消えたJR特急一覧



 過去に国鉄・JRで定期特急として使用された愛称のうち、消滅してしまったものの一覧を五十音順に掲載しています。

 「スーパー」「新特急」などの冠号の有無、漢字とひらがなについても明確に区別して、現存しない愛称を掲載するように変更し、いくつかの愛称を追加しました(1999年2月1日)。
 例外として、JR東海の「(ワイドビュー)」についてだけは、それの有無による区別は行っていません。

 例によって、元となる資料が手元に十分にないため、一部記憶による情報も入っていたりしています。事実誤認や、正しい情報をご存じの方がいらっしゃいましたら、指摘いただければ幸いです。



[あいづ] 2003年10月改正で消滅 最終運転区間:郡山−会津若松
 2002年12月に[ビバあいづ]から改称された磐越西線の特急だが、2003年10月改正で快速[あいづライナー]に格下げとなり、消滅。1年足らずの命であった。ちなみに、先代の[あいづ]は1968年10月に登場し、1993年12月改正で消滅するまでの間、一貫して上野−会津若松間を1日1往復走り続けていた。[あいづ]と聞いて思い出すのは、こちらですね。

[あおば] 1997年10月改正で消滅 最終運転区間:東京−仙台
 東北新幹線各駅停車列車の愛称として1982年6月の開業時から使用。その後、1995年12月に那須塩原までの短距離列車が[なすの]に名称変更され、残り分も1997年10月改正時に[やまびこ]に名称変更となったため名称消滅。[あおば]の愛称そのものは過去に仙台−秋田間(北上線経由)の特急として使用されていた。

[あかつき] 2008年3月改正で消滅 最終運転区間:京都−長崎
 1965年10月、初の関西−九州間寝台特急として登場。当初の運転区間は新大阪−西鹿児島(当時)・長崎間だったが、1975年3月からは長崎・佐世保線系統の名称に整理された(鹿児島線系統は[明星]に改称)。1986年11月からは1往復体制に。2000年3月には佐世保編成が廃止、同時に[彗星]との併結運転化。2005年10月からは併結相手が[なは]に変更されたが、2008年3月に[なは]ともども廃止。関西−九州間寝台特急の終焉、同時に長崎県から寝台特急が消滅。変わった施策として、独立3列シートの座席車を連結していた。一時期、一部列車は筑豊線経由で運転されていたことも。

[あさかぜ] 2005年3月改正で消滅 最終運転区間:東京−下関
 1956年11月に登場。戦後初めて東京−九州(博多)間を直通する特急として設定された。1958年10月に新設計の20系客車による運転となった。20系客車の設備は当時の生活水準を上回るもので、やがて「動くホテル」と呼ばれたという。この[あさかぜ]の成功で、[さちかぜ](後の[さくら])・[はやぶさ]等、東京−九州間の特急が増発されていった。[あさかぜ]自身も最盛期には東京−下関・博多間で計3往復運転していた。が、新幹線博多開業時に2往復となり、1994年12月には「本家」とも言える東京−博多間運転の列車が廃止となった。以後、東京−下関間1往復の時代がしばらく続いたが、利用客低迷のためこちらも廃止されることになった。ちなみに登場当初は寝台専用列車ではなく、座席者も連結されていた。寝台専用列車になったのは昭和40年代になってから。

[あさひ] 2002年12月改正で消滅 最終運転区間:東京・越後湯沢・長岡−新潟
 1982年11月の上越新幹線開業時に、いわゆる「速達型」列車の愛称として登場。その後、1997年10月の愛称整理により、新潟までの列車はすべて[あさひ]の名称となった。2002年12月改正時に、長野新幹線[あさま]と愛称がまぎらわしいという問題もあり、[とき]に名称変更され、[あさひ]の愛称は消滅となった。なお、[とき]は上越新幹線開業時に「各駅停車型」の愛称として登場したが、1997年10月の愛称整理で一旦消滅していた。長岡−新潟間の列車は平日運転の臨時列車扱い。

[安芸] 1978年10月改正で消滅 最終運転区間:新大阪−下関
 1975年3月に登場。呉線経由で結んでいた寝台特急。人気がでずに3年半で廃止に。過去には東京−広島間急行(これも呉線経由)や山陽・呉線電車急行の愛称としても使用されていた。

[秋田リレー] 1997年3月改正で消滅 最終運転区間:北上−秋田
 1996年3月に登場。田沢湖線が改軌工事のため1年間営業休止した際の代替として、北上線経由で運転。特急仕様の110系気動車を新製し使用。秋田新幹線開業により予定通り廃止。新製した車両は一般型仕様に改造の上、飯山線に転属。

[あさしお] 1996年3月改正で消滅 最終運転区間:京都−城崎・鳥取・倉吉・米子・東舞鶴
 1972年10月に、山陰線京都口の特急として登場。京都−城崎間の1往復は舞鶴線・宮津線経由で運転するなど走行区間のバリエーションが特徴だった。山陰線京都口の電化によって[きのさき][たんば]等に発展的解消。

[あすか] 1967年10月改正で消滅 最終運転区間:名古屋−東和歌山
 1965年3月に[くろしお](名古屋−天王寺間)と同時に登場。関西線・阪和線経由だが八尾−杉本町間は貨物線を経由し、天王寺は経由しなかった。東和歌山は現在の和歌山。人気が出なかったようで、わずか2年半で廃止。いい名前だと思うんですが… ちなみに八尾−杉本町間の貨物線は、臨時特急[しらはま](京都−白浜間)でも使用された。奈良県の国鉄線を走った唯一の定期特急。

[あそ] 2004年3月改正で消滅 最終運転区間:熊本−大分・別府
 1992年7月改正で、[ゆふ](久大線経由で博多−別府間)と同時に登場。ともに、JR四国から譲渡された185系気動車を改装の上使用。2004年3月改正で運転区間が肥薩線の人吉まで延長された際に、愛称も変更となり、発展的解消。新しい愛称は、[九州横断特急]。ちなみに漢字の[阿蘇]は、過去に新大阪−熊本間の夜行急行や、さらに以前には東京−九州間の急行の愛称として使われていた。

[あまぎ] 1981年10月改正で消滅 最終運転区間:東京−伊豆急下田
 1969年4月に登場。国鉄の特急が私鉄に直通運転する初めてのケース。当初から運転区間は変化ないが、登場時は東京を発車すると次の停車駅は網代だった(熱海も小田原も、横浜までも通過)。同区間を走っていた急行[伊豆]の特急格上げ時に[踊り子]に名称変更。

