2004年7月歌舞伎座

           十九年ぶりの桜姫

 

 十九年といえば一昔。もうそんなに年月がたったかと思うが、われ人ともに

待望の玉三郎一代の当り芸桜姫が実現した。昼の部が発端江ノ島稚児ヶ渕、新

清水、桜谷草庵、稲瀬川、川下、三囲まで。これを上の巻として、夜の部が奈

河彰輔が新しく書き加えた三囲土手のほんの十分ばかりのだんまり、岩渕庵室、

山の宿町木戸、権助内、大詰浅草雷門が下の巻。昼夜にわけて客を呼ぼうとい

うのは幕内にもなかなか知恵者がいる。

 さて、その成果。

 上の巻は、玉三郎二役の白菊丸はさすがにトウがたって、段治郎の清玄の手

を引いたりするところがあったりして役者の格、年の差があからさまになる。

もっと演出に工夫がありそうなものである。

 一転しての新清水の花見は昔にかわらぬ美しさ。若々しさこそなくなったも

のの、その分舞台が大きい。しかしここはもとは花道の引込みがあったように

思うが、今度は上手揚幕へ入るので物足りない。

 意外にもつまらないのは、桜谷草庵。権助と二人っきりになっての物語は、

この芝居でもっとも大事なところだが、かってのしたたるような美しさ、物語

る芸の面白さがない。玉三郎のすぐれたところでもあったのに残念千万。台本

にカットがあるのかと思うほどの水っぽさ(実際はほぼ原作通りだが)、体を

横に倒す演出がよくないのと、段治郎の権助が世話の味わい、うまさに欠ける

ためかも知れない。

 稲瀬川のさらし物は、段治郎の清玄が白菊丸の生まれ変わりの桜姫だから救

おうとして、かえって本心から桜姫にほれてしまう芝居がはっきりしないため

に、桜姫が損をしている。

 ここでも花道の引込みに玉三郎独得の袖を使った技巧があったのだが、今度

はただ下手へバタバタ入るだけで物足りない。

 ようやく三囲になって、その立ち姿の錦絵で昔日の玉三郎らしい桜姫になる。

 段治郎大抜擢の清玄と権助の二役は、初日のせいもあってまだ手さぐりとい

う出来。ことに草庵の幽霊話に世話の味に欠けて面白くない。上の巻に限って

いえば不成功。

 この二人の出来で、ここまではまことに水っぽい「桜姫」である。

 歌六の残月、笑三郎の長浦。旅では政岡を立派にやってのける笑三郎に長浦

は気の毒だし、この若さで長浦役者になってもらいたくないと思うが、器用で

十分の出来である。

 笑也の松若。門之助の粟津七郎が活躍するが、本当はこれに悪五郎のからむ

ゴタゴタが現代では冗長である。

 上の巻の前に、歌六の夜叉王で「修禅寺物語」。門之助の頼家、笑三郎の桂、

春猿の楓、寿猿の僧と揃っているし、岡本綺堂の戯曲、広田一演出も行き届い

ているが、さて、今見ると新歌舞伎の名作もあまり面白くない。これはスタッ

フキャストの罪というよりも、時代の故だろう。

 後が、右近と猿弥の「三社祭」。手には入っていても、踊りの本当の面白さ

には至っていない。

 この昼の部の不振に対して、夜の部は圧巻である。桜姫の下の巻がいいから

である。

 岩渕庵室になって玉三郎がさすがに傑作である。墨染の衣に長襦袢で、山女

衒に連れてこられた桜姫が昔のお姫さまの姿に戻って行くところの変身ぶりの

あざやかさ、見事さ、清玄との立ち廻りのカドカドのきまりの濃厚さ、昔にま

して陶然とさせる上出来である。

 段治郎の二役は、清玄には凄味が足りないが、権助が手強くここへ来てよう

やく抜擢に応えた成功。桜姫の「毒喰わば」「なァに去りゃあしねえよ」の幕

切れはまだ玉三郎に引きずられているが、これは四五日すれば十分芝居になる

だろう。この若さで玉三郎と並んで「御両人」というところまでいったのは大手

柄である。

 ここでも、歌六の残月、笑三郎の長浦がよく、寿猿の判人、春猿の葛飾のお

十と揃っている。

 つづく山の宿町の悪五郎殺しも、段治郎の権助が手一杯にやっていい。右近

の悪五郎は前髪の荒若衆の若さがない。かりにも桜姫の許婚者、納まりすぎで

ある。

 権助内で感心したのは、玉三郎の円熟ぶりである。千住の女郎とお姫さまの

仕分けはいうまでもないが、「これが吉田の、浅ましい」というあたりの二重

の肚が観客に手にとるようにわかるようになったのは、前回とはくらべものに

ならぬ大進歩。さすがに十九年の歳月はダテではなかった円熟である。

 幽霊へのタンカから、権助の悪事の真相を知って、子と夫を殺すまで、まる

でギリシャ悲劇の女をみているような彫りの深さは、玉三郎の芸が十九年前と

は比較にならぬ違いを示している。

 幕切れのトンと木戸をしめてのきまりも、前はイキ一つの段取りだったが、

今度はしめてからもう一度正面を切って、実に複雑な、桜姫の人生が一瞬に圧

縮したような芝居を見せる。くどからず、浅からず、その深さがこの人の名女

形ぶりを物語っている。これでこそ次の場で桜姫は人殺しでありながら、大名

の世界へ戻って行くのである。

 段治郎の権助はこの場が第一の出来。悪五郎殺しから桜姫に殺されるまで手

丈夫でいい。ただ酔って旧悪をしゃべる時、梅若だの、吉田家だのと具体的に

いうのはおかしいだろう。女房が吉田家の姫君だと知らぬはずはないのだから。

南北はそこらをたくみにぼかして書いている。もっともこれは段治郎の罪では

ない。

 門之助の仙太郎、春猿のお十がよく、助五郎の金貸し、寿猿の判人もいい。

 大詰、雷門に、段治郎が稲野谷半兵衛で出る。

 このあとが右近の「四の切」。

 本物の忠信は、花道の出からして義経を思う気持ちがなく、無愛想で情がな

く、ケンカ腰なのは困る。「黙して」の下緒さばきは膝を無駄に使いすぎるのと、

向うにかける気が弱い。

 狐忠信は、形で狐を説明しようとするから女性的でなよなよする。ハラが狐

であれば、姿は人間でいいのだ。人間の姿だからこそこの悲劇は成り立つので

はないか。

 門之助の義経は、門之助改名の役だけに「静は如何いたせしぞ」など柔らか

くていい。静は笑也。寿猿、芝喜松の法眼夫婦。

 

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