2006年1月歌舞伎座

       坂田藤十郎襲名

 

 正月の歌舞伎座は、鴈治郎改め坂田藤十郎襲名披露興行である。

 昼の第一は、梅玉時蔵の筝曲「鶴寿千歳」。わずか十五分であるが上品典雅な

幕開き。とかくいうほどのこともないが、中能島社中の声が細くてとかく聞き取

りにくい。

 第二が新藤十郎の「夕霧名残の正月」。藤十郎の藤屋伊左衛門は「けいせい仏

の原」の梅永文蔵の時の紙子を着てその風情を見せる。なにしろ絵入り狂言本さ

え残っていない作品だから仕方がないが、今井豊茂の台本はもう少し趣向があっ

てもよかったという気がする。「吉田屋」とは違う味わいをみとめるべきか。

 雀右衛門の夕霧はたしかに夢幻のなかの女に見える。我当秀太郎の扇屋夫婦。

 第三が「奥州安達原」三段目。

 前回国立劇場の時は、敷妙上使、貞任の入り込みがあってわかりやすかったが、

今度はいつもの「たださえ曇る」の袖萩の出から。これでは初めての人にはわか

りにくいだろう。

 福助初役の袖萩は、花道の出から心はせいても目が不自由な悲しさ、「こけつ

まろびつ」というところが足りないが、前半若い母親であるのと色気があってい

い出来である。

 「身は濡れ鷺の葦垣や」のあたりはことに堪能させるが、問題は寒さの表現が

いま一つなことである。雪の寒さ即悲劇の寒さになって観客の心魂に徹しなけれ

ばならない。

 山口千春のお君がせりふ、芝居ともにしっかりして上出来。

 段四郎の平{仗直方は、ニンは立派だが最初に出てきたところにハラがない。

この男はお預かりの環宮行方不明事件で窮地に立たされているのだ。それにこの

役は二重下手よりが居所なはずだが、ずっと切腹まで中央だったのはどうしてだ

ろうか。

 吉之丞の浜夕も初日のためか、情愛薄く、しかし段四郎吉之丞二人ともにベテ

ラン、この夫婦は日ならずよくなるに違いない。

 歌昇の宗任は、前回通りの持ち役で舞台を締めているが、染五郎の八幡太郎義

家は若さ故か、これだけの人たちの芝居を受け切れていない。

 さて吉右衛門の安部貞任。前回もステキな出来栄えだったが、今回も大当たり。

昼一番の見ものである。

 まず障子屋体を出て思わず「袖萩」といって「とやらんも」が情があってうま

い。つづいて花道へ行って「何者の」と思わずキッとなって貞任になり、気がつ

いて「しわざならん」と桂中納言になるあたり、せりふのうまい人だけに十分の

出来。

 見あらわしになってぶつかえりから刀の曲取り、竹本の三味線にのっての六方

の面白さがワクワクさせる。「押し立て」の赤旗を客席まで流す大芝居、その旗

をかついでの大見得まで上々の出来である。

 ただ一点、前回は袖萩と二役だったためにカットだった夫婦の別れが今度はあ

って、初日のために段取りがわるく、情愛、悲しさが出なかった。勇壮と涙、こ

の二重構造が見せ場になるにはもう一工夫いる。それに今日はそこで芝居の流れ

が止まるので、後半が前回ほどではなくて残念だった。

 しかしこの一幕が今月の見ものの一つであることは間違いない。

 第四の「万歳」は、文楽から持って来た踊りで消化不良。福助の女に扇雀の若

衆。

 第五が「曽根崎心中」。

 生玉、天満屋、道行とグルグル廻しにしたスピーディな展開の新演出なのに、

いささか芝居がたっぷりしすぎている。ことに道行は前回まことによかったのに、

今度は足取りがやや遅い。

 藤十郎のお初は初役以来半世紀。驚くべき若さである。ことに天満屋がおさえ

たいい芝居である。

 翫雀の徳兵衛は前回立派な男になったが、今回はさらに進歩。お父ッあんのお

初と並んで見劣りがしなくなったのは大手柄である。

 橋之助の油屋九平次が好演。ただの敵役でなくそれらしい人間になっていてう

まい。我当の平野屋久右衛門、東蔵の天満屋の亭主が安定している。

 夜の第一は「藤十郎の恋」。いまさらなんでこんなものをと思ったが、現実の

初代藤十郎の姿を見せておいて、さてそのあとに当代藤十郎の襲名口上の一幕と

いう趣向だとは、見てみて始めてわかった。いかにも大阪風のサービス。ここら

が東京の人間にはない知恵である。そのせいか意外に面白かった。

 扇雀の藤十郎は祖父二代目を偲ばせる和事役者の風情を見せ、いかにもそれら

しいばかりか、芸術至上主義者の傲慢、身勝手も出ている。ただお梶をくどくと

ころは力みすぎ。人に聞かされぬ密事のはずである。

 時蔵のお梶は心ばえのいい女であることはよくわかるが、地味目の衣装のせい

か色町のお茶屋の内儀らしい色っぽさが足りない。それに自害までする女のプラ

イドも足りない。

 この芝居が面白かったのは周囲が手揃いのためもある。歌六の若太夫はじめ芦

燕の沢村長十郎、鉄之助の右源次、錦吾の頭取、歌江の茶屋女、市蔵の福岡弥吾

七と、脇役が芝居を盛り上げている。

 第二が「口上」。藤棚にガラス玉と地球の玉をあしらった朝倉摂の美術が、ズ

バリ藤十郎の色気のある芸質を表している。

 第三が「先代萩」の御殿。

 藤十郎の政岡は前半飯炊きがまずせりふハラがしっかりしている。「今お館に

悪人はびこり」は東京の成駒屋型でいけば、そこだけが聞かせどころになるのだ

が、藤十郎はあくまで本文本位、物語中心、観客に筋がわかるようにする。ここ

らが大阪のサービス精神。

 飯炊きそのものも東京風の茶の手前よりも飯を炊くということで一貫している。

格や手順は二の次、リアルさが身上である。

 雀に餌をやるところも千松に当らずに屏風におこついて盆で顔を隠す。「千万

石の」も二人の間に立って袱紗を口にくわえて泣く。むろん竹本の三味線につく

のだが、それも出来るだけ三味線のいいところを聞かせるようにするところが大

阪流である。

 千松殺しで上手一間へ鶴千代を入れての大芝居は、本当は一間の柱へつかまる

べきだが、大道具の都合か、その前の柱につかまっての芝居、地から根の生えた

如く立派。ハラの強さ、イキの強さで、この幕一番、いや当興行一番のみもので

ある。

 しかし栄御前と二人になった件りでまた入れ替わるのは理屈からいけばおかし

い。あくまで一間の若君を守ってこそこの型の性根が生きるはずだろう。

 栄御前を送って花道へ行くところは充実してはいるものの長すぎる。くどきは

ノリ地のうまい人だけに盛り上がる。

 もう一つ。いい忘れたが、飯炊きで泣いたのはあれは飯の早く炊けるお呪いと

いうところの泣き笑いは、これも上方一流の愛嬌とユーモアで独特である。

 梅玉の八汐、秀太郎の栄御前が傑作。鶴松の鶴千代、虎之介の千松が教えも教

え、覚えも覚えた上出来。

 床下になって吉右衛門初役の男之助が豪快無比。溜飲が下がる。仁木は幸四郎。

 このあと踊り二題。福助が「島の千歳」でキレイなところを見せ、橋之助染五

郎が元気いっぱいの「関三奴」を見せる。ことに橋之助の赤面の顔が実にいい顔

で立派。

 

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