[いしかり] 1980年10月改正で消滅 最終運転区間:札幌−旭川
 1975年7月に登場。北海道初の電車特急として活躍。札幌−旭川間をノンストップで結ぶものもあった。千歳線電化時に苫小牧・室蘭方面へ運転区間を延長した際、愛称を[ライラック]に改称し、発展的解消。

[出雲] 2006年3月改正で消滅 最終運転区間:東京−出雲市
 1972年3月に同名の急行格上げで登場。当初の運転区間は東京−浜田間、山陰の奥深くまで直通していた。交通の便が良いとは言えない地域と東京とを結んでいたため、往時は寝台特急の中でも比較的混雑度の高い列車であったという。1975年3月に新設されていた東京−米子間[いなば]が、1978年10月に運転区間を出雲市まで延長の上[出雲]に編入、2往復体制に。この体制がしばらく続いたが、1998年7月に1往復の電車化・伯備線経由への変更(名称も[サンライズ出雲]に変更)が実施され、客車で残ったもう1往復も出雲市打ち切りとなった。その後、時代の変化とともに利用者低迷となり廃止。

[いそかぜ] 2005年3月改正で消滅 最終運転区間:益田−小倉
 1985年3月に登場。新大阪・大阪−博多間を福知山線・山陰線経由で直通していた[まつかぜ]の米子以西を独立させる形で誕生した。1993年3月からは米子−小倉間の運転となり、島根地区山陰線高速化が完成した2001年7月以降は運転区間がさらに短縮され、益田−小倉間となっていた。[いそかぜ]廃止により、山陰線益田以西では優等列車の設定が無くなった。なお、[いそかぜ]の愛称は大阪−宮崎間気動車特急に使われたこともある。

[いなば] 2003年10月改正で消滅 最終運転区間:岡山−鳥取
 1997年11月改正で登場。1994年12月に開業した智頭急行(上郡−智頭)を経由して、岡山と鳥取を結んだ。津山線・因美線経由で岡山−鳥取間を結んでいた急行[砂丘]の格上げとも言える。2003年10月、187系気動車への車両置き換えに合わせ、[スーパーいなば]に名称変更。ちなみに、[いなば]の愛称は、1996年3月から1997年11月改正前まで鳥取−米子間特急に使われており、一夜にして全く別の特急に変身したことになる。さらに、かつては東京−米子間の寝台特急の愛称としても使われていた。

[エーデル北近畿] 1999年10月改正で消滅 最終運転区間:新大阪−福知山・浜坂・東舞鶴
 1990年3月に登場。大阪から福知山線経由で浜坂まで行く気動車特急が設定された際、[北近畿]系統のうち気動車で運転される列車に命名された。その後、東舞鶴始発の列車も登場した(東舞鶴−福知山間は毎日運転の臨時列車扱い)。1999年10月、[北近畿]系統の全面電車化により廃止。[エーデル鳥取]と同様、通称「エーデル車」を使用していた。

[エーデル鳥取] 1999年10月改正で消滅 最終運転区間:新大阪−鳥取
 1989年3月に登場。大阪から福知山線経由で鳥取方面に向かう特急は、城崎までの電化により一旦消えていたが、この時に復活。当初は倉吉までの運転だったが、智頭急行開業などにより鳥取までの運転に短縮。1999年10月改正で城崎以西を廃止・合わせて電車化のため[北近畿]に吸収された。キハ65を改造した通称「エーデル車」を使用していた。

[エルム] 1971年7月改正で消滅 最終運転区間:函館−札幌
 1969年10月に登場。函館−札幌・旭川間を結んでいた[北斗]のうち、函館−札幌間の列車を[エルム]に改称した。1971年7月改正で再び[北斗]に統合され、名称消滅。定期列車の愛称としては2年弱の短命に終わった。しかし、1988年3月の青函トンネル開業以降、[北斗星]救済の役割で、上野−札幌間の臨時寝台特急の愛称に長年使用されていた。

[おおぞら] 2001年7月改正で消滅 最終運転区間:札幌−釧路
 1961年10月に、道内初の特急として登場。当初の運転区間は函館−旭川。翌年には釧路編成が登場。1981年10月に石勝線が開業した際、石勝線経由に変更。1997年3月に[スーパーおおぞら](283系気動車使用)が登場、2001年7月に昼行列車は全て置き換えられ、183系気動車使用の夜行列車は[まりも]に改称されたため、名称消滅。石勝線開業後の一時期、函館−釧路間運転の列車が途中札幌に停車するため、札幌−千歳空港(現南千歳)間44.0kmを重複走行したというエピソードも。

[おおとり] 1988年3月改正で消滅 最終運転区間:函館−網走
 1964年10月に登場。当初は釧路編成も併結していた。全線を10時間以上かけて走破していた。食堂車を1986年11月改正前まで営業しており、これは[オホーツク]とともに在来線昼行特急の中では最も遅くまで営業していた列車となった。青函トンネル開業時のダイヤ改正で[北斗][オホーツク]に系統分割された。なお、[おおとり]の愛称は東海道線(東京−名古屋間)特急として使われたことも。

[おおよど] 1980年10月改正で消滅 最終運転区間:博多−宮崎
 1974年4月に登場。鹿児島・肥薩・吉都線経由で走行。元々[にちりん]と共通運用だったが、日豊線全線電化で気動車の[にちりん]を走らせる必要もなくなったこともあり、その1年後に廃止。ちなみに、かつて[おおよど]が走った肥薩線の人吉−吉松間は、現在は普通列車がわずか5往復走るだけである。

[おき] 2001年7月改正で消滅 最終運転区間:鳥取・米子−小郡
 1975年3月、新幹線博多開業時に登場。山口線初の特急。2001年7月、山陰線高速化工事完成とともに登場の、新型気動車(187系)による[スーパーおき]に置き換えられ、消滅。一時期、上り2号のみ下関始発で運転されていた。なお、[おき]の愛称は、新大阪−出雲市間(伯備線経由)特急で使用されていたこともある。現在の[やくも]の前身にあたる。小郡は現在の新山口。

[おはようさざなみ] 2004年10月改正で消滅 最終運転区間:君津→東京
 1993年7月に登場。愛称整理により[さざなみ]に統合された。

[おはようしおさい] 2004年10月改正で消滅 最終運転区間:成東→東京
 2002年12月に登場。愛称整理により[しおさい]に統合された。

[おはようわかしお] 2004年10月改正で消滅 最終運転区間:勝浦・茂原→東京
 1994年12月に登場。愛称整理により[わかしお]に統合された。

[加越] 2003年10月改正で消滅 最終運転区間:米原−金沢
 1975年3月に登場。大阪と北陸を結ぶ優等列車が原則として湖西線を経由することになったため、手薄となった米原口での新幹線接続特急として設定された。2003年10月、走行区間が重複する[しらさぎ]に愛称が統一されることになり、名称消滅。派手さはないが、線路状態の良い区間を走行していたためスピードには定評があり、「在来線特急表定速度ランキング」のトップだった時期もあった。

