第10回人文死生学研究会のお知らせ■
第10回人文死生学研究会を、心の科学の基礎論研究会との合同
研究会として、下記の通り実施いたします。奮ってご参加下さい。
 
・(日時) 2012年3月31日(土) 午後1時30分〜5時45分
・(会場) 明治大学駿河台研究棟、3階・第10会議室
     (研究棟はリバティータワーの裏手の12階建ての建物で
      す。次の地図をご参照下さい。)
     http://www.meiji.ac.jp/campus/suruga.html
 
・(趣旨) かって死はタブーでしたが、近年は死生学の研究も盛ん
     になっており、その多くは臨床死生学です。しかし、自分自
     身の死についての洞察が臨床死生学の基礎には必要と思
     われます。人文死生学研究会は、そうした一人称の死に焦
     点を当て、哲学、倫理学、宗教学、心理学、人類学、精神
     医学から宇宙論にまで及ぶ、学際的な思索と研究の場とし
     て発足しました。
      今回で十回目になりますが、これまで「刹那滅」「輪廻転
     生」「死の非在証明」「人間原理」などがテーマとして取り上
     げられました。
      今年は、心理学からの問題提起として独我論を取り上
     げ、合わせて、哲学史における時間と自我の理解を回顧
     します。
 
・(内容)1 独我論への/独我論からの現象学と心理学
       渡辺恒夫 (東邦大学、心理学) 1時30分から
     2 「自己」と「時間」の解釈をめぐる哲学思想の再検討・
       西田哲学の場合
       重久俊夫 (西田哲学研究会、西洋史・哲学)
        3時45分ごろから
 
      指定討論者 三浦俊彦 (和洋女子大学、哲学)
 
      その後、6時ごろから懇親会の予定です。時間の許す方
      は、ぜひ、ご参加下さい。
 
・(発表要旨)1 独我論への/独我論からの現象学と心理学
       独我論への現象学と心理学とは、私が、元来は独我論
      的世界に誕生したことを発見するにいたるまでの、時間
      を遡る経験的探求である。最初この探求は、自我体験、
      独我論的体験の心理学として、質的心理学であっても現
      象学的とはいえない方法でなされてきたのだった。そのう
      ち、Blankenburg、木村敏、Spiegelberg ら、現象学(的精
      神医学)にヒントを得て、現象学的心理学としてやり直し、
      発達性エポケーのアイディアを掴むに至った(Watanabe,
             2011;渡辺、印刷中)。Blankenburg の患者でもなく自閉
      症スペクトラムでもない「定型発達」途上の子どもでも、
      自然発生的な現象学的還元によってフッサール世界へと
      「第二の誕生」を遂げることがありうるのだ。この探求の
      道筋が第一部をなす。
       独我論からの現象学と心理学とは、自明性の世界の
      ただなかに、自明性の世界に裂け目を入れながら私が
      第二の誕生を遂げてからの、「可能な」物語である。現象
      学的反省によっては決して「構成」されえないという意味
      で、私の絶対に理解できない自明性の世界、相互主観性
      の世界を、いかにして、納得しうる世界として再構成して
      きたか。そして将来もどのような再構成の可能性が展望
      されるかの、現象学的解明である。そのような再構成の
      企てを「現象学的反抗」と呼ぼう。その結果、構成されう
      る世界観・死生観として、純粋独我論の他に、キリスト教
      的化身教義、プロチノス的「一者」、転生輪廻などが、神
      秘主義という扱いとは異なる現象学的観点から分析され
      るだろう。(渡辺)
 
       2 「自己」と「時間」の解釈をめぐる哲学思想の再検討・
      西田哲学の場合
       西田幾多郎(1870〜1945)の哲学は、往々にして禅
      仏教と結び付けられ、神秘的なイメージで語られやすい。
      しかしその実態は、古今東西の古典哲学を再構成し、20
      世紀的な合理性のもとに体系化したものであり、扱われ
      るテーマの広さと、論理への徹底したこだわりが特徴であ
      る。今回の話題提供では、西田哲学(特に後期)の全貌
      を紹介しつつ、本研究会の趣旨とも関係の深い「自己」と
      「時間」を中心にして、思想の基本構造を解明する。
       今日、哲学に関心を持つ研究者や読書人の間で、西田
      哲学(あるいは古典哲学)と英米系現代哲学とは、二つの
      流行をなしている。しかし、これらは互いに背中合わせに
      無視し合っているのが現状である。だが、いずれも「現
      役」の哲学である以上、両者の論点を突き合わせ、架橋
      することは今後の重要な課題である。その点で、20世紀
      の数学や自然科学にも造詣が深く、英米哲学にも関心
      の強かった西田の思想は、またとない「たたき台」になる
      ことが期待される。(重久)
 
・(参加資格) 趣旨に関心のある方は、どなたでも参加できます。
     申し込みは必要ありませんが、会場準備のため、できれば
     事務局(重久)まで、ご一報下さい。
 (世話人・代表)渡辺恒夫
 (世話人) 三浦俊彦
 (世話人・事務局) 重久俊夫 ts-mh-shimakaze@yacht.ocn.ne.jp
 なお、本会のテーマに関する討論については、以下のHPで読むこと
ができます。
http://homepage1.nifty.com/t-watanabe/academic_meeting_4.htm
 
また、心の科学の基礎論研究会に関しては、以下のHPをご参照下さい。
http://www.isc.meiji.ac.jp/~ishikawa/kokoro.htm
 
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■■人文死生学研究会(第9回)報告(心の科学の基礎論研究会との合同研究会)■■

 

第九回人文死生学研究会は、2011年7月23日(土)、お茶の水の明治大学で開かれました。冒頭で、本会におけるこれまでの経緯を重久がブリーフィングし、その上で、古典哲学における時間論として、現在の中に無限の過去と無限の未来とが何らかの意味で含まれるタイプと、現在だけが非連続的に継起するタイプとの二種類があることを指摘しました。その後、左金武氏と三浦俊彦氏から以下のような話題提供がありました。

 

第一部 時間の経過について・現在主義の立場から。話題提供・左金武

 時間を説明する哲学理論には、時制理論(A系列主義)と無時制理論(B系列主義)とがある。前者は、過去・現在・未来という時制的区別からなる(「現在」を中心とした)時間論であり、時制的区別に存在論的根拠があると考える。一方、後者は、出来事の前後関係によって構成される(「現在」がどこかを問題にしない)時間論であり、時制表現に存在論的意義を認めない。「存在するものは全て現在にあり、現在にないものは存在しない」という現在主義は、過去・現在・未来の間に「存在する・しない」という存在論的区別を設ける点で、時制理論の一種といえる。

 時間が実在するとは、何らかの変化が実在することであり、それゆえ、「変化の表象の変化」(すなわち、「言明の真理値における変化」)を伴わなければならない。「今、雨が降っている」という時制的表現は「今」の位置によって真にも偽にもなりうるが、「2011年7月3日は雨である」という無時制的表現は、(それが真であれば)常に真であり続け、「言明の真理値」は変化しない。従って、「言明の真理値の変化」は時制理論を要請しているといえる。

 一方、そうした変化の実体としては、「もの(の性質)の変化」と「出来事の変化」とが考えられる。前者は、「ある対象Xが、かつては性質Fを持ったが、今は(Fではなく)Gを持っている」というものであり、後者は、「ある(瞬間的な)出来事Eが、かつては未来であり、今は現在であり、やがて過去になるだろう」というものである。

 ラッセルは、「ものの変化」を前提とした無時制理論(すなわち、時制的系列の実質的否定)を唱えた。ラッセルに対するマクタガートの無時制理論批判は妥当だが、マクタガート自身が立脚する「出来事の変化」説には問題がある。なぜなら、「出来事の変化」とは擬似的表現に過ぎず、実態はあくまでも「ものの変化」であり、しかも、「出来事の変化」説は「変化のパラドクス」と呼ばれる解決不能の困難を招くからである。(実際、マクタガートは、最終的に時間非在論に陥っている。)一方、「ものの変化」説でも、無時制理論ではパラドクスを免れず、「時間の変化」を否定せざるをえない。

 従って、「ものの変化」を前提にした(時制理論の一種である)現在主義こそ、「時間が経過する」という否定しがたい常識と整合する唯一可能な選択肢なのである。

 

