趣味の殿堂「遊舟」2000 テレビ番組一本を題材にしたコラムコーナー。
「勝手に言わせてもらいます」番外編です。

2004年6月28日更新
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作品一覧
作品名 発表日
第7回 「もっと恋セヨ乙女の巻」 2004年6月28日
第6回 「白い巨塔」の巻 2004年5月4日
第5回 「仮面ライダー555」の巻 2003年3月10日
第4回 「北の国から 2002遺言」の巻 2002年9月8日
第3回 連続ドラマ「恋セヨ乙女」の巻 2002年7月28日
第2回 連続テレビ小説「さくら」の巻 2002年5月12日
第1回 「忍風戦隊ハリケンジャー」の巻 2002年3月23日
2004年6月28日
「もっと恋セヨ乙女」の巻
[イントロダクション]
 天野幸子はオタカラフーズに勤めるOL。日夜新商品おつまみの開発に勤しむ食べる事が趣味の26才。充実一途の仕事とプライベートも、いざ恋となると話は全く別。いまだに成就の見込みがない。ふられ続けてはや二年。前作「恋セヨ乙女」から久しぶりの登場となった幸子の恋は今度こそ実るのか?待望の第二弾が「もっと恋セヨ乙女」なのである。

[23時台のドラマのあり方とは?]
 この番組は月曜から木曜の夜23時放送、15分枠の帯ドラマ。かなり前にTBSが同じ時間で30分の帯ドラマ「ドラマ23」を放送した時期があったが、定着に至らなかった。その理由としてこの時間帯にあるべきドラマの姿を見出せなかった点にある。試行錯誤は感じられたが、あまりに実験的過ぎて結果、ニュース番組戦争に飲み込まれる事になる(当時は森本毅郎の22時台のニュース「プライムタイム」に併せた編成だったのだが、同番組が「ニュースステーション」に負け、低視聴率で終了。まもなく現在の「ニュース23」に替わっている)。

 その点、今回のNHK、23時台のドラマシリーズは既に二年以上の実績を持ち、意味定着しつつある。元々NHKにとって夜の帯ドラマは、ドラマ人間模様や銀河テレビ小説等、得意の分野ではあった。ただ今回の時間帯はやや若者向けの作り。その点でこちらも当初から実験的ではあったが、内容と力の入れ方が違う。ドラマ人間模様や銀河テレビ小説が評価されたのも、しっかりとした内容がドラマにあったからだ。第一作「真夜中は別の顔」ではジェームズ三木、この「もっと恋セヨ乙女」の前のシリーズ「ドリーム」では市川森一を脚本に起用する等、力の入れ方が伝わってくる。そしてこの「恋セヨ乙女」二作とも今や売れっ子の岡田惠和による書き下ろし。血生臭い、あるいは濃い色恋は20時台までが限界。23時は人々のモチベーションがフェードアウトする時間帯。そんな23時台の帯ドラマに必要な要素を踏まえつつ、脱力系でしかも心が少し暖かくなるドラマがこの「恋セヨ乙女」である。

[再び登場、今度こそ幸子の恋は実るのか?]
 今回の続編「もっと恋セヨ乙女」は、前作から二年経った幸子(真中瞳)の恋が再び描かれている。とはいえ登場人物とその役割に大きな変化は無い。主人公幸子は父健吾(小野武彦)のおにぎり屋を手伝いつつ、仕事でおつまみ作りに勤しむ毎日。妹伸子(山口あゆみ)はそんな姉を時に暖かくたまに冷めた視線で見守っている。一方、毎夜繰り広げられるサロンの酒宴、ここでは親友奈々子(佐藤藍子)と後輩比奈子(酒井若菜)とああだこうだと喋りまくる。時にバカバカしく、時に鋭く幸子の恋心を突いていく。そして毎週現れる恋の相手、あっけなく恋に落ちるも、週末にはあっけなく恋破れ、健吾の作るギョーザパーティへなだれ込む。そんな六週間が「もっと恋セヨ乙女」の骨子となっている。

 しかし今回『もっと』とタイトルがついて変わった点が一つだけある。それは前作第一週であまりの神経質ゆえに、幸子にふられた倉沢(筧利夫)がほぼタメで主役化した事である。前作でもシリーズを通し、幸子とはメーカーとクライアントという関係にあり、今回の登場に不思議は無いが、とにかく本シリーズのお笑いパートは彼の役目。「踊る大捜査線」ではシリアスな管理官だった筧だが、この「恋セヨ乙女」ではバラエティーでの彼の顔とほぼ同じ。まるで地で演じているように感じるほど。歯切れのいいセリフ回しと絶妙な動きがたまらない。同じ「踊る大捜査線」の小野武彦との掛け合いも、今回のシリーズ後半で幾度と無く見られる。そんな倉沢=筧の存在がスパイスとなったのは本シリーズの大きな強みだ。