[かがやき] 1997年3月改正で消滅 最終運転区間:福井・和倉温泉・金沢−長岡
 民営化後の1988年3月改正時に登場。同一区間を走行する[北越]の速達版として設定された。当初は金沢−長岡間のみの2往復だったが、ダイヤ改正の都度本数を増やし、福井や和倉温泉への延長も。北越急行開業時に、使命を北越急行経由の[はくたか]に譲り、名称消滅。同時に登場し同時に消滅した[きらめき]のほうは、2000年3月の改正で九州で復活したが…

[鴎] 1943年2月改正で消滅 最終運転区間:東京−神戸 (「鴎」は正確には「區鳥」)
 1937年7月に[燕]の姉妹列車として登場。戦争の影響により、5年半で廃止。戦後は[かもめ]の愛称で1953年7月に山陽線特急として復活。現在は長崎線の特急の愛称として使用されている。戦前もトレインマークは仮名書きだった。

[紀伊] 1984年2月改正で消滅 最終運転区間:東京−紀伊勝浦
 1975年3月に同名の急行格上げで登場した寝台特急。名古屋までは[いなば](後に[出雲]に改称)と併結していた。亀山経由で運転していたため、深夜に2度の方向転換を行っていた。

[北アルプス] 2001年10月改正で消滅 最終運転区間:新名古屋−高山
 1976年10月に同名の急行格上げで登場。名鉄の車両を使用。登場時の運転区間は神宮前−立山間(ただし飛騨古川以北は季節列車)で、私鉄車両の国鉄特急としても、私鉄−国鉄−私鉄間直通特急としても唯一の存在だった。1985年3月からは富山地方鉄道直通を取りやめ、富山までの運転に(さらに、その後高山までの運転となった)。名鉄−JR間の直通には、新鵜沼−鵜沼間の渡り線を使用していた。

[金星] 1982年11月改正で消滅 最終運転区間:名古屋−博多
 1968年10月に登場。寝台特急としては唯一の名古屋始発の列車だった。廃止後も臨時列車として名古屋−西鹿児島間という長距離を何度か設定されていた。

[くにびき] 2001年7月改正で消滅 最終運転区間:鳥取−米子・益田
 1988年3月登場。米子−益田間で1往復だけの設定という、当時としては全国的に見ても1・2を争うマイナーな列車だった。[おき]と同様、2001年7月の山陰線高速化、新型気動車(187系)への置き換えにより名称消滅。置き換え後の愛称は[スーパーくにびき]。何でもかんでも「スーパー」とつけるのには辟易するが、それはともかく、まさかここまで出世するとは…

[月光]
 1975年3月改正で消滅 最終運転区間:岡山−博多・西鹿児島

 1967年10月に登場。当初は新大阪−博多間の寝台特急。新製された「世界初」の寝台電車581系を使用、そのため581系は「月光形」と呼ばれるようになった。当時は新大阪−大分間の運転だった昼行特急[みどり]と共通運用されていた。西鹿児島は現在の鹿児島中央。

[こまくさ] 1999年3月改正で消滅 最終運転区間:山形−新庄・横手・秋田
 1992年7月、山形新幹線開業とともに登場。山形新幹線を受け、山形以北を走る特急の愛称として命名された。山形新幹線新庄延長工事の影響で廃止され、新庄−横手・秋田間の快速(^^;の愛称となってしまった(これも2002年12月で名称消滅)。[こまくさ]の愛称は、かつて奥羽線の急行に使われたこともある。

[櫻] 1942年11月改正で消滅 最終運転区間:東京−下関
[さくら] 2005年3月改正で消滅 最終運転区間:東京−長崎
 初代[櫻]は、1929年9月、[富士]とともに特急初の愛称として命名された。1942年11月改正で、急行に格下げされ名称消滅。1959年7月、東京−長崎間を走っていた[平和][さくら]に改称され、名称復活した。1965年10月には編成の一部を分割させ佐世保に直通することに。その運転形態がしばらく続いたが、1999年12月に佐世保編成が廃止となり、同時に東京−鳥栖間で[はやぶさ]との併結運転化。そして利用客低迷により廃止となった。[さくら]廃止後、[はやぶさ]は東京−門司間で[富士]との併結運転となった。なお、[さくら]の愛称は、1950年代に東京−大阪間運転の臨時特急にも使われていた。戦前も、トレインマークは仮名書きだった。2011年春、山陽・九州新幹線直通列車の愛称として[さくら]が使われることが発表された。

[さちかぜ] 1958年10月改正で消滅 最終運転区間:東京−長崎
 1957年10月に登場(臨時列車としては同年7月に登場)。翌年、愛称名が[あさかぜ]とまぎらわしいとの理由で[平和]に改称された(さらにその後、[さくら]に改称されている)。わずか1年間の短命に終わった。ちなみに[さちかぜ]の愛称は、その後北海道の急行(札幌−旭川間ノンストップ運転)に使用された。定期特急の愛称が、その後定期急行に使われたのは恐らく唯一のケース。

[さわやかひたち] 1998年12月改正で消滅 最終運転区間:高萩→上野
 1989年3月に登場。[ひたち]系統の早朝運転の上り列車に命名された。1998年12月、[ひたち]と同様の理由で名称消滅。

[シーボルト] 2003年3月改正で消滅 最終運転区間:佐世保−長崎
 1999年3月に登場。大村線経由で、佐世保−長崎間を2往復していた。183系気動車を専用編成として使用。この183系は、1988年3月に[オランダ村特急]専用車として製造、同特急廃止後に改造の上1992年7月から[ゆふいんの森]に使用されていたものを、コンバート・再改造のうえ投入したものである。いわば「3代目」にあたるが、3代目の塗装は初代にかなり近いものであった。2004年3月からは「4代目」として[ゆふDX]に使用されている。

[しおじ] 1975年3月改正で消滅 最終運転区間:新大阪−広島・下関
 1964年10月に登場。東海道新幹線に接続し、新大阪−下関間を結んだ。山陽新幹線岡山開業でも生き残ったが、博多開業時に廃止。