第二部 量子自殺の可能性・「私」の存在の客観的価値について。話題提供・三浦俊彦

 量子の観測がなされるたびに波束の収縮が起きるが、それは、一つの世界でそのつど一つの状態が選ばれていることなのか(コペンハーゲン解釈)、それとも、あらゆる状態が実現して、世界が分かれてゆくことなのか(多世界解釈)。現象的には区別のつかない対立に決着をつけるには、量子ロシアン・ルーレットに頼るしかない。

 引き金を引くたびに確率50%で粒子が放出される非決定論的電子銃を自分の頭に向け、百回続けて引き金を引く。弾丸が発射されない確率は50%だが、百回続けてそれが起きる確率は極小であり、自分はほぼ確実に死ぬ。もっとも、ごく小さな確率ではあるが、百回続けて弾丸が出ない可能性もある。しかし、世界が一つだけであれば、そうしたケースが起きることはほとんど考えられない。一方、この世界が多重世界であれば、引き金が引かれた後の可能な結果は、(確率0でない限り)どこかで必ず生起している。つまり、引き金を引くごとに自分は全体の1/2の世界で生き延び、百回終えた後には、全体の「1/2の百乗」という極小の部分集合においてではあるが、依然として生き延びている。自己の主観的本質が意識である以上、生きている自分と死んでいる自分とが分かれた場合、「私が存在している」といえるのは生きている分岐だけである。つまり、「主観的な自己」は、常に弾丸が発射されない方の諸世界へカテゴライズされてゆき、1/2の百乗という難関をクリアして、必ずや実験結果を生きて見届けることになる。

 多世界解釈が正しいとすれば、われわれは量子ロシアン・ルーレットにおいて、確率的にはありえない「生存」を達成し、多世界解釈が正しいことを証明できるわけだ。コペンハーゲン解釈では、そのような証明はできない。ただし、こうした証明にはさまざまな制約条件があることも事実である。                   (文責・重久俊夫)
 
 
■■人文死生学研究会(第8回)報告(心の科学の基礎論研究会との合同研究会)■■

 第八回人文死生学研究会は、2010年3月29日(月)、お茶の水の明治大学で開かれました。冒頭で、本会におけるこれまでの経緯を重久がブリーフィングし、その後、水本正晴氏と岩崎美香氏のお二人から話題提供がありました。要旨は以下の通りです。

 人文死生学研究会は、2003年の発足以来、「一人称の死」について多角的に考察してきたが、そこに見られる特徴の一つは、「輪廻転生」に対する関心である。本会世話人の渡辺恒夫は、心理学的観察にもとづき、「私がなぜ『この私』であり、他の人格ではないのか?」という疑問を「自我体験」と名づけ、「『私』という主観が生じているのは『この私』だけであり、他者には生じていないのではないか」という思いを「独我論的体験」と名づける。そして、こうした“疑問”を論理的に克服しうる世界観を、輪廻転生と捉えて類型化する。(『輪廻転生を考える』1996年、『〈私の死〉の謎』2004年)これに対し、重久は、時間の非連続性を強調する「現在主義」の立場に立ち、瞬間と瞬間の間には位置関係がありえないことを指摘して、輪廻転生を証明しようと試みる。(『夢幻論』2002年、『時間幻想』2009年)一方、三浦俊彦は、この宇宙の物理定数が知的生命体の発生に対して絶妙な値に“調整されている”という「ファインチューニング問題」を取り上げ、その“謎”の唯一可能な解釈として、多宇宙実在論を採用する。そして、そうした解釈が要請する「私」の定義を分析することにより、輪廻転生が証明されると考える。(『多宇宙と輪廻転生』2007年)渡辺の議論は、特殊な心理現象から触発される一つの“エレガントな”仮説だが、重久と三浦は、それを実在論的に証明しようとする。一方、渡辺と重久が唯心論(現象主義)を許容するのに対し、自然科学的観点を堅持する三浦は唯心論に否定的であり、三者三様の輪廻転生観には、ほどよい距離感があるといわざるをえない。

 輪廻転生が実践哲学において功利主義に結びつくことは、三浦と重久がともに指摘するところだが、功利主義を歴史の価値判断に適用したケース・スタディーが、三浦の『戦争論理学〜あの原爆投下を考える62問〜』(2008年)である。同書は、第二次大戦末期の広島・長崎への原爆投下を「やむをえないものであった」と考える原爆肯定論を擁護し、「避けるべきであった」と考える原爆否定論を論理的に論駁するものである。昨年度の人文死生学研究会でも同書に対する書評討論を行ったが、今年もそれに続き、哲学者の水本正晴による新たな批評が行われた。

 水本は、三浦の原爆肯定論が強い説得力を持つことを認めつつ、それにもかかわらず、原爆投下が誤りであったと主張する。ただ、多くの原爆否定論者がヒューマニスティックな立場から議論を展開するのに対し、水本の主張は、むしろアンチ・ヒューマニスティックで冷酷ともいえる「歴史の理不尽性」にもとづくものである。それは、「たとえ主体が置かれた状況において他の選択肢が与えられておらず、行為論的には非がなくとも、あるいは通常の裁判であれば無罪となるような行為に対しても、歴史は時に有罪判決を言い渡すことがある」というものである。その論証は多岐にわたり多くの論争点を孕んでいるが、三浦が立脚する行為論的枠組み自体を相対化し、歴史の価値判断とはそもそも何なのかを深く考えさせるものであることは間違いない。

 一方、岩崎美香の発表は、臨死体験を経験した12名(13例)の日本人の、死生観の変化を調査したものである。臨死体験とは、典型的には、「死に近づいた人、もしくは生理学的または情緒的な強い危機状態にある人に起きる、超越的で神秘的な要素を帯びた体験」(Greyson) と定義される。その原因はさまざまに解釈しうるが、岩崎が関心を持つのは原因ではなく、体験そのものの内容である。その結果、臨死体験が、「日常の領域からの分離・異世界への過渡・日常への再統合」という過程であり、異世界へのある種の“旅”であることが明らかになる。それはまた、「一人称的な死」の受容の物語ともいえるが、癌からの快復者などが、(人生の有限性の認識や他者への感謝など)死のこちら側で人生を完成させる物語を得るのに対し、臨死体験者の物語は、死のあちら側での大きな枠組みにおける、自然・宇宙・魂の行方についての物語である。

 さらに岩崎は、日本人の死生観の歴史的変化を考察し、生と死が連続する「原・神道的死生観」や、生と死が二極化する「仏教・キリスト教的死生観」でもなく、また、高度成長期以後の唯物論的死生観でもない、ポストモダン的死生観が広まりつつあることを指摘する。それは、特定の宗教は信じないが、霊魂や死後の世界の存在を信じるスピリチュアリティー志向型の心性である。世論調査でも、死後の世界や輪廻転生を認める者が40%を超える場合があり、個人化した社会の中で、個を超えた生命のつながりや生と死の連続性が模索されつつあることを窺わせている。                   (文責・重久俊夫)

 
◆◆人文死生学研究会 ・ 心の科学の基礎論研究会 合同研究会 ◆◆                              
 明治大学意識情報学研究所 共催
                     2010年3月9
 第八回人文死生学研究会を、心の科学の基礎論研究会との合同
研究会として、下記の通り実施いたします。今回は、明治大学意識
情報学研究所 とも共催です。 ふるってご参加下さい。
 
 
・(日時) 2010年3月29日(月)  午後1時30分〜5時45分
・(会場) 明治大学 駿河台研究棟3階、第10会議室
     (研究棟はリバティータワーの裏手の12階建ての建物で
     す。次の地図をご参照下さい。)
     http://www.meiji.ac.jp/campus/suruga.html
 
・(趣旨) かつて、死はタブーでしたが、近年は死生学の研究も盛
     んになっており、その多くは臨床死生学です。しかし、自分
     自身の死についての洞察が臨床死生学の基礎には必要
     と思われます。人文死生学研究会は、そうした一人称の死
     に焦点を当て、哲学、倫理学、宗教学、心理学、人類学、
     精神医学から宇宙論にまで及ぶ、学際的な思索と研究の
     場として発足しました。
      今回で八回目になりますが、これまでに「刹那滅」「輪廻転
     生」「死の非在論証」「人間原理」などがテーマとして取り上
     げられました。
      前回は、哲学者・三浦俊彦氏の「戦争論理学」の合評会 
     を著者をまじえて行い、はじめて歴史問題に論及しましたが
     今年は、それに続き、「歴史の哲学」という観点から、新た
     な問題提起が行われる予定です。
      また、「臨死体験と死生観の変容」についての話題提供も
     予定されています。         
 
