2007年8月歌舞伎座

勘三郎の政岡 

 

 勘三郎の政岡がいい。八月歌舞伎座第三部「裏表先代萩」の小助、政岡、仁

木の三役のうち第一の出来。勘三郎最近のヒットである。

 この政岡のよさは、第一に母親らしい匂いがあること。その顔つきなり、そ

の体つきなり、亡き梅幸の面影がある。政岡は故人歌右衛門第一の当り芸。梅

幸はおのずと二番手のように人はいうが、歌右衛門になくて梅幸にあったもの

はこの母性である。この一点に関して梅幸は断然他を引き離していた。今また

勘三郎を見て梅幸を思い出すのは、勘三郎の姿の中に他の多くの政岡役者を圧

してこの母性があるためである。

 第二にいいのは、この金襖の大時代な狂言のなか、その芝居の運びに一脈流

れる世話の味があること。たとえば御簾が上がって立身の政岡が堂々たる大き

さだったのにも驚いたが、いいのはそのあと座って御膳を下に置いてからソッ

と鶴千代の前に直す。もとより沖の井の献上したこの御膳を鶴千代に食べさせ

る気は政岡にはない。だから普通の人はその場に置く。しかし勘三郎はたとえ

政岡のホンネがそうでも、いやしくも若君への献上の御膳。とにもかくにもき

ちんと御前へ直す。その心遣いが世話っぽくて面白い。烈女でも勇姉でもなく

普通の「お乳母さん」の心が生きている。

 つづいて「今お館には悪人はびこり」は有名なせりふの聞かせ所だから、だ

れでもここぞと調子を張る。勘三郎も十分に調子を上げているが、しかしごく

リアルなしゃべり付きである。すなわち子供にかんでふくめるように言い聞か

しているからであり、それがまた観客によく通っている。乳母の心が生きてい

る。

 以上二点が勘三郎のユニークかついいところである。研究もし、真剣神妙、

十分の緊張も持っているところが成功の原因である。

 時間の都合で「飯焚き」はカット。

 つづいての難所は千松が刺されての「涙一滴目にもたぬ」だが、ここでも私

は大いに感心した。普通は正面を切ったままの政岡がまず鶴千代を抱く。とこ

ろが勘三郎は若君を抱きしめ、その顔をジッと覗き込む。その情感が若君とい

うよりも育ての親という情愛あふれる。お定まりの懐剣のひもを捲いて来て、

座りながら若君の顔から思わず下手に目をそらす途端に涙がこぼれる。ハッと

し、栄御前に気をつかって袖をはらって右手を膝にポンとおく。この動き、こ

の情があざやかさをきわめる。「涙一滴」落ちたじゃないかという人がいるか

も知れないが、これはこれで十分面白いし、「涙一滴」は形容だから問題ない。

 このあとの栄御前とのやりとりも面白い。だれでも段取り通りになるところ

を取替え子といわれての思い入れから「家中の諸武士は過半お味方」から「あ

の私に」まで。まことにはじめて見るような新鮮さ。芝居の緩急が立体的であ

る。先に世話の運びといったのは、こういうリアリティをいう。

 栄御前が入る。向うを見て立ち上がろうとするところは、右膝に手をついて

はずし、左へかかってはずし、ようやく立つ。その動きが面白い。

 くどきは十二分に見せるが、いいのは「三千世界に子を持った」である。い

かにも平凡な母、平凡な乳母の心持ちが出て、そこに子を失った母の普遍性が

出る。

 以上、この公演第一の当りである。

 二役仁木は、床下へせり上がったところは、政岡が立派だっただけに小粒に

見える。袴さばきもうまくなく、袴のマチへかける右手を大きく前へ廻すのは

場当たりである。引込みに雲を踏むように上下するところも大仰過ぎるが、唯

一闇にうかぶ横顔がみえかくれするような風情が印象的であった。

 刃傷になるとさすがにいい。グッと見直す立派さ。控えの詰所で外記を刺し、

花道ツケ際へ行っての大見得がよく、舞台廻って花道の出、凄味も悪もきいて

この場は上出来。三津五郎の仁木の邪知奸ねいぶりとはまた違ったユニークさ

である。三役中、三番手は小助である。道益殺しはまずお竹に声をかけられて

ビックリする「下駄泥棒かと思った」がうまく、道益を一刀斬って玄関へ足を

おろしたところがうまい。しかし時間の都合で鰈の件りがカットなのは残念。

医者の薬箱持ちのお定まりの衣装の出から、よく研究してあるが、もう一つ引