[白根] 1985年3月改正で消滅 最終運転区間:上野−万座・鹿沢口
 1982年11月に定期列車として登場したが、臨時列車としては1971年からしばしば登場していた。1985年3月改正で、上越線系統の短距離特急を「新特急」という妙なものに変更した際に[新特急草津]に名称変更された。

[新特急谷川] 1997年10月改正で消滅 最終運転区間:上野−新前橋・渋川・水上
 1985年3月、「新特急」誕生時に[谷川]を改称して登場。上越新幹線の近距離列車に[たにがわ]の愛称をつけることにしたため、こちらは[新特急水上](一部は[新特急あかぎ])に名称変更。

[新特急なすの] 1995年12月改正で消滅 最終運転区間:新宿−宇都宮・黒磯
 1985年3月、急行の格上げで登場。その後、一部列車の快速格下げ、上野発着から新宿発着への変更などを経る。東北新幹線の近距離列車に[なすの]の愛称をつけることにしたため、[新特急おはようとちぎ][新特急ホームタウンとちぎ]に名称変更。

[新特急あかぎ] 2002年12月改正で消滅 最終運転区間:上野−高崎・新前橋・前橋・渋川
[新特急ウィークエンドあかぎ] 2002年12月改正で消滅 最終運転区間:上野・新宿−前橋
[新特急おはようとちぎ] 2002年12月改正で消滅 最終運転区間:黒磯・宇都宮→新宿
[新特急草津] 2002年12月改正で消滅 最終運転区間:上野−長野原草津口・万座・鹿沢口
[新特急さわやかあかぎ] 2002年12月改正で消滅 最終運転区間:前橋→新宿
[新特急ホームタウン高崎] 2002年12月改正で消滅 最終運転区間:上野・新宿→高崎
[新特急ホームタウンとちぎ] 2002年12月改正で消滅 最終運転区間:新宿→黒磯
[新特急水上] 2002年12月改正で消滅 最終運転区間:上野−水上
[新特急リゾート水上] 2002年12月改正で消滅 最終運転区間:新前橋→上野
 さすがに、個々に書く気力は… 1985年3月、上野発着の東北線・高崎線系統の185系を使用した近距離特急を「新特急」と呼ぶことになった。新種別のような呼び方であるが、実際には愛称名の一部である。2002年12月改正時に「新特急」の呼称を全て無くすことになったため、上記の愛称は全て消滅となった。基本的に「新特急」を無くしただけの愛称として存続することとなったが、[新特急さわやかあかぎ][新特急ホームタウン高崎][あかぎ]に統合され、[新特急リゾート水上][水上]に統合された。なお、[新特急リゾート水上]は実際には臨時列車扱い区間を含め上野−水上間の運転だった。
 登場初年月は以下のとおり。[新特急あかぎ][新特急草津]…1985年3月。[新特急ホームタウン高崎]…1993年12月。[新特急ウィークエンドあかぎ]…1994年12月。[新特急おはようとちぎ][新特急ホームタウンとちぎ]…1995年12月。[新特急さわやかあかぎ][新特急水上]…1997年10月。[新特急リゾート水上]…2001年12月。

[すいごう] 2004年10月改正で消滅 最終運転区間:東京−佐原・銚子
 1982年11月、急行の格上げで登場。当初の運転区間は両国−銚子間で2往復走っていた。その後、東京発着化(順次実施)、佐原以東普通列車化、1往復化、下り佐原止まり化などを経る。2004年10月、愛称を[あやめ]に統合のため、消滅。

[彗星] 2005年10月改正で消滅 最終運転区間:京都−南宮崎
 1968年10月に登場。関西と日豊線沿線を結ぶ寝台特急として活躍した。最大で5往復走っていた時期もあり、九州側は都城まで直通していた(都城までの運転は1970年10月から1995年4月まで)。2000年3月から廃止までの間、京都−門司間は[あかつき]との併結運転だった。これで、鹿児島県に続いて宮崎県からも寝台特急の運転が無くなった。

[スーパー有明] 1990年3月改正で消滅 最終運転区間:博多−西鹿児島
 1988年3月に登場。当時西鹿児島まで運転していた[有明]のうち1往復を、停車駅を減らし速達化、[スーパー有明]とした。車両は、JRグループとして初の特急用新形式車783系を使用。1990年3月改正で、783系使用の列車を[ハイパー有明]に名称変更したため、消滅。現在JR北海道・西日本で乱用(?)されている[スーパー○○]の元祖的列車かも。西鹿児島は現在の鹿児島中央。

[スーパーくにびき] 2003年10月改正で消滅 最終運転区間:鳥取−米子−益田
 2001年7月に登場。島根地区の山陰線高速化と新型車両置き換えにより、[くにびき]から改称された。2003年10月改正で、[スーパーまつかぜ]に名称変更。

[スーパーくろしお・オーシャンアロー] 1997年3月改正で消滅 最終運転区間:京都・新大阪−新宮
 1996年7月に登場。283系使用列車に命名した。長すぎる愛称がさすがに気になったのか、翌年春の本格運転開始時に[オーシャンアロー]に名称変更された。

[スーパーはつかり] 2002年12月改正で消滅 最終運転区間:盛岡−青森
 2000年3月に登場。同時に運行開始したE751系使用列車に対して付けられた愛称。[はつかり]と同様の理由で消滅。なお、E751系は、2002年12月改正以降は、[つがる](八戸−青森・弘前間)に使用されている。

[スーパーホワイトアロー] 2007年10月改正で消滅 最終運転区間 (新千歳空港−)札幌−旭川
 1990年9月に登場。同時期にデビューした785系を使用した列車(一部を除く)に付けられた愛称で、札幌−旭川間を運転。このときのダイヤ改正では、札幌−旭川間の運転体系整備が行われ、[スーパーホワイトアロー][ライラック]がそれぞれ1時間おきに、合わせて30分おきに運転されるようになった。2002年3月改正からは、それまで[ライラック]が担っていた新千歳空港への乗り入れも開始されたが、新千歳空港−札幌間は[エアポート]という別の愛称を持った快速として運転された。2007年10月に、[ライラック]に使用されていた781系の新型車(789系1000番台)への置き換えに合わせて、愛称を[スーパーカムイ]に統一化、名称消滅。

[スーパーやくも] 2006年3月改正で消滅 最終運転区間:岡山−出雲市
 1994年12月に登場。[やくも]のうち、先頭車両を展望グリーン車化する等のリニューアルを行い、かつ速達化した列車を[スーパーやくも]とした。その後、速達化した列車を全て[スーパーやくも]と称するようになったが、2006年3月からは再び[やくも]に愛称が一本化された。

