国立劇場開場40周年記念の三ヶ月にわたる「元禄忠臣蔵」全通し。今月はそ
の第一部「江戸城の刃傷」「第二の使者」「最後の大評定」六幕十二場である。
まず「江戸城の刃傷」。
幕開きの刃傷に緊張感が薄い。刃傷がおこってのただならぬ気配、騒動に右
往左往する人々の動きに有機的なつながりがないためである。装置(伊藤喜朔・
中島八郎)、照明がいいだけに残念である。
梅玉の浅野内匠頭は、松の廊下の花道の引っ込み、田村邸の幕切れ、ともに
品位、柔らか味があって打って付けの本役だが、刃傷直後とり押さえられなが
らの舞台半廻しの出が引き立たず、かつ人を斬るだけの激しさが足りない。道
具が止まらぬうちに出る演出のためもあるだろうが、キッパリしない。
期待した歌昇の多門伝八郎は、思ったほどではなく平凡。せりふは明晰かつ
朗々としているのに、感情によるいいまわしの緩急の味がうすいのと真山青果
独特の言葉の陶酔感がないためだろう。歌昇一人の問題ではないが、総じて今
月の舞台はいわゆる青果調の言葉を重ねていく突込みがの調子が少なく、これ
が歴史劇としてのリアルさには役立っているものの、芝居ッ気、面白さを欠く。
東蔵の加藤越中守が、あの小柄な体での大音、唯一芝居のメリハリになって
いる。彦三郎の田村右京太夫に品格がある。
次が「第二の使者」。いよいよ吉右衛門の大石内蔵助が登場する。恰幅とい
い、芝居といい、堂々たる内蔵助である。ことに第二の使者に原惣右衛門が来
たことを知ってさては殿様御切腹かと察知してから一人舞台になるまでが一日
中一番の出来である。
そのあとすでに遠く早打ちの声が聞こえているのに一子松之丞への長い意見
は、悠長すぎる。これは吉右衛門のせいではなく戯曲の欠点だが、演出(真山
美保・織田紘二)の間の取り方のせいもある。つづいて予想が現実となっての
痛切さは意外に抑え気味で、そのためもあって小野寺十内と手を取り合うとこ
ろがもう一つ盛り上がらなかった。ここは松緑と三代目左団次が大いに泣かせ
たところであるが、小野寺十内は内蔵助より一枚上の役者が出ないと芝居が面
白くならない。歌六の十内はいささか泣きすぎる上に、吉右衛門の向うへ廻っ
ては分がわるいのは気の毒。配役の失敗であるが、さりとてこの一座では吉右
衛門の上は富十郎一人、是非もないか。東蔵の奥野将監が前幕とはうってかわ
った地味な役をうまく見せる。芦燕の大野九郎兵衛。この場の装置は向うの遠
見が次の場とともに雑駁な描き方でよくない。第一この場はいつもの空に城を
見せる遠見のほうがいい。
最後が「最後の大評定」。
吉右衛門の大石内蔵助は、二度目の玄関先で富十郎の徳兵衛と出合ったとこ
ろの幼友達ぶりで富十郎とイキの合ったところを見せ、つづく竹の間、黒書院、
そして城外と人の意見を集約していく具合、徳兵衛との友情あつく、はじめて
本心を見せる幕切れから花道の引っ込みまで、十分の出来である。
富十郎の徳兵衛はイキのよさで、いままでのいささかしつこい徳兵衛とは違
った気ッぷを見せる。
彦三郎の戸田権左衛門はともかく、又蔵の小山源六は軽い。
歌六の二役奥田孫太夫、歌昇の二役堀部安兵衛とともにこちらの方がいい。
二人の実力が出た。信二郎の片岡源五右衛門、松江の岡島八十右衛門、亀寿の
磯貝十郎左衛門のなかでは亀寿が目につく。
男ばかりの芝居の中で芝雀の内蔵助の妻おりく、京妙の潮田又之丞の妻が目
立っている。
総体にこの第一部をやるには無人の一座、配役に無理があるのは仕方がない
が、その分芝居が薄手になったことは否定できない。それだけ歌舞伎役者の層
が薄くなったということだが、抜擢された役者たちがこれはという働きをしな
かったのも残念である。
正午から休憩を入れて四時間半。芝居全体にもう少し緩急があってもいいの
ではないか。
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