 今回の幸子恋の相手は昔の同級生、特撮ヒーローオタク、ムード歌謡歌手、路上詩人、子連れサラリーマンと前作以上に多彩。それぞれに恋破れていくのだが、皆、幸子に元気づけられて旅立っていく点は同じ。特に今回のシリーズで印象的だったのは第4週、金子貴俊扮する路上詩人森尾の言葉に元気づけられつつ、森尾の手紙に幸子の存在こそが元気の素、『微笑みの力』だと我々視聴者の気持を代弁した点だろう。そんな幸子の姿勢こそがこのドラマの魅力であり、惹かれるところだと思う。ドラマを観ながら元気を出さなきゃと思いつつ、前作で確立された真中瞳=幸子のキャラの魅力に深みが出てきて、少しホロリとさせられるのも『もっと』の魅力となっている。

 今回も楽しいシリーズではあったが、やや中途半端な点が無くも無い。消化不良な扱いのキャラが少なくないからだ。例えば後輩社員で『モー娘。』の吉澤ひとみを登場させているが、15分枠の中であまりにチョイ役過ぎて、単なる意地悪な子の印象しか得なかった。あとこの番組ホームページにあるように、あまりに裏設定が織り込まれ、ちょっとオタクの匂いを感じる点もどうかなと思う。ドラマそのものが魅力的なだけに、密度ある15分を作るのにやや邪魔な気もした。

 恒例、奈々子と比奈子とのサロンのやり取りも健在、相変わらず父健吾の心中も心許ないのも可笑しい。なお結末は前作からのファンなら、何となく始まる前から感づいていたかもしれない。むしろそれを望んでいたかのようにも思える今回の最終回。むしろ期待される次シリーズ。倉沢の恋は成就するのか、いやだからこそ次回は『もっと恋する乙男』という手もある。そして「幸子の幸はどこにある?」いつになるのか第三部。それと是非、今度こそ「恋セヨ乙女」のサントラ発売をお願いします。
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2004年5月4日
「白い巨塔」の巻
 久しぶりに骨太なドラマに出逢った。人気ドラマのリメイク版という高いハードルを、豪華キャストと厚い演出で応えた平成版「白い巨塔」。毎週、劇的な展開に釘付けになった人も多かろう。今回はそんなこのドラマを採り上げてみる。

物語.
 新進の浪速大医学部助教授財前五郎。東教授の下でその頭角を現し、彼の手術は芸術的でもあった。だがそんな彼の野望は恩師東の退任に伴う教授選挙で発覚する。そして財前の真意に気付いていた東は自らの退任に、外部の医師を後継に立ててきた。お互いにけん制し合う財前と東。彼らの感情の相違は大学医学部という組織を表すものであった。そうした大学内部に異論を持っていたのが、財前の同期である里見。野望の一つを達成する財前だったが、やがてそんな里見と別の場所でぶつかる事になる。山崎豊子原作、既に田宮二郎主演で製作された医療ドラマをリメイクした平成版「白い巨塔」。

リメイク.
 実は「白い巨塔」自体、田宮二郎主演で二度映像化されている。先に映画版(1966年)が作られ、その後に田宮の遺作となったテレビ版(1978-79年:ただ後にテレビ朝日でも村上弘明主演によるドラマスペシャル版も存在)が作られた。既に筆者はこのテレビ版は観ている。昼の再放送だったが、観た当時は幼いながらもドラマチックな展開にのめり込んだと記憶している。その中でも光っていたのはやはり主役の田宮二郎。財前=田宮を印象づけ、群像ドラマというより彼の個性を見る思いがした。おそらく昭和版を観た人は同じ気持ではなかろうか。今回のリメイクにはその点が唯一の危惧だった。

キャスティング.
 フジテレビは開局45周年記念にこのドラマを位置づけて製作。それだけにキャスティングの豪華さに目を見張る。他のドラマなら二、三本主演ドラマが撮れそうなメンバー。ただそれぞれの配役に力を入れることで、高いレベルで人物相関を徹底できる。これは群像ドラマとして本作を描く上で重要な点であり、平成版の強みだと思う。その分、配役それぞれでしっかりした演技を求められるが、まずネームヴァリューで応えた形だ。ただ本作を"主役級を集めた"だけに留め無かったのは、更に助演陣へも気が配られてる事。中で顕著だと思うのは第二部。波紋は医学部を飛び出し、医療裁判へ発展。そこでのキーマンは弁護士を演じた及川光博、そして原告となる被害者の妻かたせ利乃。第二部前半は夫を救おうとするかたせが引っ張り、緊迫の法廷では及川のクールで正確な弁護が財前隙無しの印象を強める。

 これに財前と里見の関係、悩む医局員柳原と亀山、さらに東親子と数々のドラマが折り重なっていく。もちろん前作でも踏襲されている点なのだが、田宮=財前の色濃かった昭和版よりもドラマがよい意味でバランスしている感が強い。もちろん主役の二人の存在感と演技は云うに及ばず。「愛という名のもとに」以来の共演で筆者的には身近。これに確信犯的な役作りの西田敏行、ドラマは久しぶりの感のある石坂浩二、財前以上にしたたかな伊部雅刀、山崎作品は二度目の上川隆也、そしてやっぱり矢田亜希子と本当に幅広いキャストだ。しっかりとしたドラマ、絶妙なキャスティング、そして手抜きのないディティール。これで面白くならないわけがない。

