相続税対策の落とし穴
日本経済新聞1997年(平成9年)9月15日(月曜日)
安易な借金トラブルに
「相続税資金を上手にねん出したい」「できるだけ節税したい」−−。せっかく引き継いだ財産を税金に持って行かれるのは極力避けたいと考えるのは人情だろう。節税商品や養子縁組など様々な節税対策があるが、多額の借金を抱えたり、親族間の骨肉の争いになったりして、トラブルに発展する例も少なくない。相続対策に落とし穴はないか、普段から留意する必要がありそうだ。
「銀行からの借入金契約も、生命保険会社との保険契約も、銀行、生保の勧誘に問題があり、無効である」−−六月九日変額保険契約で多額の借入金を背負うことになった保険契約者が銀行、生保を相手に契約無効を訴えていた裁判で、原告が全面勝訴する判決が東京地裁であった(東京高裁で係争中)。
大半は契約者の責任
東京・港区在住のKさんが、日本生命と三菱銀行(現東京三菱銀行)の勧めで相続税対策として契約に踏み切ったのは九一年初め。基本保険金二億円、保険料七千六百万円の変額保険などに加入、保険料の支払いは銀行融資で、全額まかなった。
すでにバブルははじけ、地価も株価も下がり始めていたが、「変額保険は年率九%で運用されるので、借入金の返済にも、相続税の支払いにも対応できる」という言葉を信じ、相続税対策は万全と考えていた。ところが、株価の一段の下落で変額保険の運用成績は急速に悪化。九一年末の相続発生後、Kさんは保険の解約返戻金では借入金を返済しきれず、相続税対策になるどころか、三千万円の借金を負うことになった状況を初めて知り、提訴に踏み切った。
資産目減りで逆効果
変額保険被害者の会(東京・港)によれば、変額保険を巡る訴訟は六月末現在、会員(脱会会員も合む)全休で二百四十九件に上り、未提訴案件も二百二十三件寄せられているという。被害者の会で把握していない案件も合めれば、同様のケースは六百件にのぼると言われている。
しかし、原告が勝訴する例はまれで、大半が契約者の自己責任を問われている。Kさんの場合「加入時の変額保険がすでに額面割れしていた」「銀行員が相続税を実際よりも大きく説明して、対策が必要と勧誘したメモが残っていた」ことなどが決め手となった特殊事例だという。
知識不足、遠困にも
遺産相続を巡るトラブルに詳しい安彦和子弁護士は「多発する変額保険訴訟の最大の問題は、日本の銀行、生保に企業倫理が欠如していること」としたうえで、「借金をすればするほど節税になるという誤ったセールストークを鵜呑み(うのみ)にする被害者側の知識不足も遠困になっている」と警鐘を鳴らす。
変額保険に限らず、ゴルフ会員権、投賃用マンションなど、いわゆる節税対策
商品の落とし穴は「銀行からの借入金という債務を相続しても、借金で購入した資産と一緒に相続するのだから、節税になるか否かは、相続発生時の資産の価値に左右される。こうした基本的な認識が相続人に欠落している場合が多いことだ」と指摘する。しかも、相続税対策は長年にわたって信頼関係を築いてきた銀行マンや税理士などに勧められ、踏み切る例が多いため、被害を受けた時の精神的な苦痛も倍加するというわけだ。
「孫を養子」が引き金
バブル崩壊後、変額保険などを利用した節税対策は影を潜めているが、それ以外の形で安易な節税対策を講じた結果、不幸な結果に陥る例は後を絶たない。安彦井護士が最近受けた相談は、資産家とその孫との養子縁組という古典的な相続税対策を巡るトラブルだ。資産家には子供が四人いるが、親の面倒をみている長男が遺産を引き継ぐことで親族の合意がほはできていたという。ところが、資産家が亡くなる二日前に、長男が自分の息子、つまり、資産家の孫を自分の親の養子にする手続きを踏んだことから、兄弟がいがみ合う事態に発展しているという。
長男から長男へと家督を継承していく日本的な慣習の中で、こうした節税対策は日常茶飯だったようだ。しかし、金銭がからむだけに、親族の了解をきっちり取らないと、争いの火種になる。特に、日本人の家に対する考え方が変化、個人が自らの権利を主張するようなっているので、なおさら慎重な対応が必要と言えそうだ。「兄貴が継ぐならともかく、その子供となると兄弟も納得できなくなる」のが人情だ。
一代で資産を築いた著名人の子供が相続税負担に耐えきれず、不動産を物納するといった例は後を絶たない。三代相続すると家督を失うと言われる日本の相続税の重さの問題もあるだろうが、現実的なトラブル防止策としでは「常識で考えでおかしな対策はしない」「迷った場合は、第三者の専門家の助言を受ける」といった基本動作を忘れないようにしたい。