2004年11月歌舞伎座

           傑作「関の扉」

 

 昼夜七本。大顔合せ、粒揃いの出しもののなかで、昼の「関の扉」が、現代

歌舞伎の水準を示す傑作である。

 上下二巻合わせて一時間二十分あまり。大抵の役者では退屈になるのに、久

しぶりに時のたつのを忘れる面白さ、アッという間であった。歌舞伎ファン必

見の舞台である。

 第一に吉右衛門の東京では二十三年ぶり、二度目の関兵衛が見事な出来栄え

である。

 浅黄幕が落ちて居眠りをしている姿は形が悪いが、そのあとの「五尺手拭」

の右手に煙管をもち、左足を踏み出したお約束の大見得は、にらんだ目の場内

を圧する勢い、その大きさ、その錦絵のような顔の美しさ、歌舞伎味あふれて

たちまち観客を「関の扉」に引きづり込む上出来。これでこそ「関の扉」という

歌舞伎舞踊の関兵衛である。

 ことに小町との問答が、天明ぶりかどうかはともかくも、豪快かつキッパリ

として、振りの意味が明快、イキがよくて、白鸚、松緑以上の面白さである。

踊りよりも芝居の人と思っていた吉右衛門の意外な上達ぶりである。

 唯一惜しいのは、踊ったあとにフッと気が抜けて体が素になって、途端に貧

相になること。踊りが身についていないせいか。

 第二に、富十郎の宗貞が正札掛け値なしの傑作。小町との馴れ初めを語って

の数分間、白扇を胸にあてて下手へ行くあたりの体の柔らかさ、大きさ、叩き

込んだ踊りのうまさ、豊潤な持ち味、人を陶然とさせる。勘三郎、二代目鴈冶

郎、梅幸以上のよさ。傑作である。こんなところがこんなに面白いとは思いも

よらなかった。

 第三に魁春の小町がいい。矢車会の初役ではじめてこの人が注目された当り

芸。

先月のお谷とは同じ役者とは思えぬ大舞台。体のすみずみ、手先一つまでよく

動いている。ただ初日のためか、目いっぱい踊って心持ちが追いついていかな

いのが惜しいが、これは二三日でなおるだろう。

 サァ、こう三人が揃って「そっこでせ」の手踊りになる面白さというものは

なかった。歌右衛門、白鸚でさえ時にイキが合わずに肩すかしを喰った手踊り

が、三人ピタリと寸分のスキもなく合って無類の面白さ。こんな面白さはここ

半世紀見たことがなかった。

 これだけでも今月一番の見ものである。

 下の巻になって、福助の墨染が出る。三人に及ばないのは仕方がないが、正

面桜の中に姿をあらわした時に正面向きなのは曲がない。廓噺しも色気が薄く、

ようやく「エエお前はなァ」の夫安貞を殺された怨みになってから本イキにな

る。ここに豊かな女の情が出たのがいい。

 吉右衛門の黒主は、上の巻につづいて、その大きさ、その立敵としての立派

さがいい。しかし黒主になっての化粧が拙く、その分凄味をかいたのは残念。

しかしこれも明日からは直るだろう。

 以上四人の「関の扉」が、今月、いや今年の収穫である。

 昼の部のもう一つの見ものは鴈冶郎の「葛の葉」。機屋、子別れ、道行を居

処変りでつなぐ台本(戸部銀作)で、普通は葛の葉と姫の二役早替りに使う下

手の物置を最後の一回しか使わず、全て下手へ入る行き方。東京型とも雀右衛

門型とも違う鴈冶郎独自の型である。

 前回は機屋で童子を抱いての引込みにフッと動物の無表情になる無気味さが

うまかったが、今度は、ちょっと下手へ行くだけで、諸事女の情で持ち切る。

保名から庄司が訪ねてきたと聞いて、風車をフッと落しただけであとはジッと

顔色一つ変えずに保名の顔を見て、もはや別れかという気持ちをハラでうける

芝居がうまい。

 子別れは、「知らぬ野干」の前に童子、保名と親子三人寝た思い出を語る、

右手を下について下手向きに体を倒してきまるところに、この女の、妻として、

母としての色気がしたたるばかりでうまい。

 道行は、花道スッポンからくわえ面をかぶっての出から、引き抜いて毛の縫

いぐるみになり、二人の奴がからんで二段へ上がっての幕切れまで。なつかし

い昔話の世界が奥深く展開する。

 翫雀の保名が上方和事風にやって意外の上出来、幕切れに「女房」といいか

け、口をおさえ下手を見あらためて「童子の母はおわさぬか」というあたりが

面白い。左団次の庄司は若づくりで実録ものめく。東蔵の柵はいい。

