2008年1月国立劇場

「小町村芝居」の評判 

 

  新春最初の芝居見物は国立劇場から。初演以来二百十九年ぶりという「小町

村芝居正月」を見た。桜田治助の顔見世狂言である。桜田治助の作品は、並木

五瓶や鶴屋南北と違って話の筋よりも役者本位に書かれていて、とかくドラマ

の緊密度は二の次になるから、今日の舞台へ復活するのがむずかしい。まして

今は忘れられた約束事が多い顔見世狂言である。復活の困難さ、この上ない。

なんでこういう作品が選ばれるのか。私は理解に苦しむ。もっと現代に向く作

品はいくらもあるのに。

 序幕は、原作の二立目関明神と三立目清水寺、返し大内築地外の三場を一幕

にしている(脚色国立劇場文芸室)。まず関明神を簡略化――ほとんど新作の

如き筋売りの場面にし、つづいて清水寺を全面カット、返しの築地外のだんま

りを三人から大伴黒主(菊五郎)、大刀自婆(田之助)、小野の小町姫(時蔵)

紀の名虎(松緑)、小野良実(彦三郎)、五位之助(菊之助)の主要人物六人

に増やして一座の顔ぶれが揃うように改訂した。さらに黒主を幕外に残し、そ

の雲幕を切って落すと国立御得意の大ゼリで菊五郎の乗った雲を廻して空中遊

泳を見せる場を付け加えた。

 原作もこの関明神と清水寺の二場はよくわからぬ位だからまずは適切だとい

っていい。役者では関明神の田之助の大刀自婆が今は落ちぶれてもかつては紀

の連の未亡人だったという位があってよく、この出来ならば後黒主館のカタリ

と殺しが見たかった。

 築地外はいかにもだんまりらしくていいが、ただ何の説明もなく小町をここ

へ出すのは大損である。小町は散々観客を待たせ売り込むだけ売り込んでやっ

と五立目で出すから、原作で読んでもはなやかさが目に浮かぶ。二幕目のその

出がまことに素っ気なくなってしまったのも是非がない。

 ところで、そのあとの黒主の空中遊泳はよくない。まず菊五郎の乗る道具が

雲だか岩だかわからない上に、それをグルグル廻す間、菊五郎も観客もまこと

に手持ち無沙汰。さらにいえば大伴黒主がこれほどの大魔術師ならば、万葉集

に小町の歌を書き入れることなど朝飯前、なにも人頼みせずともいくらも出来

るだろうと思ってしまう。黒主の人物像が揺らいでくる。

 二幕目大内紫宸殿は、原作の四立目南殿と黒主館を手際よく一場にまとめて

いる。しかしその分芝居に無理があり、奥行きもなくなったことも否定できな

い。原作全編中のヤマ場「草子洗小町」と「鸚鵡小町」があるところだから、

他の場をカットしてももう少し丁寧にアレンジすべきであった。たとえば黒主

が陰謀を独白でいってしまうのにも段取り上お手軽すぎる。

 その上に演出不在で、役者がただ台本を朗読しているかのごとく、動きも見

せ場も芝居になっていないのが残念である。

 菊五郎の大伴黒主は、梓色のような衣装に総髪風の鬘で風采が上がらず、原

作のふてぶてしさも悪の凄味も出ていない。小町を維喬親王のために取り持つ

のか、自分が惚れていて口説くのか、その変わり目もあいまいである。

 対する深草の少将の家臣五代三郎(今度の脚色では五位之助に兼ねさせてい

るが)こそ原作の主役であり、菊之助には荷が重過ぎた。

 時蔵の小町は、琴責めの前後の事情がわかりにくいためにもう一つ引き立た

ず、他の役々では亀蔵の惟喬親王が面白く、菊十郎、橘太郎、大蔵、徳松以下

の公家四人がいかにも歌舞伎風で出色。この幕だけでなく全幕通して面白い

 三幕目は、原作では南殿と黒主館の間にある踊りをここへ持ってきて二番目

へのつなぎにした。その上で二番目の主役五郎又実は大江音人を深草少将にし、

五郎又女房おつゆを小町にしたのは、一見前後照応して名案のように見えるが、

実はそうではない。この幕で少将と小町が相思相愛なのに、次の二番目になる

と途端に大喧嘩になるのはなんのためかわからなくなって、五郎又夫婦のハラ

の探り合いも、謎ときも、サプライズも全てなくなるからである。合理的にし

ようとしてかえって不合理になってしまった。ドラマの意味が見失われている。

 さてその踊りは、原作の富本を常磐津にし、競べ馬と相撲の踊り地を長唄に

している。しかし作詞(桜田治助原作、鈴木英一補綴)、作曲(不明)、振付

(尾上菊之丞)ともに平凡。ことに競べ馬で四人に手綱をもたせたのはこれも

名案のように見えて実は手ぶりを制約する結果になって面白くない。わずかに

松緑の孔雀三郎がワリミで菊之助の小女郎狐にからむところがちょっと面白い。

菊五郎の少将は本役だが、前の幕の黒主の悪がきかないために二役の変りばえ

がしない。時蔵の小町はこの場のくどきが一番。

 さて、今度の芝居で一番面白いのは、やはり二番目柳原けだもの屋である。

五郎又(菊五郎)を間に、前の女房おつゆ(時蔵)の品行方正、後の女房おみ

き(菊之助)の信心深さが、世間一般の悪妻離婚の逆をいって面白いからであ

る。これに家主夫婦(亀蔵万次郎)がからみ、おみき実は小女郎狐の物語から

次の場の女忠信もどきの立廻りのおマケまで、この場は前述の欠点はあるもの

の芝居としては一番よくまとまっている。今度の収穫はこの一幕だけ。

 菊五郎の五郎又は、本性が大江音人ではなく深草の少将で変りばえがせぬ上

に、世話の「侠い」になりきれていない。顔も白すぎる。

 時蔵のおつゆは、品のよさを見せてそれらしい。菊之助のおみき実は小女郎

狐は次の場までふくめてこの幕一番の出来。松緑の紀名虎はこしらえが序幕の

ままなのはよくない。世話場に出るお汁粉屋正月屋庄兵衛、いくら何でももう

少し世話でなければならない。

 返し柳原上手のおマケは菊之助大活躍。後黒幕、雪景色に赤の鳥居という装

置がキレイでいいが、ここにからむ捕り手が変な作り物の爪にブチの犬の衣装

というのは不調和。「ライオンキング」の真似か狐に犬という洒落だろうが、

そんなオチよりもここは黒四天の方が美しくスッキリしただろう。

 大詰、神泉苑は原作の一番目大詰の「暫」をここへ持って来たのだが、二番

目世話物でやっとスッキリしたところへお雑煮の二膳込み。胸につかえて食べ

にくい。

 もっとも松緑初役の「暫」は、さすがに音吐朗々、いつもとは違って明晰で

いい。黒地に孔雀の大紋は、羽根が蛇のように見えてよくないのと、本舞台へ

来てのお約束の見得が腰高で不安定なのは困るが、菊之助の女ナマズの引立て

のやりとりはイキが合っている。

 ウケになる菊五郎の黒主は凄味が薄く中途半端。団蔵、亀三郎、亀寿の腹出

し、時蔵の小町、彦三郎の小野良実の太刀下。なかではここでも菊十郎以下の

公家の四天王が出色である。

 全五幕。演目選定の間違い、演出不在、台本の中途半端を思わずにはいられ

なかった。

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