[スーパー雷鳥] 2001年3月改正で消滅 最終運転区間:大阪−富山・魚津・和倉温泉
 1989年3月に登場。485系のグレードアップ車を使用し、同時に登場した[スーパーひたち]とともに、在来線初の130km/h運転(湖西線と北陸トンネル内で)を開始した。当初は神戸発着があったほか、臨時列車として長野や立山・宇奈月温泉への延長運転もされていた(愛称はそれぞれ[スーパー雷鳥・信越][スーパー雷鳥・立山][スーパー雷鳥・宇奈月])。2001年3月改正で、[サンダーバード]へ置き換えとなり、名称消滅。

[スーパー雷鳥(サンダーバード)] 1997年3月改正で消滅 最終運転区間:大阪−富山・和倉温泉
 1995年4月に登場。681系使用列車に命名した。1997年3月改正時に[サンダーバード]に名称変更された。681系はJR西日本初の特急用新形式車で、1992年の年末に臨時特急でデビューしていた。定期列車としての運転は[スーパー雷鳥(サンダーバード)]から。

[瀬戸] 1998年7月改正で消滅 最終運転区間:東京−高松
 1972年3月に同名の急行格上げで登場。東京−宇野間の運転が長く続いたが、1988年4月の瀬戸大橋開通により四国へ直通開始。1998年7月の[サンライズ瀬戸]誕生により発展的解消。

[ソニックにちりん] 1997年3月改正で消滅 最終運転区間:博多−大分
 1995年4月に登場。883系使用列車に命名された。その後の増備を経て、所要数が揃った1997年3月、[ソニック]に名称変更された。その際、485系使用車も大分発着のものは[ソニック]となった(現在の[ソニック]は全て883系・885系で運転)。

[たざわ] 1997年3月改正で消滅 最終運転区間:秋田−青森
 東北新幹線が本格開業した1982年11月に、盛岡で新幹線に接続し秋田へ向かう特急として設定された。田沢湖線改軌工事の始まった1996年3月に、主力区間である盛岡−秋田間が消え、実質的にはこの時が[たざわ]の終焉に。現在は[こまち]に発展。残っていた秋田−青森間のみ運転の列車は、[かもしか]に改称。

[谷川] 1985年3月改正で消滅 最終運転区間:上野−水上・越後湯沢・石打
 上越新幹線開業の1982年11月に登場。約2年半後、[新特急谷川]に名称変更された。水上−石打間は季節列車のみの設定だった。現在は平仮名の[たにがわ]で、上越新幹線の愛称として使われている。

[鳥海] 1997年3月改正で消滅 最終運転区間:上野−青森
 1990年9月登場。上越・羽越線経由で運転していた寝台特急。同じく上野−青森間を東北・陸羽東・奥羽線経由で運転していた[あけぼの]と統合された。廃止されたのは[あけぼの]の方だが、残った[鳥海]の愛称を[あけぼの]に変更したため、[鳥海]の名称が消滅した。過去には同区間の昼行特急や上野−秋田間の夜行急行の愛称として使われていたことも。

[燕] 1943年10月改正で消滅 最終運転区間:東京−大阪
 1930年10月、東京−神戸間に新設された超特急に命名される。戦争の影響で、1943年2月に大阪打ち切りとなり、同年10月に廃止。戦後は[つばめ]の愛称で1950年1月に復活。新幹線の開業で運転区間を変えながら、一旦消滅の後、1992年7月にJR九州の特急として再度復活している。現在は九州新幹線の愛称。戦前もトレインマークは仮名書きだった。

[つるぎ] 1994年12月改正で消滅 最終運転区間:大阪−新潟
 1972年10月に、同名の急行格上げで登場。関西地区と新潟県を結んでいた寝台特急。同区間を走行する夜行急行[きたぐに]と競合するためか、1994年12月に臨時列車格下げとなった。その後、しばらくの間は多客期に臨時列車として運転されていた。

[出羽] 1993年12月改正で消滅 最終運転区間:上野−秋田
 1982年11月登場。上越線・羽越線経由で運転していた寝台特急。1993年12月のダイヤ改正では、[出羽]の他にも[ゆうづる]や、急行の[八甲田][津軽]も廃止となるなど、JR東日本の夜行列車削減が顕著だった。[出羽]の愛称は、過去には上野−酒田間(奥羽・陸羽西線経由)の夜行急行に使われていたことも。

[東海] 2007年3月改正で消滅 最終運転区間:東京−静岡
 1996年3月登場。同名の急行の格上げ。運転区間が東海道新幹線と並行していることや、わずか2往復の運転だったこともあり、あまり利用は芳しくなかった様子。車両はJR東海の373系で、身延線[ふじかわ]、飯田線[伊那路]のほか、東海道線普通列車の一部にも使用されている。

[とかち] 2009年10月改正で消滅 最終運転区間:札幌−帯広
 1990年9月登場。[おおぞら]のうち帯広発着の列車を増発の上、新たに[とかち]と命名。翌年夏に[スーパーとかち]に改称されたが、1997年3月に[とかち]も復活、その後は両者共存となる。2009年10月改正で全列車が[スーパーとかち](283系または261系気動車使用)となったため、再び名称消滅。なお、初代[スーパーとかち]は、183系気動車に2階建車両(2階はグリーン車)1両を連結した列車であり、特にスピードが速かったわけではない。

[ドリームつばめ] 2004年3月改正で消滅 最終運転区間:博多−西鹿児島
 1993年3月改正で、[ドリームにちりん]とともに、夜行急行の特急格上げにより登場した。夜行特急であるが、昼行の(当時は在来線特急の愛称だった)[つばめ]と同一の車両を使用したため、寝台車の連結は無かった(夜行急行時代は寝台車の連結あり)。九州新幹線開業により廃止。鹿児島県には夜行旅客列車の乗り入れが無くなった。西鹿児島は現在の鹿児島中央。

[なは] 2008年3月改正で消滅 最終運転区間:京都−熊本
 1968年10月登場。当初は大阪−西鹿児島(当時)間の昼行特急だった。1975年3月の新幹線博多開業時にこの昼行特急は廃止されたが、[なは]の名称は、ほぼ同区間を走る寝台特急群のうちの1往復に引き継がれた。2004年3月の九州新幹線開業時、九州側の発着駅が熊本に短縮。登場から廃止までの40年弱の間、常に1往復での運転であった。なお、登場時は[日向]、晩年は[あかつき]、それぞれとの併結運転だった。

