2006年4月歌舞伎座

歌右衛門五年祭

      

 「井伊大老」に胸をうたれた。

 まず富十郎初役の仙英禅師が傑作である。

 この役は歌舞伎初演の八代目団蔵以来、十三代目仁左衛門、又五郎、十七代

目羽左衛門と滋味ふかい舞台であったが、今度の富十郎はガラリとかわって、

暖かで、情の深い老僧の人間像を鮮明に見せて、芝居の主題を明確にした。な

によりも芝居がうまい。たとえばこの寒さでは「雪でも降るのかな」とつぶや

いて上手を見ると、この人の雲水の旅の荒野、深々と雪の降る江戸の町がうか

ぶから不思議である。あるいはまたお静の方が尼になりたいと聞いて思わず、

「有髪のか」と突っ込む。そのたった一言に彦根の埋木舎以来、井伊直弼とお

静の方と付き合ってきた友人の情が出る。

 その老僧が直弼の筆跡に避けがたい剣難の相を見る。前に四年前のお静の産

んだ姫の死があり、後に直弼自身の死があって、今この一瞬にしか人生の意味

がない、人生は一期一会、ということを自然に描いて芝居全体の輪郭をつくる

出来である。

 直弼の到着を聞いて立つお静への「み仏にもあやまちはあるものぞ」という

鋭い一句もウソと知りつつお静を助ける情の深さがあふれて、人生のはかなさ

が出た。この人が直弼に会わずにいなくなるのも当然と、今度初めて思った。

 そこへ出るから吉右衛門の直弼の芝居が一際引き立つ。会わずとも禅師の残

した笠の「一期一会」という言葉一つで、別れを知るのが人生の秘奥なのであ

る。

 ことに今度の吉右衛門でいいのは、お静を抱いてお前と二人で別な世界に生

きたいというところ。その情愛の深さ、女の気持ちをよく知っている具合、心

中物のようなつややかさである。思わずホロリとさせられた。

 この二人に対する魁春のお静の方がまた傑作である。歌右衛門のお静には芯

の強さがあって、可愛らしさの半面、本妻のところへ押し掛けまじき面がほの

見えたが、魁春だとそんなことは到底出来ない女になっている。禅師が思わず

「有髪のか」と聞くほど淑やかで可愛いく、美しい女になっている。その女が

大政治家の直弼の迷いを救うから面白い、とこれも今度初めて思った。むろん

吉右衛門との間に情が通うからである。ニンがこの役に合っているからとはい

え、歌右衛門以上のお静である。大手柄である。

 歌江の老女もふくめて、この一幕が歌右衛門五年祭にふさわしい今月の白眉

である。

 これが夜の第一。次が「口上」。歌右衛門追善と新松江の襲名、玉太郎初舞

台である。空前の顔ぶれだが、印象に残るのは、久しぶりの又五郎の姿と欄間

に祇園守の紋をあしらって、襖に淡彩で桜と鐘と紅白の綱で道成寺を描いた後

藤芳世の装置である。

 「口上」のあとが、藤十郎初役の江口の遊女、梅玉の西行で「時雨西行」。

藤十郎が何の仕掛けもなく、手振り一つで遊女と普賢菩薩を踊り分ける。

 最後が仁左衛門の当り芸「伊勢音頭」。

 上手が二階でなく一間になっている装置、「夏の夕暮れ」の歌で出る黒羽織

の着付けと諸事菊五郎型とは違う独特さで面白い。

 スッキリした姿のよさ、カドカドの形のあざやかさ、芝居運びのうまさ、性

根の確かさ。ともに当代の貢である。

 ことに今度改めて感心したのは、喜助とのやりとりで性根がよくわかること。

左手に偽せ手紙をかかげての下手向きのきまりのあざやかさ、「これにはだれ

ぞ、仲立ちが」と万野のたくみに気づく芝居の運び、立ち上がってのツケ入り

の形、それからお紺とのやりとりに同じような形を全部変えてみせる具合、い

ずれも名品である。

 万野をひと刀斬って、のれんをかついだ見得から行燈をもった幕切れまで、

形のよさ、味わいが無類である。

 奥庭も上手丸窓から出て花道へ行くカドカドの形、幕切れの刀を頂いて改め

てお紺を抱いてのきまりまで十分の出来で堪能した。

 ただ残念なことに周りがよくない。

 福助の万野は、年配から行っても無理。その上に作りすぎて意地悪よりも薄

気味わるい。犠牲打。東蔵のお鹿も化粧を作りすぎて、リアルにしようとして

かえって三枚目のツボをはずしている。勘太郎のお岸はよくやっているが、真

女形ではないだけに情が足りない。三人とももっと普通にやるべきだ。

 いいものは時蔵のお紺。ハラがしっかりして気持ちも十分。いいお紺である。

他に団蔵の岩次、芦燕の北六がよく、梅玉の喜助は無難。

 昼の部は第一が「狐と笛吹き」。梅玉の春方は昼夜四役中第一の出来。品が

あるのがいい。福助のともねも子供を叱る声が地声になったり、自分は狐だと

いうところが悲しみが足りなかったりするが、若く自然でいい。

 次が雀右衛門の「高尾」。あいかわらずキレイで、姿は味わい深いが、何し

ろ原曲の長唄の「高尾さんげ」でさえ地味なのに、それが荻江だから余計陰気

で映えぬ上に、たった一人の舞台では動きの不自由さを隠すことができなくて

残念。この人の芝居の実力を見たい。さして動かずに出来る演目があるだろう。

 次が「孤城落月」の二の丸乱戦と糒庫。

 芝翫の淀君が顔といい、姿といい、堂々たる出来。六十余州は「わらはの化

粧箱も同然」という気概を見せる。昼の部の見ものはこの淀君。

 しかしこれも周りがよくない。勘太郎の秀頼、左団次の内膳、東蔵の大野修

理、吉之丞の正栄尼、秀太郎の大蔵の局、芝喜松の饗庭の局。誰一人として音

吐朗々といかないのは時世時節かもしれないが、これでは逍遥史劇は生きない

だろう。

 最後が大顔合わせの「関八州繋馬」。華麗なショウである。魁春の如月姫は

よく踊ってはいるが、さすがに頼信をなかに伊予の内侍との恋争いに、美女と

変化の双面をはっきり踊り分けるところまでは行かなかった。

 菊五郎の頼信、仁左衛門の良門が立派。吉右衛門、梅玉、東蔵が間狂言風に

書き足した一場で玉太郎初舞台の口上がある。

 

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