テーマ.
 映画、ドラマと何度も描かれている上でのリメイク。ただそのテーマは普遍である。医療の現状、そこに存在するモラルハザード、そして本来あるべき理想の医療。財前というカリスマと、医療モラルの理想たる里見の葛藤は日本の医療の縮図でもある。「人間が人間を殺(いさ)める」奇しくも財前は訪れたアウシュビッツでそれを痛感、だが本心を語ることなく、裁判では野望のために戦い続ける。そんな野望と理想の葛藤、やがて病魔が財前を襲い、志半ばで吐露された野望が理想のためだったと知った時、里見だけでなく、観る側の心を熱くするのだ。今リメイクする意義とは医療と技術的背景は変わっても、そのモラルが失われつつある今こそ再認識しなければならない。皆に見送られ旅立つ財前と遺言に重なり、葬送曲のように「白い巨塔のテーマ」(加古隆の音楽が素晴らしい)が流れたのも嬉しかった。だがその一方で大学の病巣たるモラルハザードは、財前の前を去る鵜飼学長の微笑みにあったようにまだ消えていない。それも冷静な視点を持っている原作の後味なのだろう。

まとめ.
 最近、恋愛など身近なテーマを扱うものばかりで、社会や世相を反映させたドラマは少なかった。むしろそうした重い題材は映画に任せてしまっている感もある。ただそうした中でこのような重厚で見応えのあるドラマは久しぶり。ドラマ終了後、今もその余韻が残る。確かに映画のように集中する環境で観るべき題材もあるが、むしろ原作を丁寧に描こうとすれば、長いクールの連続ドラマに行き着く。そして高視聴率という支持を得れば、ドラマの現場もその考えの正しさと手応えを得たのではないだろうか。それに今更昭和版、平成版の優劣をつける必要もないだろう。時代を超えた普遍のテーマに生きる悲劇のアンチヒーロー、財前五郎は不滅なのである。
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2003年3月10日
「仮面ライダー555」の巻
仮面ライダー555公式ページへ
 また久しぶりにヒーロー物を取り上げる。毎週日曜朝にテレビをつけると派手なコスチュームが乱舞する。かつて喜んで見ていたヒーロー物も、今や年のせいか冷めた視線。しかし久しぶりに興味をそそった「ハリケンジャー」。しかしながら後番組の「アバレンジャー」に興味は沸かず。ふと続けて見ていると新たな「仮面ライダー」が始まっていた。今回はそんな新シリーズ「仮面ライダー555」を取り上げてみる。

物語.
研究施設。容器から飛び出した謎の実験体。
一方、交通事故で意識不明の青年が、2年後に息を引き取った。だがまもなく死した遺体に再び生命を宿す。青年は無意識のうちにオルフェノクと呼ばれる死を超えた生物に変身していた。
時同じくして九州をツーリングしていた乾巧は真理というバイカーと出会う。同じバックを持つ真理と荷物を間違ってしまう。間違いに気付き執拗に追う真理。そして再会した巧と真理の前に怪物オルフェノクが現れた。そこで真理は巧にバックの中身を託す。その中身こそ大いなる力を宿すベルト、変身した巧は仮面ライダー555となるのだった。


仮面ライダー.
 我々30過ぎの世代にとって仮面ライダーは等身大ヒーローの代名詞。しかしライダーは改造人間という事実を抜きにして語れない。何故なら自らの体を代償に悪と戦う宿命だからだ。生身の人間でない悲しみ、大いなる力への苦悩。だがその力を平和のために尽くす事こそがテーマの一つとなっていた。もちろんライブアクションの醍醐味、新必殺技誕生、個性的な悪役など魅力を挙げていったらキリがない。

555?
 555と書かれて思わずパチンコを連想してしまったが、タイトルを考えた人は余程のパチンコ好きかと錯覚してしまった。なお筆者はパチンコをしない。5の複数形でファイズと読ませるのが新しいという事か。いずれにせよ、本来ターゲットとなる子供たちがピンと来るタイトルではないだろう。なおハリウッド映画を観ていると、電話番号の局番に555が必ず用いられる。これは不用意に電話を掛けさせないための配慮。ちなみにこの555(以下ファイズと略す)は携帯電話に5を3回押して変身する仮面ライダーだ。
 ファイズの変身は携帯電話によるものだが、正確にいうとコードを入力した携帯をベルトにはめて変身する。携帯とベルトはパワードスーツ起動の役割を担っているのだ。したがってファイズは改造人間ではない。そのきっかけもなりゆきだし、主人公自身その経緯に責任感を伴わない。やがてその使命を考える時が来るのだろうが、我々世代の仮面ライダーと比べると物足りなさが残る。それにロボットに変形するバイクはまるでウイングマン、ちょっとやり過ぎだ。

