昼の部第一は岡本綺堂の「番町皿屋敷」。松緑初役の青山播磨は、闊達な播
磨の性格を表現しているが、お菊に疑われたと知っての怒りの感情がうまく出
ない。そうなるとなぜ、この男が最愛の恋人を殺すのかがわかりにくい。綺堂
には綺堂調ともいうべきせりふの調子があって、それを歌い上げないかぎり戯
曲の骨格がうかんでこないからである。現代の役者には朗々と歌うことに抵抗
があるだろうが、松緑はもっとせりふを工夫すべきである。
芝雀のお菊も、実はそこに無理がある。恋しい男の心の行方を知りたい。し
かしなんでそれがお家重代の皿を割るというところへ結びつくのか。そこに戯
曲そのものの欠点があるが、それをうまく見せるためにはひとえにせりふと心
持ちに工夫がいる。そこが足りないからドラマの骨格が崩れる。
家橘の後室真弓。
猿弥の放駒はいいが、亀蔵の柴田十太夫は若くて無理。一方橘太郎の権次は
老けすぎている。松也のお仙はお菊の妹のように見えるのは年配で是非もない
が、この女はちょっと出るだけだが実はお菊の大事をすぐ密告するだけの臆病
さとその反面世間知ももっている。そこに難しさがあり、本当はベテランの役
である。このキャスティングも含めて演出者の必要性を痛感した。
中幕は、海老蔵東京では七年ぶり二度目の「勧進帳」である。
七年前とくらべて格段の進歩。舞台ぶりの大きくなったことは、たとえば最
後の飛六法の最初のパッ飛ぶその勢いにあきらかである。これで大太鼓に合わ
せて手をブラブラさせるのをやめれば大出来である。押しも押されもせぬ弁慶
になった。富樫への気配りもいい。ことにノットにかかるところで、目を引い
て富樫の方を見るところに殺気があるのがいい。ここで失敗すれば殺されるに
きまっているのだから、ここは弁慶必死の第一関門である。
七年前にはやたらに大目玉をむいていたがそれもきちんと抑制されているし、
私が大いに気に入ったのは勧進帳読み上げのあと下手へ歩き出さないこと。最
近はだれでもさァこれですんだといわぬばかりに歩き出すが、富樫はそんなに
甘くはない。第一そう甘かったらば山伏問答はいらないはずだ。
むろん問題も残っている。第一にせりふに変なクセがあって不明晰。ことに
大事な花道のせりふがよくない。第二に熱が入って来るとツイ生の感情が顔に
出る。いうまでもなく「勧進帳」は能の「安宅」が原作。「安宅」は直面であ
って顔で表情をするのはもってのほか。歌舞伎はそこまでいわないとしても、
顔がピカピカするのはよくない。第三に、「方々は何ゆえ」の詰めよりで歯を
むき出すこと。戦前からムク犬の喧嘩といわれているところだが、ついに歯ま
でむき出すのかと思った。延年の舞は相変わらず爪先立ちになる。
菊之助の富樫は、線が細く、出て来たところ、烏帽子姿の顔が小さいために
違和感が残る。ニンにないのだし、ニンにない役は避けるべきだろう。
芝雀の義経にさすがに一日の長があって、お菊とは一つにならぬ出来。天地
人の見得に掛かる前にソッと笠に手をかけての心持ち、判官おん手のあわれさ、
花道引っ込みのソッと笠に手をかける具合。これは故人梅幸のようになにもせ
ずに、止まるようで止まらず、止まらぬようで止まる絶妙の名人芸が理想だが、
これはなかなかマネが出来ない。そこで自分は無難な型を取ったのである。こ
の分別が芸には大事である。
四天王が、男女蔵、猿弥、段治郎、市蔵と顔揃いでもあり、シッカリもして
いる。この四天王なら、弁慶に誰が来ようが通用する大歌舞伎である。
二番目が「浜松屋」と「勢揃い」。
菊之助の弁天のキレイさ、はまり具合、富樫と同じ役者とはとても思えず、
しかし味はともかくも、芸の面白味はもっと研究してほしい。芸の道はこれで
いいと思ったらば、終わり。向かい側の歌舞伎座の「先代萩」のお父ッあんた
