| 名匠サム・ペキンパーが、「暴力」を世に問う問題作。

アメリカの喧騒から逃れるためにイギリスの片田舎に引っ越してきた夫婦が、否定していた暴力に直面し、最後には人間の暴力性にとらわれていく、というストーリー。
M・ウィリアムズ原作の『トレンチャー農場の包囲 /The Siege Of Trencher's Farm』をベースに、暴力描写やストーリーの上で、より妥協せずに脚本化し、『わらの犬』と改題された。
『わらの犬』とは、老子のことば「天と地は無情で、人をわらの犬の如く扱う」からの引用。
これは、所詮、人は動物であり、その本能や暴力性からは逃れられない、という含みがある。
ペキンパーは、頭ごなしの暴力否定を徹底的に嫌う。
こうした現実味を帯びた冷めた感覚は、スタンリー・キューブリックと相通ずるものがあり、同年に発表された『時計仕掛けのオレンジ』とは図らずも同じようなテーマを持つ作品となった。
しかし、『時計仕掛けのオレンジ』ほどの評価を、この映画は得ていない。
『時計仕掛けのオレンジ』と比べると、「美しい」と感じる芸術性や、ウィットに富んだセリフ、美しい音楽、ユーモア、そんなものは皆無だ。あまりにもストレートで、現実的で、暗くて、救いが無いのだ。
『わらの犬』の主演に急遽抜擢された名優、ダスティン・ホフマンのことばを引用する。
「僕の興味を引いたのは、架空のこととはいえ、その内容が平和主義者を取り扱っているという点だった。彼らは自分の中に潜む暴力の芽や感情を自覚していないのだが、実は、それは社会生活において彼らが忌み嫌う感情とまったく変わらないのだ。そのタイプの人間のいい例は、戦争反対や暴力反対を唱えながら、ボクシングやフットボール試合の観戦に行き、大声を上げている連中だ。そうした連中は自分の中の矛盾に気づいていないのだ。」
中途半端な平和主義者が耳にしたら髪の毛を逆立てて怒りだしそうなこのことばは、この映画の言わんとするところを如実に語っている。
実際、自分の意見に自信の無い平和主義者がこの映画を観たら、途中で席を立ってしまうだろう。
この点で意気投合したサム・ペキンパーとダスティン・ホフマンはペキンパー映画では例外と言っていいくらい、息の合ったコンビネーションを見せることとなった。
ペキンパーの数々の作品の中でも、この『わらの犬』は1、2を争うほど暗くて救いの無い映画だ。
もともと妥協することを嫌うペキンパーだが、この映画の場合は扱うテーマがあまりにもストレートすぎたのかもしれない。(それでも、レイテッドを下げるために暴力シーンはかなりカットされたらしい)
「意図が怪しげで、過度の影響を与える映画」(『ロンドンタイムス』)
「私が批評家を職業としていなければ、『わらの犬』の途中で席を立ったろう」(『ワシントンポスト』ゲーリー・アーノルド)
同年同時期に発表された『時計仕掛けのオレンジ』との評価の差には驚くばかりである。
この論争に止めを刺したのが、批評家チャールズ・バーによる論文、『わらの犬、時計仕掛けのオレンジ、そして批評家たち』という題名の長い論文である。彼はこの論文で、『わらの犬』を批判し、『時計仕掛けのオレンジ』を絶賛する批評家たちを、「愚かだ」とバッサリ切り捨てている。
いわゆる「おもしろい映画」とは決して言えないが、ペキンパーの才能、そして天才ともいえるダスティン・ホフマンの演技は絶賛に値する。
1度は観て欲しい映画だ。 |