駆けっ句365日生き急ぎ

回復句20


十八尊佛図(釈迦如来)

回復句20編(2004/04/21,「山崎章郎氏講演会録」編)  山崎章郎氏講演会 「ホスピスは地域をめざす」 日時:2004年4月18日(日)14:00〜16:30 場所:行橋市今井1802 会場:浄喜寺(じょうきじ) 主催:NPO北部九州ホスピスケアの会   福岡県行橋市は今川沿いの堤の葉ざくらが美しく 目に染む昼下がりでした。「病院で死ぬということ」 で知られる桜町病院聖ヨハネホスピスの山崎章郎 (やまざきふみお)さんの講演会を「北九州・行橋 がんを語る会」の会員、新木、森屋、井上、さんらと 聴きに行ってまいりました。   開演時間前から200名を超える老若男女、特に女性 の方々が多く大きな本堂は埋めつくされました。   駅コン(音楽コンサートを駅構内で開催すること) がはやる今日、キリスト教徒や仏教徒や無宗教の人々 がお寺に集まり、ホスピス(緩和ケア病棟)の話しを聞き、 死について語り合うということは、これからのお寺との 素敵なご縁になるのではないかと考えました。身近に 「かかりつけ医」を持っている私たちは新しく「かかり つけ寺」と出会ったような感じです。 ☆ 要約 1.「私はホスピスをめざす」時代  ・大学医学部卒業後、臨床より研究中心の医師に飽き 足らず、1983年船医として北洋、南極海へ。  ・船の中で読んだ「死の瞬間」(エリザベス・キュー ブラ・ロス、米国精神医学者)に深い感銘を受けた。  ・医者が臨終時におこなう蘇生術(心臓マッサージ) などは、本当に患者さん、家族のためになっているの だろうか、またガンバレ(ば治る)という励ましは、 患者さんの時、立場を考えて言っていたか、など疑問に。  ・がんという病名を患者さんに伝えるようになって、 患者さんはがんの治療そのものに重点をおく時間から、 人生の締めくくりを考える時間を多く持つようになった と思う。  ・1985年ころ、施設はこれでよいか?「もっと多くの ホスピス施設を」、朝日新聞へ投稿。その後「病院で死 ぬということ」著作。  ・4〜5年間、ホスピス施設の中のしくみつくり、係わ り合いを通して。患者さんは、自分が大切にしてきた こと、日常の(ささいな)ことができなくなった時、 「今日もう死んでもいいのでは?これから2週間長生き しても意味がないのでは?」と問いかけしてきたとき どう応えてあげれるか。 →認めてあげる、受けとめてあげる、共感、感情移入 →自分を大事に思ってくれている人がいる、ことに気づ いて立ち直る例。 2.「ホスピスは地域をめざす」時代  ・人間の死の間際はがんで死ぬときだけでなく、 何で死ぬ時でも同じではないか。ホスピスケアだけの 問題ではない。現在、ホスピス施設は全国に約120あり、 がんで死んでいく人は30万人、その中施設の恩恵を受け ている人(末期がん患者)は、わずか4%前後しかいない。 ・2001年〜、秋田県鷹巣町のケアタウン構想、 ニュージーランド視察、など国内外の福祉先進地域を 回り、ユニットケア、一人ひとりのケア、ケアハウス、 グループケア、などを調査し、「ホスピスケアは地域を めざす」の考えに到った。  ・来年都下にオープン予定の「ホスピス長屋」は、 その新しい試みの一つ。バリアフリーの賃貸集合住宅の 一階に診療所や訪問看護ステーションなどが入るコミュ ニティケア。病院でも福祉施設でもなく地域に開かれた、 「第二の我が家」として安心して過ごせる空間をめざす。 ☆ 所感  ・「ホスピスケアは地域をめざす」は、あくまでホス ピス長屋だけでの自己完結型システムではないと山崎 さんは言われる。これから考え方を具現化し、実行し、 軌道に乗せていかれるようであるが、行政、民間、NPO 等も参加してそれこそ地域ぐるみの地域力を結集した チーム医療をめざして該構想を成功させていただきたい。   なぜならわたしたち死に行く人がさいごの生き方を 選ぶに当たり、その時のTPOに応じた選択肢に魅力ある チョイスを一つ増やしてくれることになるから。   「北九州・行橋がんを語る会」は、患者、家族、 遺族の視点から積極的にメッセージを発信していく 積もりである。  ・ちなみに今日の会場となった行橋今井(今居)の 守田山浄喜寺は、15世紀から続いている浄土真宗の由緒 あるお寺さんであるという。この地に残る金屋(かなや) という地名は、鋳物師と呼ばれる専門職人の集落が あったことの名残りであろうといわれている。今居の 鋳物師が活躍したのは15世紀のことで、ここで鋳造 された製品は北部九州から山口県にまで及んでいたという。   現在浄喜寺にある梵鐘(福岡県指定文化財)は、 銘文によると室町時代の応永28(1421)年に彦山霊前寺大 講堂の洪鐘としてここ金屋で鋳造されたものであるという。 その後、この地の鋳物師は小倉城下の鋳物師町(いもじ まち)へ移っていったといわれている。     講演会大本堂で聞く永き日 烏有 参考文献:行橋市(http://www.fmw.or.jp/city/015/ contents/015s_010.html) (文責 田中七四郎) 回復句20編(2004/04/21,「山崎章郎氏講演会録」編 終わり)。


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