 この前に岡本綺堂の「箙の梅」。梅玉の源太がうたうせりふがうまくなった

が、所詮この作品は大正期の遺物だろう。

 後に、仁左衛門、孝太郎に、千之助初舞台の「お祭り」。

 さて、夜の部は、第一が大顔合せの「菊畑」。

 富十郎の鬼一は、羽左衛門の代役、本役に休演した時も、私はかけ違って見

ず、今度はじめて見た。髪が乱れたような鬘の好みのせいか、花道の出は印象

散漫。さしたることがなく、吉右衛門の智恵内とのハラのさぐり合い、杖をと

って双方気味合いの件りのイキがパッと合うところがいい。口跡がいい人だけ

にとかく鬼一の屈折したウラオモテが明快になりすぎるのだろうか。

 吉右衛門の智恵内は、芝居運びがうまく、皆鶴姫を虎蔵に取持つあたり、愛

嬌も充分だが、芝翫の虎蔵とともに後半は爆発するような高揚感がほしい。

 芝翫の虎蔵は、南座の初役の時とはさすがに違ってその古風さがいいが、真

女形のこの人には梅幸のような若衆の色気がないのは是非もないか。役違いな

のだろう。

 福助の皆鶴姫また人形の如く、段四郎の湛海はさすがに立派だが、この大顔

合せの「菊畑」にしてコッテリした味わいがないのはなぜだろうか。一つは後

半虎蔵と智恵内のノリ地のせりふ、動きにワクワクするような興奮がないから

である。

 中幕は、鴈冶郎の「吉田屋」。

 格子先は、全て内輪で、「うさんらしく」という本文がそのままはまるよう

な出来。もっと古風で、派手に動く伊左衛門が見たかったと思うのは、私だけ

か。紙子の接ぎ合わせの色糸がライトに光って目障り。

 奥になって喜左衛門とおきさのやりとりも、このポーッとした感じはかわら

ず、おきさに夕霧に会わせましょうといわれて「エッ」というとぼけたうまさ、

「どおれ」で羽織をぬぎかけて上手の座敷へ行くところのデレデレした味わい、

色気が面白いだけ。結局、この伊左衛門が本領を発揮するのは、雀右衛門の夕

霧が出てからである。常磐津と義太夫のかけ合いで、伊左衛門がうちかけを着

て二人のきまり、そのうちかけを二人で持ち合ってのきまり、手紙を引き合っ

てそれが裂けて、それを持ってのきまり。その情緒てんめんたる美しさ、味わ

いの深さが抜群である。

 雀右衛門の夕霧は、二人のきまりのあと、伊左衛門が上手へ炬燵をもってい

って後向きにすわったところで、一人立身で向うを見るところに、この女の情

愛の深さ、嫋嫋たる思いが出る。そのあと立身で鴈冶郎と雀右衛門の紋の入っ

た袱紗をウラオモテを使う面白い動きがあって、結局二人は仲直りをするのだ

が、なんで仲直りをするのかもハッキリしないのに、その二人の持ち味、雰囲

気、美しさに結局は観客が納得する。そこらが歌舞伎の、ことに上方和事の、

男女の痴情の面白さである。

 我当と秀太郎の喜左衛門夫婦がいい。

 結局、芝居全体として面白いのは、最後の仁左衛門初役の「河内山」。

 上州屋で他の人とは違って花道を出たところ、一目で貧乏たらしい市井の小

粋な悪党に見えてまずいい河内山だと思わせる。

 段四郎の手堅い和泉屋清兵衛、東蔵の浪路の母らしい若さの後家おまき、松

之助の番頭と揃って、この人々を相手にした芝居の運びがよく、門口を締めて

ジッと思案し「時雨時雨れて」の独吟で花道へかかり、七三でポンと手を打って

左の裾をちょっとつかんで入るまで。スッキリと悪を効かせて、他の人とは違

う仁左衛門一流の河内山になっている。

 白書院は、理詰めに松江候をせめていく緩急自在なところ、品よくかまえて

いて急所では悪を効かせる凄味のところ、愛嬌で売る吉右衛門、九代目流の白

無垢鉄火の三津五郎とはまた一味違う、気の効いた芝居になっている。

 玄関先は、キレイすぎていささか延命院日当めくが、調子、せりふ廻しのう

まい人だけに例の名代の名せりふを十分に聞かせて堪能させる。もっとも幕切

れの「バカめッ」は、吉右衛門のように直接松江候にいうのではなく、大膳に

いってそれを松江候に聞かせるのが本当だろう。

 梅玉の松江候が、その癇癪、そのわがままさ、その品位、さすがに十八万石

の大名である。左団次の高木小左衛門、信二郎の数馬、孝太郎の浪路、芦燕の

大膳。

 

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