2008年3月歌舞伎座

新鮮な「お祭佐七」 

 

 菊五郎初役の「お祭佐七」が面白い。菊五郎の佐七がこれまでとは違う人間

像をつくったからである。

 「お祭佐七」が「お祭り」と仇名された江戸の町火消しの佐七と鉄火で売っ

た柳橋芸者小糸の恋物語だというのは衆知のことである。すくなくとも私は今

日までそう思って来た。しかし菊五郎の佐七を見ているとそればかりではない。

もっとも序幕の鎌倉河岸から返しのお堀端までは、従来とさして変わりがない。

それどころか菊五郎も時蔵も淡々としていて、とても二人が出来ているように

は見えなかった。

 様子が変ったのは、二幕目の佐七の家になってからである。佐七が小糸に自

分の父親が加賀前田家の供先につき飛ばされ、それが原因で死んだ事情を語る。

ここを見ていると佐七が粋でいなせで鉄火な江戸ッ子を気取っているワリには、

結構繊細な、弱さを持った人間であることがわかる。さらに小糸のおふくろに

家へ行ってもいいかと念を押すくだりで、今度はこの男がいかにも小心な、気

のよさを持っていることがわかる。こうなると小糸と別れての有名な「三百落

した気分だなぁ」というさびしさが効いてくる。

 さらに次の小糸の家になると、その花道の出にとつおいつするところがまる

で「封印切」の忠兵衛のごとく滑稽に見え、さらに本舞台へ来て門口を入ろう

として髷を直して形をきめる芝居で、この男がかなりキザッぽい色男であるこ

とがわかる。

 そして大詰の殺し。小糸を殺したあとで急に小糸の書置きが気になりだす。

自分のことを「どうせ悪く書いてあるだろう」とか、「こんなものを読みたく

はねえんだ」とか、しかし「往来の人に拾われると外聞が悪い」とかいうとこ

ろで、佐七が実は小心で、キザで、気のいい、平凡な男であることがはっきり

する。江戸ッ子の裏面である。

 戸板康二はかって序幕の返しの堀端が前の鎌倉河岸の地走りの「落人」のパ

ロディになっていることを指摘した。この指摘が正しいとすれば、佐七は堀端

ばかりでなく大詰まで勘平なのだ。勘平は恋にうつつを抜かして錯誤の殺人を

犯して身を滅ぼす。菊五郎の佐七を見ていて、私はそのことを実感した。あの

小糸の家の門口でのキザな色男ぶり。それからの殺しまで勘平そのままである。

 すなわち今度の菊五郎は、粋な江戸ッこの裏面を描いたのである。錦絵の陰

の人間の素顔を描いたといってもいい。その意味でも大詰が面白い。お定まり

の殺しの見得の数々か実に立派。しかもその立派さの背後には矮小な人間のド

ラマがある。立派な絵と矮小な人間。本来矛盾する二つの要素が表裏一体とな

ったところが、今度の菊五郎の佐七の面白さである。こんな佐七を私ははじめ

て見た。

 周囲の役も揃っている。時蔵の小糸も鉄火な粋さには欠けるものの、母親の

ウソをそのまま信じてしまう気のいい女を好演しているし、仁左衛門の鳶頭が

その貫目で、まさに佐七が従わざるをえないような捌き役になっている。独特

の風趣で面白い田之助の祭りの世話人、団蔵の倉田伴平、権十郎の芳松、錦之

助の三吉、家橘のおてつ、万次郎の若旦那、右之助の矢場女、市蔵の伝次、亀

蔵の箱屋九介、歌江の女髪結、みんな揃っている。

 夜の部は「お祭佐七」の前に富十郎、芝翫の「鈴が森」と藤十郎の喜寿記念

の「娘道成寺」である。

 富十郎の長兵衛は、口跡が凛々として、その上芝居の運びが自然にサラサラ

としていい。なによりもこの長兵衛は、まだ前髪の権八を侍として丁重に扱っ

ているところに生活感がある。身分の違いをはっきり意識しているところに長

兵衛の人間が生きている。芝翫の権八は黒の着付に赤の踏込み、白い瓜実顔が

さながら錦絵の美しさだが、意外に柔らか味が乏しい。このベテランにして夜

の闇が感じられないのも困る。段四郎が飛脚に出て半道敵のお手本を見せ、左

団次、彦三郎、三人の立ち廻りという大舞台である。