・(内容)1 「人文死生学研究会」の従来の議論の経緯
       重久俊夫 (人文死生学研究会世話人・西洋史、哲学)
         1時30分から
 
     2 原爆投下は正しかったか
       〜戦争・論理学から歴史・認識論へ〜
       水本正晴 (哲学・北見工業大学) 2時15分ごろから
 
       本発表は、私が今年度行ってきた認識論の授業の試み
       を紹介しながら、原爆投下の是非について私なりの見解
       を論じる。その際、授業でも行ったように、アメリカ人に
       よる原爆否定派の意見として、ジョン・ロールズ、日本人
       による原爆肯定派の意見として三浦俊彦の議論を取り
       上げ、その食い違いの分析から歴史についての認識
       論、一般に歴史の哲学のあり方を問う。
       時間に余裕があれば、最近の議論として野家啓一の
       「物語としての歴史」の哲学を批判した中山康雄の議論
       を考察したい。
    
     3 旅としての臨死体験と死生観の変容
       〜日本人の事例を中心に〜
       岩崎美香 (明治大学大学院修士課程) 4時ごろから
 
 
    その後、6時ごろから懇親会の予定です。時間の許す方は、
    ぜひ、ご参加下さい。
 
・(参加資格) 趣旨に関心のある方はどなたでも参加できます。
    申し込みは特に必要ありませんが、会場準備のため、できれ
    ば事務局(重久)までご一報下さい。
    (世話人・代表)  渡辺恒夫 psychotw@env.sci.toho-u.ac.jp
    (世話人・事務局) 重久俊夫
                              ts-mh-shimakaze@yacht.ocn.ne.jp
 
 
  なお、本会のテーマに関連する討論について、以下のHPで読む
 ことができます。
http://homepage1.nifty.com/t-watanabe/academic_meeting_4.htm
  また、心の科学の基礎論研究会に関しては、以下のHPをご参照
 下さい。
http://www.isc.meiji.ac.jp/~ishikawa/kokoro.html

■■人文死生学研究会(第7回)報告(心の科学の基礎論研究会との合同研究会)■■

第七回人文死生学研究会は、2009年3月30日(月)、お茶の水の明治大学で開かれました。今年は、心理学からの話題提供と、三浦俊彦氏の『戦争論理学』の書評討論が行われました。内容の要旨は以下の通りです。

第一部 自我体験・独我論体験研究から考察したアスペルガー障害者のテクスト

 話題提供・渡辺恒夫

 「私はなぜ『この私』であり、他の人格ではないのか」という疑問が自我体験であり、「『私』という主観が生じているのは『この私』だけであって、他者には生じていないのではないか」という思いが独我論体験である。前者は「個別的自己の自明性の破れ」であり、後者は「類的自己の自明性の破れ」である。いずれの経験者も、多数派とはいえないが広範に存在し、8〜10歳ごろに初発体験のピークが認められる。

 一方、自閉性障害圏(自閉症スペクトラム)の軽症型とされるアスペルガー症候群に属する自伝的記述には、独我論体験の典型と思われるものが少なくない。たとえば、「見えないものは、存在しない」「クラスメートは教室の備品だと思っていた」「『社長』は終業時間がきたらパッと消える」というようなものである。しかし、「私はなぜこの私なのか」という自我体験から自己の特別視が生じる場合とは異なり、自閉性障害圏の独我論的世界は、明確な内省的自己意識の成立以前のものである。また、他者や世界は「作り物」だが、それらの間にいる自分を、超越的な何ものかが見ているという「入れ子細工的構造」も、この種の体験にしばしば現れる。

 自分中心の世界から客観的で他者と共感し合える世界へと進むことで、自明性の世界を獲得することが「定型発達」だといえるが、自閉性障害圏の独我論的世界は、そうした自明性の世界への参入の失敗、あるいは、自明性の世界の非成立を意味しているといえよう。こうしてみると、自明性の世界は決して堅牢ではなく、意外と脆いところがあるのかも知れない。

 討論では、主に心理学の専門的見地からさまざまな論評が行われ、考えて思い至る独我論と、感覚的に直観される独我論との区別なども指摘された。

第二部 三浦俊彦著『戦争論理学〜あの原爆投下を考える62問〜』(二見書房、2008年)合評会 書評発表・佐藤壮広、重久俊夫

 三浦俊彦による『戦争論理学』は、第二次大戦末期の広島・長崎への原爆投下を「やむをえないものであった」と考える原爆肯定論を擁護し、「避けるべきであった」と考える原爆否定論を論理的に論駁するものである。議論は、否定論と肯定論の仮想ディベートの形をとり、全体が、著者の推奨する批判的思考 critical thinking の実践となっている。また、悲惨な現実を前にして冷静に議論すること自体が、犠牲者に対する冒涜であるという情緒的な主張に対し、詳細かつ徹底的に反論する箇所は、本書の白眉であるといってよい。

 昨年度の「人文死生学研究会」では、同じ著者による『多宇宙と輪廻転生』を話題にとりあげたが、同書では、輪廻転生観が功利主義と親和的であることが指摘されていた。本書の議論は、政治問題に対する功利主義の適用例でもあり、昨年に引き続いて本書を取り上げた理由の一部もそこにあるといえる。

 三浦の議論は、原爆投下による「現実の被害」と、それをせずに戦争を長期化させた場合の「仮想の被害」との比較衡量を基本とする。その上で、他の選択肢もありえたのではないかという疑問に対し、当時の政治状況を多角的に検討し、与えられた条件のもとでは原爆投下が最善の可能な選択肢であったことを証明しようとするものである。

 書評発表では、佐藤が同書の論旨と意義を整理し、その後、重久が、価値基準としての功利主義を整理しつつ、本書における具体的な問題点を指摘した。その趣旨は、原爆投下を正当化するという場合の「正当化」の意味が多義的なまま混在していることである。一つは、原爆投下による犠牲者数と本土決戦による犠牲者数とを帰結主義的に比較した場合の正当化であり、もう一つは、アメリカ政府当局者が、原爆投下による自己の政治的利害と戦争継続による政治的利害とを自ら比較した場合の、合理的利得追求としての正当化である。両者は明らかに異質なものだが、たまたま「原爆投下肯定」という同じ結論になるため、相違が不明瞭になっている。

 その他、会場参加者との討論では、一般の人々に対して十分な合理性や想像力を期待できるかどうかが問題になった。そして、外国(中国)における体験なども紹介され、政治問題に対する情緒的反応の根強さが改めて指摘された。

                               (文責・重久俊夫)

                                 
◆◆人文死生学研究会・心の科学の基礎論研究会 合同研究会◆◆
 第7回人文死生学研究会を、心の科学の基礎論研究会との合同
研究会として、下記の通り実施いたします。ふるってご参加下さい。
    
・(日時) 2009年3月30日(月)  午後1時30分〜5時45分
・(会場) 明治大学 駿河台研究棟4階、第一会議室
     (研究棟はリバティータワーの裏手の12階建ての建物で
     す。次の地図をご参照下さい。)
     http://www.meiji.ac.jp/campus/suruga.html
・(趣旨) かつて、死はタブーでしたが、近年は死生学の研究も盛
     んになっており、その多くは臨床死生学です。しかし、自分
     自身の死についての洞察が臨床死生学の基礎には必要
     と思われます。人文死生学研究会は、そうした一人称の死
     に焦点を当て、哲学、倫理学、宗教学、心理学、人類学、
     精神医学から宇宙論にまで及ぶ、学際的な思索と研究の
     場として発足しました。
      今回で七回目になりますが、これまでに「刹那滅」「輪廻転
     生」「死の非在論証」「人間原理」などがテーマとして取り上
     げられています。
      今回は、渡辺恒夫氏による心理学からの話題提供を第
     一部とし、後半は、哲学者の三浦俊彦氏の「戦争論理学」
     の合評会を著者をまじえて予定しています。
 
・(内容)1 心理学からの話題提供 渡辺恒夫(心理学・東邦大学)
        「自我体験・独我論的体験から考察したアスペルガー障
       害者のテクスト」    1時30分から
  
