いつかどこかで3
東武鉄道蒸気機関車 さよなら運転

東武鐵道34号機の第1動輪と、スプラッシャーの製造所銘板
BEYER, PEACOCK & Co.Ltd CORTON FOUNDRY MANCHESTER 1914


製造から52年、その大正生まれの古豪は僚機30号機とともに関東の北の隅に 残ってっていました。
そしてもう1両の40号機は1898年の明治生まれSHARP,STEWART製。
ピーテンの面影を残す4-4-0よんよんれい)でした。



 
 
昭和41年6月いっぱいで東武鉄道の蒸気機関車が現役から退くことになり、6月 26日にお別れの記念列車が館林−葛生間に運行されることになりました。
当日は34号機と40号機が飾り付けられ、34号機が客車に見立てた電車を、40号機
が貨物列車を牽引するものでした。 
                      

館林駅における電車牽引の34号機出発前の光景。
ランボードに白のライニング、エンドビームに赤の塗粧を施している。
(36年前のハーフサイズのカラーなので色と解像度はご容赦を)


34号機のテンダーとスプラッシャーの銘板は綺麗に磨き出され地色には赤がさ してありました。
34号機テンダー左側の銘板
34号機の左側スプラッシャーの銘板


34号機テンダー右側の銘板 34号機の右側スプラッシャーの銘板


館林機関区における34号機 出発前の点検に余念がない
 フロントデッキ上には蒸機惜別記念列車の大きなプレート


同じく館林機関区における40号機
40号機はエンドビームと前照灯を白く塗装
こちらは円形の Good Bye のヘッドマーク


34号機と電車の連結
折り返しの上り 葛生出発前

 
東武の社紋と34号機番号板
34号機キャブ内 右側運転台です
34号機キャブ内より前方を望む
 

向きを変えにターンテーブルへ向かう34号機(葛生)
ここからバックでターンテーブルに向かう
向きを変えた後、再び連結する34号機
館林駅における新旧の顔合わせ

 
30号機の右サイドビュー
通常仕業で貨物を牽く30号機

 
そして、館林には既に動きを止めてしまっていた5号機が赤錆びた車体を 晒していた。
   40号機と同じ1898年製、BEYER, PEACOCK & Co.Ltd 東武鐵道自社発注のピーテン。   


 
さよなら運転当日の入場券
当日買い求めた停車駅の入場券

注意して渡瀬駅の入場券をご覧下さい。
渡瀬の字、裏面の東武道の字も旧字体
「通用發賣當日1回限」の表記でなんと番号は45。
他の駅は「普通入場券」なのに「入場券」。

吉水、多田、(の字が旧字体)葛生は駅名がゴム印
葛生駅は裏面の発行駅名の押印忘れ。
 

魔界葛生のこと
 
   東武のお別れ運転を尋ねる前に、鉄研の先輩 にひとこと言われたました。「葛生のさらに先の山の中に行くと、真っ赤にさびた機関車があるよ」と言う物でした。お別れ運転の当日はとてもそんな言葉を思 い出す暇も無かったのですが。それから何年後のことだったでしょうか、その機関車に火が入り運転されることがあるのを知ったのは。
再び葛生を訪れるようになったのは、その日鉄鉱業の【1080】がきっかけでし た。しかし、葛生の山の中にあったのはそれだけではありませんでした。
まさに【魔界】にふさわしい鉄の数々が。魔界葛生の片鱗