[ハイパー有明] 1992年7月改正で消滅 最終運転区間:門司港・小倉・博多−熊本・水前寺・八代・西鹿児島
 1990年3月登場。783系使用列車に命名された。1992年7月に[つばめ]が登場した際に、この名称は使われなくなった(西鹿児島系統は[つばめ]に、熊本系統は[有明]に名称変更)。熊本−水前寺間は普通列車。この区間は当時は非電化だったため機関車が牽引した。西鹿児島は現在の鹿児島中央。

[ハイパーかもめ] 1994年3月改正で消滅 最終運転区間:博多−長崎
 1990年3月登場。783系使用列車に命名された。その後長崎線への787系の導入(その後撤退)などもあり、通常の[かもめ]に名称変更された。

[ハイパーにちりん] 1997年3月改正で消滅 最終運転区間:博多−大分
 1990年3月登場。783系使用列車に命名された。日豊線系統から783系が撤退した際に名称消滅。小倉発着や門司港発着の列車も存在していた。

[白山] 1997年10月改正で消滅 最終運転区間:上野−金沢
 1972年3月に、同名の急行格上げで登場。北陸新幹線開業にともなう信越線一部区間廃止により列車も消滅。上越新幹線開業前は3往復体制で、長岡経由の[はくたか]とともに首都圏と北陸との移動の主力だった。

[はくつる] 2002年12月改正で消滅 最終運転区間:上野−青森
 1964年10月登場。以来、一貫して東北線経由で上野と青森とを結ぶ夜行特急の愛称として使用された。2002年12月の東北新幹線八戸延長開業により、消滅。当初は客車(20系)だったが、1968年10月からは電車化(583系)され、1994年12月から再び客車化されるまで583系電車による運転だった。1982年11月から1994年12月改正までは2往復、それ以外の期間は1往復の運転。

[はくと] 1997年11月改正で消滅 最終運転区間:京都−鳥取・倉吉
 1994年12月、智頭急行開業時に登場。同線を経由する特急のうちHOT7000系(智頭急行車両)使用車が[スーパーはくと]、181系使用車が[はくと]と命名された。当初[はくと]は毎日運転の臨時列車扱いだったが1996年3月改正時に定期列車化。1997年11月改正では全てがHOT7000系で運転される(=[スーパーはくと]化)ことになり、名称消滅。

[はつかり] 2002年12月改正で消滅 最終運転区間:盛岡−青森−函館
 1958年10月に、東北地区初の特急として、上野−青森間に登場。当初は常磐線経由だったが、1968年10月に東北線経由となり、合わせて2往復に。その後順次本数を増やした。東北新幹線本格開業の1982年11月からは、運転区間が盛岡−青森間に短縮された。青函トンネル開業後は一部が函館まで直通となった。東北新幹線八戸開業にともない、役割を[白鳥][つがる]等に譲り、名称消滅。1982年10月からしばらくの間、1往復のみ季節列車扱いで弘前まで運転していた。

[はと] 1975年3月改正で消滅 最終運転区間:岡山−下関
 1950年5月登場。1960年6月に[つばめ]に吸収され名称消滅したが、翌年10月に復活。東海道線の昼行特急として長らく活躍し、その後新幹線の開業・延伸にともない運転区間を変更した。最終運転区間は上の通りだが、九州(博多まで)に直通していた時期もあった。新幹線博多開業で廃止に。姉妹列車として活躍し、同時に消滅した[つばめ]は、その後JR九州の特急として復活したが…

[はやぶさ] 2009年3月改正で消滅 最終運転区間:東京−熊本
 1958年3月登場。[あさかぜ][さちかぜ](後の[さくら])に続く、東京−九州間直通特急の第3弾として設定された。当初の運転区間は東京−鹿児島だったが、ほどなく西鹿児島(現・鹿児島中央)発着に。長崎発着編成を併結していた時期もあった。利用客低迷後の足取りは、1997年11月からは東京−熊本間に短縮、1999年12月からは[さくら]と、[さくら]廃止後は[富士]と、それぞれ併結運転化。2009年3月に[富士]ともども廃止、東京−九州間直通の在来線特急が消滅、合わせて東海道線東京口の機関車牽引列車も消滅となった。

[ひたち] 1998年12月改正で消滅 最終運転区間:上野−勝田・高萩
 1969年10月に季節列車として登場。翌年10月定期列車化。その後、徐々に勢力を拡大し、運転本数が日本一の時もあった。その後、1989年3月から[スーパーひたち](651系使用)、1997年10月から[フレッシュひたち](E653系使用)がそれぞれ登場、1998年12月には全てこれらに置き換えられたため、本家[ひたち]の名称は消滅した。

[ひばり] 1982年11月改正で消滅 最終運転区間:上野−仙台
 1962年4月に不定期列車として登場。定期化は1963年10月。当初は全区間架線の下を走る気動車特急だった。東北新幹線開業前までの代表的な列車として活躍。最盛期は15往復と、当時としては破格の運転本数だった。

[ビバあいづ] 2002年12月改正で消滅 最終運転区間:郡山−会津若松
 1993年12月、それまで上野−会津若松間で運転されていた[あいづ]の廃止にともない、磐越西線内のみ運転の特急として登場した。2002年3月からは、土曜・休日は別ダイヤ化し、愛称も[ホリデービバあいづ]となった。2002年12月改正で、[あいづ]に名称変更されることとなり、消滅。専用塗装された車両が使用されていたが、1編成しかないため、検査時には運休(同時刻での快速を運転)としていた。

[ひびき] 1964年10月改正で消滅 最終運転区間:東京−大阪
 1960年6月に臨時列車として、翌年10月には不定期列車として登場。定期列車化は1963年4月。準急[日光]用として製作された157系を使用していた。

[日向] 1975年3月改正で消滅 最終運転区間:新大阪−宮崎
 1968年10月に[いそかぜ]の改称で登場した昼行特急。当初は西鹿児島(当時)発着の[なは]と併結された。新幹線博多開業で廃止。1974年4月に電車化された。2000年3月のダイヤ改正で、[ひゅうが]の名称でJR九州の特急として復活した。

[ビューさざなみ] 2005年12月改正で消滅 最終運転区間:東京−君津・館山
 1993年7月に登場。[さざなみ]の一部が当時新製された255系に置き換えられた際、255系使用列車に命名された。当初は東京−千倉間の運転だった。2004年10月に、残りの[さざなみ]がさらに新型のE257系に置き換えられたこともあり、約1年後[さざなみ]に愛称統一された。

[ビューわかしお] 2005年12月改正で消滅 最終運転区間:東京−茂原・上総一ノ宮・安房鴨川
 1993年7月、[ビューさざなみ]と同様の理由で登場。消滅の理由も[ビューさざなみ]と同様。2004年10月以降、一部列車の勝浦−安房鴨川間は普通列車化されていた。