       自閉症スペクトラムの中のアスペルガー症候群と見られ
       る人々の、自伝・手記類が最近次々と出版されているが
       それらのテクストを、独我論的体験という観点から考察
       したい。独我論的哲学者ヴィトゲンシュタインの学説を
       アスペルガー症候群を手がかりとして解明する試みはあ
       るが、本発表での試みは、アスペルガー症候群の体験
       世界を、「定型発達」と思われる人々から提供された事
       例によって構築された自明性の破れの構造内部に位置
       づけることである。Medicalisation(医療化)とは逆向きの
       企てである。今後、このような試みが発展することを期
       待したい。なお、本発表は、近日中に出版される「自我
       体験と独我論的体験 : 自明性の彼方へ」(北大路書
       房)の一節に基づいている。
 
         2 合評会 「戦争論理学 あの原爆投下を考える62問」
       (三浦俊彦、二見書房、2008年)
             2時45分ごろから
      話題提供(書評) 佐藤壮広(東邦大学、宗教人類学)
      話題提供(書評) 重久俊夫(西洋史、哲学)
      指定討論 三浦俊彦(和洋女子大・哲学、論理学)
      討論
 
・(参加資格) 趣旨に関心のある方はどなたでも参加できます。
    申し込みは特に必要ありませんが、会場準備のため、できれ
    ば事務局(重久)までご一報下さい。
    (世話人・代表)  渡辺恒夫
    (世話人・事務局) 重久俊夫
                              ts-mh-shimakaze@yacht.ocn.ne.jp
 
  なお、本会のテーマに関連する討論について、以下のHPで読む
 ことができます。
http://homepage1.nifty.com/t-watanabe/academic_meeting_4.htm
  また、心の科学の基礎論研究会に関しては、以下のHPをご参照
 下さい。
http://www.01.246.ne.jp/koma2/kokoro/

 

 

 ■■人文死生学研究会(第6回)報告(心の科学の基礎論研究会との合同研究会)■■            

 

 第六回人文死生学研究会は、2008年3月29日(土)、お茶の水の明治大学で開かれました。今年は、宗教人類学からの二つの話題提供と、三浦俊彦氏の『多宇宙と輪廻転生』の紹介と討論が行われました。内容の要旨は以下の通りです。

 

第一部 宗教人類学からの話題提供

 

1 一人称的実験心理学としてのフィールドワーク 〜〜臨死体験と過去生記憶体験を例 に〜〜 蛭川立

 

 心霊研究は、(臨死体験のような)死後生存の検証を目指し、一人称的な「私の意識」の問題として探究されてきた。しかし、死後の霊魂が引き起こすとされる現象の多くが、生者の特異能力によっても生じると考えられるようになり、心霊研究は、ESPのような超心理現象を三人称的視点から研究する超心理学に移行してしまった。例えば、ある人の過去生の記憶が客観的に裏付けられたとしても、死者から子どもに(テレパシーのような形で)情報が伝わったと考えれば、意識の流れが死を超えて持続する必要はない。他者の意識が外部からは観察できないことが、こうした問題を引き起こしていると考えられる。        これに対し、研究対象の内部に一人称的に参入し、かつ、それを観察することが、参与観察(フィールドワーク)である。瞑想体験の参与観察などが実践されている。それは、主観的ではあるが再現性があり、一人称的実験心理学と呼ぶことができる。

 一例を挙げれば、臨死の自己実験はリスクが大きいが、サイケデリック体験(アヤワスカ茶による体験など)は十分可能である。また、「過去生」体験催眠は、一つの生から次の生への移行も体験できるが、リアリティーはかなり希薄である。蛭川立『彼岸の時間』(春秋社、二○○二年)

 

2 シャーマニズム、死、沖縄、平和学  佐藤壮広

 

 第二次大戦の戦場となった沖縄で、公的な記憶から漏れる抑圧された記憶がある。記録の中で死者は黙し、「生者による記憶」という形で過去化され、「生者と死者との現在におけるかかわり」という視点は抜け落ちる。しかし、民間巫者(沖縄本島では「ユタ」)は、霊的感受性によって戦死者の声を聞き、その姿を見る。また、戦死者霊を死の現場から墓や仏壇に届ける儀礼(ヌジファ)を行うこともある。彼らにとって、死者は現前し、過去化することなくさまよっているのである。

 生者と死者の実践的関係から「平和の知」の芽を読み取ることもできよう。まず、民間巫者は、公的式典において均質な語りの中に囲い込まれてきた死者を個別に、生きたものとして、すくいあげる儀礼の実行者である。また、彼らは、「島の痛み」を自身の痛みとして感受する身体を持ち、痛みの表現の可能性を示唆してもいる。

 死者の言葉が生者に大きな影響を与える社会もある。生きた人間の間の倫理を超え、死者と直面することで、生者の弱さを自覚することが必要だという考えもある。平和を作る知を立ち上げるために、巫者の霊的感受性とその実践は意義を持つといえる。

 

第二部 三浦俊彦著『多宇宙と輪廻転生』(青土社、二○○七年) 書評発表・重久俊夫  

1 要旨

 人類のような知的生命体が誕生するためには、この宇宙のいくつかの物理定数はきわめて限定された範囲に収まっていなければならない。宇宙がそうした微調整(ファインチューニング)された状態にある確率は極小である。こうした事態を自然に説明するためには多宇宙実在論が有効である。つまり、さまざまな物理定数を持った多数の宇宙が実在していれば、それらの中に、知的生命体を発生させるようなファインチューニングされた宇宙もほぼ確実に存在するだろうからである。

 多宇宙が存在すれば「知的生命体もほぼ確実に存在する」という三人称命題は、「こうして宇宙を考察している知的生命体である私が存在する」という一人称命題に拡張することができる。つまり、「高度な自意識を持った私がこうして存在する」ことから、多宇宙が実在することを確率的に推論することができるわけである。

 ただし、多宇宙論証が成立するためには、「私」というものを、多宇宙世界にいくつも生息するであろう知的生命体の中の「誰でもよい」と定義しなければならい。「私」の定義には、知的生命体であれば誰でもよいという自我説(SSA)と、世界全体の中の特定の一点である「個体」でなければならないという個体説(SIA)とがある。しかし、個体説であれば、たとえ多宇宙が存在し、知的生命体が発生していても、特定の一点であるその個体がたまたまそうした知的生命体に合致している確率は極小である。こうして個体説は否定され、自我説が肯定される。

 自我説を取れば、「私」は誰でもよいわけだから、この私が死んでも別の私として生きてゆくことができる。これが、確率論的に証明された輪廻転生に他ならない。

 

2 批評

 著者は、多宇宙か一宇宙かの問題と、自我説か個体説かの問題を、明確には関連づけていないが、上記の要約から分かるように、多宇宙説が自我説に先行することは明らかである。多宇宙が存在しなければ知的生命体の発生する確率は極小になるわけだから、自我説の前提自体がそもそも成り立たない。

 

 また、著者は、輪廻転生は時間的な先後関係に従って起きると考えている。それゆえ、同時刻に存在する他者や過去の人間には転生しない。これは、著者の輪廻転生論がファインチューニング問題のような自然科学的視点から出発しているため、常識的な自然観を完全には無視できないためである。しかしながら、ニュートン的な絶対時間が否定されている中で、宇宙論的スケールにおいて(まして、多宇宙を前提にして)果して先後関係が必ず定義できるのか、疑問は残るといわざるをえない。

 

 個人と個人は輪廻転生によって結びついて、超個人的な「人格」を構成する。人格の数は、最も人口の増えた時点での個人の数と少なくとも同じである。しかし、人口は絶えず変動し、それよりはるかに少ない場合もある。そうした場合、著者は、同一の個的身体の中に複数の人格が同居していると考える。しかし、アメーバが分裂するように人格も分裂してゆくと考えれば、必ずしもこうした解釈を取る必要はないのではないか。

 

 多宇宙論証の前提は、多宇宙であれば、その中にファインチューニングされた宇宙が存在する確率はほぼ1であり、一方、一宇宙であれば、それがファインチューニングされた宇宙である確率はほぼ0であるということである。しかし後者の場合、ただ一つしかない宇宙に対してどうやって確率を定義するのか、問題になる。「ファインチューニングされている可能宇宙」/「すべての可能宇宙」と定義したとしても、単なる可能性でしかない宇宙の数をどうやって判定するのか。

 こうした点が、批評として指摘された問題であった。(文責:重久俊夫)

