七月の歌舞伎座昼夜四本の鏡花劇のなかでは飛びぬけて「天守物語」がいい。
今月はこれ一本という面白さである。劇曲としても傑作だし、富姫は玉三郎一
代の当り芸、海老蔵七年ぶり二度目の図書之助がまた傑作の上に演出(戌井市
郎・玉三郎)もスミズミまで神経が行き届いている。
まず幕開きから。白露で秋草を釣る腰元たちを舞台端ぎりぎりまで押し出し
て、照明(池田智哉)でうまくリアルに見せる。観客を一挙に幻想的な世界に
運んで目が覚める。吉弥の薄、歌女之丞以下の腰元もいい。
舞台正面に巨大な獅子頭、あとは柱だけで向う吹き抜けのホリゾントという
装置(小川富美夫)もよく、秋の夕景を象徴的に描いている。
そこへ富姫が帰ってくる。例によって水色の着付け、トキ色のしごき、蓑笠
をつけ、下げ髪の玉三郎の姿がピタリときまっている。
薄とのやりとり、着替えに引込むまで。初役以来の美しさ、若さはさすがに
ないが、円熟した堂々たる大きさ、美しさで、歌舞伎座の大舞台を圧する出来
栄えである。その姿は見ているだけで観客を堪能させる。せりふ尻りが甘った
るすぎるところが多少気になるが、後半と対照をつけて、明るく、はなやかに、
しかも観客によくわかるように言いほどいて見ている人間を鏡花の世界へパッ
と引きずりこむ。うまいものである。
富姫が着替えに立ったところで、右近の朱の盤坊があらわれる。右近は狂言
風をよくのみ込んで内輪にクセのない出来だが、欲にはもう少し武張ったとこ
ろがあってもよく、そうすれば「ボロロンボロロン」の言葉の面白さが生きる
だろう。
亀姫一行が到着する。春猿の亀姫は玉三郎のリードによって、その幼さ、そ
の甘ったれた具合、まことにいい。昼の「夜叉ヶ池」の百合といい、今月春猿
大当たりである。ことに平舞台で富姫と亀姫二人が手を取り合うところは、胡
弓のような音楽(唯是震一)のエキゾチィックな具合といい、二人の芝居運び
といい、朱の盤坊ではないが言葉が蝶のように飛び交う美しさである。これで
富姫と亀姫の女二人の不思議な関係がうかび上がった。この女同士の情愛は現
代人には理解されにくいところだが、たとえば「日本橋」の稲葉家お孝とお千
世にもある鏡花独特の世界。それが今度はスンナリ観客にも理解されるように
なっている。普通二人が対座するところは、富姫が上手、亀姫が下手でその間
を空けるが、今度は富姫がほぼ中央、上手に並んで亀姫。ここらの細かい配分
にも妹をかばう姉の情愛があふれている。
門之助の舌長姥は芝居に一寸間をとりすぎるところはあっても、この難役を
よくこなしている。
富姫、亀姫二人のやりとりのなかでもすぐれているのは、二人が獅子に向か
って後姿を見せて立つところ。富姫が亀姫の肩を抱くようにした後姿がその打
掛の美しさとともに豪奢をきわめる。
ふたりが鞠をつくために奥へ入って、朱の盤坊と腰元たちの件はいささか間
延びがしている。グッと砕けて芝居の色がかわらなければ奥から聞こえる鞠唄
が引き立たない。
亀姫が帰って後半になる。
今度の舞台でもっとも感心したのは、この後半である。玉三郎の芝居がガラ
リとかわってホリゾントも消え、照明も暗くなる。ここからが前回とは違って
格段の違い。玉三郎の芸が前回とは全く変わって円熟している。
どう変ったのか。姿かたちをこえて心の芝居になったのである。その結果、
天守夫人富姫という一人の女の恋が生きた。むろん「天守物語」が恋物語であ
ることは、戯曲を読めばだれにでもわかる。しかし恋の実感が舞台で生きるか
どうかはまた別の問題である。物語の上の恋と舞台の上の恋とはおのずから一
つではない。私は今夜はじめて舞台にその恋が燃え上がるのを目の当たりにし
た。そしてあらためて「天守物語」の本質を思った。「天守物語」とは幻想的
なファンタジィではなく哀切極まりない男と女の始めての恋物語なのである。
具体的に言えば、富姫は図書之助に出会って亀姫とたわむれている女から一
変する。図書之助を見初めて化け物が徐々に一人の人間の女になる。そしてつ
いには一命を捨てて男と一緒に死のうまでする。その恋の行くたてが客席から
見ていて手に取るようにわかる。単に心理的なのではなく、芝居の運びで彼女
が情熱に身を投じていく具合が、きらめく言葉のなかに虹のようにあらわれる。
恋とはかくの如きものかと思わざるを得なかった。
この玉三郎の変化は、一つは玉三郎自身が己の姿かたちをこえて心の芝居そ
のものに賭けた結果であり、もう一つは海老蔵の図書之助がいいからである。
図書之助はだれがやっても、歌舞伎の役柄の一つ、ただの前髪の若衆役にな
る。そうなると化け物譚のただの添え物にすぎない。海老蔵にしても前回はそ
うであった。私の見た限り、勘弥、仁左衛門、三津五郎その他いずれもそうで
あった。
ところが今度の海老蔵はただの若衆役ではない。人間としての実感がある。
最初に出て来たとき、海老蔵はただの少年にすぎない。それが富姫を知り、生
命の危機にさらされて少しずつ大人になっていく。階段を転がり落ちて半身不
随になるよりはあなたに殺されたい、そう言った時、天守はだれのものかとい
う問題でまことに理路整然と富姫に答えた青年は、青春を知り、恋に目覚める。
恋に目覚め、世の中の不条理を知った少年は一人前の男になる。思わず富姫の
手をとり、あるいは富姫に抵抗して刀を抜こうとする青年はもはやほとんど恋
のとりこになった。海老蔵はその男の実感を生きている。これは海老蔵のせり
ふ廻しの明晰さと芝居のうまさのためである。
それを引き出したのは玉三郎だろう。しかしその引き出したものによって玉
三郎もかわった。かくて二人の間に恋の実感が生きた。
二人が襲われて盲目になり、最後に近江之丞桃六が登場して二人の目が開く。
猿弥の桃六は若いにもかかわらず十分の出来である。ただ声がエコーなのとの
みの音がうそっぽいが、これは猿弥の問題ではない。
かくて「天守物語」は、これまでの多くの「天守物語」のなかでももっとも
すぐれた舞台になった。
この前に「山吹」。
この作品はさすがに歌舞伎座の広い舞台にはムリ。歌六の人形遣い、笑三郎
の子爵夫人縫子はともに健康すぎ、しっかりしすぎていて面白くない。段治郎
の島津正。
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