[富士] 2009年3月改正で消滅 最終運転区間:東京−大分
 1929年9月、当時2往復だけ設定されていた特急に愛称名が付けられることになり、公募の結果最多票を獲得し、採用された(もう1往復は[櫻])。命名された当時の運転区間は東京−下関間。関門トンネル開通後は長崎に乗り入れたものの、まもなく博多打ち切り、その後1944年4月改正で廃止に。戦後は東京−神戸・宇野間の昼行電車特急の愛称として3年ほど使われた後、1964年10月、当時東京−熊本・大分間で運転されていた[みずほ]の大分編成を分離独立する際に[富士]を名乗ることに。九州側の発着駅はその後、1965年10月から15年間は西鹿児島(現・鹿児島中央)、その後は宮崎→南宮崎→大分と変化した。日豊線経由の東京−西鹿児島間は約1600km、特急の走行距離としては歴代最長。今後破られることは無いであろう。

[へいわ] 1962年6月改正で消滅 最終運転区間:大阪−広島
[平和] 1959年7月に消滅 最終運転区間:東京−長崎
 初代[へいわ]は戦後初の特急として1949年9月に登場したが、翌年1月に[つばめ]に改称された。二代目[平和]は東京−長崎間特急[さちかぜ]の改称で1958年10月に登場したが、翌年7月に再度[さくら]に改称された。三代目[へいわ]は1961年10月に大阪−広島間の特急として登場したが、これも翌年6月に消えた。果たして四代目は生まれるのか?

[ホームタウン佐倉] 1995年12月改正で消滅 最終運転区間:東京→佐倉
 1994年12月に登場。翌年12月に運転区間が成田まで延長された際、名称も[ホームタウン成田]に変更。

[ホームタウンさざなみ] 2004年10月改正で消滅 最終運転区間:東京→君津
 1991年3月に登場。愛称整理により[さざなみ]に統合された。

[ホームタウンしおさい] 2004年10月改正で消滅 最終運転区間:東京→成東
 2002年12月に登場。愛称整理により[しおさい]に統合された。

[ホームタウン成田] 2004年10月改正で消滅 最終運転区間:東京→成田
 1995年12月に登場。愛称整理により[あやめ]に統合された。

[ホームタウンひたち] 1998年12月改正で消滅 最終運転区間:上野→勝田・高萩
 1990年3月に登場。[ひたち]系統の夜間運転の下り列車に命名された。1998年12月、[ひたち]と同様の理由で名称消滅。

[ホームタウンわかしお] 2004年10月改正で消滅 最終運転区間:東京→上総一ノ宮・勝浦・安房鴨川
 1991年3月に登場。愛称整理により[わかしお]に統合された。勝浦より先は普通列車だった。

[北星] 1982年11月改正で消滅 最終運転区間:上野−盛岡
 1975年3月に急行の格上げで登場。東北線経由の寝台特急として活躍したが、東北新幹線本格開業により廃止された。

[北海] 1986年11月改正で消滅 最終運転区間:函館−札幌
 1967年3月に登場。当初から小樽経由で運転。元々は旭川まで直通していたが、札幌までに短縮された後、東室蘭経由の[北斗]に吸収され廃止。小樽経由の通称「山線」には優等列車の設定がなくなった。

[ホリデーあいづ] 2003年10月改正で消滅 最終運転区間:郡山−会津若松・喜多方
 2002年12月、[ホリデービバあいづ]から改称されたが、2003年10月に[あいづ]と同様に快速格下げ。

[ホリデービバあいづ] 2002年12月改正で消滅 最終運転区間:郡山−会津若松・喜多方
 2002年3月登場。磐越西線(郡山−喜多方間)の土曜・休日ダイヤ導入にともない、土曜・休日運転の特急を[ホリデービバあいづ]と呼ぶこととなった。2002年12月から[ホリデーあいづ]に名称変更。

[ホワイトアロー] 1990年9月改正で消滅 最終運転区間:苫小牧・千歳空港−札幌−旭川
 1986年3月に登場。同区間を走る[ライラック]を補完する形で、停車駅を減らして高速運転した。その後本数を増やしたが、新鋭785系登場時のダイヤ改正で、体系を整備し、[スーパーホワイトアロー]に名称変更された。なお、千歳空港は現在の南千歳。

[まつかぜ] 1986年11月改正で消滅 最終運転区間:新大阪・大阪−米子
 1961年10月に登場。当初は京都−松江間(大阪経由)だった。1964年から1985年までの間は、山陰線のほぼ全線を走破して博多まで直通運転していた。なお、2003年10月に、[スーパーまつかぜ]の愛称が登場している。

[Maxあおば] 1997年10月改正で消滅 最終運転区間:東京−仙台
 1994年7月登場。全車2階建て新幹線車両(E1系)を使用する列車の列車名に「Max」の冠号が付くことになり出来た名称。[あおば]消滅と同様の理由で1997年10月に名称消滅。

[Maxあさひ] 2002年12月改正で消滅 最終運転区間:東京−新潟
 1994年7月、[Maxあおば]と同様の理由で登場。[あさひ]消滅と同様の理由で2002年12月に名称消滅。

[まりも] 2007年10月改正で消滅 最終運転区間:札幌−釧路
 2001年7月、[おおぞら]のうち夜行列車1往復を改称したことにより登場。もっとも、[おおぞら]の夜行便は1993年3月改正で特急に格上げされる前は急行[まりも]として運転されていたので「復活」とも言える。2007年10月改正で不定期列車化された。[利尻][オホーツク](夜行便)と同様、寝台車のみ客車、他は気動車として運転されていた。営業上の施策として、オフシーズン中のみ寝台料金が約半額になる取り組みもあった。

[みずほ] 1994年12月改正で消滅 最終運転区間:東京−熊本・長崎
 1961年10月に不定期列車として登場。1年後に定期化。当初は熊本編成のみだったが、その後大分編成を併結([富士]の前身)。東京−九州間寝台特急の低迷のため、[さくら]と統合という形で廃止となってしまった。

[みちのく] 1982年11月改正で消滅 最終運転区間:上野−青森
 1972年3月に登場。常磐線経由で結ぶ昼行特急で、[はつかり]の補完列車として活躍。[みちのく]の愛称そのものは1950年11月から、同区間走行の急行に付けられていた。東北新幹線本格開業時に廃止。

