どちらかというともてあまされてるみたいだけどなァ〜。
- 王の親友で ……… うそだぁ、ラムセスってば、ホレムヘブ王のことをボロクソにけなしてるよォ〜。
- 高齢で、王位を譲られた ……… え〜、こんなに若いうちから王位を狙って熱くなってるラムセスが、 高齢になるまでホレムヘブ王の下でおとなしく我慢していられるのォ〜。
と、かなり違和感を感じていたのでした。(^^;
でも、このセリフを聞いて、「ふーんなるほど、やっぱり1世だったんだ。ラムセスは結局ユーリを手に入れそこなって、 おかげでファラオになるのもずっとずっと遅れちゃうのね。(^◇^)」と、 てるみなすは勝手に納得してしまったのでした。(^^;
ただ、あのラムセスとホレムヘブ王の仲が親友同志になるとは、 現時点ではちょっと想像しずらいモノがありますけど...。(^^;
この辺りは、史実のホレムヘブ王と「天は〜」でのホレムヘブ王の設定の違いも影響してくるのかもしれません ......って、これは“〜解きほぐし”向けのネタだな。(^^ゞ
ところで、史実では、1世の名前はもともとパラムセスと言い、 即位する時に、“パ”を取ってラムセスと改名したんだそうです...。
「赤い河」の中では、カイルの側近中の側近で、戦闘時には、カイルの戦車の御者を勤めています。 本人は、16巻の中で、「自分は民族としてはフルリ人、親の代からヒッタイトに住み着いた」と言ってます。
このキックリのモデルと思われるのが、世界最初の「馬書」の作者のキックリ(キクリとも)です。
この「馬書」は、ミタンニ人(フルリ人)のキックリが、紀元前14世紀にヒッタイトの朝廷で、 戦車馬の調教の仕方について述べたモノだそうです。
「赤い河」の中では、ヒッタイトの3隊長の一人で、第1戦車隊隊長です。 ヒゲとスキンヘッドがトレードマーク(そうなのか(^^))のちょっと渋めのお兄さんです。
史実では、ミッタンナムワという名は、ムワタリ(ムルシリ2世の後継ぎ)の時に出てきます。
ムワタリがハットウシャからタルフンタッシャへ首都を移した時、王のいなくなったハットウシャに封じられ、 その管理を任されたた人物だそうです。
「赤い河」の中では、カイルの腹心で、バンクスの書記を勤めていますね。
史実では、前1900年〜1800年ころに、ハットウシャにカールム(商業居留地)を築いたアッシリア商人の中に、 イル・バーニという名前があるそうです。
「赤い河」16巻で、「イル・バーニは何百年か前にハットウシャへ移住したアッシリア人の子孫」と書いてあるのは、 このことを踏まえているからかもしれませんね。
「赤い河」のもう一方の主役。この人が動かないと物語も進展しないという(^^;、 重要な敵役ですね。(^^)
史実でも、シュピルリウマ1世の3人目の皇妃はバビロニアの王女様だったそうです。
で、やっぱりこの3人目の皇妃さまは、シュピルリウマ1世が亡くなったあとも、 タワナンナとしてハットゥシャの支配権を引き継いで、ムルシリ2世を苦しめたそうです。
そして、最後には、ムルシリ2世は、この皇妃さま(その時には皇太后さまか)を、 ハットゥシャから追放しなくちゃならなくなったらしいんです。
レーマンさんの本には、その理由として、
『彼女は、いつも問題を起こし、異国のいかがわしい風習を宮廷に持ち込んだからである。 その上ムルシリシュは宮殿から一人の売春婦を遠ざけねばならなかった……。』 (J・レーマン著、『ヒッタイト帝国』146頁より引用)
と書いてあります。
いったいどんな事をしてたんでしょうね。(^^ゞ
ただ、この方のお名前が「ナキア」だったかどうかは不明です。 ビッテルさんの本のなかの王名表には、シュピルリウマ1世の3番目の皇妃さまの名はタワナアンナとなってます。 でも、タワナアンナっていうのは皇妃の尊称のことですから、この方の個人名ではなかったのでは、と思います。 (ただし、これは、σ(^^)の推測です。ほんとにタワナアンナというお名前だったのかもしれません。(^^;)
ちなみに、史実でも、2番目の皇妃様の名前は、ヒンティらしいです。(^^)
ところで、ヒッタイトではありませんが、史実にも、ナキアという名前を持った皇妃さまがいらっしゃったようです。
その方は、紀元前7世紀ころのアッシリア帝国の王センナケリブの側室で、エサルハドン王の母親だったナキア様です。
この場合のナキアとは「純潔」を意味する西セム語だそうで、 アッシリアでは同じ意味のザクトゥの名によっても呼ばれていたそうです。
この方は、名前から受ける感じとは異なって、エネルギッシュで、才気あるが、陰謀を好む女性のようだ、 と評されているそうです。
また、名前が西セム語なとこから、このナキア様はシリアかパレスチナの出身と考えられていますが、 もしかすると西方からの移住者の娘で、この方自身はバビロニアの生まれだった可能性もある、とのこと。
ある本には、
『いずれにせよ、遠い異国の後宮に入り、その美貌と才気により王の寵愛を受けてエサルハドンを生んだ彼女が、 ただ我が子の将来のみに後半生の生きがいを見出し、 彼を王位に即けるためにあらゆる努力を傾けるようになったとしても不思議ではない。』 (三笠宮崇仁編、『古代オリエントの生活』114頁より引用)
と書いてありますが、この文中の“エサルハドン”を“ジュダ”に換えれば、 そのまま「赤い河」のナキアさまについて書いてることになりますね。(^^;ゞ
センナケブリ王の皇太子は長男のアッシュル・ナディン・シュミでしたが、 紀元前694年に東方からバビロニアへ攻めこんだエラム人によって連れ去られて、消息不明になってしまいました。
そこでセンナケリブは、新たに末子だったエサルハドンを後継者に指名しました。 この決定には、エサルハドンの母のナキア様の影響があったらしいです。
しかし、エサルハドンの兄達はこの決定に不満を持ち、結局父王センナケリブを殺害してしまいました。 これより先に、身の危険を感じて亡命していたエサルハドンは、亡命先で父王の殺害を聞くと、 ただちに軍勢を率いて進軍し、途中で兄皇子達の軍を撃破して無事に王座に就いたそうです。
一説には、センナケリブの殺害からエサルハドンが王座に就くまでの出来事は偶然に起こったものではなく、 我が子を王座に就かせるために、王宮に残っていたナキア様が、陰で巧みに一連の出来事の演出をしていたのではないか、 ともいわれています。
ともあれ、エサルハンドが王位に就いたあとのナキア様は、皇太后としてにらみをきかせ、 王との共同統治者と見まがうばかりの権勢を誇ったようです。
さらには、エサルハドンよりも長生きをし、孫達の時代になっても、太皇太后として後見し、 政治の主導権を握っていたそうです。
「赤い河」のナキア様が、ここまでの権勢を誇るようにはなりませんように。(-人-)ナムー
背景:藍晶石工房
BGM:『こんぺい糖の踊り』 @Nocturne
構成・文章:てるみなす: HQQ00732@nifty.ne.jp