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回復句15


十八尊佛図(釈迦如来)

回復句15編(2002/10/28, 板櫃川こぼれ話し編)。 秋晴れや川の流れの移ろへり 付替へや名残りの川に秋の雨  初みかん調べものに時が満つ 板櫃川(イタビツガワ)こぼれ話し ・ 板櫃川は、福岡県北九州市八幡西区の河内貯水池を源とし、 更にその源は皿倉山系から発する。板櫃川は、1602年細川 忠興公が築城開始した小倉城の西側天然の外堀りとして、 これまた天然の内堀り(入り江)であった紫川及び、 東側の外掘りとしての砂津川(寒竹川)とともに重要な 役割を果たしてきた。 ・ 昭和の流路改修工事(付け替え)は、福岡県の事業として 昭和7年12月に着工、翌8年実施、完成は昭和9年10月。響灘 (平松浜)、日明、到津神社とを一直線で結ぶ、現在の流れとなる。 ・ 改修工事は、一石三鳥を狙いとして企画された。 ・昭和8年、当地に陸軍造兵廠が東京より移設、 小倉工廠と称されるなど、軍都小倉の急激な 発展により広域宅地造成敷地の確保が緊要であった。 ・当時の板櫃川下流地区は、低湿地帯にて慢性的に 水害被害を被っておりその対策が叫ばれていた。 ・当時は不景気が続いており、失業者対策事業は重要であった。 ・ 昭和9年10月6日、工事竣功。平松浜から屈曲して大門を経由して、 JR九州日豊線にほぼ沿っていた旧河川2,500bが直線に変えられたため 約1,000bの短距離となり、60,000余坪の新市街地の確保、該地区 洪水に対する防備、総延べ人員17万餘人の雇用創成、などが実現 できたといわれている。 ・ 板櫃の名前のいわれは、イタ(潮)がミツ(満つ)からという説 があり、続日本紀に板櫃の初見あり。西暦740年藤原広嗣の乱に際し、 広嗣軍と官軍との決戦の行われた板櫃川西岸に大宰府の軍営として 板櫃鎮(営)所があったと考えられている。 ・ 延喜式(927)に出てくる到津(イトウヅ)は,イタミツ−イタビツ −イトウヅと、なまったという説(豊前誌)がある。 ・ 参考文献、資料、別途。 以上。 回復句15編(2002/10/28, 板櫃川こぼれ話し編終わり)。


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