ちの舞台がなによりもそのこと雄弁に物語っている。
松緑の南郷も手馴れていい。
左団次の日本駄右衛門は当たり前。家橘の浜松屋幸兵衛、団蔵の鳶の者、男
女蔵の忠信、松也の赤星、梅枝の宗之助。なかでは橘太郎の番頭が、これも権
次と同じ人とは思えぬ出来ばえ。今日の一級品である。
夜の部の第一は、「馬盥」の本能寺と愛宕山。
松緑初役の光秀は、はじめから謀反をしそうに見えるのがよくない。目つき
につい剣をふくませるからだ。辛抱に辛抱をかさねてそれが爆発するから芝居
になる。間のびしているのもよくない。海老蔵の弁慶同様せりふ廻しの工夫も
足りない。
とはいうものの、この人の顔の独特さには感心する。南北の歴史劇だからお
門違いかも知れぬが、人形の首のような顔は、多少子供っぽく見えても時代物
の顔である。ああ、この人にふさわしい義太夫狂言を選んでやりたい。
もう一つ飛び切りうまいところが一ヶ所ある。本舞台の春永に「近う」とい
われて、ハッといって立ち上がってポンと袴の前を叩いて両手を前に腰をかが
めるきまり。きまるまでに体をひねって腰を落すところの体の運びが無類のう
まさ。踊りで鍛えた動きである。このうまさは他の人にないよさである。
海老蔵の春永が、底に陰湿さをたたえた独裁者の凄味を見せる。十一代目団
十郎はバリバリと手強いうちに明るく、それが光秀の陰に対して陽の対照をな
していたが、その明るさこそないものの、まずはいい出来。
芝雀の皐月、松也の桔梗、春猿の園生の局、亀蔵の四王天、橘太郎の蘭丸。
中幕は菊之助の「船弁慶」。
静は冷たく、あわれが薄い。都名所は下手だとはいわぬが、面白さがないの
は、この人の踊りに観客を酔わせる心の動きがないからである。しかしかとい
って変な媚態を示されるのも困るが。
後半、知盛に凄味がないのは、この人だけのことではない。
梅枝の義経、団蔵の弁慶、亀蔵の舟長。
最後は御ひいきお待ちかねの市川猿之助直伝の海老蔵初役の「四の切」。今
月この座一番の話題作である。どうかと思って大いに期待したが、期待はずれ
で落胆した。
まず本物の忠信。花道から本舞台へかかるところ、義経敬慕の情あふれて、
さてこそいい忠信と思ったのも束の間、本舞台へ来たらば途端に猿之助の口跡
が伝染して折角最近真直ぐになったせりふ廻しがたちまち変になって閉口した。
「黙して」の下げ緒さばきから向うを見込むまでの動きも一つ一つのしぐさ
がバラバラで流れるような感覚がない。
二役狐忠信は、せりふといい、しぐさといい、アンデルセンの童話の妖精の
如く、宝塚の男役の如く、女性的で閉口。思わず失笑してしまった。狐忠信は
メルヘンではない。深刻な悲劇であり、それが人間の社会を照らし出すのだ。
三ヶ所感心したところがある。
平舞台から一気に三段をこえて二重に飛び上がったのには驚いたし、客席か
ら嘆声がおこった。体の軽さがすごい。いささか体育会系だが、とにかくビッ
クリした。
もう一つは、欄間から飛び降りて舞台端へ来るところ。ビタッと正面を向い
た顔が無機的に光り輝いていた。
さらにもう一つ。義経のせりふを階の隅でうずくまってジッと聞いていると
ころ。人間ならぬ狐の存在を感じさせた。
以上三点は、海老蔵の芸質の天性の魅力である。是非義太夫の本文に戻って
再演してもらいたい。
笑三郎の静に一日の長があり、細かい気づかい、余裕、愛妾のしどけない、
色っぽさがある。
段治郎の義経、男女蔵の駿河、猿弥の亀井。
昼夜六本。通してみると思いの外くたびれるのは、一つは若者たちに基礎的
な教養が欠けているのと、もう一つは意外にも若さゆえの発見がないからであ
る。
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