オルフェノク.
 死を超えた生命体がオルフェノク、本作での敵役となっている。むしろファイズよりもオルフェノクのほうがかつてのライダー的な立場かもしれない。人間であった過去、死の代償に大いなる力を得たオルフェノク。悩むシーンは圧倒的に彼らのほうが多いし、特に主軸となる男女二人のオルフェノクはその経緯からも視聴者の感情移入を誘う。オルフェノクとなった理由、仕掛けられた真の目的は今後語られよう。ただ舞台となるスマートブレイン社とバイオハザードの世界観がダブり、今後の展開に一抹の不安が残る。

21世紀のライダー
 まずストーリー展開が甘い。意味のない会話、逆に意味深で伏線ばかりを散りばめる作り。クウガから主婦層、大人も巻き込んでいたが、本作でもそうした傾向が踏襲されている。誰のためのものかと考えた時、Bの付くスポンサー、つまりオモチャ購入のきっかけは子供よりも大人、堅い財布の紐を少しでも緩めたいのだろう。だから明らかにそのマーケットは大人向けと選択している。ノリは完全に同局、テレビ朝日の深夜ドラマそのもので青春ドラマの雰囲気さえある。それゆえの問題は子供たちの心のよりどころが何処にもない事だ。現時点で感情移入できる主人公でないし、完全な悪でないゆえにオルフェノクの存在もやや魅力に欠ける気がする。
 覚えにくい主題歌もマイナス。何処の子供がサビの英語を歌えるのか(極力英語は抑えられてはいるが)。唄はDA PUMPのISSAが担当。レーベルもエイベックスだし、本編と関係ないがコピーコントロールCDだろう。
 そして最大の問題は何故、仮面ライダーを名乗るかという事。バイクに乗ればライダーなのか。ルックス、大きな眼、そして変身ベルト。アイテムが揃えばいいのか。仮面ライダーを名乗るからにはオリジナルの持つその根幹のテーマ、アイデンティティは守って欲しいし、それが原作者へのリスペクトではないだろうか。逆にオーソドックスに守ったほうが色あせる気がしない。むしろ今の深夜ドラマ風がいつまで続けられるか、そのほうが疑問だ。

まとめ.
 これ以外にもソフト化の他に意味のないハイビジョン撮影、画面と遊離したCG等々、技術的にも云いたい事が山ほどあるが、低コスト、これも時代の流れ。ただこうした特撮物にしろ、時代劇にしても、画面の醸し出す怖さに事の善悪を感じ取ったものだが、明るいビデオ撮影ではデジタル的な善悪でしかない。だから主人公サイドは明るく楽しく青春ドラマでいいとしても、敵方オルフェノクの悩みは演技に関係なく、映像に深みがないし平板に終わってしまう。しかしそうしたアナログ的感覚こそ、ヒーロー作品としての必要要素。ここ数年ハリウッドで生まれ変わるヒーローはそれを表現しているから、大人、子供、共に支持を得ているのだ。名前だけの原点回帰でなく、仮面ライダーが子供向けヒーローとして立ち戻って欲しい気がしてならない。
終了後記.
 物語中盤で最大の掟破り、主人公の秘密が明らかになる点は大きな見どころとなったが、なおさらファイズの存在は意味を失い、何か中途半端な印象は否めなかった。特にヒロインがやたら死んでも甦るというのも納得がいかなかった。物語は続かなくなるし、話としてはいい。しかし人の死をそう簡単に扱うのはどうだろう。いかにもリセット、ゲーム世代の発想ではないだろうか。この番組の視聴者のほとんどがアダルトチルドレンだと考えれば、そうしたアプローチは必然。ただこの番組がスタートした頃にも感じたが、本来この番組は子供たちのものではないか。我々の世代は身の周りの生物からその生命の尊さを学んだが、今の子供たちにとってはテレビ以外に学ぶ手段が無い。そんな時、テレビの中でやたら人が生き返る描写はどう映るか。最終的には子供たちの育つ環境がモノを云うだろうが、伝えるべきものを考え直す必要があると思う。そして玩具メーカー主導とはいえ、意味も無くパワーアップ、新アイテムを登場させるのも正直辟易した。(04/05/04)
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2002年9月8日
「北の国から 2002遺言」の巻
「北の国から2002遺言」ホームページへ
「黒板五郎の流儀」
(倉本聰監修:エフジー武蔵発行)
\1,143円(税別)
 草太兄ちゃん(岩城滉一)が亡くなった後の牧場を引き継ぎながら、その倒産を引き金に全ての借金を背負う事になった純(吉岡秀隆)と正吉。二人はそれぞれ借金を返すべく富良野から離れていた。一方、五郎(田中邦衛)は相変わらず気ままな暮らし、廃材による家建築に精を出す。蛍(中嶋朋子)は富良野に残り、看護婦を続けながら息子の快を育てていた。三才になった孫、快の成長。それは身近で見つめる五郎の楽しみでもあった。そんな時、人間ドッグを勧められる五郎。その徹底した検査もあって、五郎は自分の体調に対し疑問を持ち始める...二十一年続いた「北の国から」最終章。富良野と羅臼を舞台に純、蛍、そして五郎の最後の物語が語られる。