締った所が少くないのは残り多い。ことに対決は愛嬌、おかしみを売ろうとす

るために緊張感がうすれ、三津五郎の倉橋弥十郎に食われている。

 三津五郎の二役。まず倉橋弥十郎はそれらしく、しかも突っこむところは突

っこんで上出来。もう一役の細川勝元は刃傷の後に出るだけだが、口跡がよく、

台詞回しがうまい人だけに、「果報とやいわん、果報拙しとやいわん」のあた

り、あるいは「ハテ、大丈夫」だの、幕切れの「めでたい、めでたいのゥ」ま

でうかめずにしっかりと深く情をきかせて堪能させた。たった十分ばかりの出

番なのに、十分に役にも芝居にもなっている。

 秀太郎の栄御前がさすがに一頭地をぬく出来栄え。福助の下女お竹が神妙で

よく、弥十郎の大場道益、二役横井角左衛門もいい。こういう役廻りでは得難

い人になってきた。

 市蔵の渡辺外記が若いだけに一見貧相なのは仕方がないが、勝元との芝居は

衷情あふれるいい芝居になった。

 扇雀の八汐は女形だけに小粒で突込みが足りず犠牲打。そのほか家橘の家主、

菊十郎の佐五兵衛がよく、橘太郎の宗益、松也の渡辺民部がしっかりしている。

 勘太郎の男之助は教わったとおりきっちりとやっているのがいい。七之助の

頼兼はさすがに色気、余裕がない。谷蔵は亀蔵。

 第一部は、指宿大蔵作、田中喜三脚色、福田善之演出の「磯異人館」。生麦

事件の犯人として切腹した岡野新助の遺子精之介(勘太郎)と周三郎(松也)

兄弟の、悲恋と運命を描く異色作。しかし題材が珍しいのに人間描写がいずれ

も類型的で面白くない。

 ただ出演者は勘太郎はじめみな健闘している。ことに精之介の勘太郎が恋人

の琉球王女瑠璃から弟が自分の噂話をしたのを聞いて、パッと向うを見る瞬間

のうまいのには驚いた。さり気なく、しかしシャープで透明、一分の臭さもな

い。このイキを忘れないでほしい。最後の幕切れの立腹のイキもあざやか。

 ああ、骨のある作品をやらせたい。

 橋之助の松岡、家橘、橘太郎の折田親子、猿弥の五代才助がいい。

 次が水上勉作の舞踊劇「越前一乗谷」。

 朝倉義景(橋之助)滅亡の悲劇をその妻小少将(福助)の側から描いた義太夫

の舞踊だが、もともと戦争が舞踊にはなりにくいのだろう。馬を駆る振り(尾

上菊之丞)など違和感が残るし、各場の転換の舞台処理もあまりよくない。題

材がムリなのと詰め込みすぎである。竹沢弥七の作曲も平凡。勘三郎と三津五

郎が朝倉方織田方の郎党に出て一騎打ちを見せる。

 第二部になってやっと芝居らしくなる。

 最初が山本周五郎原作、矢田弥八脚色、大場正昭演出の「ゆうれい貸屋」の

再演。

 三津五郎の桶職人弥八がぴったりのニンにはまってうまく見せる。肩のこら

ない夏向きの世話物である。私が見たのは三日目。全体にまだ多少ぎこちない

が、日がたってばテンポが出てもっと面白くなるだろう。

 勘三郎が紙屑買いの幽霊で出るが、依頼人がそばへ寄るなというのにチョコ

チョコとそばへ寄る具合が絶妙の間でおかしい。

 福助の芸者染次の幽霊は急に鉄火になったり、脅かしたりするのが類型的で

平板。設定がおかしく書いてあるのだからムリに観客を笑わせようとせずに引

き締めてやればもっと客が笑うはずである。

 孝太郎の弥八女房お兼、弥十郎の家主、秀調、右之助の魚屋夫婦、芝喜松以

下の長屋の女房たち、権一、玉之助の老幽霊夫婦と手揃い。

 次が渡辺えり子の「新版 舌切雀」。

 前作「桃太郎」は成功したが、今回は散漫。「桃太郎」の鬼退治のよう一貫

した筋がないからだ。それさえあれば脱線が脱線でなくなる。しかしなければ

世界が散逸してとりとめがなくなり、ただのバラエティになってしまう。今度

の作品はまさにそうなって俳優祭の演目の如き趣向尽くしのショウ。どこかで

見たようなイメージばかりである。

 唯一の見ものは勘三郎の欲張り婆と三津五郎の森の賢者が踊る「三社祭」。

その見事さ、その結構さ、息も衝かせぬ数分間である。

 結局三部を通して見れば、「先代萩」ということになる。

 

 

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