2008年11月国立劇場

 惜しい新作

 

 江戸川乱歩の小説を歌舞伎でという企画は、見る前はどうなるかと思ったが、

見ると新鮮かつ奇抜で面白い。岩豪友樹子脚色の「江戸宵闇妖鉤爪(えどのや

みあやしのかぎづめ)」である。

 昭和初期の風俗を江戸幕末へ移しかえた趣向も、染五郎の人間豹恩田乱学の

宙乗りもうまくいっているし、舞台転換があざやかでテンポもあり、第一幕、

第二幕ともに一時間という短さも丁度よく、恰好の世話物、新歌舞伎というと

ころであった。

 しかし残念なことに致命的な欠陥が四つあって、そこが問題でもあり、芝居

としてのコクを失って面白くない。惜しい。

 欠陥の第一は、世話物らしいリアリティがないことである。たとえば第一幕

第一場不忍池出合い茶屋。幕が開くといきなり新内仲三郎の出語りで、白塗り

の染五郎の神谷芳之助の道行風の出になる。「かさね」や「十六夜」と同じ趣

向だが、それはいいとしてもそのあとがいけない。無人の一座ということもあ

るだろうが、出合い茶屋の人間が誰一人出て来ず、さながら荒野の一つ家の如

くまるでリアリティがない。世話物の楽しさがない。それにこういう怪奇物は

細かい日常の描写があって、そこへ不意に非日常があらわれてこそサプライズ

も怪奇も深まる。

 第二場の江戸橋広小路の見世物小屋もそうである。将軍が見世物小屋へお成

りになるというのは芝居のウソ、ご愛嬌だとしても、ここも大入りであるはず

の劇場の喧騒、ざわめき、楽屋の混雑がどこにもない。要するに生活、風俗描

写が全くない。これではリアリティがなくなるのは当然だろう。脚本や演出

(九代琴松――幸四郎)のちょっとした工夫でどうにでもなることだと思うが、

その感覚がスッポリ抜けている。

 第二点は、せりふが説明的で人間の言葉になっていない。ことに第一幕第四

場の隅田川の川べりの茶屋は隠密廻り同心明智小五郎が登場して人間豹の正体

の一端を解く大事な見せ場であるが、せりふが説明的かつ観念的で折角の見せ

場が芸のツボを外している。このせりふで行くと明智小五郎はどういうわけか

またたくうちに人間豹の正体を推理してしまうが、その考える間が本当は芸の

見せ場であり、芝居の面白さになるところであり、観客が喜ぶところでもある。

それが不発なのはせりふの未熟さと演出の工夫の不足である。うまくこの場が

いけば「半七捕物帳」に匹敵するくらいの面白い場になりそうなのに不発に終

った。折角幸四郎がいいのにもったいない。これもちょっとした台本のアレン

ジでうまくいくはずなのに残念。

 第三点は、人間豹の存在の意味が第一幕と第二幕で微妙にぶれている。第一

幕で明智が幕末の暗い時代の落し子だというが、第二幕では母親百御前の悪行

の結果になっている。前は明智の推理、後半は真相という差があるにしても、

名探偵の推理だから多少は当っていないと困るし、そうなるとイメージがぶれ

る。ここはどちらかに統一されなければ芝居としては散漫になる。このぶれは

前後の芝居がうまく構造化されていないためである。

 第四点は、その人間豹に凄味がない。フライングもうまいし、仕掛けもうま

くいっているのに、肝腎の染五郎の扮装がよくない。舞台裏から聞こえてくる

けだもののゾッとする声に思わず想像をたくましくする観客の前にあらわれる

人間豹は、隈取りをとってさながら「紅葉狩」の鬼女か「土蜘」か「船弁慶」

後シテの如くであって、凄味も殺気もない。人間豹という発想は歌舞伎のあり

きたりの発想では解決できないので、そこにこそもっと現代的な工夫がほしか

った。うまく歌舞伎の扮装を利用したつもりだろうが、リアリティを失うばか

りか、こういう歌舞伎の美学の末梢的な利用こそ趣味的で一番安易である。

 以上四点。四点はいずれも現場のちょっとしたカットや工夫で解決できる問

題であり、台本、演出ともに再考されれば結構手頃な新歌舞伎の二番目狂言が

出来たはずである。なぜその程度の工夫が出来ないのか私には解らなかった。

 全幕のなかで一番印象的なのは第二幕第四場恩田の隠れ家から浅草奥山の見

世物小屋へ、さらに屋根へとつながる三場である。ここはさすがに江戸川乱歩

らしい怪奇性があり、「オペラ座の怪人」もどきで面白い。

 幸四郎の明智小五郎は、新作がうまい人だけあって、義太夫狂言などよりも

はるかにいい出来である。すでにふれた通り第一幕第四場の隅田川の茶屋は、

この人が芸に凝れば当り芸になったところである。

 染五郎二役は、白塗りの神谷芳之助が本役。第一場、第二場とつづく色模様

にはもっと工夫がほしく、第二幕第一場の仲三郎出語りの「保名」もどきのふ

りごとはご愛嬌。これは台本、演出の問題もある。ただし体に色気がないのは

芝居に柔らか味がなく体の動きが分別くさく若さに欠けるためである。二役恩

田乱学が凄味に欠けるのはすでにふれた通り。

 春猿が娘お甲と女役者お蘭はやはり同じような色模様二膳込みでワリを食っ

ている。三役明智の女房お文がいい。

 高麗蔵の同心小林新八は一通り、二役蛇娘は正体不明の役だが、それなりに

よくやっている。

この狂言第一の当りは鉄之助の恩田の母百御前。凄味も可笑味もあっていい。

他に錦吾の目明し恒吉、幸太郎の菊師徳造。

 

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