 「北の国から」は倉本聰の集大成ドラマである。個人的に倉本ドラマというと「前略、おふくろ様」や「昨日、悲別で」。特に後者はリアルタイムで観ていた事、そして劇場が舞台という事で印象に残る。もちろん悲別は北海道の町。そして北海道を活動拠点としたもう一つの北の物語。そんな「昨日、悲別で」と「北の国から」第一シリーズの製作時期に大きな差はない。しかし前者は青春もの、後者は家族もの。当初、そのスタンスに違いはあったが、「北の国から」は二十一年という月日が青春もの、さらに北の大河ドラマへと成長を遂げさせていった。

 元々この作品に感情移入し易い土壌はあった。筆者は純よりやや年上だが同世代といってもいいし、特に第一シリーズスタート当初は五郎の自然派生活が興味を惹いた。もちろん家族ものとして人間関係の描き方、ドラマチックな部分がその裏づけになっていたのはいうまでもない。だが純が成長していくにつれ、自分の人生とラップしていくのに気づく。だからこそ応援したくもあるし、見守りたい気持が生まれるのだろう。おそらくこの作品を観る人たちの多くが、そうした視点を純、蛍、五郎の誰かに送りたい気持で観ているのだと思う。ここには「男はつらいよ」の寅さんのように永遠に成長しないドラマでは得られないカタルシスがある。もちろんそれが一朝一夕でないからこそこの作品に泣かされるのだ。

 まず時代に添い寝するかの如く、前編で携帯やメールが多用されていたが、結局は人のぬくもりが全て。だからこそ前編の後半、中畑(地井武男)の行動が一喝する。わかっていながら時代に迎合する自分も一喝された気分だった。純は人生の新たな起点を求めて迷走するが、そんな時代(携帯やメール)も借金返済を滞らせる原因。まるで空虚な生活を続ける姿が自分に重なった気がした。そして倉本は純にも原点回帰をすべく、(物語上の)最後の試練を与える。それが結(ゆい)の登場だった。

 れい、タマコ、シュウと純が出会ってきた女性との恋。これらは純自らが壊してきた部分もあった。その恋に終止符をつけるために結(内田有紀)と恋に落ちる。だが彼女は人妻、そしてトドと呼ばれる義父、暴力的な夫・弘(岸谷五朗)が後ろに控えていた。単純に行かないところが倉本らしい。しかし一見敵であるはずの義父・吾平が純を叱咤激励する。そんな吾平を演じる唐十郎がいい。五郎と対極にある男だが、そのバイタリティは五郎にひけをとらない。五郎にしろ、吾平にしろ、そして前述の中畑の号泣、言動にしてもその一つ一つが倉本のメッセージなのだろう。我々に欠けたものを訴えかけるのが「北の国から」もう一つのテーマだ。

 もちろん群像劇としても素晴らしい。先に家族を作った蛍にしても、たとえ外見は野蛮な弘にしても絆の描き方は倉本タッチ。そこからが五郎、吾平という幹から派生した大きな家族が見えてくる。誰もが悩み、苦しむ。個々のキャラクターがドラマの中でしっかり生きているからこそである。そして倉本はそのエピソードの節目に泣かせのポイントをもってきて、さだまさしのメロディーがこれをサポートする。終盤、正吉を追って蛍が旅立つ姿には、かつて「北の国から」で描かれた駅の別れが重なる。やがてメインテーマが流れ、純の父をたたえるセリフに思わず泣けてきた。

 その最終章のタイトル「遺言」の意味するところ。多くのファンは五郎の死を予感していたかもしれない(巧みな予告編CMはそれを助長させた)。しかしその真意は作者倉本自身のメッセージでもあった。世代に関係なく伝えようとするこの作品が遺したいもの、それが最後の五郎の言葉。それは二十一年間成長してきた「北の国から」にあって不変のテーマ。五郎流の朴訥(ぼくとつ)な言葉であるが、逆に原点回帰で安心させる。そんな本作で五郎は自分の生き方を遺言を書く事で再確認していくのだ。二十一年の歴史、終わりのあるドラマだからこそその意味は重い。雪山に消えて行く五郎の背中はそんな余韻を残した気がする。

P.S.
 筆者は「若大将」シリーズをテレビで観て以来の田中邦衛フリーク(特に「エレキの若大将」)。考えてみれば高校時代から彼のモノマネをやってきた。口をとがらせ独特の口調。芸能界にも彼のモノマネを得意にする人は多い。中でも小堺一機と石橋貴明の二人が群を抜く。小堺の世界観はまさに田中邦衛であり、彼のモノマネを観るためにチャンネルを合わせることもある。石橋は上手いというか、石橋版「田中邦衛」が可笑しい。保毛尾田保毛男との差は少ないが笑えるのには変わりない。なお田中邦衛が実写版「ルパン三世」で次元大介を演じた事実は意外と知らされていない。最近では映画「みんなのいえ」でも一人気を吐いていた田中だが、更なる田中邦衛ワールドの展開を期待したい。

