きれいごとが蔓延・童話の原作改ざん      2006.5.12記  2007.4.24UP

子供向け図書を買うことがあって書店に行った時に、某出版社の童話シリーズをパラパラと立ち読みしてみた。すると案の定、原作が改ざんされていた。子供には残酷な場面は見せないための配慮らしいが、見当違いもはなはだしい。私だったら、娘には原作とおりに戻して読んで聞かすだろう。物語りの流れとしては、それほど変えてはいないのだが、残酷なシーンはあたりさわりの無い表現に差し換えられ、最後にはよけいな付け足しをしているのだ。さるかに合戦では、『さるは反省し、皆にカキの実をとってあげて仲良くくらしました。』 したきり雀では意地きたないバアさんが『改心をして、おじいさんと仲良く暮らしました。』このノリだと多分、読んではみなかったが桃太郎、花さかじじい、かちかちやま等も無理矢理円満解決に改ざんされているのが予想される。

さるかに合戦、かちかちやま等の仕返し物は、悪事をやらかすと結局は自身がひどい目にあうというメッセージがあり同時に、人間社会のしくみをわかりやすく示していると思うのだ。したきり雀にしても意地きたない心を持つとひどい目にあうというメッセージが筆者は好きなのだが。それを無理矢理円満解決に改ざんしていては、物語りの教訓が生かされず、さらに、きれいごとで済ませる風潮が幼少のうちから蔓延し、相手を思いやる気持が育たないのではないかと憂鬱でもある。

「やられたらやりかえす」団体生活を円滑に送るために最初の条件づけは絶対必要であると思う。どういうことかと云うと、自分がやり返されることにより、相手の痛みを初めて知ることができるのだ。この原則なくしては円滑な人間関係は形成することができない。暴力は絶対ダメとか、きれいごとしか言えない輩が出て来て、「やられたらやりかえす」の条件づけがないままに「いい子」を強要してもイジメの構造は絶対になくならない。

きれいごと派は人間は本来は残酷な罪深い生き物であるということがわからないのである。その代表格であるグリーンピースや動物愛護団体はこれを理解できない傲慢な連中の集まりである。鯨は捕るなと言っている連中あるいは鹿の個体調整は止めろと言っている連中が他の動植物の犠牲なしでは生存できないはずであるのに、なぜか奴らは生き続けている。信念を貫くのであれば動植物の命を頂くことはできないはずである。主張と行動の整合がとれてないです。おかしいですね。全員淘汰(つまり餓死)されるのが正しい理論だと思うのだが・・・。原作改ざんはなんだかこれと似ている。きれいごと派が言う『話し合いで解決』とはその次のステップの事である。

こうした教育効果が重要な童話を勝手に原作を変え何でもあたりさわりのない円満解決にしてしまうと教材としては、教育効果なんか無くなってしまうように思う。

「はだかの王様」に登場する「なーんだ、はだかじゃないか」とズバリを言ってしまう子供が大好きである。現実の世の中には「馬鹿者や役にたたない者には見えない服」の実体を知りながら、「すばらしい服だ」と言ってしまう人がほとんどでしょう。真実を言うとひどい目にあわされる現実もあり、それを恐れて心にもないことを言ってしまう人々が滑稽にみえるのだ。 私は回りから損をすると言われても、はだかの王様の子供でありたい。



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