[みのり] 2002年12月改正で消滅 最終運転区間:高田−長岡・新潟
 1997年3月登場。北越急行開業にともない手薄となった新潟発着特急を補う意味で、高田−新潟間運転の特急として新設された。同年10月の長野新幹線開業・在来線特急[あさま]廃止にともない、長野−新潟間運転の列車も登場した。が、2001年12月改正で長野発着が廃止となり、列車そのものも2002年12月改正で廃止となった。

[明星] 1986年11月改正で消滅 最終運転区間:新大阪−西鹿児島
 1968年10月に登場。関西から鹿児島線の寝台特急として一時は7往復もの本数で活躍していたが、新幹線の開業などで徐々に勢力を弱め、民営化前に廃止。同区間には引き続き[なは]が走っていたが、九州新幹線開業時に熊本以南が廃止となっている。西鹿児島は現在の鹿児島中央。

[むつ] 1986年11月改正で消滅 最終運転区間:秋田−青森
 1985年3月に登場。わずか1年半で廃止。とにかくマイナーな列車で、ひっそり登場してひっそり消えていった、という感じ。りんごのヘッドマークがかすかに印象に残っています。ちなみに現在、同区間には[かもしか]が走っている。

[やまばと] 1985年3月に消滅 最終運転区間 上野−山形
 1964年10月に登場。上野から奥羽線直通の特急として、上野−秋田間の[つばさ]とともに活躍。東北新幹線開業により使命をほぼ終え、最終的には[つばさ]に統合された。会津若松編成を併結していた時期もあった。

[ゆうづる] 1993年12月改正で消滅 最終運転区間 上野−青森
 1965年10月に登場。当初から常磐線経由の夜行特急として運転された。最盛期には7往復体制(電車・客車の両方が使用されていた)にもなったが、新幹線開業等により徐々に衰退した。最後まで残っていた分も、東北線経由に変更となり[はくつる]に統合され、[ゆうづる]の名称は消滅した。登場時から2年間は、平(現いわき)−仙台間で蒸気機関車C62が牽引。「最後のSL特急」だった。

[ゆうなぎ] 1968年10月改正で消滅 最終運転区間 新大阪−宇野
 1964年10月に登場。東海道新幹線に接続し、新大阪−宇野間を結んだ。1968年10月改正で、当時同区間を走っていた[うずしお]に統合され、名称消滅。

[ライラック] 2007年10月改正で消滅 最終運転区間 札幌−旭川
 1980年10月に登場。千歳線等の電化に合わせ、それまで運転されていた[いしかり]を発展させ、室蘭−札幌−旭川間で運転開始した。1992年7月改正では室蘭−札幌間は[すずらん]として独立、[ライラック]は同時に開業した新千歳空港−札幌−旭川間の運転となった(ただし新千歳空港−札幌間は快速[エアポート]として運転)。2002年3月改正からは新千歳空港−札幌間の運転は[スーパーホワイトアロー]に譲り、札幌−旭川間のみの運転となった。使用していた781系の新型車両(789系1000番台)への置き換えに合わせ、[スーパーホワイトアロー]ともども、[スーパーカムイ]に名称変更された。

[利尻] 2006年3月改正で消滅 最終運転区間 札幌−稚内
 2000年3月に、同名の急行格上げで登場。夜行列車であるが気動車による座席車主体の編成で、編成中1両だけ客車による寝台車が連結されていた。2006年3月改正で、夏の観光シーズンのみ運転の不定期列車に格下げとなった。

(参考)

[あい] 1999年3月改正で消滅 最終運転区間 徳島−阿波池田
 1998年4月に臨時列車として登場。徳島−阿波池田間を、ペインティングされた専用車で1日3往復した。臨時列車ではあったが、結局、消滅までの約1年間、毎日運転していたので、参考として掲載した。1999年3月改正で、[剣山]に統合の形で消滅。愛称の由来は「藍」および「愛」から。

[ウイングエクスプレス] 2004年3月改正で消滅 最終運転区間 大宮−成田空港
 登場時期不詳(すいません)。臨時列車であるが、ここ数年は大宮−成田空港間で毎日1往復が運転されていた。2004年3月改正で車両が置き換わり、[成田エクスプレス]の仲間に入ったため名称消滅。

[オランダ村特急] 1992年3月に消滅 最終運転区間 門司港−佐世保
 1988年3月に登場した季節列車。全て電化区間を走行する気動車特急だった。下り列車では[有明]と併結し、電車と気動車による協調運転を行っていた。ハウステンボスのオープンにともない、使命を[ハウステンボス]に譲り名称消滅。車両は改造の上[ゆふいんの森]に使用された後、1999年3月からは再度改造の上[シーボルト](長崎−佐世保間)に使用、さらに2004年3月に再々度改造され[ゆふDX](博多−別府間)に使用されている。

[シャトル・ガーラ] 最終運転区間 越後湯沢−ガーラ湯沢
 1990年12月の上越線(実質的には上越新幹線)越後湯沢−ガーラ湯沢間開業時に登場。この区間のみ運転の列車には[シャトル・ガーラ]という愛称がついた。その後、毎年冬になる運転していたが、だんだんと東京(上野)からの直通列車が主体となり、やがて区間運転の列車は消滅した(1995年3月が最後らしい(資料が十分でないので、この部分は自信ないです))。元々がスキーシーズンのみ運転の臨時列車なので、参考ということで…

[新雪] 最終運転区間 上野−石打
 1969年1月から上記区間の臨時特急として毎年冬に運転されていた。上越新幹線の開業や既存特急の充実等により、いつの間にか消滅した。

[そよかぜ] 最終運転区間 上野−中軽井沢
 1968年7月に臨時列車として登場。[あさま]を補完する季節列車として運転されていた(季節列車化の時期について、ある方からメールで、1969年6月以降1970年9月以前であるとの情報をいただきました)。[あさま]の充実によって、登場機会も少なくなり、1994年12月改正時に臨時列車に格下げされた。ある方からメールで、1997年8月17日に上田発上野行として運転したのが最後であるとの情報を頂きました。どうもありがとうございました。

<主な参考文献>
 「名列車列伝」大久保邦彦・寺元光照 1988年 日本交通公社
 「最新鉄道旅行術」種村直樹 1997年 JTB
 JTBキャンブックス「時刻表でたどる鉄道史」宮脇俊三編者・原口隆行企画執筆 1998年 JTB
 「鉄道運輸年表<最新版>」大久保邦彦・三宅俊彦・曽田秀夫 1999年「旅」1月号別冊付録 JTB
 「鉄道ジャーナル 1999年3月号」 特集:列車愛称を考える 鉄道ジャーナル社

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