2008年4月歌舞伎座

仁左衛門の弁慶 

 

 東京では二十一年ぶりという仁左衛門の弁慶がさすがに大きく立派である。

当然のことながら二十一年前とはくらべものにならない。しかもこの人独特の

面白さがある。

 たとえば私がもっとも面白かったのは、富樫を見送っての後向き、金剛杖を

トンと床につく、その杖を軸にして自然に体が廻って下手向きになる。この体

を廻していく具合が、いかにもしっとりと色気があって分厚く奥の深い味で感

心した。むろん当人無意識にやっているのだろうが、その意識しないところに

自らほとばしり出るのが芸の持ち味である。作った味ではないところが稀重で

もあり、大事でもある。この人独特のもの。十三代目の弁慶は見たことがない

が、かくもあろうかと思った。

 この弁慶は芝居がまことにわかりやすい。たとえば山伏問答など、かんで含

めるようですみかるすみまでよくわかる。それが説明ではなく面白さになって

いるところが芸である。ことに「人が人に似たり」の笑いを含んだ具合(私が

見た弁慶ではこの本文の意味が生きたのははじめて)、あるいはまた「一期の

思い出に」で義経を打たねばならぬという決心するところから「日高くば」と

調子をかえながらクライマックスへもっていくハラの具合。いずれもこの人ら

しい素直なわかりやすさでスッキリしている。

 「鎧にそいし」がおもしろくないのは意外だったが、延年の舞が舞いの面白

さはともかくも、まことに男っぷりがいいのも十一代目団十郎以来のことであ

る。弁慶は段四郎のような頑丈なのが本当だが、こういう弁慶もあってもいい

と思わせる役者ぶりである。つめよりの金剛杖の持ち方も正しい。山伏問答で

中央へ来すぎる居所から引込みの飛六法で手をぶらぶらさせることまで、今日

だれでもやる欠点はないわけではないが、大病後の体力でこの大役を演じきっ

た気力、一世一代ともいうべき壮挙である。

 勘三郎の富樫は、仁左衛門、玉三郎先輩二人の間に入って見劣りがしないの

が立派。ことに勧進帳をのぞき込んだあとの三方一時のきまりの上手向き、弁

慶の方へ使う横目、そのイキ、ここが一番の出来である。しかし余裕を持って

やろうとしながらついつり込まれてしゃにむになってしまうのがこの富樫の欠

点。調子を張って大昔にするのもよくない。低くとも小さくともせりふ廻しで

きかせてこそだろう。山伏問答のあと棒立ちなのもハラがないからである。

 玉三郎の義経は出てきたところは立派だが花道の間のせりふは力みすぎて聞

き苦しい。しかし「判官御手」あたりは盛り返し、引込みは笠に手をかけなが

ら本舞台をふりかえらず、ひたすら走って入るイキが義経の悲劇を鮮明にして、

ここが一番印象的であった。

 夜の部はこの「勧進帳」の前に三津五郎、橋之助の「将軍江戸を去る」、後

に勘三郎、三津五郎、時蔵の「浮かれ心中」。

 三津五郎初役の徳川慶喜は、久しぶりにこの真山青果のドラマの骨格を明確

にしている。理性ではわかっていてもついおのれにとらわれる口惜しさ、その

感情が徐々にほどけていく具合が手に取るようで面白い。但し千住大橋のせり

ふは、もう一歩うたい上げてほしい。

 対する橋之助の山岡鉄太郎も口跡、芝居ともによく、この二人のかみ合わせ

は往年の寿海、三津五郎を思わせる。

 弥十郎の高橋伊勢守は調子はいいが、もう一歩この役の客観性、達観した冷

徹さがほしい。そうでないと前半の将軍への苦言が嫌味に聞こえる。

 「浮かれ心中」は、久しぶりに初演通り勘三郎、三津五郎の組み合わせで面

白くもあり、観客も喜んでいるが、いささか脱線しすぎ。客を笑わせるより、

各自の人間を掘り下げないと原作のテーマがあいまいになる。栄次郎も太助も

バカでもなんでもなく、本当は作家になるために必死なはずだ。その真剣さが

ほしい。

 時蔵のおすずが傑作。小山三のやり手が秀逸。弥十郎の佐野準之助がいい。

 以上夜の部の面白さは対照的に昼の部は面白くない。

 第一「廿四孝」の御殿。時蔵の八重垣姫は手順に間違いはないが、一つ一つ

の手に深さがなく、その分淡白で、味わいが薄い。たとえば「夕日まばゆき」

と濡衣の手を持ってもただ手を取るだけで、体を沈めてねじったりしない。こ

の人の芸風ならばいくら突っ込んでもくさくなったりしないのだから、もう一

倍芝居をしたほうがいい。

 秀太郎の濡衣は、「後にしょんぼり濡衣が」のさびし味が第一、十二分に芝

居をしていいが、とかく腰元よりも仲居に見えるのは当人のニンで仕方がない。

 橋之助の勝頼はミスキャスト。抜き衣紋をしている役の柔らかさ、色気に乏

しく、二重の階段まで出て来てガツンと太刀を突いたりするのも色消しな上に、

濡衣が八重垣姫に諏訪法性の兜を盗めというところで、その前後に上手下手へ

気を配るのは、始めからこの計画を考えていたように見えて策士風で興ざめ。

 我当の謙信、錦之助と団蔵の追手。

 第二が玉三郎の長唄の「熊野」。稀音家浄観作曲の長唄の舞踊化。私ははじ

めて見たが、前半朝顔(七之助)や宗盛の従者(錦之助)を出してわかりやす

くしているのはいいが、全体は能がかりで面白くない。ことに清水寺の仏前で、

花道へ行った玉三郎の顔が表情険しく色気を失う。ハラが薄いからであろう。

それに肝腎の熊野の舞が振付(藤間勘吉郎)のせいもあって退屈。

 平宗盛は仁左衛門。二人が立ったところを見ながら、折角の二人の顔合わせ、

もっと別な踊りが見たいと思った。

 第三は、長谷川伸の「刺青奇遇」。

 勘三郎の手取りの半太郎、玉三郎のお仲はすでに実験済み。ところがどうい

うわけか、今度のこの芝居は妙にサラサラとしていて深みがない。序幕の二人

の芝居を見ていると観客を笑わせてはいるが、この二人の人生、哀しみ、痛烈

な心持ちが少しも出ていない。大詰の、いつもは泣かせるところもあわれでな

いのはなぜだろうか。初日のためかも知れない。

 二人がいいのは、唯一半太郎の右腕にお仲が入れ墨を彫るところ。さすがに

ここは二人ともうまい。

 仁左衛門が鮫の政五郎をつき合う。千弥の船頭の女房がうまい。

 

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