 藤十郎の「娘道成寺」は喜寿とは思えぬ若さ、美しさ。道行は藤十郎の「藤」

色地に桜つなぎの麻の葉に桜の模様の着付、朱色の亀甲にこれも藤十郎の紋

「梅鉢」に因む梅の帯という変り衣装。この衣装のはんなりした味が今度の

「道成寺」の特徴である。東京の菊五郎流とも歌右衛門流とも違って、スタテ

ィックな踊り。心持ちと持ち味でゆったりと運ぶ上方風の独特な「道成寺」で

ある。乱拍子急の舞はなく、山づくしの「稲荷山」で襦袢だけを白に引き抜い

て鈴太鼓を持って「園に色よく」から鐘入り、後ジテになる。

 後ジテに団十郎が押し戻しで付き合う。

 以上夜の部に対して昼の部は、舞踊三段返しの「春の寿」、つづいて団十郎、

藤十郎の「陣門・組打」、菊五郎の「女伊達」、最後が仁左衛門、福助の「吉

田屋」。

 「春の寿」は、第一段が我当の翁、歌昇、翫雀の長唄「三番叟」、第二段が

梅玉の若衆姿の義太夫「万歳」、第三段が扇雀、孝太郎の長唄「屋敷娘」。梅

玉がはんなりした京風の上品さを見せたのが目につく。「屋敷娘」の二人の踊

りはまことに荒っぽい。

 「陣門・組打」は、藤十郎の小次郎が昼の部中第一の出来。陣門の管弦を聞

くところは上手木戸へ手をかけて聞くというリアルな行き方で、お定まりの長

刀をつく見得がないのがさびしいが、若々しく品もあって上出来。ことに組打

になって躊躇う熊谷を励ます「ヤアおくれしか」がうまい。底割りを一切せず

に小次郎と敦盛二人が二重写しになるのはさすがである。

 団十郎の熊谷は、見た目がまことに立派。小次郎を小脇にかかえて出たとこ

ろ、花道七三で平山を振り返えるところ、ともに目がよく利いて十分。しかし

「勝ち鬨」でタラタラと後ろへ下がらなかったり、「壇特山」の後ろ向きで馬

の首に顔をうづめるところの形が変だったり、ちょいちょいいつもと違うとこ

ろがあってこの人一流の独特さ。せりふも力演であるが、高音部が割れるため

に悲劇的な高潮を欠く。魁春の玉織姫がよく、市蔵の平山が亡き先代そっくり

で手強く大当たり。時代狂言の敵役らしくていい。

 菊五郎の「女伊達」は、所作ダテがいつもより多く、動きづめの大活躍。決

して面白いとはいえない曲をうまく生かして溜飲を下げさせた。

 仁左衛門の「吉田屋」は、この人の襲名狂言でも当り芸の一つ。悪かろうは

ずもないが、今度は油気が抜けてサラリと軽くなった。ことにいいのは「由縁

の月」の間。「恋も情も世にあるうち」の前後を舞台正面でやる間の色気、風

情がいい。こうすると下手の燭台で紙子が乾かすのに遠すぎるが、芝居はキッ

パリと印象的である。

 ただ仁左衛門型の特徴に一つである「日本に一人の男」ないのはさびしい。

本文にあって(最近は藤十郎が本文通りにこのせりふをいう)、伊左衛門の性

根にかかわるせりふだからである。

 福助の夕霧は、一月の揚巻、二月の小町墨染につづく大役。懐紙に顔を隠し

て出て、伊左衛門の顔を見て思わずパラリと懐紙を落として顔を見せるところ

が自然でうまい。仁左衛門型なので太鼓持ちがからむために後半のくどきがと

かく落ち着かないのは誰でも同じことで仕方がない。くどきの前半はいいが、

「去年の暮れから丸一年」はもう一つしっとりと行きたいところである。とか

く顔が上向きに、動きも大きくなり勝ちなのは、愁いの心持ちが十分でないか

らである。

 左団次の喜左衛門は控えめに手固く、秀太郎のおきさが名品。愛之助の太鼓

持、常磐津は一巴太夫。

 以上四本。見る前は踊りのおさらいじみた狂言立てだと思ったが、見ると各

優はり合って、しかも東西の行き方が対照的で面白い。

 ことに、時蔵の小糸、福助の夕霧、そして国立の芝雀の葛の葉と今月は三人

の女形の活躍が印象に残る。歌舞伎の「春」である。

 

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