 
◆◆◆人文死生学研究会・心の科学基礎論研究会 合同研究会◆◆◆
 
第六回人文死生学研究会を、心の科学基礎論研究会との合同研究会と
して、下記の通り実施いたします。ふるってご参加下さい。
 
・(日時)2008年3月29日(土) 午後1時30分〜5時45分
・(会場)明治大学駿河台研究棟 4階・第2会議室
(研究棟はリバティータワーの裏手の12階建ての建物です。次の地図
をご参照下さい。http://www.meiji.ac.jp/campus/suruga.html
 
・(趣旨)かって、死はタブーでしたが、近年は死生学の研究も盛んに
なっており、その多くは臨床死生学です。しかし、自分自身の死につい
ての洞察が臨床死生学の基礎には必要と思われます。人文死生学研究会
は、そうした一人称の死に焦点を当て、哲学、倫理学、宗教学、心理学、
人類学、精神医学から宇宙論にまで及ぶ、学際的な思索の場として発足
しました。今回で六回目になりますが、これまでに「刹那滅」「輪廻転
生」「死の非在論証」「人間原理」などがテーマとして取り上げられて
います。
今回は、宗教人類学者の蛭川立氏と佐藤壮広氏からの話題提供を第一
部とし、後半は、論理学者の三浦俊彦氏の近著「多宇宙と輪廻転生」の
合評会を、著者をまじえて予定しています。
 
・(内容)1 宗教人類学特集 1時30分より
話題提供「シャーマニズム、死、沖縄、平和学」
佐藤壮広(東邦大学・宗教人類学)
話題提供「一人称的実験心理学としてのフィールドワ−ク 〜臨死体験と
過去生記憶体験を例に〜」
蛭川立(明治大学・宗教人類学)
 
2 合評会「多宇宙と輪廻転生」(三浦俊彦、青土社、2007年)
   3時45分より
話題提供(書評担当) 重久俊夫(西洋史・哲学)
指定討論 三浦俊彦  4時30分より
討論  4時45分より
懇親会 6時頃より
 
・(参加資格)趣旨に関心のある方はどなたでも参加できます。申し込みは
特に必要」ありませんが、会場準備のため、できれば事務局(重久)まで
ご一報下さい。
(世話人・代表)渡辺恒夫
(世話人・事務局)重久俊夫 ts-mh-shimakaze@yacht.ocn.ne.jp
 
なお、本会のテーマに関連する討論について、以下のHPで読むことができます。
   http://homepage1.nifty.com/t-watanabe/academic_meeting_4.htm
また、心の科学の基礎論研究会に関しては、以下のHPをご参照下さい。
 http://www.01.246.ne.jp/koma2/kokoro/

 

 

■■人文死生学研究会(第五回)報告心の科学の基礎論研究会との合同研究会)■■

 

 第五回人文死生学研究会は、2007年3月31日(土)、お茶の水の明治大学で開かれ

ました。今年は、宗教人類学からの話題提供が予定されていましたが、発表者が急病で欠席されたため、渡辺恒夫氏による「化身教義の心理的根源としての自我体験・独我論体験」、および三浦俊彦氏による「終末論法へのさまざまな反論」という二つの話題提供と質疑応答が行われました。次に、「終末論法へのさまざまな反論」の発表要旨を簡単に紹介します。

(参考・『現代思想』三月号〜五月号)

 

 終末論法とは、次のような議論を指す。

 

前提・「私」は全ての人類(または知的生命体)からのランダムなサンプルである。

データE・歴史上、この世に出現した人間の総計がほぼ六百億人の時点で「私」は生まれた。

  (かつ、世界の人口は最近になって急増している。)

仮説A・人類は今後短期間で滅亡する。

仮説B・人類は今後相当長期にわたって繁栄する。

 

 「前提」のもとで、データEだけから仮説Aの妥当性(人類の早期終末)を確率論的に推定することができる。なぜならば、近代になって人口が急増している人類が、今後も長期にわたって繁栄する場合(仮説B)、ほぼ六百億人目の人間である「私」は「例外的に初期の人間」であったことになり、その確率は低いといわざるをえないから。(終末論法)

 

 こうした終末論法に、どのような反論が可能かを次に検討する。

 

(1)終末論法は、データEを得た後の仮説Aと仮説Bの事後確率の比が、事前確率の比よりも顕著に高まることから、Aの正しさを結論づけている。それが成り立つためには、仮説Aと仮説Bの事前確率がほぼ同等でなければならない。しかし、例えばA(早期終末仮説)を「一万人目の人間が生まれた時点で人類が滅亡する」と定めた場合、データEが得られた時点でAは反証されてしまい、比較の意味をなさない。意味をなすためには──私が何人目の人間かは事前には分からないので──人類滅亡の時点は遅い方がよく、Bの事前確率がAよりも高くなってしまう。それは、終末論法の否定である。

     結局、終末論法は、「私が六百億人目の人間である」ことを知った上で、それに矛盾しないように恣意的に仮説Aを設定した点が問題である。それゆえ、仮説A、Bの設定が最初から客観的に決まっているような場合(例えば、人類が早期に滅亡するかどうかの分枝は、歴史上のある時点でのみ起きるような場合)には、終末論法は否定されない。

 

(2)「私」でありえた者の集合を準拠集団と呼び、次のような二種類の可能性がある。

SSA・「私」は意識主体からのランダムなサンプルである。

SIA・「私」は(石ころなども含めた)全てのモノ(時空点)からのランダムなサンプルである。

 終末論法の「前提」はSSAに立脚しているが、SIAならば終末論法は否定さ

れる。「私は(全てのモノの中から選ばれた)人間として生まれた」というデータは、人口が多いほど人間として生まれやすいために仮説Bの確率を高める。その結果、終末論法を無効化するからである。しかし、現に意識を持って生まれてきていることからすれば、SIAは不合理であるともいえる。

 

(3)SSAの範囲内でも、地球外知的生命体を考慮に入れれば、終末論法は否定される。「私は(全ての知的生命体の中から選ばれた)地球人類として生まれた」というデータは、地球人類の数が多い仮説Bの確率を高め、終末論法を無効化するからである。もっとも、地球外知的生命体が少なければこの反論は成り立たず、地球外知的生命体の数という偶然の要素に左右される点が難点である。

     ただし、SSAは、この宇宙のファインチューニングを根拠として多宇宙論証に結びつく。その場合、多宇宙が実在するならば、地球外知的生命体も多数存在することは十分予想される。

 

(4)終末論法において「私」が属する準拠集団は、単なる知的生命体ではなく、「終末論法を考えることができる(あるいは、現に考えている)知的生命体」である。これを準拠集団Mと呼ぶ。Mの中の「私」は、科学や哲学に知識と関心のある主体であり、そういう者の中で「私」は平凡な位置にいると考えられる。(限定されたSSA)

     一方、(1)より、早期滅亡と長期繁栄の分枝点は、客観的に限定されていなければならない。地球文明の場合、それは、核兵器やロケットが開発されていながら宇宙への大規模植民がいまだ実現していない時代──つまり21世紀付近──である。従って、終末論法を考える集団Mは、21世紀付近にしか存在しえず、少なくともそれ以後ではありえない。それゆえ、「私はほぼ六百億人目の人間である」というデータEは必然であり、人類史の長さとは関係しない。こうして終末論法は無効化される。(強い観測選択効果)

 

 科学の成立は、宗教や芸術よりも低確率である。「科学的探求に最も適した条件」(ST)は、知的生命体一般(あるいは文明一般)の成立に必要なファインチューニング(FT)を越えた過剰なファインチューニングであるように見える。しかしながら、STとFTとは一致することを示唆する例が多い。例えば、太陽と月が一定の関係にあることは生命進化の必要条件(FT)だが、一方で、皆既日食を生ずることによって科学の進歩を可能にしている(ST)。こうした一致の説明原理として、強い観測選択効果は有望である。              (文責・重久)■■人文死生学研究会・心の科学の基礎論研究会 合同研究会■■

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■■■■人文死生学研究会(第5回)のお知らせ■■■■

第五回人文死生学研究会を、心の科学の基礎論研究会との合同
研究会として、下記の通り実施いたします。ふるってご参加下さい。
                         重久俊夫
                  記