 今旬の「北の国から」関連本が店頭に並んでいるが、中でも面白いのが「黒板五郎の流儀」(倉本聰監修:エフジー武蔵発行)である。「2002遺言」のサブテキスト的要素が強いが、シリーズを通して一貫している五郎のエコロジカルライフ、その詳細がイラストと共に解説されている。今回、五郎がどのような家を建てたか、またどのように建てたのか、そんな方にこの本の内容は非常に興味深くオススメの一冊。
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2002年7月28日
連続ドラマ「恋セヨ乙女」の巻
連続ドラマ「恋セヨ乙女」へ このコーナーの第3回は「恋セヨ乙女」を取り上げた。前回「さくら」と同じNHKの連続ドラマだがこちらは夜の部。しかも15分の枠を週4日で1エピソードを描き、一ヶ月で完結させるというやや忙しい構成。前シリーズのシドニー・シェルダン「真夜中は別の顔」、一ヶ月に渡るワールドカップの特番明けを受けての登場である。前シリーズ「真夜中は別の顔」がジェットコースタードラマの様相だったのに対し、本作「恋セヨ乙女」はジェットコースターラブコメディー。「ちゅらさん」の岡田惠和の脚本もその忙しい時間枠を歯切れ良いテンポに生かしている。

 物語は結婚適齢期の主人公、幸子(真中瞳)が恋人探しに奔走する様が描かれる。幸子が運命の相手に出逢うもあくまでも思い込みであり、その顛末が面白い。一見古臭く思えるが、その思い込みこそが大事でラブコメの王道。むしろ逆に視聴者に対して安心感を与えてくれる。真中も恋愛に実直、愛は盲目の如しのキャラを好演。小野武彦演じるいい味出してる父親との絶妙の掛け合いをみせる。週のオチにギョウザが出てくるのも可笑しくご愛嬌。ギョウザに限らずNHKらしからぬ食べ物ドラマで、ラーメン、毎週開発されるおつまみ、そして幸子の実家は米屋でおにぎり屋という午後11時からの放送はある意味空腹に刺激的でもある(フードアドバイザーは「料理の鉄人」の審査員、料理記者歴40年の岸朝子)。

 新味、ストーリーテラーがどちらかといえば主人公の幸子でなく、むしろ彼女を囲む周りのキャラ達だという事。井戸端会議ならぬ幸子の家で行われる円卓、サロン会議。幸子、同級生のバツイチ奈々子(佐藤藍子)と後輩で新婚の比奈子(酒井若菜)と行う恋愛セラピーが面白い。特に酒井若菜の天然ながら的を得たセリフ、キャピキャピぶりがドラマに華を添える。このドラマで彼女の株は上がった気がする。そして三人の仲の良さも伝わるこのドラマの名物シーンだ。岡田惠和の脚本もその点に重点が置かれているように思う。気ままで揺れ動く女心、そんな姿にちょっと嫉妬気味な女心、そしてそんな年上を見つめる冷静な女心、三つの女心が見事に交錯、笑いを誘う。男の目から見てもいろんな意味で興味深い。

 そして更に光る脇役が控えるのもこのドラマの見どころ。やはり「ちゅらさん」でお馴染みオバこと平良とみはもう一人のストーリーテラー。また幸子の勤務先でおつまみ研究センターの面々、斉藤こず恵に石塚英彦の巨漢(?)コンビ、クセのある事務役の瀬戸カトリーヌ等々。オススメは「王様のブランチ」レポーターの山口あゆみが演じる幸子の妹、伸子。クールで対照的だが、父親同様に姉の行く末が気になってしょうがない。その冷静さを欠いた時の表情がいい。またチョイ役なんだけどコンビニで働く楊原京子にも注目。ホントにチョイ役で残念なんだけど。

 さてそうはいってもこのドラマ、あと一週、4話で終わりである。予告では筧利夫、吉沢悠、寺島進、塚本高史ら過去に登場した恋のお相手が一堂に会していたが、はてさてどうなることやら。ただこの4人の年齢層、キャラを見るだけでも幸子の移り気で気ままな女心を表している。そして正直に言う。個人的には今週で幸子の恋が成就して欲しくない。製作サイドにはもうひとシリーズお願いしますの気持でいっぱい。それだけ惹きつけるドラマであり、残念でならないのだ。民放の凡長な恋愛ドラマよりも見どころ多し。生活スタイル、前述の食べ物等、ディティールも細かい。この枠のために作られた今井美樹の主題歌は前作よりもこのシリーズにジャストフィットだ。もし未見の方は再放送の機会があれば第一話から観ていただきたい。
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2002年5月12日
連続テレビ小説「さくら」の巻

連続テレビ小説「さくら」ホームページへ 昔、テレビをつけるとそこに団欒があった。ホームドラマというカテゴリは当たり前のように存在し、視聴者に明るさと笑いを振りまいていた。TBSの水曜劇場は「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー」等を生み出したホームドラマの老舗的な存在で、チャンネルをひねる時代の代名詞といえるものであった。不自然な夕食での家族の並びもお約束。多くの名作を手掛けた向田邦子と日常と非日常の混在が光る久世光彦の名コンビも、この水曜劇場であった。しかしそのTBSを始めてとしてバブル以降、ホームドラマは激減。現在は昼ドラ枠を中心に生き残る程度である。

