ホラーとかモダンホラーなんて言い方が通用しない時代。怪奇小説という呼び方だった時代。どんなもの読んでいるのと聞かれて、怪奇小説と言うと、必ず変人に見られた。それは、SF以上であった。 白い眼を向けられ、怪奇小説なんてものを持っているのを女の子に見つけられると、後ろ指をさされた経験がある。 それでも数少ない作品を見つけ出し、探し出し読み続けたのは、このアンソロジーとの出会いだった。 「カーテン」を見れば、あれを思い、「緑茶」を見れば、あれで、「炎天」下では、これで、「肩ごしに振り返」ってはならないし、「呪縛の塔」へと舞い降りることを夢に見る。 怪しげな音が響けば、透明なる何かがすれ違うのか、もしくは何かの化身か。 それが、いまでは、ホラーと言えば、変人扱いにはされない。時代は変わった。けど、イメージとして湿ったようなものを与える、かの怪奇小説の時代が好ましく思うのは、なぜなのだろう。