・(日時) 20073月31日(土) 午後1時30分〜5時45分
・(会場) 明治大学 駿河台研究棟、3階 第10会議室
    (研究棟はりバティータワーの裏手の12階建ての建物です。
    次の地図をご参照下さい。
      http://www.meiji.ac.jp/campus/suruga.html

・(趣旨) かつて、死はタブーでしたが、近年は死生学の研究も盛
    になっており、その多くは臨床死生学です。しかし、自分自身
    の死についての洞察が臨床死生学の基礎には必要と思われ
    ます。人文死生学研究会は、そうした一人称の死に焦点を
    当て、哲学、倫理学、宗教学、心理学、人類学、精神医学か
    ら宇宙論にまで及ぶ、学際的な思索と研究の場として発足し
    ました。
      今回で5回目になりますが、これまでに「刹那滅」「輪廻転
    生」「死の非在論証」「人間原理」などがテーマとして取り上げ
    られています。これらのテーマは、死に対する洞察が、哲学
    や科学において古くから問題にされている自我と時間の探求
    をおのずから要請することを明らかにしています。
      今回は、宗教人類学の佐藤壮広氏と、論理学者の三浦
    俊彦氏からの話題提供を予定しています。

・(内容) 1 開会挨拶・趣旨説明 1時30分より
        渡辺恒夫(東邦大学・心理学、科学基礎論)
        前4回の経緯
        重久俊夫(西洋史、哲学)
      2 話題提供 「シャーマニズム、死、沖縄、平和学につい
        て」 2時15分より
        佐藤壮広(東邦大学・宗教人類学)
        発表と討論
      3 話題提供 「<私が今生きている>ことから何がわか
        るか〜終末論法へのさまざまな反論〜」 4時より
        三浦俊彦(和洋女子大・論理学、分析哲学、形而上
        学) 発表と討論

・(参加資格)趣旨に関心のある方はどなたでも参加できます。申し
    込みは必要ありませんが、会場準備のため、できれば事務
    局(重久)までご一報下さい。
    (世話人・代表)  渡辺恒夫 

    (世話人・事務局) 重久俊夫
         javascript:openwmailwin("ts-mh-shimakaze@yacht.ocn.ne.jp");

 なお、本会のテーマに関する討論について、以下のHPで読むこと
 ができます。
   http://homepage.nifty.com/t-watanabe/correspondence2.htm
 また、心の科学の基礎論研究会に関しては、以下のHPをご参照
 下さい。 http://www.01.246.ne.jp/~koma2/kokoro/      

 

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  □□人文死生学研究会(第四回)報告□□

 

 第四回人文死生学研究会は、2006年4月1日、東京、お茶の水の明治大学にお

いて開催されました。心の科学基礎論研究会との

合同開催ということで、通常は人文系の人間と議論することのあま

りない(数学や物理学などの)理数系の専門家にも大勢参加してい

ただき、文理どちらの側にとっても貴重な経験になったと思います。

私も、終了後の会食の際に、数学者と概念実在論の関係といった

、普段は聞きたくても聞けないようなことを質問させていただき、異

文化交流の妙味を堪能いたしました。

 

 研究会の方は、渡辺先生の基調講演の後、重久から、これまでの

会で話題提供されたインド哲学における刹那滅論証のことや、「現

象相互間の断絶性(無関係性)による時間非在論」について報告し

ました。

 その後、三浦先生から、輪廻転生に関する確率的論証について

発表がありました。これは、「どこで生じたどんな内容の意識かにか

かわりなく、意識が生じることが、「私」が存在するための必要十分

条件である」という命題を確率論的に正当化することで、輪廻転生

を証明しようとするものです。さらに、それが、ある程度常識にかな

った輪廻説であるための制約条件も議論されました。三浦先生の

説は、昨年は、多宇宙説が輪廻転生のオールタナティブになってい

るというものでしたので、今年は、輪廻説を積極的に支持する方向

により一層接近されたことになります。

 感想としては、確率についての理解の難しさが改めて実感されま

した。例えば、同じ経験的事実から理論Aと理論Bとが構想される

場合、理論Aでは、所与の経験が「不可能ではないが実現確率の

きわめて低い不思議なもの」となり、別の理論Bでは、「実現確率の

高い一般的事実の任意の切片」となる、というような場合です。その

ことから、それ以上の何かがいえるのでしょうか。「理論Aの世界は

神秘にみちている」ということがいえるのか、あるいは、「われわれ

は理論Bだけを(正しいものとして)選ぶべきである」ということまでい

えるのか。研究会の場でも、不思議さの意味について議論されまし

たが、どうも、奥の深い問題だといわざるをえません。

 

 ともあれ、通常の哲学関係の学会では、哲学史の歴史研究が中

心となりやすく、過去の思想家と自分自身の考えとがあいまいに混

ざりあって議論されることが少なからずあります。今回は(いつもそ

うですが)、オリジナルな世界観を率直に披露する研究会としても、

異文化交流の妙味がさらによく発揮されたと思います。「人文死生

学研究会」としても、かなり「輪廻転生」の理解が深まってきたように

思いますが、仏教関係の学会でさえ本気で主張するには勇気のい

るテーマを、公然と(もちろん、論理的に)語り合えるということは、

やはりすばらしいことだと思いました。

                        (文責・重久俊夫)

 

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■■人文死生学研究会・心の科学の基礎論研究会 合同研究会■■

 

                                 重久俊夫

第四回人文死生学研究会を、心の科学の基礎論研究会との合同

研究会として、下記の通り実施いたします。ふるってご参加下さい。

 

                   記

 

・(日時) 2006年4月1日(土) 午後1時30分〜5時45分

・(会場) 明治大学駿河台研究棟、4階・第2会議室

      (研究棟はリバテイータワーの裏手の12階建ての建物

    です。次の地図をご参照ください。)

     http://www.meiji.ac.jp/campus/suruga.html

 

 

・(趣旨) かつて、死はタブーでしたが、近年は死生学の研究も盛

    んになっており、その多くは臨床死生学です。しかし、自分

    自身の死についての洞察が臨床死生学の基礎には必要と

    思われます。人文死生学研究会は、そうした一人称の死に

    焦点を当て、哲学、倫理学、宗教学、心理学、人類学、精神

    医学から宇宙論にまで及ぶ、学際的な思索と研究の場として

    発足しました。

      今回で4回目になりますが、これまでに「刹那滅」「輪廻

    転生」「死の非在論証」「人間原理」などがテーマとして取り上

    げられています。これらのテーマは、死に対する洞察が、哲

    学や科学において古くから問題にされている時間と自我の

    探求をおのずから要請することを明らかにしています。

      今回は、前回に引き続いて、論理学者の三浦俊彦氏から

    の話題提供を予定しています。

 

・(内容) (1) 開会挨拶・趣旨説明 1時30分より

         渡辺恒夫 (東邦大学・心理学、科学基礎論)

  (2) 前3回の要約 1時45分より 重久俊夫 (西洋史、哲学)

      1 インド仏教における刹那滅(谷貞志発表より)

      2 独我論と輪廻転生     (渡辺恒夫発表より)

      3 死の非在論証       (重久俊夫発表より)

      4 多宇宙論と人間原理   (三浦俊彦発表より)

      5 質疑応答

  (3) 話題提供 「輪廻転生と進化論・人間原理・主観確率論」

      三浦俊彦 (和洋女子大学・論理学、分析哲学、形而上

      学)

  (4) 総合討論 4時30分〜5時45分

 

・(参加資格) 趣旨に関心のある方はどなたでも参加できます。

     申し込みは特に必要ありませんが、会場準備のため、でき

     れば事務局(重久)までご一報下さい。

  (世話人・代表)  渡辺恒夫 psychotw@c.sci.toho-u.ac.jp

  (世話人・事務局)重久俊夫 ts-mh-shimakaze@yacht.ocn.ne.jp

 

  なお、本会のテーマに関する討論について、以下のHPで読むこ

 とができます。

   http://homepage.nifty.com/t-watanabe/correspondence2.htm

 また、心の科学の基礎論研究会の関しては、以下のHPをご参照

 下さい。

   http://www.01.246.ne.jp/~koma2/kokoro/

 

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■■人文死生学研究会(第3回)のお知らせ■■

・(日時) 2005年3月27日(日) 午後1時〜4時30分

      (会場は12時から開いています。)