そして今回.
 時代設定に差はあるが、連続テレビ小説はホームドラマの手法を残す数少ないドラマ枠である。嫉妬や裏切りもない。殺人事件もありゃしない。そういった安心感、そして重要な登場人物への感情移入が観る者の気持を惹きつけてきた。そしてこの4月から新シリーズ「さくら」が始まった。もちろんホームドラマの定石は守っている。唯一、主人公さくらがアメリカ人だということを除いては。

 主人公の名はエリザベス・サクラ・マツシタ。彼女のミドルネームがさくらなのである。ハワイに移住した日系移民の4世。婚約者ロバートとのほんの些細な行き違いがひょうたんからコマ、日本での英語補助教員へ進むキッカケとなる。しかし来日も二転三転、祖母の故郷飛騨高山で教鞭をとる事に。進学校の教育、そして文化のギャップに苦しみながら、生徒や飛騨高山の人々とのコミュニケーションを深く、そしてさくら自身も日本を学んでいくという物語である。主な舞台は下宿先の沼田家。そこにアメリカンな部分は微塵もなく、これぞホームドラマの王道を進むという格好の背景である。

もちろんホームドラマだが.
 確かにこのドラマに惹かれるのはホームドラマというのもあるが、更なるエッセンスが注入されている事、それが本作のキャスティングだ。NHK朝の連ドラ、そして他局のホームドラマのキーパーソンが多く出演しているのである。さくらの母方の祖父は「寺内貫太郎」こと小林亜星。はっぴを着た姿はまさに石貫!さらに下宿先の生徒の母は「ミヨちゃん」こと浅田美代子。やけにエプロン姿が多いと思った!彼らは共に久世演出ドラマ出身である。それ以外に熊谷真実はかつてのヒロイン「マー姉ちゃん」だし、「ひらり」の姉さんだった名枠役鍵本景子も同僚教師で登場。欽ちゃんファミリーの見栄晴もある意味ホームドラマ出身といえるだろう。それに下宿先の生徒が渡鬼えなりかずきの弟江成正元など、細かなキャストまで挙げていったら枚挙いとまがない。そこからも徹底してホームドラマ作りにこだわっているのが感じられる。

 もう一つのポイントはコミュニケーションギャップだ。ハワイを出た事がないさくらにとって全ては未知の世界。まして古きを知る町、飛騨高山である。そこに前述のホームドラマの手法を織り込み、そこに生まれるギャップの数々と騒動を、人間関係と相互理解で解決していく。Englishman in NewYorkならぬAmericanwoman in Hidatakayama.そこにおけるキーパーソンが小澤征悦(小澤征爾のご子息!ドラマ中の彼の着メロに注目)演じる桂木である。能ある鷹は爪を隠す。MBA経済修士課程取得、留学経験を持つ先輩教師という設定。一見辛辣で大柄だけど気は優しい。さくらの理解役であり指導者。そんな役回りがさくら、ロバート(セイン・カミュ)、桂木のあってないような三角関係を形成していくのである。それに気がつかないさくらに観る側の歯がゆさを生んで面白い。

描かれるテーマとは.
 しかしそういった背景を生かすも殺すもヒロインである。さくら役の高野志穂は流暢な英語もさることながら、朝ドラに重要な爽やかを備え、観ていてすがすがしくなる。そしてとまどいも天真爛漫さで解決していく姿が描かれていく。今は国際化の時代。旧態依然だった朝ドラも、恋愛の新しい形「ふたりっ子」、母子家庭を描いた「私の青空」等、問題提起を重ねる中、今回はそのテーマに至ったのだろう。身近な国際親善、和の心、それを体現するキャラクターに相応しいヒロインだし、それに応えるピュアな演技である。きしくも今年はワールドカップイヤー。いやをなしに外国人が訪れる時代。そうでなくとも仕事上、外国人との連携もあるわけで、今回のドラマは我々に課せられたテーマでもあるのだ。最近、初心者向けに英語を学ぶ本がとても売れているという。きっとこのドラマに触発された人たちの動きもあると思う。またテレビドラマの原点回帰、ホームドラマの王道、そうした点も含めても今後の動向が気になるドラマなのだ。

 なお「し〜ゆ〜・ねくすと・ういーく〜」そのナレーションは名優大滝秀治である。
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2002年3月23日
「忍風戦隊ハリケンジャー」の巻

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 四月になるとテレビ局の番組改編期に当たる。これはテレビ局の方針もあろうが、初めに巨人ありき、実際はプロ野球のシーズンに合わせたものと推測できる(その傾向も失いつつあるが...)。これに対し子供向け番組、特にテレビ朝日の日曜朝の子供番組は二月という前倒しの時期に毎年改編されている。そして例年通り「仮面ライダー」「おじゃ魔女どれみ」の枠と共にスーパー戦隊も新シリーズとなった。そしてそれが今回取り上げる「忍風戦隊ハリケンジャー」である。

