【城 跡 名】足利氏館(鑁阿寺館)
【訪 城 日】2001年1月13日
【所 在 地】栃木県足利市家富町2220
【創建年代】平安末期・鎌倉初期
【創 建 者】足利義兼
【主な遺構】土塁・水堀
【歴史・沿革】
足利氏館の創建者といわれる足利義兼は、八幡太郎義家の孫で足利氏の祖義康の息子に当たります。義兼は鎌倉幕府の有力御家人としての地位を築き、足利にあっては平氏方の藤原系足利氏(秀郷の子孫)を滅ぼし、足利荘一円を支配し、当館を建てました。義兼は建久7年(1196)居館の内に持仏堂を建て、出家して鑁阿と称しました。そして、その持仏堂を中心に寺院としての形を整えられ、以後この鑁阿寺は足利氏の氏寺として室町将軍家・関東管領家の厚い保護を受けました。戦国時代は一時戦乱に巻き込まれ荒廃しましたが、天正19年(1591)徳川家康から朱印地を賜り、以後歴代将軍がこれを安堵しました。明治以降、衰退を余儀なくされましたが、足利学校同様、足利町民の力で復旧・維持され現在に至っています。
【訪 城 記】
職場の職員旅行で初日は横浜方面、二日目は鎌倉方面へ行き、三日目・四日目は渋谷・お台場・神田神保町・池袋・秋葉原など東京近辺を周り、最後の二日間はお城巡りMLのお仲間と史跡&城巡りをしました。
この日は館林駅でまず大村さんと合流し、館林城を少し見たあと足利へ向かいました。太平記館の駐車場で越後からおいでの井比さんと合流し、まず足利学校を見たあと、その裏側にある足利氏館(鑁阿寺)へと向かいました。しばらく歩くと左側に足利尊氏の銅像があり、その先に鑁阿寺の正門がありました。この正門は楼門と呼ばれ室町期のものですが、その手前の堀には屋根付きの太鼓橋がかかっています。この太鼓橋の両側には堀と土塁が伸びています。足利氏館はこの方形の堀と土塁に囲まれていますが、この土塁の外側は植え込みになっていて、はとてもきれいに手入れされています。しかし内側の方が本来の土塁の雰囲気を残しているように感じました。
楼門をくぐり境内にはいると土塁の内側には大木がそびえ、正面には本堂(大御堂)が見えます。本堂に左側には多宝塔や経堂も見えますが、数日前の雪が境内に少し残り東京に比べると寒さを感じました。
そのあと大御堂の前を右に抜け東門を通って、車を停めた太平記館まで戻りました。ここでは何年か前に放映した大河ドラマ「太平記」で使われた鎧などが展示されていました。足利氏関係の資料などがあるかなあと思いましたが徳に何もなくちょっとガッカリでした(^^;)
でも足利学校といい鑁阿寺といい、とてもきれいな堀と土塁に囲まれなかなかいい雰囲気でした。