・(場所) 阪急ターミナルビル 17階

      (阪急ターミナルスクエア 17) 「ばら」の間

     阪急ターミナルビルは、JR大阪駅に隣接する阪急電車

   梅田駅の構内にあります。

   阪急梅田駅「2階中央口」を出た正面。「阪急17番街」の

   真上です。

・(内容) 1時〜 開会挨拶・趣旨説明

           渡辺恒夫 (東邦大学 心理学。科学基礎論)

           前二回の要約

           重久俊夫 (西洋史・哲学)

      2時〜 話題提供

           「人間原理から見た輪廻転生と多宇宙」   

           三浦俊彦 (和洋女子大学 論理学・分析哲学

                形而上学/作家)

      3時15分〜 討論

・(趣旨) かつて死はタブーでしたが、近年は死生学の研究も盛ん

   になっており、その多くは臨床死生学です。しかし、自分自身

   の死についての洞察が臨床死生学の基礎には必要と思われ

   ます。人文死生学研究会は、そうした一人称の死に焦点を当

   て、哲学、倫理学、宗教学、心理学、人類学、精神医学から

   宇宙論にまで及ぶ、学際的な思索と研究の場として発足しま

   した。

    今年で3回目になりますが、これまでに「刹那滅」「輪廻転生」

   「死の非在論証」「人間原理」などがテーマとして取り上げられ

   ています。今回は、昨年に続いて、論理学者の三浦俊彦氏か

   ら、「人間原理」と輪廻転生、多宇宙論の関係について話題

   提供が予定されています。

    もとより、特定の宗教の公布活動とは完全に無関係です。

・(参加資格) 趣旨に関心があれば、どなたでも参加できます。

   特に申し込みは必要ありませんが、会場準備の都合上、なる

   べく事務局(重久)までご一報ください。

  なお、本会の内容に関して、以下のHPをご参照いただくこともで

 きます。 

http://homepage.nifty.com/t-watanabe/academic-meeting.4.htm

世話人(代表) 渡辺恒夫 psychotw@c.sci.toho-u.ac.jp

世話人(事務局) 重久俊夫 shigehisa@yacht.ocn.ne.jp

 

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■■第2回人文死生学研究会のお知らせ■■

 −−ラウンドテーブル:人文死生学と輪廻転生ーー

 

2004327日(土)

 午後1時30分ー5時45

@会場:日本大学文理学部7号館7222教室

新宿より京王線15分下高井戸駅下車徒歩10分

大学の地図については、以下のサイトをご利用ください。

http://www.chs.nihon-u.ac.jp/index-con/info_f4.html

@開場:午後115分 

 

<第1部:130分ー3時30分>

@@話題提供1:渡辺恒夫(心理学・科学基礎論)

■人文死生学で輪廻転生を考える

1 人文死生学とは何か。

(1) 人文死生学の対象:一人称の死(私の死)=人文死生学、二人称の死(親しい他 者の死)=臨床死生学、三人称の死(見知らぬ他者の死)=生命科学、と取りあえず対応づけた。しかし、他者の死も一人称的にその人の身になって感受できるので、この区分は対象の違いというより方法(=態度)の違いといえる。

(2) 人文死生学の方法:「解釈」という人文学(humanity)一般の方法をとる。人文死生学の方法とは、死にかかわる現象を解釈して、その隠れた意味・構造・論理を明らかにすること。心理学としては、「体験事例」を収集して解釈する。

2 自我体験(「第二の誕生」の体験)の収集・解釈

 自己の「死」は直接体験できないので、「誕生」の体験について、それも、精神の 誕生(=第二の誕生)の瞬間の体験である「自我体験」について解釈することにする。「なぜ、今、ここにいるのか?」「なぜ私は私なのか?」などの思春期以前の体 験は、自我体験と呼ばれ調査研究が進められている。筆者は、調査を続けているうち に、自我体験の隠れた意味や論理構造を明らかにすることで、新たなる死生観が切り拓かれると考えるにいたった。たとえば自我体験中、何らかの形で輪廻転生に言及す る例は稀ではなく、偶然とは一度に限らず何度も起こるはずだ、という隠れた直観が そこに共通している。すなわちーー@私は偶然、「今・ここ」にいる。⇒ A偶然というものは何度も生起する。⇒ B 故に、私はかつて別な「今・ここ」に生きていたし、今後も別な「今・ここ」に生き るだろう!

3 独我論的体験の収集・解釈

 「もしかしたら自分にしか意識はないのではないか」という独我論的体験が、児童 期に生じることがあり、この体験も輪廻転生観に発展することがある。その隠れた論理は、@私にしか意識はない。⇒ A私は宇宙の中心にちがいない。⇒ B宇宙の中心が普通の人間なのはエレガントではない。⇒ C宇宙の中心は宇宙のあらゆる知的生命体 をへ巡るだろう!

4 心理学的死生学から論理・哲学的死生学へ

 解釈され明示化された転生輪廻の論理的正当性は、哲学的論理的に検討されねばな らない。検討課題@「偶然」の意味。A 記憶の連続性のない転生に意味があるか?など。

5 当日の発表形式

 淑徳大の総合講座での講義で、マンガなどを取り込んだパソコンプレゼンテーショ ンを用いたので、それを活用したい。

 

@@話題提供2:重久俊夫(西洋史、哲学)

■死の非在の論証について

 A 1 私にとっての「一人称の死の思索」とは、一人称の死について対象化して思

  策することである。いうまでもなく、一人称の死を体験することではない。従って、

  考察は、形而上学的なスペキュレーションとして行われる。

 2 死の非在を含意する「現象間無関係」性について、次の点を検討する。

  ・ それはいかなる前提のもとに、どのように論証されるか。

  ・ 現象相互間が「無関係」であるということは、いかなることを含意しているか。

 B 1 いわゆる「絶対者」を前提にする西田哲学との比較。西田幾多郎は、詩人テ

  ニスンからの引用ではあるが「死とは笑うべき不可能事」と述べている。

  ある意味では死の非在論証を構築しようとした論者である。西田の形而上学

  的世界観を紹介し、私自身の考えと比較する。

 2 西田哲学との対比において、「論理」に対する二通りの捉え方が指摘できる。

  体験をありのままに受け入れるために矛盾を容認すべきか。矛盾を排除するため

  に体験を再解釈すべきか。

 

<第2部:3時45分ー5時45分>

@@話題提供3(特別出演) 三浦俊彦(論理学、作家)

■パート1

  輪廻転生論の前提となる「論理的基盤」を確認します。「自己選択」「ランダム条件」など、きわめて常識的な論理ですが、それだけに「これをふまえていることが不可欠」といった事柄の確認です。

  「意識の超難問」は輪廻転生とは全く関係がないこと、つまり、輪廻転生を持ち出す以前に解決済み、正確には問題の体をなさない擬似問題であることを論じます。自我体験の「論理」そのものは、輪廻転生にかぎらず、いかなる問題にもつながらない擬似問題であるということです。(ただし、自我体験の「存在」そのものが、輪廻転生論への心理的動因になりうることを否定するものではありません)

■パート2

 輪廻転生がなぜ必然的事実であるかを、宇宙物理学の一つのパラダイム「人間原理」「観測選択効果」に沿って論じます。

例題:次の二つの問答のうち、正しい方を選べ。

◆問い:実在する唯一の宇宙は観測者が一兆人いる宇宙であるという仮説と、一兆の百乗倍人いる宇宙であるという仮説と、(経験的データがいずれをも等しく確証していれば)どちらが正しそうか?

◆答え:一兆の百乗倍人という仮説である。

◆理由:私たちが住む世界が多くの知的生命に溢れた世界であればあるほど、私たちの起源を成す物質が生命を宿す確率が高くなる。意識の数が宇宙の多くの場所で実現すればするほど、私たちが生まれる確率がもともと高かったことになり、そしてそれは、私たちが現に生まれてきたという事実を説明するからだ。

◆問い:実在するただ二つの宇宙は、観測者が一兆人いる宇宙と、一兆の百乗倍人いる宇宙である。(経験的データがいずれをも等しく確証していれば)私たちはどちらの宇宙に住んでいそうか?