五人ものから3人ものへ.
 スーパー戦隊は過去「秘密戦隊ゴレンジャー」に始まった集団ヒーローものの流れを汲みながら、「バトルフィーバーJ」から巨大ロボットとのコラボレーションを果たし、前シリーズの「ガオレンジャー」までその基本ラインを崩さずに来た(「ゴレンジャー」「ジャッカー電撃隊」をスーパー戦隊に入れるかどうかは異論があろうが、一応含まれているようだ)。そして今回の例に漏れず「ハリケンジャー」も変わってはいない。ただしだ。この「ハリケンジャー」、久々の三人ヒーローとして構成されている。さかのぼれば「太陽戦隊サンバルカン」以来かもしれない。奇しくもその時の色は赤、青、黄であったから今回と同じだ。

スーパー戦隊のお約束として、各主役のエピソードが順繰りに構成されるはずだから、キャラの描写もそれだけ深くなるということだろう。これこそ五人ものから三人ものに変更したメリットでもある。その上男性三人の「サンバルカン」と違い、ハリケンブルーは女性なので男女の構成比はいっそう高くなった。まあ男女雇用機会均等法が施行されて結構立つが、当たり前といえば当たり前。まあ女性三人にならなかったのはクノイチ戦隊とならなかった事でもわかる。ただし第一話で追加メンバーらしき(あるいは敵?)シルエットが登場しているので、今後テコ入れがあるかもしれない。

 「バトルフィーバーJ」以降、巨大ロボットの登場は当たり前となった。その戦いの構成は次の通り。まず等身大時に決め手の必殺技で相手を破壊、その後破壊された怪人(?)が再生を受け巨大化、すぐにヒーロー陣営はメカで対抗。そして合体して敵を倒す。その前に主人公達のエピソードが毎回挿入されるという訳だ。後半やや大味になってしまうのはこの手の作品らしい。メカ発進の際、東京ドーム近くが毎回選ばれるのはお約束。もちろんキメ技は剣を振りかざし一刀両断。そして第四話を終えたところで三人のエピソードは一巡した。

忍者もの.
 「ハリケンジャー」は現代忍者である。ヒーローで忍者ものというと「忍者ハットリくんと怪獣ジッポウ」(もちろん実写版)に始まり、集団ヒーローでは「忍者キャプター」というのもあった。特に「忍者キャプター」は七人という大所帯。メンバー紹介から決めポーズに至る展開は長く少々飽き飽きした。それに対し今回の「ハリケンジャー」は三人ゆえに短く、見得の張り方も決まっている。どちらかというと時代劇、歌舞伎調の登場。襖、障子越しのシルエットにキャラのカラーが重なって派手。子供にはこのような誇張された登場の仕方が受けが良いと思う。

 それとこの作品はたぶんビデオ撮り。しかし処理が施されているためかフィルムタッチになっている。ハイビジョン撮影の「仮面ライダー龍騎」よりも好感。「仮面ライダー龍騎」は解像度の高い画面ゆえに質感がチープに感じられ、CGとの組み合わせは遊離した感は否めない。何故、新「ライダー」シリーズはハイビジョンに拘るのか?いい感じに思えなかった「スター・ウォーズEP1」や「ハリー・ポッター」と同じ、CGは諸刃の剣なのだ。このライダー、子供の受けっていいんでしょうか?それに何処が「仮面ライダー」なんだろうと思ってしまう。言い出したらキリがない。大人のためのライダー?閑話休題、話を「ハリケンジャー」に戻そう。

番組のツボ.
 一応、忍者なので普段の彼らは仮の姿で世間に潜んでいる。何でも屋やヘルパー、そして演歌歌手という三者三様の職業を持っている。でも演歌歌手で世間に潜むってちょっと派手じゃない?(この劇中歌「忍び恋」がCD化される可能性はあるかも。カセットアルバムはあり!)ただこの演歌歌手、いやこのハリケンブルーを演じる長澤奈央ちゃんが可愛いのです。一緒に見るお父さん方を引きつけること必至、清純さが何ともいえません。逆にそうのたまう大人は不純、キッカケってそういうものなのです。

 さてあっと驚いたのは第三話のゲスト。何と「トゥナイト2」でおなじみ、杉作J太郎氏でした。演ずるは有名音楽プロデューサー役。夜の顔が爽やかな朝に登場するのは何ともミスマッチ。そしてメインがハリケンブルーの回だったからそのギャップは絶大だった。子供たちの目にはどう映ったんでしょうか。それにこの手のゲストは増えるんでしょうかね。個人的には虎ノ門の井筒監督あたりに出て欲しい。ハリケンブルーをどやしまくる映画監督役(もちろんその正体は怪人!)なんてね。

 「サンバルカン」の故・岸田森さん以降、悪役さんが正義側の司令官を演じる事が多いが、今回も例にもれず時代劇でおなじみ西田健さんが演じてます。ただ第一話にハムスターに変化してから元に戻れなくなってしまいましたね。でも声の演技からは楽しんでいるのが伝わってきます。またドラマでおなじみ、おぼろ役の高田聖子さんも相変わらずバリバリ関西弁でいいですね。とにかくスーパー戦隊シリーズらしくこのままコミカルに行って欲しい。熱血漢ハリケンレッド、イエローも個性発揮はこれから。でもしばらくはブルー目当てに見ちゃいそうです。
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