◆答え:一兆の百乗倍人いる宇宙である。

◆理由:一兆人プラス一兆の百乗倍人という実在する全人口のうち、私たちは多数派に属しているはずであるからだ。

 

@参加資格:考えることの好きな方ならどなたでも歓迎します。

*会場準備の都合上、出席の際はなるべく事務局(重久)か会場事務局(合田)までご一報下さい。

 

@世話人(代表)渡辺恒夫 

@世話人(事務局)重久俊夫 shigehisa@yacht.ocn.ne.jp

@世話人(会場事務局)合田秀行

 

@@人文死生学研究会について

趣旨、前回の報告については、次のHPをご参照下さい。

⇒ homepage1.nifty.com/t-watanabe/academic_meeting_4.htm

 

 

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第一回人文死生学研究会討論要旨

 

2003年3月29日に大阪で行われた第一回人文死生学研究会の討論要旨を以下の

通りご報告いたします。

 

1.開会挨拶要旨・渡辺恒夫氏(本会世話人・東邦大学教授・心理学)

・ かつては死はタブーだったが、最近は死生学の研究も盛んになっており、その多くは

 臨床死生学である。しかし、自分自身の死についての洞察が臨床死生学の基礎には

 必要と思われる。人文死生学は一人称の自己の死を考える営みである。

・ 自分自身の死は生きている間には体験できない。それを考えるためにはそれなりの

 工夫が必要である。例えば、自己の出生について考えてみる。一人称の出生には原

 因がない。完全な偶然によって生まれている。また、眠ることと目覚めることも死のモ

 デルになりうるのではないか。すなわち、昨日の自分と今日の自分とが同じといえる

 かどうかは疑いうる。毎日別の自分として生まれ変わると考えることもできるのではな

 いか。記憶も絶対確実とはいえない。一瞬前の自分は果たして本当に自分なのか。

 

2.話題提供者による講演と質疑応答の要旨・谷貞志氏(高知工業高等専門学校教授

 インド哲学)

・ 7世紀のインドの仏教論師ダルマキールティは、刹那滅(クシャナ・バンガ)の考えを

 哲学的に論証しようとした。それは以下のような世界観である。

・ すべての存在は瞬間的にのみ存在し、刹那に滅している。「私」というものは連続し

 ているが、同一のものが持続しているわけではない。生死には時間が前提されている

 が、流れる時間というものはなく、「今」しか存在しない。その意味では、私は一瞬ごと

 に死んでいるともいえる。

・ 刹那滅は「変化」ではない。同一の人間が、「生まれ、生きて、死ぬ」というのは「変

 化」である。この場合、同一の基体がさまざまな性質をとりかえてゆくことになる。しか

 し、基体と性質とは区別できない。クシャナ(刹那)の原義は「瞬間的な存在」であって

 瞬間と存在とは一体不可分である。「今ある私」以外に、私そのもの(基体)というもの

 があるわけではない。一人称の死も、まさに私がいなくなることであって、生体から死

 体に「変化」することではない。

・ 消滅には原因がない。なぜならば、「原因」とは、「結果」という存在に対して成立す

 るカテゴリーだからである。消滅の場合、「結果」というものがないので、消滅には「原

 因」もありえない。従って、すべての存在は、自発的に消滅しているといわざるをえな

 い。いいかえれば、存在は消滅を自らの本質にしている。それゆえ、存在は一瞬たり

 とも自己同一性を保つことはない。

・ 消滅は、「非存在」というものが定立されることではなく、端的に、なくなることである。

 文字盤の上を秒針が動いてゆくようなものではなく、文字盤そのものが「今」という瞬

 間だけで消滅する。

・ 私が消滅した後に何が生じるかは分からない。「今」しかないということは、前後関係

 を考えること自体を否定しており、底なしの虚無があるわけでもない。むしろ、消滅は、

 何らかの新しい存在が創発する瞬間でもある。

 

3.ディスカッションからの抄出

・ 生きることと体験することと真理の認識とは一体不可分であるはずだ。刹那滅は論証

 されても実感として体験することは難しい。実践に反映されてこそ、臨床死生学の基礎

 として役立てられるのではないか。

・ しかし、直観は不確実であり危険である。論理では到達できないという場合でも、そ

 のことを論理的に示すべきだ。

・ 一人称の死も、哲学的に考える以上、ある程度客観化(三人称化)した上での思弁

 は不可欠である。

・ 普通は誰でも日常的世界で生きている。哲学的世界観は時には必要なものだが、常

 に実感している必要はない。哲学的世界観と日常的世界観とで二重生活になるのも

 やむをえないのではないか。

・ 「自己同一性を持つ個体などはじめからない」という考えも、あくまでも一つの仮説だ

 が、しかし、それで死を突破して生きてゆくことは可能ではないか。

・ 私が一瞬の中で見た夕焼けは、他の誰が見るものでもない。一人一人違うものであ

 り、各自が創作している。それを人々は、ことばでつなげ合って生きているのだ。こうし

 た独我論的な見方につなげることもできるのではないか。

・ 独我論体験を、子どものころに経験している人は少なくない。

 

(付記)哲学的関心と社会学的(あるいは心理学的)関心。死生観の成り立ちを探求す

 ることと既成の死生観を解体すること。今回の参加者の関心は、多様な方向性を秘め

 ていたようです。これらがいかに相互浸透してゆけるかは、今後の課題だと思われま

 す。               (文責・重久俊夫・本会世話人)

 

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乞掲示

人文死生学研究会の発足のお知らせ

第1回人文死生学研究会

2003329日(土)

@会場 大阪市立中ノ島中央公会堂 (地下一階の第一会議室)

 地下鉄御堂筋線 または 京阪電車 淀屋橋駅(JR大阪駅からは、御堂筋線「梅田」で「なんば方面行き」に乗り1駅。新幹線からは、御堂筋線「新大阪」で「なんば方面行き」に乗り4駅目。)淀屋橋駅の1番出口を出て、橋を渡り、右に曲がってすぐ(隣が「大阪市立東洋陶磁美術館」で、美術ファンには必見です。

@時間

午前1130分 開場

1145分 開会挨拶:渡辺恒夫

12時−1時 話題提供:谷貞志(インド哲学、高知工業高等専門学校教授)

115分−330分 昼食付きディスカッション「一人称的死生学の可能性」

@費用 昼食実費(1000円程度)

@参加資格:以下の「趣旨」に共鳴していただければ、他には特にありません。

@趣旨(人文死生学とは?)

 従来の死についての研究の間に位置づければ、だいたい以下のようになります。

生命科学の対象:三人称の死

臨床死生学の対象:ニ人称の死

人文死生学の対象:一人称の死

 死一般というものは存在せず、三人称の死(=見知らぬ他者の死)か、ニ人称の死(=親しい他者の死)か、一人称の死(=自己の死)かによって、死へのアプローチがまったく異なってくることを説いたのは、フランスの哲学者ジャンケレヴィッチでした。最近、日本でも死についての議論や研究がさかんになってきていますが、今のところ臨床死生学が中心で、自己自身の死を正面からみすえた本格的な思索や研究を組織的に展開する機運にはいたっていないようです。人文死生学研究会は、一人称の死に焦点をあて、哲学、倫理学、宗教学、心理学、人類学、精神医学から宇宙論にまで及ぶ、学際的な思索と研究の場を創出していこうという、初めての試みです。

@話題提供者&世話人紹介

#谷貞志(話題提供者) 『無常の哲学:ダルマキールティと刹那滅』(春秋社、1999)の著者。ダルマキールティは7世紀インドの仏教論理学の最高峰で、「空」とは世界が絶えず瞬間的に生滅することである(=刹那滅)として、ひたすら論理のみによって刹那滅を証明しようとしました。日本人の仏教イメージとはかけ離れたこの刹那滅証明は、人文死生学に何をもたらすのでしょうか。

#渡辺恒夫(世話人) 東邦大学で心理学を教える傍ら、科学基礎論も研究。昨年、『<私の死>の謎:世界観の心理学で独我を超える』(ナカニシヤ出版)を出しました。

#重久俊夫(世話人) 研究機関に属さないフリーの哲学者。昨年、『夢幻論:永遠と無常の哲学』(中央公論事業出版)を出しました。

*なお、世話人両人のメール上の「往復書簡」を以下のHPで読めますので、ご参考までに。甚だ判りにくくて申し訳ありませんが。

http://homepage1.nifty.com/t-watanabe/correspondence2.htm

@会場準備の都合上、出席の際はなるべく事務局(重久)までご一報下さい。

*言うまでもないことですが、特定の宗教の公布活動を目的とする事はご遠慮ください。

@世話人(代表)渡辺恒夫

 世話人(事務局)重久俊夫 shigehisa@yacht.ocn.ne.jp

 

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